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第6章 となりはだあれ?
#2 都市伝説①
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「ガイシャは安田邦彦、36歳、独身。名東区の自動車販売会社に勤めるサラリーマンです。事件発生時刻は今朝7時15分。現場は、地下鉄東山線3号車、星が丘駅の手前。死因は出血性ショック。周りの乗客たちによると、座席に座っていたガイシャが急に苦しみ出し、血だらけになって床に転げ落ちたそうです」
午後の刑事部捜査一課のフロア。
ガランとした室内に、三上の声が淡々と響いている。
エアコンが故障中のため、窓が開けてあるのだが、風はそよとも入ってこない。
6月17日月曜日。
梅雨の中休みのよく晴れた午後である。
「また地下鉄か」
煙草の煙を鯨の潮吹きのように吹き上げながら、韮崎が忌々しげにつぶやいた。
年末の事件を思い出しているのだろう。
あの不可解極まりない”ウロボロス事件”は、この照和署捜査一課の面々に深刻なトラウマを残していったのだ。
「あの時とは色々異なる点がありますね。まず、ガイシャは間違いなく地下鉄車内で殺されています。しかも、ある意味密室の、衆人環視の場で。しかも、死に方がなんとも…。検視医の話によると、安田邦彦の下半身は、シュレッダーにかけられたように、見るも無残な状態だったそうです」
「シュレッダー?」
大柄な高山が、その童顔にありありと恐怖の表情を浮かべて、部屋の隅を見た。
そこに捜査一課専用のシュレッダーが置いてあるのだ。
「いったいどんな凶器を使えばあんな殺し方ができるのかって、ヤチカ女史も首をかしげてましたよ」
陰惨な事件である。
にもかかわらず、一課の面々の顔にさほど緊迫感が見られないのは、事件の発生場所が、管轄外であるためだ。
これが連続殺人事件ともなると、近いうちに応援要請がかかる可能性も十分にあるが、今はまだ事件発生後まだ数時間ほどしか経っていないのだ。
杏里たちがこの不可思議な事件について知ったのは、別の案件で朝から本部に出掛けていた三上巡査部長に、つい先ほど聞かされたからである。
「また始まったみたいですよ」
梅雨入りしたせいなのか、ここ数日、平穏な日々が続いている。
そんなところに、本部から戻ってくるなり、三上がいきなりそう切り出したのだった。
特に緊急の案件もなく、珍しく全員そろってデスクワークの最中に、この爆弾発言だ。
高山にしろ野崎にしろ、事務仕事を大の苦手とする連中が嬉々として三上の話に飛びついたのは、もういうまでもない。
だが、血を見ると卒倒する高山は、早くも後悔し始めているようだ。
落ち着きなく貧乏ゆすりをしているのが、スチールデスクの振動で対面の杏里にはよくわかる。
「まあ、うちの管轄でなくて本当によかったぜ」
デスクの上に短い足を投げ出して、韮崎が言った。
定年が近いからか、韮崎の傍若無人ぶりにはこのところ特に磨きがかかっている。
この威張った格好も、昭和時代の無頼派刑事でも気取っているつもりなのかもしれない。
「でないとまた、笹原んとこのねーちゃんにお出まし願うことになっちまう」
そう言って、杏里のほうを一瞥した。
「零ですか? 零ならこの時期、あんまり外に出ませんよ。雨が大っ嫌いだから」
ブラウスの前を第2ボタンまではずし、パタパタと風を入れながら杏里は答えた。
「きょうは晴れてるじゃねーか。それに、どうせあと2週間もすりゃあ、梅雨明けだろ? 事件が拡大すれば、いずれお出まし願うことになるかもな」
零と韮崎は、前回の猟奇連続殺人事件で顔を合わせたばかりである。
いくつかの難事件を、曲がりなりにも解決できたのは、零のおかげ。
韮崎にも一応その認識はあるらしく、声に以前のような敵意や嫌悪感はこもっていなかった。
「でも、放っておいていいんですかね?」
この中では一番若い野崎が、長い前髪をかき上げて言った。
「いくら管轄外だっていっても、なんかとんでもなくやヴぁい事件じゃないかって気がするんですがね」
「しばらくは様子をみるしかないだろ? 事件発生現場からして、千種署と名東署の手柄の取り合いになるだろう。そんな面倒くせえとこに、管轄外の俺らがのこのこ出て行けるかってんだ。余計ことを荒立てちまうじゃねーか。それより、やヴぁいのは、おまえの頭だろ? なんだ、そのむさくるしい髪の毛は? とっとと床屋行ってこいってんだよ!」
「はあ、いや、でも」
韮崎に機関銃よろしくまくしたてられ、野崎がシュンとする。
だが、杏里も野崎と同意見だった。
衆人環視の満員電車の中。
下半身をシュレッダーにかけられたように血まみれにして、突然息絶えたサラリーマン。
こんなの、事故や自殺ではありえない。
でも、殺人だとすると、なんて奇妙な殺され方だろう。
有り得ない出来事が、また起こったのだ。
三上の第一声、「また始まったみたいですよ」は、そういうことだったのだ。
「あの、ニラさん」
杏里はさっと手を挙げた。
「なんだ、笹原。もう昼飯か」
韮崎が鼻で笑った。
「じゃなくて、現場、見に行ってくるくらいならいいですか?」
「はあ? 何言ってんだおまえ? 話、聞いてなかったのかよ」
「捜査員としてではなく、通りすがりの乗客としてです。私、囮捜査官ですから、そういうの得意だし」
「馬鹿言ってんじゃねえ。そんな寝言ほざいてる暇があったらな、とっとと書類の山、片づけろってんだ」
韮崎が憮然とした顔でたしなめたときである。
三上がすかさず口をはさんだ。
「あ、でも、それ名案かもしれませんね。杏里ちゃん、この手の事件に鼻が利くから。それは、ニラさんもよくわかってるじゃないですか」
午後の刑事部捜査一課のフロア。
ガランとした室内に、三上の声が淡々と響いている。
エアコンが故障中のため、窓が開けてあるのだが、風はそよとも入ってこない。
6月17日月曜日。
梅雨の中休みのよく晴れた午後である。
「また地下鉄か」
煙草の煙を鯨の潮吹きのように吹き上げながら、韮崎が忌々しげにつぶやいた。
年末の事件を思い出しているのだろう。
あの不可解極まりない”ウロボロス事件”は、この照和署捜査一課の面々に深刻なトラウマを残していったのだ。
「あの時とは色々異なる点がありますね。まず、ガイシャは間違いなく地下鉄車内で殺されています。しかも、ある意味密室の、衆人環視の場で。しかも、死に方がなんとも…。検視医の話によると、安田邦彦の下半身は、シュレッダーにかけられたように、見るも無残な状態だったそうです」
「シュレッダー?」
大柄な高山が、その童顔にありありと恐怖の表情を浮かべて、部屋の隅を見た。
そこに捜査一課専用のシュレッダーが置いてあるのだ。
「いったいどんな凶器を使えばあんな殺し方ができるのかって、ヤチカ女史も首をかしげてましたよ」
陰惨な事件である。
にもかかわらず、一課の面々の顔にさほど緊迫感が見られないのは、事件の発生場所が、管轄外であるためだ。
これが連続殺人事件ともなると、近いうちに応援要請がかかる可能性も十分にあるが、今はまだ事件発生後まだ数時間ほどしか経っていないのだ。
杏里たちがこの不可思議な事件について知ったのは、別の案件で朝から本部に出掛けていた三上巡査部長に、つい先ほど聞かされたからである。
「また始まったみたいですよ」
梅雨入りしたせいなのか、ここ数日、平穏な日々が続いている。
そんなところに、本部から戻ってくるなり、三上がいきなりそう切り出したのだった。
特に緊急の案件もなく、珍しく全員そろってデスクワークの最中に、この爆弾発言だ。
高山にしろ野崎にしろ、事務仕事を大の苦手とする連中が嬉々として三上の話に飛びついたのは、もういうまでもない。
だが、血を見ると卒倒する高山は、早くも後悔し始めているようだ。
落ち着きなく貧乏ゆすりをしているのが、スチールデスクの振動で対面の杏里にはよくわかる。
「まあ、うちの管轄でなくて本当によかったぜ」
デスクの上に短い足を投げ出して、韮崎が言った。
定年が近いからか、韮崎の傍若無人ぶりにはこのところ特に磨きがかかっている。
この威張った格好も、昭和時代の無頼派刑事でも気取っているつもりなのかもしれない。
「でないとまた、笹原んとこのねーちゃんにお出まし願うことになっちまう」
そう言って、杏里のほうを一瞥した。
「零ですか? 零ならこの時期、あんまり外に出ませんよ。雨が大っ嫌いだから」
ブラウスの前を第2ボタンまではずし、パタパタと風を入れながら杏里は答えた。
「きょうは晴れてるじゃねーか。それに、どうせあと2週間もすりゃあ、梅雨明けだろ? 事件が拡大すれば、いずれお出まし願うことになるかもな」
零と韮崎は、前回の猟奇連続殺人事件で顔を合わせたばかりである。
いくつかの難事件を、曲がりなりにも解決できたのは、零のおかげ。
韮崎にも一応その認識はあるらしく、声に以前のような敵意や嫌悪感はこもっていなかった。
「でも、放っておいていいんですかね?」
この中では一番若い野崎が、長い前髪をかき上げて言った。
「いくら管轄外だっていっても、なんかとんでもなくやヴぁい事件じゃないかって気がするんですがね」
「しばらくは様子をみるしかないだろ? 事件発生現場からして、千種署と名東署の手柄の取り合いになるだろう。そんな面倒くせえとこに、管轄外の俺らがのこのこ出て行けるかってんだ。余計ことを荒立てちまうじゃねーか。それより、やヴぁいのは、おまえの頭だろ? なんだ、そのむさくるしい髪の毛は? とっとと床屋行ってこいってんだよ!」
「はあ、いや、でも」
韮崎に機関銃よろしくまくしたてられ、野崎がシュンとする。
だが、杏里も野崎と同意見だった。
衆人環視の満員電車の中。
下半身をシュレッダーにかけられたように血まみれにして、突然息絶えたサラリーマン。
こんなの、事故や自殺ではありえない。
でも、殺人だとすると、なんて奇妙な殺され方だろう。
有り得ない出来事が、また起こったのだ。
三上の第一声、「また始まったみたいですよ」は、そういうことだったのだ。
「あの、ニラさん」
杏里はさっと手を挙げた。
「なんだ、笹原。もう昼飯か」
韮崎が鼻で笑った。
「じゃなくて、現場、見に行ってくるくらいならいいですか?」
「はあ? 何言ってんだおまえ? 話、聞いてなかったのかよ」
「捜査員としてではなく、通りすがりの乗客としてです。私、囮捜査官ですから、そういうの得意だし」
「馬鹿言ってんじゃねえ。そんな寝言ほざいてる暇があったらな、とっとと書類の山、片づけろってんだ」
韮崎が憮然とした顔でたしなめたときである。
三上がすかさず口をはさんだ。
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