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第4章 百合と外道と疾走するウロボロス
#15 杏里、苦渋を呑む
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「なんだあ…?」
背後で韮崎がつぶやくのが聞こえてきた。
無理もなかった。
外道が取り出し、頭上に掲げて見せたのは、ただの未熟児ではなかったのだ。
腹が裂かれ、中に何か肌色のぬるぬるしたものがいっぱいに詰め込まれている。
口もそうだった。
胎児の小さな口から垂れ下がっているのは、短い腸のような物体である。
-4人は乳房だけでなく、内臓の一部を持ち去られていた。
-それも、比較的子宮に近い、十二指腸とか、脾臓とか、胆嚢といった比較的小さな臓器をね。
-そう、まるで帝王切開の記念に目につくところにあったものを適当に見つくろったみたいに。
ふいにヤチカの台詞が耳の奥に蘇り、杏里はぶるっと身を震わせた。
じゃあ、あれが、4人の妊婦の、臓器なの…?
「遅いよ、遅いよ。完成しちゃったよ」
気味の悪い声で、少女が言った。
模様が流れを止めて、のっぺらぼうだった顔に、今や真ん丸の眼と口が現れている。
まるで幼児が風船にマジックで落書きしたような、でたらめの配置である。
その口がふにゃふにゃと動いて、ボイスチェンジャーを通したような耳障りな声で、突然しゃべり出したのだ。
「ふふ、女たちの苦しみと悲しみ、それから怨念。みんなこのちっぽけな身体に集めてやったよ」
臓物を、身体中の穴という穴に、みっしりと詰め込まれた胎児、
それを左手で高く差し上げ、楽しげにぶらぶらと振っている。
「後はこれをここから落とせば終わりだよ。下には奈落まで続く縦穴が掘ってあるからね。地龍のところまで届く、それは深い深い穴なんだよ」
地龍…。
やはりそうだったのだ。
杏里は今になってやっと、外道の隠れ家にあった羊皮紙の意味を悟った。
あのウロボロスの絵。
あれは地下鉄環状線と、そこに潜む地龍とやらを表していたのではなかったか…?
ああ、なんてこと。
気づくのが、遅すぎた…。
「やめろ」
低い声で、零が言った。
気のせいか、声に疲れが滲んでいる。
寒風にさらされすぎたのか。
あるいは月齢が低いため、体力の消耗が激しいのか。
ここ数日、忙しすぎて零に血を飲ませていない。
杏里は激しく後悔した。
こんなことなら、さっき家に戻った時、昼寝している間に零に身を預けて吸血してもらうんだった…。
今までの経験だと、零の着物の”百目”には麻痺効果があり、それに睨まれた外道は化石になったように硬直するのが常である。
ところが今、目の前の外道少女は、明らかにその呪縛から自由になりかけている。
これも零の力が弱まっている証拠なのかもしれなかった。
「やめるもんか」
うふふふと外道少女が嗤った。
「元はと言えば、おまえのせいだろ? この邪道。零とか言ったな。零、おまえが我らの真珠を奪わなければ、こんなふうに5人も余分に人間が死ぬことはなかったんだ。いや、赤ん坊を入れると10人だけどね」
滅多に感情を表さない零の白い顔が歪んだ。
横顔からもそれがわかった。
「零のせいじゃない!」
杏里は叫んだ。
「そんなやつのいうことに、耳を貸さないで!」
「ほう」
外道の首がぬるりと回り、杏里を正面から見つめてきた。
目蓋のない、死んだ魚の眼そのもののふたつのまなこが、穴のあくほど杏里を凝視する。
「面白い。人魚姫も一緒だったか」
外道少女が空いている左手を振った。
と、突如として触手のようにその腕が伸びた。
一気に数メートルの長さに伸びると、宙をのたうちながら杏里のほうに向かってきた。
「杏里と言ったな。おまえの肉は、いつか我らがいただく」
名を呼ばれたショックで、杏里は一瞬目の前が暗くなった。
この子、零だけじゃなく、私のことも知ってるんだ…。
「人魚の肉は、我らの間でも、垂涎の的なんだよ」
手が伸びてくる。
骨のない烏賊の触手の先に、手のひらと5本の指の生えたような、不気味な腕が…。
「杏里!」
その瞬間、助走もつけず、零が垂直に跳躍した。
すさまじいジャンプ力だった。
10メートルほどの高さに飛び上がると、腕を交差させ、素早い動作で開きざまに苦無を放つ。
「あぐう」
外道がのけぞった。
うなじに2本の苦無が突き立っている。
「きさまあ!」
杏里を襲いかけていた腕が、大きく旋回して空中の零を狙う。
その攻撃をかいくぐり、着地するなり鉄骨の上を零が走った。
外道の懐に飛び込むと、低い姿勢から顔を上げ、かすかに口を開けた。
その唇の間から、槍のように鋭く長い舌が飛び出した。
「ぐふうっ」
鋭角に喉を貫かれ、外道がびくんと反り返る。
その手から、血まみれの胎児が離れた。
舌で敵を串刺しにしたまま、零がとっさに腕を伸ばす。
が、届かなかった。
石つぶてのように、血の糸を引きながら供物が落ちていく。
杏里は反射的に、足元の鉄骨の間から真下を覗き込んだ。
はるか下方、建物の土台にあたるコンクリートの床に、巨大な黒い穴が開いていた。
それは、回転していた。
まるで竜巻を真上から覗き込んだみたいな感じだった。
その真ん中に、胎児が吸い込まれていく。
少しして、自分から身を投げたのか、ランドセルを背言った外道少女の身体がその後を追った。
ふたつの物体を呑み込むと、ネジが逆回転するように、穴が反対方向に回り出した。
「消える…」
杏里のつぶやきを、
「私のミスだ」
零の声が遮った。
振り返ると、すぐそこに零が立っていた。
「杏里、すまない。私はどうやら、とんでもない過ちを冒してしまったらしい」
いつもに増して、顔色が悪い。
白を通り越して、蒼白になっている。
ゆらりとよろめき、膝をついた零の前に、韮崎が立ちふさがった。
「おい、姉ちゃんよ。ちょいと、署まで一緒に来てもらおうか。お疲れのところ悪いが、何があったのか、じっくり聞かせてもらいたいんでね」
背後で韮崎がつぶやくのが聞こえてきた。
無理もなかった。
外道が取り出し、頭上に掲げて見せたのは、ただの未熟児ではなかったのだ。
腹が裂かれ、中に何か肌色のぬるぬるしたものがいっぱいに詰め込まれている。
口もそうだった。
胎児の小さな口から垂れ下がっているのは、短い腸のような物体である。
-4人は乳房だけでなく、内臓の一部を持ち去られていた。
-それも、比較的子宮に近い、十二指腸とか、脾臓とか、胆嚢といった比較的小さな臓器をね。
-そう、まるで帝王切開の記念に目につくところにあったものを適当に見つくろったみたいに。
ふいにヤチカの台詞が耳の奥に蘇り、杏里はぶるっと身を震わせた。
じゃあ、あれが、4人の妊婦の、臓器なの…?
「遅いよ、遅いよ。完成しちゃったよ」
気味の悪い声で、少女が言った。
模様が流れを止めて、のっぺらぼうだった顔に、今や真ん丸の眼と口が現れている。
まるで幼児が風船にマジックで落書きしたような、でたらめの配置である。
その口がふにゃふにゃと動いて、ボイスチェンジャーを通したような耳障りな声で、突然しゃべり出したのだ。
「ふふ、女たちの苦しみと悲しみ、それから怨念。みんなこのちっぽけな身体に集めてやったよ」
臓物を、身体中の穴という穴に、みっしりと詰め込まれた胎児、
それを左手で高く差し上げ、楽しげにぶらぶらと振っている。
「後はこれをここから落とせば終わりだよ。下には奈落まで続く縦穴が掘ってあるからね。地龍のところまで届く、それは深い深い穴なんだよ」
地龍…。
やはりそうだったのだ。
杏里は今になってやっと、外道の隠れ家にあった羊皮紙の意味を悟った。
あのウロボロスの絵。
あれは地下鉄環状線と、そこに潜む地龍とやらを表していたのではなかったか…?
ああ、なんてこと。
気づくのが、遅すぎた…。
「やめろ」
低い声で、零が言った。
気のせいか、声に疲れが滲んでいる。
寒風にさらされすぎたのか。
あるいは月齢が低いため、体力の消耗が激しいのか。
ここ数日、忙しすぎて零に血を飲ませていない。
杏里は激しく後悔した。
こんなことなら、さっき家に戻った時、昼寝している間に零に身を預けて吸血してもらうんだった…。
今までの経験だと、零の着物の”百目”には麻痺効果があり、それに睨まれた外道は化石になったように硬直するのが常である。
ところが今、目の前の外道少女は、明らかにその呪縛から自由になりかけている。
これも零の力が弱まっている証拠なのかもしれなかった。
「やめるもんか」
うふふふと外道少女が嗤った。
「元はと言えば、おまえのせいだろ? この邪道。零とか言ったな。零、おまえが我らの真珠を奪わなければ、こんなふうに5人も余分に人間が死ぬことはなかったんだ。いや、赤ん坊を入れると10人だけどね」
滅多に感情を表さない零の白い顔が歪んだ。
横顔からもそれがわかった。
「零のせいじゃない!」
杏里は叫んだ。
「そんなやつのいうことに、耳を貸さないで!」
「ほう」
外道の首がぬるりと回り、杏里を正面から見つめてきた。
目蓋のない、死んだ魚の眼そのもののふたつのまなこが、穴のあくほど杏里を凝視する。
「面白い。人魚姫も一緒だったか」
外道少女が空いている左手を振った。
と、突如として触手のようにその腕が伸びた。
一気に数メートルの長さに伸びると、宙をのたうちながら杏里のほうに向かってきた。
「杏里と言ったな。おまえの肉は、いつか我らがいただく」
名を呼ばれたショックで、杏里は一瞬目の前が暗くなった。
この子、零だけじゃなく、私のことも知ってるんだ…。
「人魚の肉は、我らの間でも、垂涎の的なんだよ」
手が伸びてくる。
骨のない烏賊の触手の先に、手のひらと5本の指の生えたような、不気味な腕が…。
「杏里!」
その瞬間、助走もつけず、零が垂直に跳躍した。
すさまじいジャンプ力だった。
10メートルほどの高さに飛び上がると、腕を交差させ、素早い動作で開きざまに苦無を放つ。
「あぐう」
外道がのけぞった。
うなじに2本の苦無が突き立っている。
「きさまあ!」
杏里を襲いかけていた腕が、大きく旋回して空中の零を狙う。
その攻撃をかいくぐり、着地するなり鉄骨の上を零が走った。
外道の懐に飛び込むと、低い姿勢から顔を上げ、かすかに口を開けた。
その唇の間から、槍のように鋭く長い舌が飛び出した。
「ぐふうっ」
鋭角に喉を貫かれ、外道がびくんと反り返る。
その手から、血まみれの胎児が離れた。
舌で敵を串刺しにしたまま、零がとっさに腕を伸ばす。
が、届かなかった。
石つぶてのように、血の糸を引きながら供物が落ちていく。
杏里は反射的に、足元の鉄骨の間から真下を覗き込んだ。
はるか下方、建物の土台にあたるコンクリートの床に、巨大な黒い穴が開いていた。
それは、回転していた。
まるで竜巻を真上から覗き込んだみたいな感じだった。
その真ん中に、胎児が吸い込まれていく。
少しして、自分から身を投げたのか、ランドセルを背言った外道少女の身体がその後を追った。
ふたつの物体を呑み込むと、ネジが逆回転するように、穴が反対方向に回り出した。
「消える…」
杏里のつぶやきを、
「私のミスだ」
零の声が遮った。
振り返ると、すぐそこに零が立っていた。
「杏里、すまない。私はどうやら、とんでもない過ちを冒してしまったらしい」
いつもに増して、顔色が悪い。
白を通り越して、蒼白になっている。
ゆらりとよろめき、膝をついた零の前に、韮崎が立ちふさがった。
「おい、姉ちゃんよ。ちょいと、署まで一緒に来てもらおうか。お疲れのところ悪いが、何があったのか、じっくり聞かせてもらいたいんでね」
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