上 下
51 / 77
第2章 謝肉祭

#32 鎖された教室

しおりを挟む
 6時限目の授業終了のチャイムが鳴ると、教室中がにわかに色めきだった。
 いつもならそそくさと鞄に教科書を詰め込み、帰る支度をする者、同じ部活に向かう者同士、連れ立って出ていくグループなど、すぐに教室はもぬけの殻になるものなのだが、きょうに限ってそうはならなかった。
 みんな、何かを待ち受けるようにじっと自分の席に座ったままなのである。
「よどみ、あんた、面談なんでしょ? 早く行きなさいよ」
 杏里のことが気になってぐずぐずしていると、苛立ちの混じった口調で理沙が声をかけてきた。
「はっきり言って、あんた邪魔なんだよ。うざいんだよ」
 敵意むき出しの目をしていた。
 ここまであからさまになじられるのは久し振りだ。
 邪魔だのうざいだの、改めて口に出して言われなくとも日頃のあんたたちの態度でわかってる。
 私は理沙の顔をにらみ返した。
 理沙は高校生にしては大人びた顔立ちをしていて、唇をリップクリームで光らせている。
 背中まで流れるロングの髪が特徴の、大柄な少女である。
 JKにしては発育のいい体も自慢らしかったが、いかんせん杏里が転校してきてからすっかり存在自体がかすんでしまっていた。
 私の評価ではせいぜいBクラスだが、母へのプレゼントの基準としてはぎりぎりセーフといったところだろう。
 私の数十倍醜悪でサディストのあの母親ならば、理沙程度の雑魚女でも、大喜びで受け入れるに違いない。
「何よ、何睨んでるんだよ。化け物のくせに、なんか文句あんの」
 すごむ理沙。
 その色素の薄い瞳の中に、大きなマスクで大部分が覆われた私の顔が映っている。
 マスクで隠していても、露出している分の肌はカサゴの鱗のようにささくれ立ち、火で炙ったみたいな色合いをしているから、我ながら醜いことこの上ない。
 できるなら、目の前のこのクソ生意気な女と首から上をすぽっと全部すげ替えてやりたかった。
「あー、気色悪」
 わざとらしく大声で言い、席を立つ理沙。
 それと同時に、取り巻きたちの間から、陰湿な忍び笑いの波動が沸き起こる。
 おまえら、覚えてろよ。
 私は心の中でそう毒づいた。
 二度とそんな口、きけないようにしてやるから。

 後ろ髪を引かれる思いで教室を出て、職員室に向かった。
 1階に降りると、外の雨の音が尚更ひどくなった。
 まだ5月というのに、今年は梅雨が早いのだろうか。
 梅雨は嫌いだ。
 ただでさえ重苦しい世界が、よりいっそう暗く鬱陶しいものに変貌するからだ。
 唯一の救いが杏里だったのに、その杏里の身が危ない。
 早く用事を片づけて、教室に戻らねば。
「失礼します」
 入口で一礼して顔を上げると、教師たちがぎこちなく私から目を背けるのがわかった。
 何か悪いものでも見てしまったかのように、みんな一様にあらぬほうに視線をさまよわせている。
 まだ担任のすだれ頭は戻ってきていなかった。
 仕方なくすだれ頭の席の近くの空いた椅子に座って単語帳を眺めていると、20分以上遅れて本人がやってきた。
「やあ、すまんすまん。それにしてもよく降るな」
 どうせ不良生徒よろしく、この土砂降りの中、体育館の裏で煙草でも吸っていたのだろう。
 すだれ頭の残り少ない髪はびっしょりと濡れ、よれよれのカッターシャツからは、ニコチンと雨の臭いがした。
「クラスの連中が、五十音の逆順にしてくれってうるさいから、おまえが第1号になったわけだが、まあ、鰐部なら成績的には問題ないから、早く済ませたほうがいいだろう」
 私の前に座るなり、汚いハンカチでごしごし頭を拭きながら、すだれ頭が言った。
 やっぱり計画的だったのか。
 私はほぞをかむ思いだった。
 理沙たちは、意図的に私を杏里から引き離したのだ。
 話が長引くと厄介なので、私は黙ってすだれ頭の説明を聞くことにした。
 この前受けた模試の偏差値も学年ひと桁に入っていたこと。
 内申点も、体育と音楽が「3」以外は、残りすべて「5」なので、トップ校への進学も難しくないこと。
 望むなら、生活保護家庭対象の推薦入試を受けられること。
 生活保護認定に加え、障害者手帳を持っているなら、推薦で受けてもまず合格するだろうということ。
「しかしなあ」
 すべて話し終えると、すだれ頭はしげしげと私の顔を見た。
 担任だからと割り切っているからなのか、もともと神経が鈍いのか、すだれ頭は他の教師たちと違い、私にも平気で話しかけてくる。
 そこがこの冴えない中年男の唯一の美点だった。
「鰐部もせめて普通の顔してれば、もっとずっと幸せになれたのになあ」
 余計なお世話だった。
 人を外見で判断しちゃいけない。
 そう教えてくれたのは、あんたたちじゃなかったのか。
 あれは全部嘘だったと、今頃になってそう言いたいのか。
 突っ込みたいのをぐっとこらえ、
「お話はそれだけですか」
 できるだけ冷ややかな口調で、私は訊き返した。
「あ、ああ。そうだな」
 すだれ頭がひるんだ。
「じゃ、失礼します」
 立ち上がると、私は逃げるように職員室を飛び出した。
 転がるように2階への階段を駆け上がる。
 教室に近づくと、嫌でもその異様さが目に飛び込んできた。
 窓という窓に、内側からシーツみたいな布で目張りがしてある。
 廊下側の窓も、二枚ある扉ののぞき窓も全部。
 引き戸に手をかけて引いてみたが、何かが引っ掛かっていて動かない。
 前も後ろも両方だった。
 何なの? これ?
 私は茫然と立ちすくんだ。
 仕方なく、戸に片頬を当て、耳を澄ます。
 その耳に、かすかな声が聞こえてきた。
 誰かがすすり泣いている。
 それもひとりではないようだ。
 何だろう?
 何が起こっているというのだろう?
 杏里。
 杏里はどうなったの?
 我慢できず、力任せに戸をがたがたとゆすった。
 しばらくそうしていると、突然、中で何かが外れる音がした。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...