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第5章 百合はまだ世界を知らない
#15 杏里と死体安置室⑥
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倉田静香の遺体が解剖に回された大学病院は、意外なことに、被害者の自宅のすぐ近くだった。
広い舞鶴公園をはさんだ、ちょうど反対の西側である。
間に公園があるため、来てみるまで気づかなかったのだ。
こちら側にはJRと地下鉄の駅があるため、倉田邸のある東側とは違い、かなりの賑わいだ。
公園のパーキングに覆面パトカーを止め、木枯らしの吹きすさぶ公園内を横切って、大学病院へと急いだ。
那古野大学病院は、高度な医療技術と設備を備えた、県内でも有数の総合病院だ。
特に癌の治療と移植手術で世界中の医学界から注目されていると、何かで読んだことがある。
「ふう、寒かった」
自動ドアが開くのももどかしく中に駆け込むと、杏里はコートの襟をかき合わせ、水から上がった直後の犬のようにぶるっと身体を震わせた。
睡眠不足の時は、寒さがよけいに身にしみる。
マスクをしていても喉がいがらっぽく、風邪をひく一歩手前という感じがした。
待合室は受付の順番を待つ人たちでいっぱいだった。
「姉ちゃん、どこにいるんだ?」
「さあ、どこでしょうか? 人が多すぎて、ちょっとわかんないですね」
韮崎と一緒にキョロキョロ周囲を見回していると、ふいに右ひじに何かが触れた。
振り向くと、いつのまに来ていたのか、すぐそこに零がいた。
フードのついた黒いコートに身を包み、杏里に寄り添うようにして立つさまは、まるで死神か幽霊だ。
「だはっ」
大きくのけぞる韮崎。
「おどかすな。居るなら居ると、ひと言言ってくれ」
零がフードを取った。
細面の、透き通るような美貌が証明の下に浮かび上がる。
昼間だから猫の眼をしていた。
縦に長い瞳孔を持つその目は、爬虫類の眼にも似ている。
「死体は?」
韮崎を無視して、零が杏里を見た。
月齢が低いのと、冬であること、そして今が昼間であることが重なって、あまり機嫌はよくないようだ。
「あんまりあからさまに言わないの」
杏里は眉をひそめた。
「周りの人がびっくりしちゃうでしょ」
「ところで姉ちゃん、どう思う? 笹原から話は聞いたと思うが、今度の事件の犯人、やっぱりアレか? いつものやつか?」
いつものやつ、とは妙な言い方だが、そう言いたくなる韮崎の気持ちもわからないではない。
去年の春から立て続けに起こった猟奇殺人には、すべてあの”外道”が絡んでいたのだから。
「死体を見ないとわからない。外道に仕業かもしれないし、ただのサイコパスの仕業なのかもしれないから」
すこしかすれたハスキーヴォイスで、答える零。
別に風邪をひいているわけではなく、彼女はいつもこんな声なのだ。
それを聴くと杏里はいつも、背筋がぞくっとなる。
零の声音は、なぜか常に杏里の快楽中枢を刺激してやまないからだ。
「お待たせ」
そこに、人混みをかき分けて、白衣のヤチカが現れた。
ヤチカも徹夜なのだろう。
目の下に隈ができ、化粧の乗りも悪そうだ。
「黒野零さんね」
ヤチカが先に口を切った。
「前にも会ったと思うけど、話をするのはこれが初めてかな」
零とヤチカは同じくらいの背丈である。
だから向かい合うと、ちょうどにらみ合うような格好になる。
「あたしは別に何かを話しに来たんじゃない。ただ死体を見せてほしいだけ」
不愛想に零が言い、ヤチカを苦笑させた。
「聞きしにまさる変人ね。ま、いいわ。ついてらっしゃい」
広い舞鶴公園をはさんだ、ちょうど反対の西側である。
間に公園があるため、来てみるまで気づかなかったのだ。
こちら側にはJRと地下鉄の駅があるため、倉田邸のある東側とは違い、かなりの賑わいだ。
公園のパーキングに覆面パトカーを止め、木枯らしの吹きすさぶ公園内を横切って、大学病院へと急いだ。
那古野大学病院は、高度な医療技術と設備を備えた、県内でも有数の総合病院だ。
特に癌の治療と移植手術で世界中の医学界から注目されていると、何かで読んだことがある。
「ふう、寒かった」
自動ドアが開くのももどかしく中に駆け込むと、杏里はコートの襟をかき合わせ、水から上がった直後の犬のようにぶるっと身体を震わせた。
睡眠不足の時は、寒さがよけいに身にしみる。
マスクをしていても喉がいがらっぽく、風邪をひく一歩手前という感じがした。
待合室は受付の順番を待つ人たちでいっぱいだった。
「姉ちゃん、どこにいるんだ?」
「さあ、どこでしょうか? 人が多すぎて、ちょっとわかんないですね」
韮崎と一緒にキョロキョロ周囲を見回していると、ふいに右ひじに何かが触れた。
振り向くと、いつのまに来ていたのか、すぐそこに零がいた。
フードのついた黒いコートに身を包み、杏里に寄り添うようにして立つさまは、まるで死神か幽霊だ。
「だはっ」
大きくのけぞる韮崎。
「おどかすな。居るなら居ると、ひと言言ってくれ」
零がフードを取った。
細面の、透き通るような美貌が証明の下に浮かび上がる。
昼間だから猫の眼をしていた。
縦に長い瞳孔を持つその目は、爬虫類の眼にも似ている。
「死体は?」
韮崎を無視して、零が杏里を見た。
月齢が低いのと、冬であること、そして今が昼間であることが重なって、あまり機嫌はよくないようだ。
「あんまりあからさまに言わないの」
杏里は眉をひそめた。
「周りの人がびっくりしちゃうでしょ」
「ところで姉ちゃん、どう思う? 笹原から話は聞いたと思うが、今度の事件の犯人、やっぱりアレか? いつものやつか?」
いつものやつ、とは妙な言い方だが、そう言いたくなる韮崎の気持ちもわからないではない。
去年の春から立て続けに起こった猟奇殺人には、すべてあの”外道”が絡んでいたのだから。
「死体を見ないとわからない。外道に仕業かもしれないし、ただのサイコパスの仕業なのかもしれないから」
すこしかすれたハスキーヴォイスで、答える零。
別に風邪をひいているわけではなく、彼女はいつもこんな声なのだ。
それを聴くと杏里はいつも、背筋がぞくっとなる。
零の声音は、なぜか常に杏里の快楽中枢を刺激してやまないからだ。
「お待たせ」
そこに、人混みをかき分けて、白衣のヤチカが現れた。
ヤチカも徹夜なのだろう。
目の下に隈ができ、化粧の乗りも悪そうだ。
「黒野零さんね」
ヤチカが先に口を切った。
「前にも会ったと思うけど、話をするのはこれが初めてかな」
零とヤチカは同じくらいの背丈である。
だから向かい合うと、ちょうどにらみ合うような格好になる。
「あたしは別に何かを話しに来たんじゃない。ただ死体を見せてほしいだけ」
不愛想に零が言い、ヤチカを苦笑させた。
「聞きしにまさる変人ね。ま、いいわ。ついてらっしゃい」
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