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第3章 百合たちの戦いは終わらない
#1 杏里、同情する
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11月も下旬に入ると、めっきり風が冷たくなってきた。
「うーさぶ、零ったら、ちゃんとエアコンつけてるかなあ」
コートの裾を立て、帰路を急ぎながら、杏里はふと同居人の黒野零のことを考えた。
零は暑いのが嫌いで、ついこの間まで裸同然の格好で過ごしていたのだ。
この寒さではさすがに何か着てはいるだろうが、暖房をつけるという習慣は、彼女に限り、まったくもってなさそうな気がする。
「あー、やだなあ、お部屋、あっためといてほしいのに」
久々の休日。
ショッピングの帰りだった。
零も誘ったのだが、
「月齢が低いから」
という理由で断られてしまった。
零の体調と気分は月の満ち欠けに左右される。
新月に近い月末は、だから決まって無愛想になるし、不活発なのだ。
今夜あたり血を飲ませてあげないと、明日なんか一日中寝てるだろうなあ。
そんなことを考えながらショッピングセンターの前の交差点を渡り、バス停へ向かおうとした時だった。
杏里は公園の入口で、ふと立ち止まった。
からっ風の吹く、人影のない子ども広場。
ベンチに少女がひとり腰をかけ、ぼんやりと誰もいないジャングルジムを眺めている。
黒いセーラー服を着ているところからして、中学生だろうか。
今時珍しいおさげ髪の、真面目そうな横顔をした少女である。
杏里の注意を引いたのは、その少女の頬を伝う涙だった。
泣いてる…。
どうしたんだろう?
学校でいじめられたのだろうか。
それにしても、どうしてこんな寂しい所で…。
午後5時を過ぎ、陽が翳り始めていた。
こんな人通りのない公園だ。
暗くなったら変質者のひとりやふたり、現れても不思議ではない。
「どうしたの?」
公園に入って行き、思い切って声をかけると、少女が驚いたように顔を上げた。
「何か悲しいことでも、あったのかな?」
少女が杏里を見た。
小さな顔に不似合いなくらいに目の大きな、聡明そうな顔立ちをした少女だった。
今の杏里は大きめのダッフルコートの下にもこもこの白いセーターを着こみ、コーデロイのパンツを穿いている。
だからおそらく、刑事というより、そのへんのお姉さんにしか見えないに違いない。
「あ、あなたは…?」
訊かれた以上、素性を晒すしかなかった。
杏里はコートの内ポケットから警察手帳を取り出した。
「これでも一応刑事なんだけどね。とてもそうは見えないかもしれないけど」
少女を励ますつもりで、にっこり笑ってみせる。
「刑事さん…?」
少女は穴が開くほど杏里の顔を見つめている。
痛々しいほどまっすぐなまなざしをしていた。
「余計なお世話だとは思ったんだけどね、でも、あなた、泣いてるみたいだったし、とっても、その、悲しそうだったから」
杏里の言葉に、少女のハシバミ色の瞳が揺らいだ。
「姉が、いなくなっちゃったんです」
新たな涙が目尻に盛り上がった。
「刑事さんなら、お願いですから、姉を探してくださいませんか。仁美ちゃん、神隠しみたいにマンションのお部屋から消えちゃったんです」
「神隠し?」
杏里は目を見開いた。
ここ半年ほどの間続いていた、平穏な日常。
少女のひと言で、突如としてそこに亀裂が入った気がした。
「はい。1週間前の日曜日のことです。ちょうど、今ぐらいの時間でした。私、仁美ちゃんと一緒にお部屋でずっとDVD見てて、暗くなってきたんでサヨナラ言ってマンションを出たんです。でも、ケータイ忘れたことに気づいて、あわてて取りに戻ったら、お部屋の鍵がしまってて、内側からチェーンロックもかかってて…なのに、いくら呼んでも仁美ちゃん、出て来ないんです。チェーンロックがかかってるってことは、中にいるはずですよね。おかしいと思って、管理人さんにお願いして鍵開けてもらって、チェーンロックをペンチで切断してもらって中に入ったんですけど、お部屋の中には誰もいなくって…。窓にはちゃんと内側から鍵がかかってたし、お部屋の鍵もテーブルの上に置いたままでした。仁美ちゃんのお部屋はマンションの7階にあるから、何か細工して窓から外に出るなんてこともありえないし、もう私、わけがわかんなくって…。もちろん、両親が警察に届け出ました。でも、おまわりさんは、『大学生なら、どうせ友だちか彼氏の家にお泊まりしてるんでしょ』って笑うだけで、まともに相手、してくれなくって…」
少女が訴えるように言った。
すがるような目をしている。
「また、密室か…」
杏里はつぶやいた。
今年の春に起こったあの事件を思い出したのだ。
「それから毎日来てるんですけど、仁美ちゃん、まだ戻ってないんです」
「どのマンションなの?」
「あれです。煉瓦色の壁の、7階建てのマンション。メゾン曙っていいます」
木立ちの間から、なるほど細長い建物の一部が覗いている。
「わかったわ」
杏里は少女に向かって、大きくうなずいてみせた。
「案内して。私が調べてあげる。こう見えてもね。私、不可能犯罪にはけっこう強いんだよ」
「うーさぶ、零ったら、ちゃんとエアコンつけてるかなあ」
コートの裾を立て、帰路を急ぎながら、杏里はふと同居人の黒野零のことを考えた。
零は暑いのが嫌いで、ついこの間まで裸同然の格好で過ごしていたのだ。
この寒さではさすがに何か着てはいるだろうが、暖房をつけるという習慣は、彼女に限り、まったくもってなさそうな気がする。
「あー、やだなあ、お部屋、あっためといてほしいのに」
久々の休日。
ショッピングの帰りだった。
零も誘ったのだが、
「月齢が低いから」
という理由で断られてしまった。
零の体調と気分は月の満ち欠けに左右される。
新月に近い月末は、だから決まって無愛想になるし、不活発なのだ。
今夜あたり血を飲ませてあげないと、明日なんか一日中寝てるだろうなあ。
そんなことを考えながらショッピングセンターの前の交差点を渡り、バス停へ向かおうとした時だった。
杏里は公園の入口で、ふと立ち止まった。
からっ風の吹く、人影のない子ども広場。
ベンチに少女がひとり腰をかけ、ぼんやりと誰もいないジャングルジムを眺めている。
黒いセーラー服を着ているところからして、中学生だろうか。
今時珍しいおさげ髪の、真面目そうな横顔をした少女である。
杏里の注意を引いたのは、その少女の頬を伝う涙だった。
泣いてる…。
どうしたんだろう?
学校でいじめられたのだろうか。
それにしても、どうしてこんな寂しい所で…。
午後5時を過ぎ、陽が翳り始めていた。
こんな人通りのない公園だ。
暗くなったら変質者のひとりやふたり、現れても不思議ではない。
「どうしたの?」
公園に入って行き、思い切って声をかけると、少女が驚いたように顔を上げた。
「何か悲しいことでも、あったのかな?」
少女が杏里を見た。
小さな顔に不似合いなくらいに目の大きな、聡明そうな顔立ちをした少女だった。
今の杏里は大きめのダッフルコートの下にもこもこの白いセーターを着こみ、コーデロイのパンツを穿いている。
だからおそらく、刑事というより、そのへんのお姉さんにしか見えないに違いない。
「あ、あなたは…?」
訊かれた以上、素性を晒すしかなかった。
杏里はコートの内ポケットから警察手帳を取り出した。
「これでも一応刑事なんだけどね。とてもそうは見えないかもしれないけど」
少女を励ますつもりで、にっこり笑ってみせる。
「刑事さん…?」
少女は穴が開くほど杏里の顔を見つめている。
痛々しいほどまっすぐなまなざしをしていた。
「余計なお世話だとは思ったんだけどね、でも、あなた、泣いてるみたいだったし、とっても、その、悲しそうだったから」
杏里の言葉に、少女のハシバミ色の瞳が揺らいだ。
「姉が、いなくなっちゃったんです」
新たな涙が目尻に盛り上がった。
「刑事さんなら、お願いですから、姉を探してくださいませんか。仁美ちゃん、神隠しみたいにマンションのお部屋から消えちゃったんです」
「神隠し?」
杏里は目を見開いた。
ここ半年ほどの間続いていた、平穏な日常。
少女のひと言で、突如としてそこに亀裂が入った気がした。
「はい。1週間前の日曜日のことです。ちょうど、今ぐらいの時間でした。私、仁美ちゃんと一緒にお部屋でずっとDVD見てて、暗くなってきたんでサヨナラ言ってマンションを出たんです。でも、ケータイ忘れたことに気づいて、あわてて取りに戻ったら、お部屋の鍵がしまってて、内側からチェーンロックもかかってて…なのに、いくら呼んでも仁美ちゃん、出て来ないんです。チェーンロックがかかってるってことは、中にいるはずですよね。おかしいと思って、管理人さんにお願いして鍵開けてもらって、チェーンロックをペンチで切断してもらって中に入ったんですけど、お部屋の中には誰もいなくって…。窓にはちゃんと内側から鍵がかかってたし、お部屋の鍵もテーブルの上に置いたままでした。仁美ちゃんのお部屋はマンションの7階にあるから、何か細工して窓から外に出るなんてこともありえないし、もう私、わけがわかんなくって…。もちろん、両親が警察に届け出ました。でも、おまわりさんは、『大学生なら、どうせ友だちか彼氏の家にお泊まりしてるんでしょ』って笑うだけで、まともに相手、してくれなくって…」
少女が訴えるように言った。
すがるような目をしている。
「また、密室か…」
杏里はつぶやいた。
今年の春に起こったあの事件を思い出したのだ。
「それから毎日来てるんですけど、仁美ちゃん、まだ戻ってないんです」
「どのマンションなの?」
「あれです。煉瓦色の壁の、7階建てのマンション。メゾン曙っていいます」
木立ちの間から、なるほど細長い建物の一部が覗いている。
「わかったわ」
杏里は少女に向かって、大きくうなずいてみせた。
「案内して。私が調べてあげる。こう見えてもね。私、不可能犯罪にはけっこう強いんだよ」
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