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第2章 謝肉祭
#32 鎖された教室
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6時限目の授業終了のチャイムが鳴ると、教室中がにわかに色めきだった。
いつもならそそくさと鞄に教科書を詰め込み、帰る支度をする者、同じ部活に向かう者同士、連れ立って出ていくグループなど、すぐに教室はもぬけの殻になるものなのだが、きょうに限ってそうはならなかった。
みんな、何かを待ち受けるようにじっと自分の席に座ったままなのである。
「よどみ、あんた、面談なんでしょ? 早く行きなさいよ」
杏里のことが気になってぐずぐずしていると、苛立ちの混じった口調で理沙が声をかけてきた。
「はっきり言って、あんた邪魔なんだよ。うざいんだよ」
敵意むき出しの目をしていた。
ここまであからさまになじられるのは久し振りだ。
邪魔だのうざいだの、改めて口に出して言われなくとも日頃のあんたたちの態度でわかってる。
私は理沙の顔をにらみ返した。
理沙は高校生にしては大人びた顔立ちをしていて、唇をリップクリームで光らせている。
背中まで流れるロングの髪が特徴の、大柄な少女である。
JKにしては発育のいい体も自慢らしかったが、いかんせん杏里が転校してきてからすっかり存在自体がかすんでしまっていた。
私の評価ではせいぜいBクラスだが、母へのプレゼントの基準としてはぎりぎりセーフといったところだろう。
私の数十倍醜悪でサディストのあの母親ならば、理沙程度の雑魚女でも、大喜びで受け入れるに違いない。
「何よ、何睨んでるんだよ。化け物のくせに、なんか文句あんの」
すごむ理沙。
その色素の薄い瞳の中に、大きなマスクで大部分が覆われた私の顔が映っている。
マスクで隠していても、露出している分の肌はカサゴの鱗のようにささくれ立ち、火で炙ったみたいな色合いをしているから、我ながら醜いことこの上ない。
できるなら、目の前のこのクソ生意気な女と首から上をすぽっと全部すげ替えてやりたかった。
「あー、気色悪」
わざとらしく大声で言い、席を立つ理沙。
それと同時に、取り巻きたちの間から、陰湿な忍び笑いの波動が沸き起こる。
おまえら、覚えてろよ。
私は心の中でそう毒づいた。
二度とそんな口、きけないようにしてやるから。
後ろ髪を引かれる思いで教室を出て、職員室に向かった。
1階に降りると、外の雨の音が尚更ひどくなった。
まだ5月というのに、今年は梅雨が早いのだろうか。
梅雨は嫌いだ。
ただでさえ重苦しい世界が、よりいっそう暗く鬱陶しいものに変貌するからだ。
唯一の救いが杏里だったのに、その杏里の身が危ない。
早く用事を片づけて、教室に戻らねば。
「失礼します」
入口で一礼して顔を上げると、教師たちがぎこちなく私から目を背けるのがわかった。
何か悪いものでも見てしまったかのように、みんな一様にあらぬほうに視線をさまよわせている。
まだ担任のすだれ頭は戻ってきていなかった。
仕方なくすだれ頭の席の近くの空いた椅子に座って単語帳を眺めていると、20分以上遅れて本人がやってきた。
「やあ、すまんすまん。それにしてもよく降るな」
どうせ不良生徒よろしく、この土砂降りの中、体育館の裏で煙草でも吸っていたのだろう。
すだれ頭の残り少ない髪はびっしょりと濡れ、よれよれのカッターシャツからは、ニコチンと雨の臭いがした。
「クラスの連中が、五十音の逆順にしてくれってうるさいから、おまえが第1号になったわけだが、まあ、鰐部なら成績的には問題ないから、早く済ませたほうがいいだろう」
私の前に座るなり、汚いハンカチでごしごし頭を拭きながら、すだれ頭が言った。
やっぱり計画的だったのか。
私はほぞをかむ思いだった。
理沙たちは、意図的に私を杏里から引き離したのだ。
話が長引くと厄介なので、私は黙ってすだれ頭の説明を聞くことにした。
この前受けた模試の偏差値も学年ひと桁に入っていたこと。
内申点も、体育と音楽が「3」以外は、残りすべて「5」なので、トップ校への進学も難しくないこと。
望むなら、生活保護家庭対象の推薦入試を受けられること。
生活保護認定に加え、障害者手帳を持っているなら、推薦で受けてもまず合格するだろうということ。
「しかしなあ」
すべて話し終えると、すだれ頭はしげしげと私の顔を見た。
担任だからと割り切っているからなのか、もともと神経が鈍いのか、すだれ頭は他の教師たちと違い、私にも平気で話しかけてくる。
そこがこの冴えない中年男の唯一の美点だった。
「鰐部もせめて普通の顔してれば、もっとずっと幸せになれたのになあ」
余計なお世話だった。
人を外見で判断しちゃいけない。
そう教えてくれたのは、あんたたちじゃなかったのか。
あれは全部嘘だったと、今頃になってそう言いたいのか。
突っ込みたいのをぐっとこらえ、
「お話はそれだけですか」
できるだけ冷ややかな口調で、私は訊き返した。
「あ、ああ。そうだな」
すだれ頭がひるんだ。
「じゃ、失礼します」
立ち上がると、私は逃げるように職員室を飛び出した。
転がるように2階への階段を駆け上がる。
教室に近づくと、嫌でもその異様さが目に飛び込んできた。
窓という窓に、内側からシーツみたいな布で目張りがしてある。
廊下側の窓も、二枚ある扉ののぞき窓も全部。
引き戸に手をかけて引いてみたが、何かが引っ掛かっていて動かない。
前も後ろも両方だった。
何なの? これ?
私は茫然と立ちすくんだ。
仕方なく、戸に片頬を当て、耳を澄ます。
その耳に、かすかな声が聞こえてきた。
誰かがすすり泣いている。
それもひとりではないようだ。
何だろう?
何が起こっているというのだろう?
杏里。
杏里はどうなったの?
我慢できず、力任せに戸をがたがたとゆすった。
しばらくそうしていると、突然、中で何かが外れる音がした。
いつもならそそくさと鞄に教科書を詰め込み、帰る支度をする者、同じ部活に向かう者同士、連れ立って出ていくグループなど、すぐに教室はもぬけの殻になるものなのだが、きょうに限ってそうはならなかった。
みんな、何かを待ち受けるようにじっと自分の席に座ったままなのである。
「よどみ、あんた、面談なんでしょ? 早く行きなさいよ」
杏里のことが気になってぐずぐずしていると、苛立ちの混じった口調で理沙が声をかけてきた。
「はっきり言って、あんた邪魔なんだよ。うざいんだよ」
敵意むき出しの目をしていた。
ここまであからさまになじられるのは久し振りだ。
邪魔だのうざいだの、改めて口に出して言われなくとも日頃のあんたたちの態度でわかってる。
私は理沙の顔をにらみ返した。
理沙は高校生にしては大人びた顔立ちをしていて、唇をリップクリームで光らせている。
背中まで流れるロングの髪が特徴の、大柄な少女である。
JKにしては発育のいい体も自慢らしかったが、いかんせん杏里が転校してきてからすっかり存在自体がかすんでしまっていた。
私の評価ではせいぜいBクラスだが、母へのプレゼントの基準としてはぎりぎりセーフといったところだろう。
私の数十倍醜悪でサディストのあの母親ならば、理沙程度の雑魚女でも、大喜びで受け入れるに違いない。
「何よ、何睨んでるんだよ。化け物のくせに、なんか文句あんの」
すごむ理沙。
その色素の薄い瞳の中に、大きなマスクで大部分が覆われた私の顔が映っている。
マスクで隠していても、露出している分の肌はカサゴの鱗のようにささくれ立ち、火で炙ったみたいな色合いをしているから、我ながら醜いことこの上ない。
できるなら、目の前のこのクソ生意気な女と首から上をすぽっと全部すげ替えてやりたかった。
「あー、気色悪」
わざとらしく大声で言い、席を立つ理沙。
それと同時に、取り巻きたちの間から、陰湿な忍び笑いの波動が沸き起こる。
おまえら、覚えてろよ。
私は心の中でそう毒づいた。
二度とそんな口、きけないようにしてやるから。
後ろ髪を引かれる思いで教室を出て、職員室に向かった。
1階に降りると、外の雨の音が尚更ひどくなった。
まだ5月というのに、今年は梅雨が早いのだろうか。
梅雨は嫌いだ。
ただでさえ重苦しい世界が、よりいっそう暗く鬱陶しいものに変貌するからだ。
唯一の救いが杏里だったのに、その杏里の身が危ない。
早く用事を片づけて、教室に戻らねば。
「失礼します」
入口で一礼して顔を上げると、教師たちがぎこちなく私から目を背けるのがわかった。
何か悪いものでも見てしまったかのように、みんな一様にあらぬほうに視線をさまよわせている。
まだ担任のすだれ頭は戻ってきていなかった。
仕方なくすだれ頭の席の近くの空いた椅子に座って単語帳を眺めていると、20分以上遅れて本人がやってきた。
「やあ、すまんすまん。それにしてもよく降るな」
どうせ不良生徒よろしく、この土砂降りの中、体育館の裏で煙草でも吸っていたのだろう。
すだれ頭の残り少ない髪はびっしょりと濡れ、よれよれのカッターシャツからは、ニコチンと雨の臭いがした。
「クラスの連中が、五十音の逆順にしてくれってうるさいから、おまえが第1号になったわけだが、まあ、鰐部なら成績的には問題ないから、早く済ませたほうがいいだろう」
私の前に座るなり、汚いハンカチでごしごし頭を拭きながら、すだれ頭が言った。
やっぱり計画的だったのか。
私はほぞをかむ思いだった。
理沙たちは、意図的に私を杏里から引き離したのだ。
話が長引くと厄介なので、私は黙ってすだれ頭の説明を聞くことにした。
この前受けた模試の偏差値も学年ひと桁に入っていたこと。
内申点も、体育と音楽が「3」以外は、残りすべて「5」なので、トップ校への進学も難しくないこと。
望むなら、生活保護家庭対象の推薦入試を受けられること。
生活保護認定に加え、障害者手帳を持っているなら、推薦で受けてもまず合格するだろうということ。
「しかしなあ」
すべて話し終えると、すだれ頭はしげしげと私の顔を見た。
担任だからと割り切っているからなのか、もともと神経が鈍いのか、すだれ頭は他の教師たちと違い、私にも平気で話しかけてくる。
そこがこの冴えない中年男の唯一の美点だった。
「鰐部もせめて普通の顔してれば、もっとずっと幸せになれたのになあ」
余計なお世話だった。
人を外見で判断しちゃいけない。
そう教えてくれたのは、あんたたちじゃなかったのか。
あれは全部嘘だったと、今頃になってそう言いたいのか。
突っ込みたいのをぐっとこらえ、
「お話はそれだけですか」
できるだけ冷ややかな口調で、私は訊き返した。
「あ、ああ。そうだな」
すだれ頭がひるんだ。
「じゃ、失礼します」
立ち上がると、私は逃げるように職員室を飛び出した。
転がるように2階への階段を駆け上がる。
教室に近づくと、嫌でもその異様さが目に飛び込んできた。
窓という窓に、内側からシーツみたいな布で目張りがしてある。
廊下側の窓も、二枚ある扉ののぞき窓も全部。
引き戸に手をかけて引いてみたが、何かが引っ掛かっていて動かない。
前も後ろも両方だった。
何なの? これ?
私は茫然と立ちすくんだ。
仕方なく、戸に片頬を当て、耳を澄ます。
その耳に、かすかな声が聞こえてきた。
誰かがすすり泣いている。
それもひとりではないようだ。
何だろう?
何が起こっているというのだろう?
杏里。
杏里はどうなったの?
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