115 / 157
第5章 百合はまだ世界を知らない
#28 杏里と女医の謎⑥
しおりを挟む
「私の専門は、心臓移植です。若い頃に渡米して技術を磨き、帰国後政府機関の認定をもらって、治療に応用しています。現在は大学病院でのサポートの傍ら、うちの医院でも移植手術を請け負っています。そのための最新機器はすべてそろえてありますので」
よどみない口調で、摩耶が言う。
「民間の病院での移植手術というのは、珍しいんじゃありませんか? 認可とか、色々大変な気がしますけど」
「ええ、その通りです。ただ、私の場合は、それまでの実績が認められたのだと思います。患者がいて、ドナーがいても、専門医の数が少なすぎては、当然患者の命は救えません。その上わが国は、移植に必要な設備を備えた医療機関も不足しているときていますので」
「1年前のことですが、倉田静香さんも、摩耶さんの手術を受けていますよね? ひょっとすると、それも」
「はい。彼女はうちの医院で移植手術をした第一号の患者さんでした。宗教家の夫のつてもありまして、私が執刀することになった次第です。静香さんは、生まれつき心臓に欠陥がありましたから、延命には移植しかなかったのですよ。もちろん、手術自体は大成功でした。せっかく元気になられたのに、それが、こんなことになってしまって…。まだお若いのに、お気の毒としか言いようがありません」
摩耶が長い睫毛を伏せた。
そうか。
被害者の入院は、心臓移植のためだったのか。
杏里はようやく腑に落ちた気分だった。
だが、静香が殺されたのは、手術から1年も経ってから。
これはいったい、どういうことなのだろう?
「その陣内静香さんがお亡くなりになったのは、あなたもすでにご存じのようですが…。ちなみにあの日の夜、摩耶さんはどちらに?」
部下に主導権を奪われ、むっとしていたのだろう。
杏里が沈黙した隙を狙うように、韮崎が詰問を発した。
「あの日というのは、今月の1日、彼女が亡くなった日のことですね。それはお昼の聴収の際にもお答えしましたけれど、勤務後、翌日の朝までずっとひとりで自宅におりましたから、私にアリバイというものはありません。夫は教団の合宿とかで、家を空けておりましたので」
摩耶の顔に、うんざりしたような表情が浮かんだ。
さんざん聞かれた内容だったからだろう。
「ちなみに、きょうの手術についてもお教え願いたいのですが…それもやはり、心臓の?」
「はい。移植です。患者さんは中学生の女のお子さんで、うちに入院してからもう3か月になります。本当に一刻を争う状態だったのですが、先週ようやく適合するドナーが見つかり、急遽緊急手術を行うことにいたしました。しばらく経過を観察する必要はありますけれど、手術自体はおおむね成功だったと考えています」
「よろしければ、その患者さんのお名前をお教えいただけませんか?」
「それはちょっと…個人情報ですので、犯罪に関係あるとは思えませんし、私の口からは…」
「そうですか。わかりました」
杏里はメモ帳をバッグにしまった。
「長らく時間をとらせてしまい、お疲れのところ、申し訳ありませんでした。でも、あとひとつだけ、よろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
「摩耶さんは、グノーシス主義について、どう思われますか? そちらの方面にもお詳しいと、秀英さんからもうかがったのですが」
その瞬間、摩耶の頬がかすかに引きつったのを、杏里は見逃さなかった。
よどみない口調で、摩耶が言う。
「民間の病院での移植手術というのは、珍しいんじゃありませんか? 認可とか、色々大変な気がしますけど」
「ええ、その通りです。ただ、私の場合は、それまでの実績が認められたのだと思います。患者がいて、ドナーがいても、専門医の数が少なすぎては、当然患者の命は救えません。その上わが国は、移植に必要な設備を備えた医療機関も不足しているときていますので」
「1年前のことですが、倉田静香さんも、摩耶さんの手術を受けていますよね? ひょっとすると、それも」
「はい。彼女はうちの医院で移植手術をした第一号の患者さんでした。宗教家の夫のつてもありまして、私が執刀することになった次第です。静香さんは、生まれつき心臓に欠陥がありましたから、延命には移植しかなかったのですよ。もちろん、手術自体は大成功でした。せっかく元気になられたのに、それが、こんなことになってしまって…。まだお若いのに、お気の毒としか言いようがありません」
摩耶が長い睫毛を伏せた。
そうか。
被害者の入院は、心臓移植のためだったのか。
杏里はようやく腑に落ちた気分だった。
だが、静香が殺されたのは、手術から1年も経ってから。
これはいったい、どういうことなのだろう?
「その陣内静香さんがお亡くなりになったのは、あなたもすでにご存じのようですが…。ちなみにあの日の夜、摩耶さんはどちらに?」
部下に主導権を奪われ、むっとしていたのだろう。
杏里が沈黙した隙を狙うように、韮崎が詰問を発した。
「あの日というのは、今月の1日、彼女が亡くなった日のことですね。それはお昼の聴収の際にもお答えしましたけれど、勤務後、翌日の朝までずっとひとりで自宅におりましたから、私にアリバイというものはありません。夫は教団の合宿とかで、家を空けておりましたので」
摩耶の顔に、うんざりしたような表情が浮かんだ。
さんざん聞かれた内容だったからだろう。
「ちなみに、きょうの手術についてもお教え願いたいのですが…それもやはり、心臓の?」
「はい。移植です。患者さんは中学生の女のお子さんで、うちに入院してからもう3か月になります。本当に一刻を争う状態だったのですが、先週ようやく適合するドナーが見つかり、急遽緊急手術を行うことにいたしました。しばらく経過を観察する必要はありますけれど、手術自体はおおむね成功だったと考えています」
「よろしければ、その患者さんのお名前をお教えいただけませんか?」
「それはちょっと…個人情報ですので、犯罪に関係あるとは思えませんし、私の口からは…」
「そうですか。わかりました」
杏里はメモ帳をバッグにしまった。
「長らく時間をとらせてしまい、お疲れのところ、申し訳ありませんでした。でも、あとひとつだけ、よろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
「摩耶さんは、グノーシス主義について、どう思われますか? そちらの方面にもお詳しいと、秀英さんからもうかがったのですが」
その瞬間、摩耶の頬がかすかに引きつったのを、杏里は見逃さなかった。
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる