サイコパスハンター零

戸影絵麻

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第4章 百合と外道と疾走するウロボロス

#29 杏里、発砲する

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 地下鉄の1両の長さは約20メートル。

 路線によって若干違うが、ふつうはそれが6両連結されている。

 目の前の”それ”はちょうどそれくらいのサイズで、遠目で見ると他の地下鉄とほとんど変わらない。

 が、よく観察してみると、零の言う通りだった。

 車体の形が微妙にいびつなのだ。

 しかも、表面がざらざらしていて、まるでゾウかカバの皮膚のような質感を感じさせる。

 色は市営地下鉄に多い赤なのだが、その赤も全体的にくすんで見える。

 そしてきわめつけは、テールライトの部分だった。

 丸いふたつのライトは、ガラスやプラスチックとは明らかに違う、濡れた透明な物質で覆われていた。

 似ているものがあるとすれば、角膜である。

 そしてその奥にあるのは、黒い小さな瞳孔だ。

「私が注意を引きつける。その間に銃で撃て」

 零が言った。

「でも、私の拳銃じゃ、小さすぎるよ。こんなに大きいんだもの、それこそ大砲でも持ってこないと」

 気弱に首を振る杏里。

 杏里のベレッタはあくまで護身用なのだ。

 全長120メートルもある怪物に効き目があるとは、とても思えない。

 有効打を与えるどころか、かすり傷をつけるのが関の山ではないか。

 そう思ったのだ。

「目を狙うんだ。とりあえず、行動不能にすればそれでいいだろう。後はおまえの仲間か自衛隊がなんとかしてくれる」

「じゃあ、まずニラさんに連絡入れておくね」

「ああ」

 零が、腰の帯に下げた小さな布袋から苦無をふたつ、つかみ出した。

 両手に握ると、

「先に行く」

 そう言うなり、怪物の屋根にひょいと飛び乗った。

 そのまま前方に向かって駆けていく。

「あ、待って」

 声をかけようとした時、韮崎が出た。

『笹原か』

「見つけました」

 手短に、杏里は言った。

「予想通り、ドーム球場地下の大幸車庫です。応援を…」

 そこまで言った時である。

 ふいに目の前の”地下鉄”がぶるっと身を震わせた。

 ちょうど、犬か猫が体についた水気を振り払うような感じだった。

 ”眼”に似た尾灯の奥で真黒な瞳孔がぐるりと回転し、上目遣いに杏里を見た。

「わ」

 見つかっちゃった!

 杏里は急いでスマホを拳銃に持ち替えた。

 怪物の屋根に目をやったが、零の姿はもう見えない。

 仕方ない。

 足を開いて重心を落とし、両腕を伸ばしてベレッタを構えた。

 とにかく、眼を潰せばいいんだよね。

 懸命に自分に言い聞かせる。

 だけど、こいつ、なんて気持ち悪いんだろう。

 ほんと、マジ生きてるじゃないの…。

 右の尾灯に照準を定め、トリガーを引く。

 意外に重い反動が肩に来て、銃声が周囲のしじまを切り裂いた。

 狙いは正確だった。

 怪物の右の尾灯が弾け、透明な汁と潰れた眼球がどろりと流れ出す。

 と、その時だった。

 地響きを立てて、怪物が動き出した。

 傷ついた尾部が大きく左に流れ、隣の列車の腹を直撃した。

 ちょうど、蜂に刺された芋虫が暴れる時のような感じだった。

 120メートル先で頭部がぐわっと持ち上がり、唸りをあげてこちらに迫ってくる。

 零の苦無による攻撃より、杏里の銃撃のほうが気に障ったとでもいうのだろうか。

 あるいは、あまり考えたくないことだが、零はやられてしまったのか…。

 怪物は向きを変えようとしていた。

 頭上高く持ち上がったその巨体を目の当たりにして、杏里は改めてその巨大さを実感した。

 上半身をねじり、腹側をこちらに向けた”それ”は、龍というよりやはり芋虫に似ている。

 腹の部分に2列に並んだ無数の短い爪状の肢が並んでいるのだ。

 体長120メートルもある、バカでかい赤い芋虫である。

 こうなると、怪物を通り越してもはや怪獣と呼ぶべきだろう。

 右手にベレッタを構え、走り出しながら杏里は撃った。

 残りの5発は正確に怪獣の腹部にめり込み、緑色の体液を噴出させたが、それだけだった。

 動きが止まらないのだ。

 マガジンを装填している余裕はなかった。

「来ないで!」

 悲鳴を上げると、杏里は全力疾走で逃げ出した。

 その後ろを、今や完全に向きを変えることに成功した怪獣が、のたうちながら追ってくる。

 真ん丸のヘッドライトは、外道の眼にそっくりだ。

 バンパーの代わりに、大きな丸い口がある。

 見ようによってはユーモラスな面構えだった。

 だが、もちろんそれを笑うゆとりは、杏里にはなかった。

 必死で駆けると、すぐに壁に突き当たった。

 足元は線路である。

 円周に沿って、出入り口まで続いている。

 向きを変えると、その線路の上を、杏里は走り出した。

 
 こうして、地獄の鬼ごっこが始まった。


 







 
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