39 / 157
第2章 百合と髑髏の狂騒曲
#8 杏里、礼を言われる
しおりを挟む
どこかクルミに似た食材だった。
表面が皺だらけで真ん中に割れ目があるため、なんだか人間の脳の形にも似ている。
「このまま、食べるんですか?」
疑いの目を向けると、
「そうですよ、どうぞ遠慮なく、めしあがれ」
かすかに微笑んで、女がうなずいた。
一番小さいのを指でつまみ、おっかなびっくり、口に入れてみた。
一口齧ると、馥郁たる香りが口の中いっぱいに広がった。
「わ、何これ、おいしい!」
気がつくと、杏里は夢中で食べていた。
上質のミディアムのステーキを、更に濃縮したような味だった。
その濃厚な味には中毒性があるのか、一つ食べるともうやめられなくなってしまったのだ。
何もかも忘れて夢中で食べていると、いつのまにか席を外していた女が戻ってきて、声を立てて笑いながら言った。
「まあ、すごい食欲だこと」
「あ、すみません」
杏里は真っ赤になって手を休めた。
これではダイエットどころではないだろう。
このまま食べ続けたら、ますます太ってしまうではないか。
いや、というか、皿はすでに空になってしまっている。
「あの、質問、いいですか?」
照れ隠しに、訊いた。
「なあに?」
女が上品に首を傾げてみせる。
「さっき、零はあなたのこと、乳母って呼んでましたけど、あなたが彼女を育てたんですか?」
「そうですよ」
女がうなずいた。
「ここにいた子どもたちは、みな私がお世話しました」
が、そこでふいに悲しそうな口調になると、長い顔を伏せて言った。
「でも、その子どもたちも、零様しか、今はもう残っていないのですけれど」
「それ、どういうことです?」
女は答えなかった。
その代わりに、急に明るい声に戻ると、空になった皿を片付けながら、例のおっとりした口調で言った。
「そんなことより、お館様がお呼びです。急いで奥の間においでくださいませ」
これが、お館様…。
杏里はただ茫然と頭上を見上げ、心の中でつぶやいた。
四方を屏風で囲まれた奥の間。
その正面に、白装束に身を固めた女性が正座している。
驚くべきは、その首から上だった。
お館様の顔は、あの乳母にそっくりだ。
異様に縦に長いうりざね顔。
目と鼻はなく、おちょぼ口が顎のあたりについている。
違いはそのサイズである。
お館様の頭部は、度肝を抜かれるほど巨大だったのだ。
顎の先から頭のてっぺんまで、余裕で1メートルはありそうだ。
まさにキングサイズのオシラサマ。
そんな感じなのである。
が、あの乳母同様、やはり、怖いとは思わなかった。
目鼻のないところなど、外観は確かにあの外道に似ていないこともない。
しかし、醸し出す雰囲気がまるで違っていた。
親密感。
温かみ。
お館様の周囲には、光とぬくもりが満ちているようなのだ。
「零から聞いた。おぬしが杏里か。人魚の血を引く者よ」
絹を思わせる柔らかな声で、お館様がたずねた。
「は、はい」
杏里は畳に頭を擦りつけた。
人魚云々については、自分自身でも半信半疑である。
それより今は、自分が場違いなビキニ姿であることが、まず恥ずかしくてならなかった。
「こうべをあげよ」
「は、はあ」
言われた通り顔を上げると、眼のないお館様が、じっと杏里のほうを見下ろしていた。
「おぬしのおかげで、零の身体に染みついていた瘴気が薄れた。礼を言うぞ」
「は、はい」
「これからも末永く、その子を頼む。零はわれらの最後の希望。幸い、その子もおぬしのことを好いておるようじゃ。強いように見えても、零はまだひよっこに過ぎぬ。おぬしの力で、最後の最後まで、守ってやってほしい」
零が、ひよっこ?
私が、零を守る?
そんなことが、ありえるだろうか?
