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第1部 激甚のタナトス
#5 小田切勇次
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「じゃ、あとは先生、よろしく~」
萌はひらひら手を振ると、スキップするような足取りで保健室を出て行った。
「俺、こっちで待ってるから、まず服着ろよな。済んだらそういってくれ」
オダギリと呼ばれた男が杏里から目を背けていい、衝立の向こうに姿を消した。
杏里はそそくさとブラを身につけた。
あれほど嫌だったピンクのブラだが、裸でいるよりはよっぽどいい。
とにかく、萌がこれを置いていってくれて助かった、と思う。
失くしたら、たぶん父さんは激怒するだろう。
なぜってこれは、姉さんの形見だから・・・。
ブラジャーのホックを後ろ手にはめ、その上からブラウスを着て、胸元までしっかりボタンを留めると、
「済みました」
衝立の向こうに、声をかけた。
ぼさぼさ頭の男が戻ってきた。
保険の先生ときたら、普通は女性に決まっている。
ところが目の前にいるのは、まぎれもなく男だった。
「俺、小田切勇次。臨時教員でな。産休の山田先生の代わりなんだよ」
杏里の物問いたげなまなざしに気づいたのか、
椅子を引き寄せ、ベッドに腰かけた杏里の前に坐ると、頭を掻きながら、男がいった。
「男なんで、びっくりしたろう」
ひと呼吸置いて、杏里はうなずいた。
あまり清潔そうには見えないが、悪い人ではなさそうだ、と思う。
少なくとも、クラスの連中と違い、目に表情がある。
「おまえ、名前は?」
無精ひげの残る顎に手を当て、首を斜めに傾げて訊いてきた。
「笹原、杏里です。2年C組の」
杏里は小声で答えた。
「おととい、転校してきたばかりです」
男の眼がすっと細くなった。
「転校生か」
じっと杏里の顔を見つめてくる。
ずいぶん長い時間が経ち、杏里が視線に耐えかねてもぞもぞし始めた頃、
「いじめられてるな」
ふいに、そう短くいった。
杏里は答えなかった。
目を伏せ、膝の上に置いた両手を見た。
「どれ。見せてみろ」
「え?」
顔を上げ、杏里は目を見開いた。
「やられたとこだよ」
否定する前に、左手を取られた。
さっき、萌に拷問された指が、紫色に膨れ上がっている。
「ひでえな。骨は折れてないが」
オダギリの言葉に、杏里は指を動かしてみた。
痛むが、無事動いた。
ついさっきまで、五本ともぶらぶらだったのに、もう治ったらしい。
「他は?」
仕方なく、ブラウスの裾をまくりあげた。
鳩尾の赤みはかなり引いていたが、萌につねられたときできた蚯蚓腫れは、まだ残っていた。
「待ってろ」
オダギリが戸棚のほうに行き、薬箱を手に戻ってきた。
慣れた手つきで、わき腹にシップを貼ってくれる。
「つらいか」
杏里の顔を下から覗き込むようにして、訊いた。
今度もまた、杏里は答えなかった。
ともすれば涙が溢れそうになるのを、膝の上で拳を握って、耐えた。
「まあ、聞くまでもないよな」
オダギリが、ふうっと息を吐いた。
杏里の頭に手を伸ばすと、柔らかい髪の毛をくしゃくしゃっとかきまぜる。
「いつか来るとは思ってたが・・・おまえがそうだったのか」
考え込むような表情で、つぶやいた。
杏里は視線を上げた。
意味がわからなかった。
この人、私のこと、知ってるのだろうか。
どういうことです?
そうたずねようとしたとき、
「で、なんだっけ」
小田切が、最初の頃の少し軽めの調子に戻って、いった。
「あ、そうそう。パンツパンツと」
席を立つと、あちこちの戸棚を開け始める。
「いくらなんでも、紙おむつは嫌だよなあ」
杏里はうなずいた。
今頃教室は、杏里が”ちびった”話題で大いに盛り上がっているに違いない。
そんなところに紙おむつをつけて入っていったら、何をされるかわかったものではなかった。
「あ、そうだ。いいことがある」
オダギリが、ぽんと手を打って立ち上がった。
「ちょっとここで待っててくれ。ていうか、どうせおまえ、すぐには教室に戻れないだろ。そのあいだに女物のパンツ、調達してくるから、そうだな、昼休みまで、ベッドで寝ててくれよ」
「先生・・・」
杏里は少し心配になって、いった。
「まさか、盗んでくるつもりじゃ・・・」
萌はひらひら手を振ると、スキップするような足取りで保健室を出て行った。
「俺、こっちで待ってるから、まず服着ろよな。済んだらそういってくれ」
オダギリと呼ばれた男が杏里から目を背けていい、衝立の向こうに姿を消した。
杏里はそそくさとブラを身につけた。
あれほど嫌だったピンクのブラだが、裸でいるよりはよっぽどいい。
とにかく、萌がこれを置いていってくれて助かった、と思う。
失くしたら、たぶん父さんは激怒するだろう。
なぜってこれは、姉さんの形見だから・・・。
ブラジャーのホックを後ろ手にはめ、その上からブラウスを着て、胸元までしっかりボタンを留めると、
「済みました」
衝立の向こうに、声をかけた。
ぼさぼさ頭の男が戻ってきた。
保険の先生ときたら、普通は女性に決まっている。
ところが目の前にいるのは、まぎれもなく男だった。
「俺、小田切勇次。臨時教員でな。産休の山田先生の代わりなんだよ」
杏里の物問いたげなまなざしに気づいたのか、
椅子を引き寄せ、ベッドに腰かけた杏里の前に坐ると、頭を掻きながら、男がいった。
「男なんで、びっくりしたろう」
ひと呼吸置いて、杏里はうなずいた。
あまり清潔そうには見えないが、悪い人ではなさそうだ、と思う。
少なくとも、クラスの連中と違い、目に表情がある。
「おまえ、名前は?」
無精ひげの残る顎に手を当て、首を斜めに傾げて訊いてきた。
「笹原、杏里です。2年C組の」
杏里は小声で答えた。
「おととい、転校してきたばかりです」
男の眼がすっと細くなった。
「転校生か」
じっと杏里の顔を見つめてくる。
ずいぶん長い時間が経ち、杏里が視線に耐えかねてもぞもぞし始めた頃、
「いじめられてるな」
ふいに、そう短くいった。
杏里は答えなかった。
目を伏せ、膝の上に置いた両手を見た。
「どれ。見せてみろ」
「え?」
顔を上げ、杏里は目を見開いた。
「やられたとこだよ」
否定する前に、左手を取られた。
さっき、萌に拷問された指が、紫色に膨れ上がっている。
「ひでえな。骨は折れてないが」
オダギリの言葉に、杏里は指を動かしてみた。
痛むが、無事動いた。
ついさっきまで、五本ともぶらぶらだったのに、もう治ったらしい。
「他は?」
仕方なく、ブラウスの裾をまくりあげた。
鳩尾の赤みはかなり引いていたが、萌につねられたときできた蚯蚓腫れは、まだ残っていた。
「待ってろ」
オダギリが戸棚のほうに行き、薬箱を手に戻ってきた。
慣れた手つきで、わき腹にシップを貼ってくれる。
「つらいか」
杏里の顔を下から覗き込むようにして、訊いた。
今度もまた、杏里は答えなかった。
ともすれば涙が溢れそうになるのを、膝の上で拳を握って、耐えた。
「まあ、聞くまでもないよな」
オダギリが、ふうっと息を吐いた。
杏里の頭に手を伸ばすと、柔らかい髪の毛をくしゃくしゃっとかきまぜる。
「いつか来るとは思ってたが・・・おまえがそうだったのか」
考え込むような表情で、つぶやいた。
杏里は視線を上げた。
意味がわからなかった。
この人、私のこと、知ってるのだろうか。
どういうことです?
そうたずねようとしたとき、
「で、なんだっけ」
小田切が、最初の頃の少し軽めの調子に戻って、いった。
「あ、そうそう。パンツパンツと」
席を立つと、あちこちの戸棚を開け始める。
「いくらなんでも、紙おむつは嫌だよなあ」
杏里はうなずいた。
今頃教室は、杏里が”ちびった”話題で大いに盛り上がっているに違いない。
そんなところに紙おむつをつけて入っていったら、何をされるかわかったものではなかった。
「あ、そうだ。いいことがある」
オダギリが、ぽんと手を打って立ち上がった。
「ちょっとここで待っててくれ。ていうか、どうせおまえ、すぐには教室に戻れないだろ。そのあいだに女物のパンツ、調達してくるから、そうだな、昼休みまで、ベッドで寝ててくれよ」
「先生・・・」
杏里は少し心配になって、いった。
「まさか、盗んでくるつもりじゃ・・・」
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