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第1章 転校生

#7 天使と醜女 

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 マスクを取った下から現れた私の貌。
 醜い女と書いて、「しこめ」と読む。
 その形容がぴったりの私の容貌ー。
 それを目にした時の杏里の反応は、こうだった。
「それ、どうしたの?」
 長いまつ毛に縁どられた眼をいっぱいに見開いて、そう訊いた。
「生まれつき。奇形っていうやつ」
 なるべく深刻ぶらないよう気をつけながら、私は努めて平静な口調で答えた。
「そうなんだ」
 杏里はひと言つぶやいただけだった。
 殊更、泣きも叫びもしなかった。
「そうなんだって、それだけ?」
 驚いたのは、私のほうだ。
 なんなんだろう?
 この無感動さは。
 ふつう、もっと怯えるとか、嫌悪の表情を顔に浮かべるとか、そういう反応が返ってきてもいいはずだ。
 そう思ったのである。
「え? どうして?」
 訊き返されて、絶句する。
「だ…だって、怪物でしょ? どう見ても」
「うーん」
 杏里が小さく唸った。
「でも、私の友だちにも、そんな顔した子、前にいたし」
「え?」
 まさか、と思う。
 こんなひどい顔の人間が、他にもいる?
「男の子だったけどね」
 ぽつりと杏里がつぶやいた。
 なんだか悲しそうな顔をしている。
「だった?」
「うん、死んじゃったの」
「死んだ…?」
 私はもう一度、絶句した。
「あ、でも、心配しないで。別に遺伝子異常とか、そういう病気みたいなのが原因じゃないから」
 少しほっとする。
 その少年のように、私も奇形のせいで死ぬかもしれないのか、と一瞬思ったところだったからだ。
「それにね」
 辛い思い出を振り払うように、杏里が話題を変えてきた。
「人間、外見じゃないもんね。大事なのは中身でしょ」
 反射的に、私は杏里を睨み返していた。
 それは私の最も嫌いな台詞だった。
 そんなの、人並みの外見をした者だからこそ、言えることなのだ。 
 ルッキズムがいけない、などというのは偽善者どもの建前論だ。
 私に言わせれば、人間の価値は外見で決まる。
 それも第一印象で。
 だってみんな、他人の内面を気にするほど暇じゃない。
 ましてや私のような怪物がどんな心を持っているかなど、いったい誰が気にしてくれるというのだろう。
 だが、杏里のぱっちり開いた目を見ていると、次第に怒りが収まっていった。
 恵まれすぎる外見をしているくせに、なんだか杏里は本気のように思えてきたからだ。
「ねえ」
 長い沈黙の後、私はおずおずと言った。
「友だちになって、くれるかな」
「あ、それ。私も言おうと思ってた」
 杏里が笑顔になった。
 夏の向日葵のような、見ているだけで胸がいっぱいになるような、そんな屈託のない微笑。
 ありえない展開に、私は少なからず、混乱した。
 うまくいきすぎている。
 ひょっとして、罠ではないかと疑いたくなるほどに。
 でも、そんなことして、杏里に何の得がある?
 スクールカーストの欄外にいる私をからかって、何が面白い?
 そんなことを考えていると、
「私ね、いじめられっ子なんだ」
 打ち明け話をするように、ふいに杏里が小声で言った。
「今まで何度も転校してきたけど、そのたびにひどいいじめを受けてきた。きっとここでもそうなると思う」
「そんなふうには、全然見えないけど」
 私は唖然とした。
 杏里には驚かされることばかりだ。
 こんな可愛い子を、誰がいじめるというのだろう?
「ううん、ほんとなの。私って、そういう星の下に生まれてきた人だから。でも、気にしないで。慣れてるから、何されても平気なの。だから、もしそういう場面に遭遇しても、驚かないでほしいんだ。味方につこうとか、先生に相談しようとか、そんな気遣いもいらない。ただ、放っておいてくれれば、それでいい」
「変なの」
 私は黙り込んだ。
 私は怪物であるがゆえに、いじめからすらも遠ざけられている。
 その反面、いじめを一手に引き受ける天使がここにいる。
 なんという理不尽な世の中。
 馬鹿どもの創り出す、社会という名の腐ったアルゴリズム。
「似た者同士なんだ」
 ややあって私がひとりごちると、
「そうだね」
 杏里がまた微笑んだ。
「じゃ、これあげる。私、あんまりおなか、すいてないから」
 ふと思いついて、杏里の膝元に私は弁当箱を差し出した。
 最後に杏里を試すつもりだった。
 これで化けの皮がはがれるのなら、ここでの会話は最初からなかったことにするだけだ。
 が、杏里の反応は、またしても私の予想に反するものだった。
「え? いいの? やったあ!」
 瞳をキラキラさせ、嬉しそうに歓声を上げたのだ。
「本気で言ってるの? 気持ち悪くないの? これ、怪物の私が作ったんだよ。この歪んだ手で」
 声に力を込めたつもりだったのだが、杏里には効かなかったようだ。
「またそんなこと言って。鰐部さんは怪物じゃないし、それにお弁当、すごくおいしそう。はい、これ。友情の証に。交換だね」
 平然と弁当箱を受け取ると、杏里は私にパンと牛乳を差し出してきた。
「友情…?」
 私はぽかんとなった。
 この時の私は、おそらく豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたに違いない。
 友情だなんて…。
 概念としては知っている。
 そういうものが、どこかにあるらしいことも。
 でも、それは、一生私には縁のない言葉のはずだった。
「そうだよ。だから私のことはこれから杏里って呼んでね。その代わり、私も鰐部さんのこと、よどみって呼んでいいかな? よどみってなんかダークでいい名前。杏里なんてAV女優かグラドルみたいな名前よりずっとかっこいい」
 おいしそうに私の弁当を口に運びながら、杏里が言う。 
「そ、そうなの?」
 私は呆れた。
 名前を褒められたのも、これが初めてだった。
「そうだよ」
 杏里がうなずいた。
「あ、それから、ひとつ訊いていい?」
 茫然としていると、箸を休めて、訊いてきた。
「よどみちゃん、いつもどっちのお口でご飯食べてるの? 右、左?」
 けっこう真剣な表情だ。
「はあ?」
 私は三たび言葉を失った。
 まったくこの子ったら…。
 何から何まで、私の予想を超えている。
 つくづくそう感じたからだった。


 
 

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