2 / 58
第1部 激甚のタナトス
#1 笹原杏里
しおりを挟む
正門へと続くなだらかな坂道。
時折吹きすぎる風が、夏の匂いを運んでくる。
街路樹の葉の間から漏れる日差しが、万華鏡のようにきらめくその道を、笹原杏里は重いカバンを提げてとぼとぼと歩いていた。
周りを、生徒たちがおしゃべりをしながら通り過ぎていく。
なかには杏里のほうを見て、くすくす笑う生徒もいる。
そのたびに杏里は頬を赤らめた。
理由はわかっている。
でも、今更どうにもならないのだ。
これがせめて上着を着る、春か秋以降だったらいいのに、と思う。
クラスメートたちの反応も、心配だった。
きのうきょうと、杏里はまだクラスの誰とも話していない。
最初の挨拶のときから、すでに視線が冷ややかだった。
歓迎されていない。
そう、感じた。
なんとなく、無視されているような気さえする。
初対面なのに、なぜかみんな妙によそよそしい。
肩をすぼめて、歩き出す。
きっと、なんでもないんだ。
そう思うことにした。
私と同じ、みんな遠慮してるだけなんだ・・・。
笹原杏里は、若葉台中学の2年生。
卵形の顔を、やわらかそうな髪がふんわりと覆っている。
身長は150cm前半と小柄である。
色白の肌に、夏服のセーラー服がよく似合っている。
が、そのセーラー服は特に胸周りが窮屈そうで、腕を上げると拍子に裸のへそが見えてしまう。
歳の割に、発育が良すぎること。
それが彼女のコンプレックスでもある。
杏里は3日前に転校してきたばかり。
この若葉台市のはずれにある古いアパートに、父と2人で住んでいる。
父は部品工場の工員だ、
若葉台市にできた新しい工場で、3日前から働いている。
杏里は父が恐い。
理由は、いえない。
突然、背後からばたばたという足音がした。
「あ」
振り向こうとした杏里は、背中に衝撃を受けてたまらず地面に転がった。
手から離れたカバンを、複数のスニーカーが踏んづけていく。
お気に入りの黄色いクマの飾りが、ちぎれて飛んだ。
あわてて拾おうと立ち上がりかけたところを、また押された。
今度は横転した。
はずみで制服のひだスカートが腰の辺りまでめくれ、ピンク色のショーツが丸見えになる。
「うわ、スゲェ」
「エロいな、こいつ」
男子生徒たちの笑い声。
誰かが剥き出しの杏里の尻を蹴った。
「やめて!」
攻撃を避けるために仰臥したとたん、今度は靴底で下腹を踏まれて杏里はうめいた。
その刹那。
「ちょっと、あんたたち、何やってるのよ!」
よく通る声が、杏里の耳朶を打った。
「やべえ。生徒会長だ」
少年のひとりがおどけた口調でいって、倒れた杏里から飛びのいた。
「逃げるぞ」
ほかのひとりがいい、喚声を上げながら走り去っていった。
「大丈夫?」
手を貸してくれたのは、ポニーテールの背の高い女生徒だった。
縁の厚いメガネをかけた、いかにも頭の良さそうな印象の少女である。
勝気そうな、すっきりと整った横顔。
3年生だろうか。
童顔の杏里と比べ、ずいぶん大人っぽく見える。
杏里はもぞもぞと口の中で礼をいった。
スカートを直し、カバンを拾って立ち上がる。
カバンの表面には白い靴跡がくっきりとついてしまっている。
それをハンカチでこすっていると、
「はい、これ」
少女がクマのキーホルダーを渡してくれた。
「あ、ありがとう」
受け取って、ぴょこんと頭を下げる。
が、恥ずかしくて、顔を上げることができない。
「あなた、見かけない顔だけど、ひょっとして転校生?」
下から杏里の顔をのぞきこむようにして、少女がたずねた。
どぎまぎしながら、うなずいた。
「2年生ね。笹原さん?」
杏里のつけている名札を見て、いった。
名札が縫いとめてある赤い布は、2年生のものである。
少女のは黒で、3年生だとわかる。
杏里はまたうなずいた。
「私は広瀬あずさ。ほんと、この学校の男子ったら、乱暴で幼稚なんだから」
杏里のスカートについた砂を払いながら、あずさと名乗った少女がいう。
「ごめんなさいね。痛かったでしょ」
「生徒、会長さん?」
杏里はまぶしそうに少女を見上げた。
にっこりと少女が笑った。
そこだけ日が差し込んだような、明るい微笑だった。
「一応、一学期一杯はそうね。困ったことがあったら、何でも相談に来て」
表情が自信に満ちている。
「私は3年A組。あなたは?」
「2年C組、です」
「わかった。授業後、一度顔を出すから、きょうは一緒に帰りましょ」
「え…? いいんですか」
どきどきしながら、杏里は訊いた。
生徒会長で、しかもこんなに美人とお近づきになれるなんて。
まさに夢のようだった。
「それにしても」
そこでふいにあずさが声のトーンを変えて、いった。
「ちょっとそのブラ、派手すぎたね。ブラウスから透けて見えてるよ」
杏里はたちまち真っ赤になった。
きょう、一番触れられたくない話題だった。
自分でもわかっている。
白いブラウスにピンクのブラジャーなんて、本来ありえないのだ。
「お父さんが、これ、してけって・・・」
蚊の鳴くような声で、答えた。
たぶん、死んだ姉のものなのだろう。
ゆうべ、父が箪笥から出してきて、勉強していた杏里に押しつけたのだ。
明日からこれをつけろ、と。
「お父さんが?」
あずさの綺麗な眉が吊りあがる。
信じられない、といった表情をしていた。
「うーん、よくわかんないけど」
両手を腰に当て、背筋を伸ばしてしげしげと杏里の全身を眺めた。
「明日からはやめたほうがいいかもね」
真顔に戻って、いう。
「あなた、可愛い顔してるから、すごく危ない感じがする。第一、中学生にしてはちょっちスタイル良すぎだもん」
「…え?」
杏里の目が暗くなる。
「あ、たいへん! もうこんな時間」
腕時計に視線を落とし、あずさが叫び声を上げた。
「急ごう。遅刻しちゃうよ。じゃ、放課後にね」
大股に駆けていくその背中を見送りながら。杏里は自分の胸を見た。
ブラは面積が狭く、乳房を押し上げるような形をしている。
とても中学生がつけるようなものではない。
それが、ありありと透けて見えているのだ。
これから始まる長い一日のことを思って、杏里は深いため息をついた。
死にたい気分だった。
時折吹きすぎる風が、夏の匂いを運んでくる。
街路樹の葉の間から漏れる日差しが、万華鏡のようにきらめくその道を、笹原杏里は重いカバンを提げてとぼとぼと歩いていた。
周りを、生徒たちがおしゃべりをしながら通り過ぎていく。
なかには杏里のほうを見て、くすくす笑う生徒もいる。
そのたびに杏里は頬を赤らめた。
理由はわかっている。
でも、今更どうにもならないのだ。
これがせめて上着を着る、春か秋以降だったらいいのに、と思う。
クラスメートたちの反応も、心配だった。
きのうきょうと、杏里はまだクラスの誰とも話していない。
最初の挨拶のときから、すでに視線が冷ややかだった。
歓迎されていない。
そう、感じた。
なんとなく、無視されているような気さえする。
初対面なのに、なぜかみんな妙によそよそしい。
肩をすぼめて、歩き出す。
きっと、なんでもないんだ。
そう思うことにした。
私と同じ、みんな遠慮してるだけなんだ・・・。
笹原杏里は、若葉台中学の2年生。
卵形の顔を、やわらかそうな髪がふんわりと覆っている。
身長は150cm前半と小柄である。
色白の肌に、夏服のセーラー服がよく似合っている。
が、そのセーラー服は特に胸周りが窮屈そうで、腕を上げると拍子に裸のへそが見えてしまう。
歳の割に、発育が良すぎること。
それが彼女のコンプレックスでもある。
杏里は3日前に転校してきたばかり。
この若葉台市のはずれにある古いアパートに、父と2人で住んでいる。
父は部品工場の工員だ、
若葉台市にできた新しい工場で、3日前から働いている。
杏里は父が恐い。
理由は、いえない。
突然、背後からばたばたという足音がした。
「あ」
振り向こうとした杏里は、背中に衝撃を受けてたまらず地面に転がった。
手から離れたカバンを、複数のスニーカーが踏んづけていく。
お気に入りの黄色いクマの飾りが、ちぎれて飛んだ。
あわてて拾おうと立ち上がりかけたところを、また押された。
今度は横転した。
はずみで制服のひだスカートが腰の辺りまでめくれ、ピンク色のショーツが丸見えになる。
「うわ、スゲェ」
「エロいな、こいつ」
男子生徒たちの笑い声。
誰かが剥き出しの杏里の尻を蹴った。
「やめて!」
攻撃を避けるために仰臥したとたん、今度は靴底で下腹を踏まれて杏里はうめいた。
その刹那。
「ちょっと、あんたたち、何やってるのよ!」
よく通る声が、杏里の耳朶を打った。
「やべえ。生徒会長だ」
少年のひとりがおどけた口調でいって、倒れた杏里から飛びのいた。
「逃げるぞ」
ほかのひとりがいい、喚声を上げながら走り去っていった。
「大丈夫?」
手を貸してくれたのは、ポニーテールの背の高い女生徒だった。
縁の厚いメガネをかけた、いかにも頭の良さそうな印象の少女である。
勝気そうな、すっきりと整った横顔。
3年生だろうか。
童顔の杏里と比べ、ずいぶん大人っぽく見える。
杏里はもぞもぞと口の中で礼をいった。
スカートを直し、カバンを拾って立ち上がる。
カバンの表面には白い靴跡がくっきりとついてしまっている。
それをハンカチでこすっていると、
「はい、これ」
少女がクマのキーホルダーを渡してくれた。
「あ、ありがとう」
受け取って、ぴょこんと頭を下げる。
が、恥ずかしくて、顔を上げることができない。
「あなた、見かけない顔だけど、ひょっとして転校生?」
下から杏里の顔をのぞきこむようにして、少女がたずねた。
どぎまぎしながら、うなずいた。
「2年生ね。笹原さん?」
杏里のつけている名札を見て、いった。
名札が縫いとめてある赤い布は、2年生のものである。
少女のは黒で、3年生だとわかる。
杏里はまたうなずいた。
「私は広瀬あずさ。ほんと、この学校の男子ったら、乱暴で幼稚なんだから」
杏里のスカートについた砂を払いながら、あずさと名乗った少女がいう。
「ごめんなさいね。痛かったでしょ」
「生徒、会長さん?」
杏里はまぶしそうに少女を見上げた。
にっこりと少女が笑った。
そこだけ日が差し込んだような、明るい微笑だった。
「一応、一学期一杯はそうね。困ったことがあったら、何でも相談に来て」
表情が自信に満ちている。
「私は3年A組。あなたは?」
「2年C組、です」
「わかった。授業後、一度顔を出すから、きょうは一緒に帰りましょ」
「え…? いいんですか」
どきどきしながら、杏里は訊いた。
生徒会長で、しかもこんなに美人とお近づきになれるなんて。
まさに夢のようだった。
「それにしても」
そこでふいにあずさが声のトーンを変えて、いった。
「ちょっとそのブラ、派手すぎたね。ブラウスから透けて見えてるよ」
杏里はたちまち真っ赤になった。
きょう、一番触れられたくない話題だった。
自分でもわかっている。
白いブラウスにピンクのブラジャーなんて、本来ありえないのだ。
「お父さんが、これ、してけって・・・」
蚊の鳴くような声で、答えた。
たぶん、死んだ姉のものなのだろう。
ゆうべ、父が箪笥から出してきて、勉強していた杏里に押しつけたのだ。
明日からこれをつけろ、と。
「お父さんが?」
あずさの綺麗な眉が吊りあがる。
信じられない、といった表情をしていた。
「うーん、よくわかんないけど」
両手を腰に当て、背筋を伸ばしてしげしげと杏里の全身を眺めた。
「明日からはやめたほうがいいかもね」
真顔に戻って、いう。
「あなた、可愛い顔してるから、すごく危ない感じがする。第一、中学生にしてはちょっちスタイル良すぎだもん」
「…え?」
杏里の目が暗くなる。
「あ、たいへん! もうこんな時間」
腕時計に視線を落とし、あずさが叫び声を上げた。
「急ごう。遅刻しちゃうよ。じゃ、放課後にね」
大股に駆けていくその背中を見送りながら。杏里は自分の胸を見た。
ブラは面積が狭く、乳房を押し上げるような形をしている。
とても中学生がつけるようなものではない。
それが、ありありと透けて見えているのだ。
これから始まる長い一日のことを思って、杏里は深いため息をついた。
死にたい気分だった。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
オカルト嫌いJKと言霊使いの先輩書店員
眼鏡猫
ホラー
書店でアルバイトをする女子高生、如月弥生(きさらぎやよい)は大のオカルト嫌い。そんな彼女と同じ職場で働く大学生、琴乃葉紬玖(ことのはつぐむ)は自称霊感体質だそうで、弥生が発する言霊により悪いモノに覆われていると言う。一笑に付す弥生だったが、実は彼女には誰にも言えないトラウマを抱えていた。
いつもと違う日常
k33
ホラー
ある日 高校生のハイトはごく普通の日常をおくっていたが...学校に行く途中 空を眺めていた そしたら バルーンが空に飛んでいた...そして 学校につくと...窓にもバルーンが.....そして 恐怖のゲームが始まろうとしている...果たして ハイトは..この数々の恐怖のゲームを クリアできるのか!? そして 無事 ゲームクリアできるのか...そして 現実世界に戻れるのか..恐怖のデスゲーム..開幕!
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
終焉の教室
シロタカズキ
ホラー
30人の高校生が突如として閉じ込められた教室。
そこに響く無機質なアナウンス――「生き残りをかけたデスゲームを開始します」。
提示された“課題”をクリアしなければ、容赦なく“退場”となる。
最初の課題は「クラスメイトの中から裏切り者を見つけ出せ」。
しかし、誰もが疑心暗鬼に陥る中、タイムリミットが突如として加速。
そして、一人目の犠牲者が決まった――。
果たして、このデスゲームの真の目的は?
誰が裏切り者で、誰が生き残るのか?
友情と疑念、策略と裏切りが交錯する極限の心理戦が今、幕を開ける。
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
絶海の孤島! 猿の群れに遺体を食べさせる葬儀島【猿噛み島】
spell breaker!
ホラー
交野 直哉(かたの なおや)の恋人、咲希(さき)の父親が不慮の事故死を遂げた。
急きょ、彼女の故郷である鹿児島のトカラ列島のひとつ、『悉平島(しっぺいとう)』に二人してかけつけることになった。
実は悉平島での葬送儀礼は、特殊な自然葬がおこなわれているのだという。
その方法とは、悉平島から沖合3キロのところに浮かぶ無人島『猿噛み島(さるがみじま)』に遺体を運び、そこで野ざらしにし、驚くべきことに島に棲息するニホンザルの群れに食べさせるという野蛮なやり方なのだ。ちょうどチベットの鳥葬の猿版といったところだ。
島で咲希の父親の遺体を食べさせ、事の成り行きを見守る交野。あまりの凄惨な現場に言葉を失う。
やがて猿噛み島にはニホンザル以外のモノが住んでいることに気がつく。
日をあらため再度、島に上陸し、猿葬を取り仕切る職人、平泉(ひらいずみ)に真相を聞き出すため迫った。
いったい島にどんな秘密を隠しているのかと――。
猿噛み島は恐るべきタブーを隠した場所だったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる