激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【覚醒編】

戸影絵麻

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第1部 激甚のタナトス

#1 笹原杏里

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 正門へと続くなだらかな坂道。
 時折吹きすぎる風が、夏の匂いを運んでくる。
 街路樹の葉の間から漏れる日差しが、万華鏡のようにきらめくその道を、笹原杏里は重いカバンを提げてとぼとぼと歩いていた。
 周りを、生徒たちがおしゃべりをしながら通り過ぎていく。
 なかには杏里のほうを見て、くすくす笑う生徒もいる。
 そのたびに杏里は頬を赤らめた。
 理由はわかっている。
 でも、今更どうにもならないのだ。
 これがせめて上着を着る、春か秋以降だったらいいのに、と思う。
 クラスメートたちの反応も、心配だった。
 きのうきょうと、杏里はまだクラスの誰とも話していない。
 最初の挨拶のときから、すでに視線が冷ややかだった。
 歓迎されていない。
 そう、感じた。
 なんとなく、無視されているような気さえする。
 初対面なのに、なぜかみんな妙によそよそしい。

 肩をすぼめて、歩き出す。
 きっと、なんでもないんだ。
 そう思うことにした。
 私と同じ、みんな遠慮してるだけなんだ・・・。

 笹原杏里は、若葉台中学の2年生。
 卵形の顔を、やわらかそうな髪がふんわりと覆っている。
 身長は150cm前半と小柄である。
 色白の肌に、夏服のセーラー服がよく似合っている。
 が、そのセーラー服は特に胸周りが窮屈そうで、腕を上げると拍子に裸のへそが見えてしまう。
 歳の割に、発育が良すぎること。
 それが彼女のコンプレックスでもある。
 杏里は3日前に転校してきたばかり。
 この若葉台市のはずれにある古いアパートに、父と2人で住んでいる。
 父は部品工場の工員だ、
 若葉台市にできた新しい工場で、3日前から働いている。
 杏里は父が恐い。
 理由は、いえない。
 
 突然、背後からばたばたという足音がした。
「あ」
 振り向こうとした杏里は、背中に衝撃を受けてたまらず地面に転がった。
 手から離れたカバンを、複数のスニーカーが踏んづけていく。
 お気に入りの黄色いクマの飾りが、ちぎれて飛んだ。
 あわてて拾おうと立ち上がりかけたところを、また押された。
 今度は横転した。
 はずみで制服のひだスカートが腰の辺りまでめくれ、ピンク色のショーツが丸見えになる。
「うわ、スゲェ」
「エロいな、こいつ」
 男子生徒たちの笑い声。
 誰かが剥き出しの杏里の尻を蹴った。
「やめて!」
 攻撃を避けるために仰臥したとたん、今度は靴底で下腹を踏まれて杏里はうめいた。
 その刹那。
「ちょっと、あんたたち、何やってるのよ!」
 よく通る声が、杏里の耳朶を打った。
「やべえ。生徒会長だ」
 少年のひとりがおどけた口調でいって、倒れた杏里から飛びのいた。
「逃げるぞ」
 ほかのひとりがいい、喚声を上げながら走り去っていった。
「大丈夫?」
 手を貸してくれたのは、ポニーテールの背の高い女生徒だった。
 縁の厚いメガネをかけた、いかにも頭の良さそうな印象の少女である。
 勝気そうな、すっきりと整った横顔。
 3年生だろうか。
 童顔の杏里と比べ、ずいぶん大人っぽく見える。
 
 杏里はもぞもぞと口の中で礼をいった。
 スカートを直し、カバンを拾って立ち上がる。
 カバンの表面には白い靴跡がくっきりとついてしまっている。
 それをハンカチでこすっていると、
「はい、これ」
 少女がクマのキーホルダーを渡してくれた。
「あ、ありがとう」
 受け取って、ぴょこんと頭を下げる。
 が、恥ずかしくて、顔を上げることができない。
「あなた、見かけない顔だけど、ひょっとして転校生?」
 下から杏里の顔をのぞきこむようにして、少女がたずねた。
 どぎまぎしながら、うなずいた。
「2年生ね。笹原さん?」
 杏里のつけている名札を見て、いった。
 名札が縫いとめてある赤い布は、2年生のものである。
 少女のは黒で、3年生だとわかる。
 杏里はまたうなずいた。
「私は広瀬あずさ。ほんと、この学校の男子ったら、乱暴で幼稚なんだから」
 杏里のスカートについた砂を払いながら、あずさと名乗った少女がいう。
「ごめんなさいね。痛かったでしょ」
「生徒、会長さん?」
 杏里はまぶしそうに少女を見上げた。
 にっこりと少女が笑った。
 そこだけ日が差し込んだような、明るい微笑だった。
「一応、一学期一杯はそうね。困ったことがあったら、何でも相談に来て」
 表情が自信に満ちている。
「私は3年A組。あなたは?」
「2年C組、です」
「わかった。授業後、一度顔を出すから、きょうは一緒に帰りましょ」
「え…? いいんですか」
 どきどきしながら、杏里は訊いた。
 生徒会長で、しかもこんなに美人とお近づきになれるなんて。
 まさに夢のようだった。
「それにしても」
 そこでふいにあずさが声のトーンを変えて、いった。
「ちょっとそのブラ、派手すぎたね。ブラウスから透けて見えてるよ」
 杏里はたちまち真っ赤になった。
 きょう、一番触れられたくない話題だった。
 自分でもわかっている。
 白いブラウスにピンクのブラジャーなんて、本来ありえないのだ。
「お父さんが、これ、してけって・・・」
 蚊の鳴くような声で、答えた。
 たぶん、死んだ姉のものなのだろう。
 ゆうべ、父が箪笥から出してきて、勉強していた杏里に押しつけたのだ。
 明日からこれをつけろ、と。
「お父さんが?」
 あずさの綺麗な眉が吊りあがる。
 信じられない、といった表情をしていた。
「うーん、よくわかんないけど」
 両手を腰に当て、背筋を伸ばしてしげしげと杏里の全身を眺めた。
「明日からはやめたほうがいいかもね」
 真顔に戻って、いう。
「あなた、可愛い顔してるから、すごく危ない感じがする。第一、中学生にしてはちょっちスタイル良すぎだもん」
「…え?」
 杏里の目が暗くなる。
「あ、たいへん! もうこんな時間」
 腕時計に視線を落とし、あずさが叫び声を上げた。
「急ごう。遅刻しちゃうよ。じゃ、放課後にね」
 大股に駆けていくその背中を見送りながら。杏里は自分の胸を見た。
 ブラは面積が狭く、乳房を押し上げるような形をしている。
 とても中学生がつけるようなものではない。
 それが、ありありと透けて見えているのだ。
 これから始まる長い一日のことを思って、杏里は深いため息をついた。
 死にたい気分だった。

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