「今晩は、ふたりとも思う存分睦み合うがいい。愛情を確かめ合い、辛い明日に備えるのじゃ。すべてのものが拡大し、増殖することしか考えぬこの狂った世界では、おまえたち若い衆の、心の持ちようだけが、頼りなのだからな」
睦み合うって…まさか。
杏里がその意味に気づいて耳たぶまで朱に染めた時、隣に座っていた零がぎゅっと手を握ってきた。
その零の手も、いつもと違って、熱病に罹ったみたいに熱を持っていた。
表面が皺だらけで真ん中に割れ目があるため、なんだか人間の脳の形にも似ている。
「このまま、食べるんですか?」
疑いの目を向けると、
「そうですよ、どうぞ遠慮なく、めしあがれ」
かすかに微笑んで、女がうなずいた。
一番小さいのを指でつまみ、おっかなびっくり、口に入れてみた。
一口齧ると、馥郁たる香りが口の中いっぱいに広がった。
「わ、何これ、おいしい!」
気がつくと、杏里は夢中で食べていた。
上質のミディアムのステーキを、更に濃縮したような味だった。
その濃厚な味には中毒性があるのか、一つ食べるともうやめられなくなってしまったのだ。
何もかも忘れて夢中で食べていると、いつのまにか席を外していた女が戻ってきて、声を立てて笑いながら言った。
「まあ、すごい食欲だこと」
「あ、すみません」
杏里は真っ赤になって手を休めた。
これではダイエットどころではないだろう。
このまま食べ続けたら、ますます太ってしまうではないか。
いや、というか、皿はすでに空になってしまっている。
「あの、質問、いいですか?」
照れ隠しに、訊いた。
「なあに?」
女が上品に首を傾げてみせる。
「さっき、零はあなたのこと、乳母って呼んでましたけど、あなたが彼女を育てたんですか?」
「そうですよ」
女がうなずいた。
「ここにいた子どもたちは、みな私がお世話しました」
が、そこでふいに悲しそうな口調になると、長い顔を伏せて言った。
「でも、その子どもたちも、零様しか、今はもう残っていないのですけれど」
「それ、どういうことです?」
女は答えなかった。
その代わりに、急に明るい声に戻ると、空になった皿を片付けながら、例のおっとりした口調で言った。
「そんなことより、お館様がお呼びです。急いで奥の間においでくださいませ」
これが、お館様…。
杏里はただ茫然と頭上を見上げ、心の中でつぶやいた。
四方を屏風で囲まれた奥の間。
その正面に、白装束に身を固めた女性が正座している。
驚くべきは、その首から上だった。
お館様の顔は、あの乳母にそっくりだ。
異様に縦に長いうりざね顔。
目と鼻はなく、おちょぼ口が顎のあたりについている。
違いはそのサイズである。
お館様の頭部は、度肝を抜かれるほど巨大だったのだ。
顎の先から頭のてっぺんまで、余裕で1メートルはありそうだ。
まさにキングサイズのオシラサマ。
そんな感じなのである。
が、あの乳母同様、やはり、怖いとは思わなかった。
目鼻のないところなど、外観は確かにあの外道に似ていないこともない。
しかし、醸し出す雰囲気がまるで違っていた。
親密感。
温かみ。
お館様の周囲には、光とぬくもりが満ちているようなのだ。
「零から聞いた。おぬしが杏里か。人魚の血を引く者よ」
絹を思わせる柔らかな声で、お館様がたずねた。
「は、はい」
杏里は畳に頭を擦りつけた。
人魚云々については、自分自身でも半信半疑である。
それより今は、自分が場違いなビキニ姿であることが、まず恥ずかしくてならなかった。
「こうべをあげよ」
「は、はあ」
言われた通り顔を上げると、眼のないお館様が、じっと杏里のほうを見下ろしていた。
「おぬしのおかげで、零の身体に染みついていた瘴気が薄れた。礼を言うぞ」
「は、はい」
「これからも末永く、その子を頼む。零はわれらの最後の希望。幸い、その子もおぬしのことを好いておるようじゃ。強いように見えても、零はまだひよっこに過ぎぬ。おぬしの力で、最後の最後まで、守ってやってほしい」
零が、ひよっこ?
私が、零を守る?
そんなことが、ありえるだろうか?
「今晩は、ふたりとも思う存分睦み合うがいい。愛情を確かめ合い、辛い明日に備えるのじゃ。すべてのものが拡大し、増殖することしか考えぬこの狂った世界では、おまえたち若い衆の、心の持ちようだけが、頼りなのだからな」
睦み合うって…まさか。
杏里がその意味に気づいて耳たぶまで朱に染めた時、隣に座っていた零がぎゅっと手を握ってきた。
その零の手も、いつもと違って、熱病に罹ったみたいに熱を持っていた。
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
無能な陰陽師
もちっぱち
ホラー
警視庁の詛呪対策本部に所属する無能な陰陽師と呼ばれる土御門迅はある仕事を任せられていた。
スマホ名前登録『鬼』の上司とともに
次々と起こる事件を解決していく物語
※とてもグロテスク表現入れております
お食事中や苦手な方はご遠慮ください
こちらの作品は、
実在する名前と人物とは
一切関係ありません
すべてフィクションとなっております。
※R指定※
表紙イラスト:名無死 様
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる