サイコパスハンター零

戸影絵麻

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第2章 百合と髑髏の狂騒曲

#16 杏里、泡を吹く

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 玄関の戸は、古めかしい引き戸だった。

 零がガラス部分に苦無を当て、音もなくガラスを切る。

 丸く穴が開いたところで、中に手を突っ込んで鍵をはずした。

 半分ほど開けた引き戸から、薄暗い玄関に滑り込む。

 とたんに、嫌な臭いが鼻腔を襲った。

 左手に台所がある。

 強い臭気は冷蔵庫から漏れているようだ。

 天井近くまである、粗末な台所にはおよそ不似合いな、大型の冷蔵庫である。

 零の目配せに応じて三和木に上がり込み、冷蔵庫の扉をそっと開けてみた。

 限界まで温度が下げられているらしく、白い冷気が杏里を襲った。

 中には気色の悪いものが、いっぱいに詰まっていた。

 臭気は明らかにそこから出ている。

「う」

 杏里は思わず手で口を押えた。

 これって、まさか…。

 背筋に氷柱が生じたような気がした。

「な…なんで、こんなものが?」

 大小のタッパに詰められた灰色の物体。

 ラップに包まれた、牛のバラ肉みたいな赤黒い肉塊。

 そして、ビニール袋に入った、一抱えもありそうな丸いボール状のもの。

「これはおそらく脳だ。そして、これは頭部。今までの犠牲者のものじゃない。明らかに大人の女性のものだ。その他の肉はたぶん、胴体の一部だろうな」

 杏里の思いを代弁するように、低く押し殺した声で、零が言った。

 嘔吐寸前の杏里に比べ、ひどく淡々としている。

 その時、何かの動く気配がした。

「起きたか」

 零が立ち上がった。

 ガラス戸が開き、やせた若者が姿を現した。

 よれよれのTシャツとスウェットのズボン。

 髪の毛は寝ぐせがついて、ボサボサのありさまだ。

 写真の男だった。

 岩田守25歳。

 3件の首狩り事件の際、問題の時間に現場にいた最有力の容疑者である。

「な、な、なんだ? お、おまえらは?」

 ひどい吃音で、男が誰何した。

「こっちこそ訊きたいね」

 零が苦無を逆手に握り直す。

「ここにある人間の残骸は、何のためのものだ? まさか食材というわけでもないだろう」

「み、見たのか?」

 男が震え出す。

 おこりにかかったように、ぶるぶる震えている。

「ああ」

 零がすっと右腕を伸ばし、男の喉元に苦無を突き立てた。

「おまえは何を隠している? 言わないと、殺す」

「お、俺は、ただあれを育てるように言われただけだ。そ、育てれば、きっといいことがあるからって、あ、あいつが言うから…」

 男が、うわ言のように言った。

「誰に、何を」

 零が苦無を突き上げる。

 男の生白い喉に血が滲んだ。

「い、1ヶ月程前のことだ。し、親戚の家に用があって、ひ、日間賀島に船で渡った。そ、その時、は、浜で気持ちの悪い子どもに声をかけられた。こ、これを、育ててみないか、と」

「子ども? どんな子どもだった?」

「の、のっぺらぼうの、ば、化け物みたいなやつだ…。と、とても、逆らえなくって…」

 男の震えは止まらない。

 嘘を言っているようには見えなかった。

 杏里ははっとした。

 のっぺらぼうと言えば、外道。

 赤い真珠事件で遭遇した、あの正体不明の化け物である。

 でも、”あれ”とか”これ”って、いったい何のことだろう?

「冷蔵庫の中の残骸は、おまえの言う”あれ”とやらの餌なんだな」

 零は情け容赦ない。

「あ、ああ…」

「じゃあ、あの首は何なんだ? おまえはなぜ、人間の首を集めている?」

「そ、それは…」

 その時、ガタリという音がした。

 男の背後で、何かが動いたのだ。

 他に誰かいるのだろうか。

 男と同居しているという、母親か。

「どけ」

 零が男を突き飛ばした。

 がらりと引き戸を開け放つ。

 非常灯に照らされた八畳ほどの和室。

 その奥の庭に面したサッシ戸が半開きになっていて、何かが部屋の中に這い上がろうとしている。

 月明かりの中に浮かび上がったその異形を目に留めた瞬間、杏里は声を限りに悲鳴を上げた。

「いやあ!」

 髑髏だった。

 小ぶりの髑髏が動いている。 

 うつろな眼窩をこちらに向け、右に左に傾きながら、ぎこちなく畳の上を這ってくる。

「この雑魚めが」

 零が着物の袂をを広げた。

 その表面で百の目玉がが一斉に開眼した。

 動きの留まった髑髏に向けて、零の右手から苦無が飛んだ。

 一撃で髑髏が砕けた。

 そしてその中から現れたのは、およそ信じがたいものだった。

 そいつのあまりのグロテスクさに、気が遠くなった。

 失神する寸前、零が杏里を抱き留めた。

「終わった」

 零が言った。

「応援を呼ぶんだ。気を失う前に」

 
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