13 / 157
第1章 黄泉の国から来た少女
#12 杏里、おもむく
しおりを挟む
「こ、これ、光の加減か何か、ですよね?」
杏里の問いに、ヤチカがかぶりを振った。
「それはあり得ないと思うよ。見ての通り、ロビーはどちらかというと薄暗い。画面がハレーションを起こすような、強い光源が近くにあるとは思えない。つまり、これがこいつの素顔ってこと」
「そ、そんな…。これじゃ、まるで、のっぺらぼうじゃありませんか」
のっぺらぼうといえば、小泉八雲の怪談が有名だろう。
しかし、そんなものが現実に存在するなんて…。
「なんにせよ、こいつが犯人である可能性は高いと思うの。16時12分といえば、店の主人が被害者に様子伺いの電話を掛け終わった頃だよね。そして、16時30分ごろ、隣室の前で大学生カップルの痴話喧嘩が始まった。とすると、こいつがちょうどその空白の18分間に、被害者を訪問したとしてもおかしくないわ」
ヤチカの口調は、合同捜査会議の時のような真面目なものに戻っている。
新人の杏里をからかって楽しんでいるわけではないらしい。
「で、でも、見ず知らずの相手を、文代のような真面目な子が家の中に入れるでしょうか」
「こいつの格好を見て。何に見える?」
「セールスマンですかね。何かの勧誘の」
「でしょ? 顔を除けば、身なりはきちんとしてるし。押し売りじゃなければ、ドアを開けるくらいのことはするかもしれない」
「でも、のっぺらぼうですよ? お化けのセールスマンなんて、私なら絶対に…」
「画像を動かすから、よく見てなさい。ほら、映ってるのは短い間だけど、顔の表面で何か動いてるのが見えるでしょ?」
ほんとだ。
杏里は唾を呑み込んだ。
よく見ると、のっぺらぼうの顏の表面で、模様のようなものが蠢いている。
ちょうど、コーヒーにフレッシュを入れた時のような感じだった。
渦のような模様が、ゆっくりと顔の皮膚の上を回転しているのだ。
「これが。目や鼻や口になる…?」
「最後まで映ってないから断言はできないけど、可能性はあると思わない?」
「は、はあ…」
もしかして、これは零の領域かも。
ヤチカの話を聞きながら、杏里はふと思った。
ヤチカの言う通りだとすると、この犯人、とても人間とは思えない。
帰ったら、さっそく零に話してみよう。
守秘義務違反だけど、事件解決のためなら、きっとお天頭さまも許してくれるに違いない。
それにもう、ゆうべある程度しゃべっちゃったし…。
「入る時の画像があるのなら、マンションを出る時のもあるんじゃないですか? 殺害に要する時間が約1時間として、17時すぎくらいに」
「それがね」
ヤチカが綺麗に筆で描いた美しい眉を寄せ、顔をしかめた。
「ないんだな。出る時の映像が。この後ずっと丸2日分調べてみたけど、こいつが映ってるのは、これだけなのよ」
「え? どういうことですか?」
「1階の住居部分の通路は、片側を隣のマンションとの高い壁で囲まれてるから、そっちからは逃げられない。窓から往来に出ることは可能だけど、肝心の窓には内側から半月錠がかかっていた。もちろん窓ガラスをはずしたり割ったりした形跡もない。だから、正直よくわかんないのよね」
「玄関のドアにも内側から鍵がかかってたんですよね…」
「そうそう。でもまあそれは、例えば被害者の勤務中に、バッグから鍵を盗んで合鍵を作り、また元に戻しておくという手もあるから、大した問題じゃないんだけどね。だけど不思議なのは、玄関から部屋を出たのなら、このロビーを通らなければマンションを出られないってこと。現にほかの訪問者は、全部入るところと出るところがちゃんと記録されてるもの。片方しか映っていないのは、こののっぺらぼうだけ」
「もしかして…犯人はまだ、部屋にいるとか…?」
「それもあり得ない。押し入れからクローゼットの中、天井裏まですべて調べたから。第一8畳ひと間のワンルームマンションに、人が隠れる場所なんてあるはずないでしょ。まあ、一点、気になることがないわけでもないんだけど、でもいくらなんでもそれはねえ、って感じで」
「何ですか? その気になることって?」
「うーん、これはあくまで科捜研じゃなくて、あたし個人の疑問なんでさ、今はまだ伏せておくことにする。それより杏里ちゃん、これから一緒にデートしない?」
いきなりヤチカが話題を変えたので、杏里はぽかんと口を開けた。
「デ、デート?」
「そう。それとも、こんなおばさんとは嫌かしら?」
「そ、そんな、おばさんだなんて…ヤチカさんは十分若いし、美人でカッコいいです」
うろたえる杏里に、からかうようにヤチカが言った。
「ふふ、ありがと。あたし、バイセクシャルなんで、可愛い子やグラマーな子には目がないの。あなたなんか、好みにぴったりだな」
「か、からかわないでください」
耳たぶがカッと熱くなるのがわかった。
なにこれ? ひょっとして、私にもようやく、モテキが訪れたってこと?
「とにかく、まずニラさんに報告しなきゃなんないですから、ちょっと待ってください。今の話が本当だとすると、みんな見当違いのアリバイを追いかけてることになっちゃいます。17時半以降が犯行時刻だろうって、さっきの会議で決まったばかりで…」
「そんなことだろうと思った」
ヤチカが肩をすくめた。
「だから午前中にと思って、急いできてやったのに。あのオヤジ、ほんと、せっかちなんだから」
確かにそうだ。
韮崎の話では、科捜研からの報告は昼頃になるはずだった。
なのにまだ午前11時前である。
「いいわ。ニラさんにはあたしから連絡しておく。杏里ちゃんは準備をして、外の駐車場で待ってて。赤い車が私のよ。大丈夫。ニラさんの了承もちゃんととっといてあげるから」
スマホを取り出し、耳に当てるヤチカ。
杏里は肩をすくめ、言われた通り、外に出ることにした。
隣の二課の電話番に声をかけ、階段を下りる。
正面玄関を出てすぐ右手が、職員用駐車場だ。
「赤い車って…うそ、マジ?」
探すまでもなく、杏里は目を見開いて絶句した。
パトカーに交じって真っ赤なポルシェが停まっている。
しかも駐車スペース2台分にまたがる狼藉ぶりだ。
ほかに赤い車はない。
「さすが、ヤチカさん…」
杏里は呆然とつぶやいた。
杏里の問いに、ヤチカがかぶりを振った。
「それはあり得ないと思うよ。見ての通り、ロビーはどちらかというと薄暗い。画面がハレーションを起こすような、強い光源が近くにあるとは思えない。つまり、これがこいつの素顔ってこと」
「そ、そんな…。これじゃ、まるで、のっぺらぼうじゃありませんか」
のっぺらぼうといえば、小泉八雲の怪談が有名だろう。
しかし、そんなものが現実に存在するなんて…。
「なんにせよ、こいつが犯人である可能性は高いと思うの。16時12分といえば、店の主人が被害者に様子伺いの電話を掛け終わった頃だよね。そして、16時30分ごろ、隣室の前で大学生カップルの痴話喧嘩が始まった。とすると、こいつがちょうどその空白の18分間に、被害者を訪問したとしてもおかしくないわ」
ヤチカの口調は、合同捜査会議の時のような真面目なものに戻っている。
新人の杏里をからかって楽しんでいるわけではないらしい。
「で、でも、見ず知らずの相手を、文代のような真面目な子が家の中に入れるでしょうか」
「こいつの格好を見て。何に見える?」
「セールスマンですかね。何かの勧誘の」
「でしょ? 顔を除けば、身なりはきちんとしてるし。押し売りじゃなければ、ドアを開けるくらいのことはするかもしれない」
「でも、のっぺらぼうですよ? お化けのセールスマンなんて、私なら絶対に…」
「画像を動かすから、よく見てなさい。ほら、映ってるのは短い間だけど、顔の表面で何か動いてるのが見えるでしょ?」
ほんとだ。
杏里は唾を呑み込んだ。
よく見ると、のっぺらぼうの顏の表面で、模様のようなものが蠢いている。
ちょうど、コーヒーにフレッシュを入れた時のような感じだった。
渦のような模様が、ゆっくりと顔の皮膚の上を回転しているのだ。
「これが。目や鼻や口になる…?」
「最後まで映ってないから断言はできないけど、可能性はあると思わない?」
「は、はあ…」
もしかして、これは零の領域かも。
ヤチカの話を聞きながら、杏里はふと思った。
ヤチカの言う通りだとすると、この犯人、とても人間とは思えない。
帰ったら、さっそく零に話してみよう。
守秘義務違反だけど、事件解決のためなら、きっとお天頭さまも許してくれるに違いない。
それにもう、ゆうべある程度しゃべっちゃったし…。
「入る時の画像があるのなら、マンションを出る時のもあるんじゃないですか? 殺害に要する時間が約1時間として、17時すぎくらいに」
「それがね」
ヤチカが綺麗に筆で描いた美しい眉を寄せ、顔をしかめた。
「ないんだな。出る時の映像が。この後ずっと丸2日分調べてみたけど、こいつが映ってるのは、これだけなのよ」
「え? どういうことですか?」
「1階の住居部分の通路は、片側を隣のマンションとの高い壁で囲まれてるから、そっちからは逃げられない。窓から往来に出ることは可能だけど、肝心の窓には内側から半月錠がかかっていた。もちろん窓ガラスをはずしたり割ったりした形跡もない。だから、正直よくわかんないのよね」
「玄関のドアにも内側から鍵がかかってたんですよね…」
「そうそう。でもまあそれは、例えば被害者の勤務中に、バッグから鍵を盗んで合鍵を作り、また元に戻しておくという手もあるから、大した問題じゃないんだけどね。だけど不思議なのは、玄関から部屋を出たのなら、このロビーを通らなければマンションを出られないってこと。現にほかの訪問者は、全部入るところと出るところがちゃんと記録されてるもの。片方しか映っていないのは、こののっぺらぼうだけ」
「もしかして…犯人はまだ、部屋にいるとか…?」
「それもあり得ない。押し入れからクローゼットの中、天井裏まですべて調べたから。第一8畳ひと間のワンルームマンションに、人が隠れる場所なんてあるはずないでしょ。まあ、一点、気になることがないわけでもないんだけど、でもいくらなんでもそれはねえ、って感じで」
「何ですか? その気になることって?」
「うーん、これはあくまで科捜研じゃなくて、あたし個人の疑問なんでさ、今はまだ伏せておくことにする。それより杏里ちゃん、これから一緒にデートしない?」
いきなりヤチカが話題を変えたので、杏里はぽかんと口を開けた。
「デ、デート?」
「そう。それとも、こんなおばさんとは嫌かしら?」
「そ、そんな、おばさんだなんて…ヤチカさんは十分若いし、美人でカッコいいです」
うろたえる杏里に、からかうようにヤチカが言った。
「ふふ、ありがと。あたし、バイセクシャルなんで、可愛い子やグラマーな子には目がないの。あなたなんか、好みにぴったりだな」
「か、からかわないでください」
耳たぶがカッと熱くなるのがわかった。
なにこれ? ひょっとして、私にもようやく、モテキが訪れたってこと?
「とにかく、まずニラさんに報告しなきゃなんないですから、ちょっと待ってください。今の話が本当だとすると、みんな見当違いのアリバイを追いかけてることになっちゃいます。17時半以降が犯行時刻だろうって、さっきの会議で決まったばかりで…」
「そんなことだろうと思った」
ヤチカが肩をすくめた。
「だから午前中にと思って、急いできてやったのに。あのオヤジ、ほんと、せっかちなんだから」
確かにそうだ。
韮崎の話では、科捜研からの報告は昼頃になるはずだった。
なのにまだ午前11時前である。
「いいわ。ニラさんにはあたしから連絡しておく。杏里ちゃんは準備をして、外の駐車場で待ってて。赤い車が私のよ。大丈夫。ニラさんの了承もちゃんととっといてあげるから」
スマホを取り出し、耳に当てるヤチカ。
杏里は肩をすくめ、言われた通り、外に出ることにした。
隣の二課の電話番に声をかけ、階段を下りる。
正面玄関を出てすぐ右手が、職員用駐車場だ。
「赤い車って…うそ、マジ?」
探すまでもなく、杏里は目を見開いて絶句した。
パトカーに交じって真っ赤なポルシェが停まっている。
しかも駐車スペース2台分にまたがる狼藉ぶりだ。
ほかに赤い車はない。
「さすが、ヤチカさん…」
杏里は呆然とつぶやいた。
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
無能な陰陽師
もちっぱち
ホラー
警視庁の詛呪対策本部に所属する無能な陰陽師と呼ばれる土御門迅はある仕事を任せられていた。
スマホ名前登録『鬼』の上司とともに
次々と起こる事件を解決していく物語
※とてもグロテスク表現入れております
お食事中や苦手な方はご遠慮ください
こちらの作品は、
実在する名前と人物とは
一切関係ありません
すべてフィクションとなっております。
※R指定※
表紙イラスト:名無死 様
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる