39 / 77
第2章 謝肉祭
#20 公衆肉便器
しおりを挟む
「私を浄化する…? それ、どういうこと?」
途方に暮れて、私は訊いた。
杏里は私の何を知っているというのだろう。
まさか、これまでの悪行がばれたわけではあるまい。
私と母の所業は確かに鬼畜レベルのものである。
だが、警察沙汰になったことは一度もないのだ。
「よどみの抱え込んでるその重いもの、それを私なら軽くしてあげられるってこと」
私の目を見ながら、ゆっくりと杏里が言った。
「どうやって?」
「それは、秘密」
かすかに微笑んで、杏里が答えた。
その瞬間、さまざまな場面が脳内スクリーンにフラッシュバックした。
梶井。
理沙。
バスの中のJKたち。
フードコートの男連中。
そうか。
そういうことだったんだ。
ストレス解消の手段は、体。
杏里は自らの肉体をささげて、周囲のストレスを吸収してしまうというわけか…。
私は押し黙った。
杏里が語った断片的な情報。
それを私なりに整理してみると、こんなふうになる。
自分は”タナトス”だ、と杏里は言った。
タナトスが何なのか、そこまではまだわからない。
だが、杏里の言葉を借りれば、どうやらそれは、他人のストレスを吸収する、いわばストレス緩衝装置のような存在であるらしい。
すなわち、杏里がいつも刺激的な服装をしてフェロモンを振りまいているのは、治癒を必要とする”患者”を誘蛾灯のように自分に引き寄せるため、ということになる。
汚い言葉で言えば、杏里は”公衆便所”なのだ。
ー私は、誰のものでもないし、誰のものでもあるー
ゆうべの杏里の謎めいた言葉は、そういう意味だったのだ。
人類全体のストレス緩衝装置。
すなわち、全人類のための公衆肉便器。
それが杏里…。
そんなものが己の生きる意味だなんて、ふつう、ありえない。
だが、これまでの杏里の言動を思い返してみると、それはあながち妄想とばかりはいえないようだった。
少なくとも杏里はそう信じ込んでいて、その理念に従って行動している…。
それは間違いない。
そう思われてならないのだ。
しかし。
と、私は心の中で首を振った。
もし仮にそれが本当だとしても、それがこの私に効くとはとても思えない。
いくら相手が憧れの杏里でも、ただのキスや愛撫など、生ぬるい。
奇形に生まれ、物心ついた時から怪物呼ばわりされてきた者の苦しみ。
母の威光で表立って蔑まれることのなくなった今でも、己が異質な存在であるという意識が消え去ったわけではない。
世界に自分の居場所などないのだという、身を切られるような疎外感。
崩壊した世界にひとり取り残されたような、すさまじいまでの孤独。
だから美しいものを憎まねば生きていけない、この歪み切った心。
そんな私の深い”豪”を、私と対極の存在である杏里に理解できるはずがない。
神が堕天使サタンを天界に呼び戻せなかったように、天使の杏里に怪物の私は救えない。
ここまで醜くなったイキモノは、もはや死ぬまで地獄でもがくほかないのだから。
「なあんてね」
じっとそんなふうに押し黙っていると、重苦しくなった空気を吹き払うように、突然杏里がお茶目な口調で言った。
「ま、でもそれはずっと先のこと。今はまだ、やらなきゃいけないことが、お互い他にあるしね。さ、食べ終わったところで、そろそろお買い物に行こうか。よどみは何から見たい? あ、私の水着は最後でいいからね。別に急いでないからさ」
「う、うん」
空のトレイを持ってさっさと席を立つ杏里に、私はぎこちなくうなずき返した。
そしてふと思った。
お互い?
お互いって、どういうこと…?
ひょっとして、杏里は気づいている?
私のあの計画に…?
途方に暮れて、私は訊いた。
杏里は私の何を知っているというのだろう。
まさか、これまでの悪行がばれたわけではあるまい。
私と母の所業は確かに鬼畜レベルのものである。
だが、警察沙汰になったことは一度もないのだ。
「よどみの抱え込んでるその重いもの、それを私なら軽くしてあげられるってこと」
私の目を見ながら、ゆっくりと杏里が言った。
「どうやって?」
「それは、秘密」
かすかに微笑んで、杏里が答えた。
その瞬間、さまざまな場面が脳内スクリーンにフラッシュバックした。
梶井。
理沙。
バスの中のJKたち。
フードコートの男連中。
そうか。
そういうことだったんだ。
ストレス解消の手段は、体。
杏里は自らの肉体をささげて、周囲のストレスを吸収してしまうというわけか…。
私は押し黙った。
杏里が語った断片的な情報。
それを私なりに整理してみると、こんなふうになる。
自分は”タナトス”だ、と杏里は言った。
タナトスが何なのか、そこまではまだわからない。
だが、杏里の言葉を借りれば、どうやらそれは、他人のストレスを吸収する、いわばストレス緩衝装置のような存在であるらしい。
すなわち、杏里がいつも刺激的な服装をしてフェロモンを振りまいているのは、治癒を必要とする”患者”を誘蛾灯のように自分に引き寄せるため、ということになる。
汚い言葉で言えば、杏里は”公衆便所”なのだ。
ー私は、誰のものでもないし、誰のものでもあるー
ゆうべの杏里の謎めいた言葉は、そういう意味だったのだ。
人類全体のストレス緩衝装置。
すなわち、全人類のための公衆肉便器。
それが杏里…。
そんなものが己の生きる意味だなんて、ふつう、ありえない。
だが、これまでの杏里の言動を思い返してみると、それはあながち妄想とばかりはいえないようだった。
少なくとも杏里はそう信じ込んでいて、その理念に従って行動している…。
それは間違いない。
そう思われてならないのだ。
しかし。
と、私は心の中で首を振った。
もし仮にそれが本当だとしても、それがこの私に効くとはとても思えない。
いくら相手が憧れの杏里でも、ただのキスや愛撫など、生ぬるい。
奇形に生まれ、物心ついた時から怪物呼ばわりされてきた者の苦しみ。
母の威光で表立って蔑まれることのなくなった今でも、己が異質な存在であるという意識が消え去ったわけではない。
世界に自分の居場所などないのだという、身を切られるような疎外感。
崩壊した世界にひとり取り残されたような、すさまじいまでの孤独。
だから美しいものを憎まねば生きていけない、この歪み切った心。
そんな私の深い”豪”を、私と対極の存在である杏里に理解できるはずがない。
神が堕天使サタンを天界に呼び戻せなかったように、天使の杏里に怪物の私は救えない。
ここまで醜くなったイキモノは、もはや死ぬまで地獄でもがくほかないのだから。
「なあんてね」
じっとそんなふうに押し黙っていると、重苦しくなった空気を吹き払うように、突然杏里がお茶目な口調で言った。
「ま、でもそれはずっと先のこと。今はまだ、やらなきゃいけないことが、お互い他にあるしね。さ、食べ終わったところで、そろそろお買い物に行こうか。よどみは何から見たい? あ、私の水着は最後でいいからね。別に急いでないからさ」
「う、うん」
空のトレイを持ってさっさと席を立つ杏里に、私はぎこちなくうなずき返した。
そしてふと思った。
お互い?
お互いって、どういうこと…?
ひょっとして、杏里は気づいている?
私のあの計画に…?
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。



体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる