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第5章 百合はまだ世界を知らない
#1 杏里と不審者
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「まだ入れそうにないですね」
コートの襟を立て、寒そうに三上刑事がつぶやいた。
目の前にあるのは、瀟洒な2階建ての住宅。
玄関に続くスロープには、早くも黄色の立ち入り禁止テープが張られている。
きちんと刈り込まれた植え込みの向こうを、右往左往する検視官たちや機動捜査課の隊員たち。
「俺は別に入れなくてもいいですけど」
首をすくめたのは、韮崎班の中で最も体格のいい高山刑事だ。
「ここまで血の臭いが漂ってきてますから、もうおなか一杯です」
「バーカ。そんなわけねえだろ」
憮然とした表情で部下を睨みつけたのは、班長の韮崎である。
現場のすぐ近くだというのに、平気で煙草をふかしている。
「それにしても寒いっすね。その点、笹原先輩はいいなあ。皮下脂肪が厚くて」
いきなり名前を呼ばれて、笹原杏里はぴくりと眉を吊り上げた。
発言したのは、ベンチに腰かけ、電子煙草をくわえている若者、野崎刑事である。
「おまえはひと言多いんだよ」
杏里が言い返す前に、その後ろに立っていたごま塩頭の山田刑事が、野崎の後頭部を平手ではたいた。
杏里を含めたこの6人が、照和署刑事部捜査一課のメンバーだ。
2月1日木曜日。
雪混じりの風が時折足元を吹きすぎる、深夜1時過ぎのことだった。
照和署に地元の交番から通報があったのは、1時間ほど前のこと。
一軒家の住宅で、若い女性の惨殺死体が発見されたという内容である。
発見者は、その家の主人、倉田慎吾、42歳。
外資系の企業に勤めており、ちょうど出張から帰宅したところだったという。
被害者は、その妻、倉田静香、30歳。
いち早く現場に駆けつけた交番の巡査の話によると、現場は被害者の血で足の踏み場もない惨状らしい。
年が明けて、しばらくは平和だったのに。
夜空を背景に明るい灯を点す新築の住宅を見上げて、杏里は心の中でため息をついた。
せめてこれが、普通の殺人事件であってくれれば…。
切にそう思う。
現場が密室だったという話は聞いていないから外道関連とは限らないけれど、惨殺死体というからには、その可能性は十二分にあると覚悟しておくべきだろう。
「私、少し周りを見てきます」
コートのポケットに手を突っ込み、歩道に沿って歩き出した。
現場の一軒家の向かい側は、公園の敷地になっている。
ためらうことなく中に入り、しばらく歩いた時だった。
杏里の足音に気づいたのか、黒々とした木陰から、背の高い人影が立ち上がった。
コートを着て、フードを下ろしているから、顔までは見えない。
右手に、取っ手のついた四角い箱のようなものを提げている。
「誰?」
ぎくりとして立ち止まり、杏里は誰何した。
ざざっ。
下草を揺らし、人影が走り出す。
後を追おうとした瞬間である。
「おい、笹原、どこをほっつき歩いてんだ。戻って来い。出番だぞ」
公園のしじまの中を、韮崎のだみ声が響き渡った。
コートの襟を立て、寒そうに三上刑事がつぶやいた。
目の前にあるのは、瀟洒な2階建ての住宅。
玄関に続くスロープには、早くも黄色の立ち入り禁止テープが張られている。
きちんと刈り込まれた植え込みの向こうを、右往左往する検視官たちや機動捜査課の隊員たち。
「俺は別に入れなくてもいいですけど」
首をすくめたのは、韮崎班の中で最も体格のいい高山刑事だ。
「ここまで血の臭いが漂ってきてますから、もうおなか一杯です」
「バーカ。そんなわけねえだろ」
憮然とした表情で部下を睨みつけたのは、班長の韮崎である。
現場のすぐ近くだというのに、平気で煙草をふかしている。
「それにしても寒いっすね。その点、笹原先輩はいいなあ。皮下脂肪が厚くて」
いきなり名前を呼ばれて、笹原杏里はぴくりと眉を吊り上げた。
発言したのは、ベンチに腰かけ、電子煙草をくわえている若者、野崎刑事である。
「おまえはひと言多いんだよ」
杏里が言い返す前に、その後ろに立っていたごま塩頭の山田刑事が、野崎の後頭部を平手ではたいた。
杏里を含めたこの6人が、照和署刑事部捜査一課のメンバーだ。
2月1日木曜日。
雪混じりの風が時折足元を吹きすぎる、深夜1時過ぎのことだった。
照和署に地元の交番から通報があったのは、1時間ほど前のこと。
一軒家の住宅で、若い女性の惨殺死体が発見されたという内容である。
発見者は、その家の主人、倉田慎吾、42歳。
外資系の企業に勤めており、ちょうど出張から帰宅したところだったという。
被害者は、その妻、倉田静香、30歳。
いち早く現場に駆けつけた交番の巡査の話によると、現場は被害者の血で足の踏み場もない惨状らしい。
年が明けて、しばらくは平和だったのに。
夜空を背景に明るい灯を点す新築の住宅を見上げて、杏里は心の中でため息をついた。
せめてこれが、普通の殺人事件であってくれれば…。
切にそう思う。
現場が密室だったという話は聞いていないから外道関連とは限らないけれど、惨殺死体というからには、その可能性は十二分にあると覚悟しておくべきだろう。
「私、少し周りを見てきます」
コートのポケットに手を突っ込み、歩道に沿って歩き出した。
現場の一軒家の向かい側は、公園の敷地になっている。
ためらうことなく中に入り、しばらく歩いた時だった。
杏里の足音に気づいたのか、黒々とした木陰から、背の高い人影が立ち上がった。
コートを着て、フードを下ろしているから、顔までは見えない。
右手に、取っ手のついた四角い箱のようなものを提げている。
「誰?」
ぎくりとして立ち止まり、杏里は誰何した。
ざざっ。
下草を揺らし、人影が走り出す。
後を追おうとした瞬間である。
「おい、笹原、どこをほっつき歩いてんだ。戻って来い。出番だぞ」
公園のしじまの中を、韮崎のだみ声が響き渡った。
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