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第4章 百合と外道と疾走するウロボロス
#31 杏里、微笑む
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「あり得ん! 俺は絶対に信じないぞ! 地下鉄に化けた怪物が、トンネル内を走り回って人を食い殺しただと? んなことあるわけねーだろ!」
檻の中の熊のように、煙草の煙を吐き出しながら韮崎が歩き回っている。
「ニラさん、またそれですか?」
呆れたように言ったのは、韮崎と一緒に駆けつけてきた三上である。
「現にそこにその怪物、死んでるんだから仕方ないじゃありませんか」
三上の言う通り、地竜の死体はまだ消えたりしていなかった。
厳然たる事実として、車庫内に存在しているのだ。
今、その周りを、鑑識課員、科捜研のメンバー、警察官、自衛隊員と、さまざまな制服に身を包んだ面々が遠巻きに取り囲んでいる。
その誰もに共通しているのは、みんな途方に暮れたような表情を顔に浮かべていることだ。
無理もなかった。
元の倍以上に成長し、体長300メートルを超すその生物は、まさに現代に蘇った恐竜のようなものだった。
いや、なまじ正体不明なだけに、恐竜よりずっとインパクトは大きいといえるだろう。
杏里は、係員の詰所の窓からその光景を眺めていた。
傍にいるのは、韮崎と三上。
零の姿はすでにない。
「だいたい笹原、おまえまた俺の命令、無視しやがって。見つけたら手出しする前に連絡しろってあれほど言ったじゃねえか。それに、あの娘はどうした? あれはどうせあの零とかいう娘の仕業だろう?」
いきなり怒りの矛先を向けられて、杏里はセーターの裾をぎゅっと両手でひっぱり、亀の子のように首をすくめた。
「ニラさんに連絡してる最中に、襲われちゃって…。だから、私たち、ああするしかなかったんです。でも、零を責めないでください。零がいなかったら、私、今頃あいつのおなかの中だったんですから」
「黒野零…だったっけ? 不思議な女の子だったな。また会ってみたい気がするが」
三上が零の面影を思い出そうとでもするかのように、ぼそりとつぶやいた。
ドアが開いて、そこに白衣姿のヤチカが入ってきた。
香水の香りに顔をしかめる韮崎。
「まだ、鑑識の捜査、済まないのか」
「あれ、どうやって運び出すかでもめてるのよ。やっぱり細かく切断するしかないよね。こんな地下に起重機はないし、たとえ起重機を地上から運び込んで持ち上げたとしても、あの大きさじゃ出入り口通らないしねえ」
残念そうに溜息をつく。
「地下鉄が入ったくらいなんだから、出せるんじゃないのか」
「馬鹿ね。地下鉄は、列車を中に入れるのは簡単だけど、外に出すのは難しいのよ」
「知るかよ、そんなこと。小学生のなぞなぞじゃあるまいし」
「それで、あのう…ヤチカさん、あれの正体は何なんですか?」
好奇心を抑えきれず、杏里はたずねた。
外道は”地龍”と呼んでいたけど、そもそも地龍とは何なのか。
見たところ、ぜんぜん龍には見えないし。
あれはどう見ても、育ち過ぎた芋虫である。
「わかんないわねえ。言えるのは、この前の人食い炬燵やお化けヤドカリ、それからあののっぺらぼうたちみたいに、これまで知られていなかった未知の生物だってこと。なんだか、突然この地球上にまったく別の生態系が出現して、そこから異種生命体たちがこちら側に洩れてきているような気がして、ならないんだけど」
別の生態系…。
零に言わせれば、地球が太古の昔に負った傷。
そこから生まれた”淀み”ということになる。
それは”外道界”、”邪道界”とも呼ばれ、人間の住むこの”人道界”を徐々に浸食する…。
「まるで妖怪ですね」
三上が苦笑した。
「妖怪の住む世界が、この世と接触し始めたってことなのかな」
「そうね。実は私もそんな気がするの。妖怪や悪魔、神獣とかって、ほんとに居たんじゃないかって。ま、でも、先入観にとらわれず、なるべく科学的に調べてみることにするわ。またアメリカさんに油揚げをさらわれないうちにね」
「アメリカの研究機関ですか。上のほうでは、すでに何かをつかんでいるんでしょうね。これほど背景がグローバル化してきてるところからすると」
「だよね。とにかく、あなたたちは杏里ちゃんを守ってあげて。これだけ化け物に縁があるところを見ると、彼女自身に何か秘密があるかもしれないし」
そう言って、ちらっと杏里を見るヤチカ。
杏里はあわててうつむいた。
下手に興味を持たれて、精密検査でもされたらかなわない。
そう思ったのだ。
「救急隊員が到着しました」
詰所の係員が顔を出した。
「あ、私なら大丈夫です」
杏里は飛び上がった。
「ただ久しぶりにマラソンして、疲れただけですから」
病院はまずかった。
「精密検査してもらいなさいよ。頭打ってるかもしれないでしょ。ついでにしばらく仕事なんか、休んじゃえばいいんだし」
「おまえが言うなよな」
ヤチカの台詞に韮崎がむっとする。
「きょうはこれで帰ります。自分のベッドでゆっくり休みたいし、その、零のことも心配なので」
「帰るって、杏里ちゃん、その格好で?」
セーターの裾から覗いたパンティの三角ゾーンを指さして、ヤチカが呆れ声で言う。
杏里は真っ赤になった。
その大事な部分を、韮崎だけでなく、イケメンの三上にまで見られていることに、ふと気づいたからだった。
幸い、脱ぎ捨てたコートが見つかったので、それを羽織り、タクシーで帰路についた。
自分の部屋に入るなり、泥のような睡魔が押し寄せてきて、杏里は服を着たまま眠り込んでしまった。
目が覚めたのは、深夜である。
真っ暗な部屋の中、人の気配がした。
薄目を開けると、丸椅子に零が座って、こっちを見ていた。
「悪かったな。辛い思い、させて」
杏里の目覚めに気づくと、珍しく沈んだ声音でそう話しかけてきた。
暗闇の中に、非常灯に照らされた白く美しい顏が、ぼうっと浮かび上がっている。
「ううん、零は私の命の恩人だよ」
杏里は微笑んだ。
「また、助けてもらっちゃったね」
「満月なら、あんなにてこずらなかったんだが」
零はなんだか悔しそうだ。
「苦無が通用しなかった。私もまだまだだな、と反省したよ」
「そんなの気にしない。ふたりとも、生きて帰って来れたんだもの。それだけでいい」
「傍に行って、いいか」
零が訊いた。
返事をする前に、着物を脱いでいる。
真っ白な裸身が、杏里の目に飛び込んできた。
コートを着たままだったことに思い当たり、杏里は服を脱ぎ、パンティ1枚の裸になった。
ベッドに登ってきた零と抱き合い、裸の胸を触れ合わせる。
視界の隅で、置時計のカレンダーが12月31日を示していた。
ふたり無事のまま、1年を終えることができそうだ。
「今年はひどい年だったね。零と会ってから、おかしなことばっかり」
零の細い喉に唇をつけて、杏里は言った。
自然と声が、恨みがましいものになっている。
「後悔してるのか?」
少し身を引いて、真顔で零が訊く。
「そんなこと、あるわけないじゃない」
杏里は声を立てて笑った。
「会えてよかった。心の底から、そう思ってる」
「そうか」
零は安心したようだった。
慣れた仕草で、杏里の乳輪をなぞり始めた。
「あん…もう、零ったら」
沸き上がって来る快感に身を委ねながら、杏里は思った。
きょうこそは、零と初詣に行こう。
深夜営業の、あの地下鉄に乗って…。
ー了ー
檻の中の熊のように、煙草の煙を吐き出しながら韮崎が歩き回っている。
「ニラさん、またそれですか?」
呆れたように言ったのは、韮崎と一緒に駆けつけてきた三上である。
「現にそこにその怪物、死んでるんだから仕方ないじゃありませんか」
三上の言う通り、地竜の死体はまだ消えたりしていなかった。
厳然たる事実として、車庫内に存在しているのだ。
今、その周りを、鑑識課員、科捜研のメンバー、警察官、自衛隊員と、さまざまな制服に身を包んだ面々が遠巻きに取り囲んでいる。
その誰もに共通しているのは、みんな途方に暮れたような表情を顔に浮かべていることだ。
無理もなかった。
元の倍以上に成長し、体長300メートルを超すその生物は、まさに現代に蘇った恐竜のようなものだった。
いや、なまじ正体不明なだけに、恐竜よりずっとインパクトは大きいといえるだろう。
杏里は、係員の詰所の窓からその光景を眺めていた。
傍にいるのは、韮崎と三上。
零の姿はすでにない。
「だいたい笹原、おまえまた俺の命令、無視しやがって。見つけたら手出しする前に連絡しろってあれほど言ったじゃねえか。それに、あの娘はどうした? あれはどうせあの零とかいう娘の仕業だろう?」
いきなり怒りの矛先を向けられて、杏里はセーターの裾をぎゅっと両手でひっぱり、亀の子のように首をすくめた。
「ニラさんに連絡してる最中に、襲われちゃって…。だから、私たち、ああするしかなかったんです。でも、零を責めないでください。零がいなかったら、私、今頃あいつのおなかの中だったんですから」
「黒野零…だったっけ? 不思議な女の子だったな。また会ってみたい気がするが」
三上が零の面影を思い出そうとでもするかのように、ぼそりとつぶやいた。
ドアが開いて、そこに白衣姿のヤチカが入ってきた。
香水の香りに顔をしかめる韮崎。
「まだ、鑑識の捜査、済まないのか」
「あれ、どうやって運び出すかでもめてるのよ。やっぱり細かく切断するしかないよね。こんな地下に起重機はないし、たとえ起重機を地上から運び込んで持ち上げたとしても、あの大きさじゃ出入り口通らないしねえ」
残念そうに溜息をつく。
「地下鉄が入ったくらいなんだから、出せるんじゃないのか」
「馬鹿ね。地下鉄は、列車を中に入れるのは簡単だけど、外に出すのは難しいのよ」
「知るかよ、そんなこと。小学生のなぞなぞじゃあるまいし」
「それで、あのう…ヤチカさん、あれの正体は何なんですか?」
好奇心を抑えきれず、杏里はたずねた。
外道は”地龍”と呼んでいたけど、そもそも地龍とは何なのか。
見たところ、ぜんぜん龍には見えないし。
あれはどう見ても、育ち過ぎた芋虫である。
「わかんないわねえ。言えるのは、この前の人食い炬燵やお化けヤドカリ、それからあののっぺらぼうたちみたいに、これまで知られていなかった未知の生物だってこと。なんだか、突然この地球上にまったく別の生態系が出現して、そこから異種生命体たちがこちら側に洩れてきているような気がして、ならないんだけど」
別の生態系…。
零に言わせれば、地球が太古の昔に負った傷。
そこから生まれた”淀み”ということになる。
それは”外道界”、”邪道界”とも呼ばれ、人間の住むこの”人道界”を徐々に浸食する…。
「まるで妖怪ですね」
三上が苦笑した。
「妖怪の住む世界が、この世と接触し始めたってことなのかな」
「そうね。実は私もそんな気がするの。妖怪や悪魔、神獣とかって、ほんとに居たんじゃないかって。ま、でも、先入観にとらわれず、なるべく科学的に調べてみることにするわ。またアメリカさんに油揚げをさらわれないうちにね」
「アメリカの研究機関ですか。上のほうでは、すでに何かをつかんでいるんでしょうね。これほど背景がグローバル化してきてるところからすると」
「だよね。とにかく、あなたたちは杏里ちゃんを守ってあげて。これだけ化け物に縁があるところを見ると、彼女自身に何か秘密があるかもしれないし」
そう言って、ちらっと杏里を見るヤチカ。
杏里はあわててうつむいた。
下手に興味を持たれて、精密検査でもされたらかなわない。
そう思ったのだ。
「救急隊員が到着しました」
詰所の係員が顔を出した。
「あ、私なら大丈夫です」
杏里は飛び上がった。
「ただ久しぶりにマラソンして、疲れただけですから」
病院はまずかった。
「精密検査してもらいなさいよ。頭打ってるかもしれないでしょ。ついでにしばらく仕事なんか、休んじゃえばいいんだし」
「おまえが言うなよな」
ヤチカの台詞に韮崎がむっとする。
「きょうはこれで帰ります。自分のベッドでゆっくり休みたいし、その、零のことも心配なので」
「帰るって、杏里ちゃん、その格好で?」
セーターの裾から覗いたパンティの三角ゾーンを指さして、ヤチカが呆れ声で言う。
杏里は真っ赤になった。
その大事な部分を、韮崎だけでなく、イケメンの三上にまで見られていることに、ふと気づいたからだった。
幸い、脱ぎ捨てたコートが見つかったので、それを羽織り、タクシーで帰路についた。
自分の部屋に入るなり、泥のような睡魔が押し寄せてきて、杏里は服を着たまま眠り込んでしまった。
目が覚めたのは、深夜である。
真っ暗な部屋の中、人の気配がした。
薄目を開けると、丸椅子に零が座って、こっちを見ていた。
「悪かったな。辛い思い、させて」
杏里の目覚めに気づくと、珍しく沈んだ声音でそう話しかけてきた。
暗闇の中に、非常灯に照らされた白く美しい顏が、ぼうっと浮かび上がっている。
「ううん、零は私の命の恩人だよ」
杏里は微笑んだ。
「また、助けてもらっちゃったね」
「満月なら、あんなにてこずらなかったんだが」
零はなんだか悔しそうだ。
「苦無が通用しなかった。私もまだまだだな、と反省したよ」
「そんなの気にしない。ふたりとも、生きて帰って来れたんだもの。それだけでいい」
「傍に行って、いいか」
零が訊いた。
返事をする前に、着物を脱いでいる。
真っ白な裸身が、杏里の目に飛び込んできた。
コートを着たままだったことに思い当たり、杏里は服を脱ぎ、パンティ1枚の裸になった。
ベッドに登ってきた零と抱き合い、裸の胸を触れ合わせる。
視界の隅で、置時計のカレンダーが12月31日を示していた。
ふたり無事のまま、1年を終えることができそうだ。
「今年はひどい年だったね。零と会ってから、おかしなことばっかり」
零の細い喉に唇をつけて、杏里は言った。
自然と声が、恨みがましいものになっている。
「後悔してるのか?」
少し身を引いて、真顔で零が訊く。
「そんなこと、あるわけないじゃない」
杏里は声を立てて笑った。
「会えてよかった。心の底から、そう思ってる」
「そうか」
零は安心したようだった。
慣れた仕草で、杏里の乳輪をなぞり始めた。
「あん…もう、零ったら」
沸き上がって来る快感に身を委ねながら、杏里は思った。
きょうこそは、零と初詣に行こう。
深夜営業の、あの地下鉄に乗って…。
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