129 / 157
第5章 百合はまだ世界を知らない
#42 結末②
しおりを挟む
「私たちが人類の未来を潰したって…それ、どういうことですか?」
木陰に立ち尽くす摩耶のほうに一歩足を踏み出して、杏里はたずねた。
摩耶が不審な動きをしたら、すぐに手錠を取り出せるように、右手はバッグの口にかかっている。
でも、と思う。
この人は、果たして犯人といえるのだろうか。
実行犯が死体となってそこに転がっているその異形の生き物だとしたら、摩耶はその黒幕ということになる。
けど、それを実証する物的証拠は?
摩耶はただ単に移植手術を実行しただけ。
あとは心臓が勝手にやったこと。
そう言い逃れることも、十分可能である。
今夜ここにいたことも、ただ偶然通りかかっただけ。
そんなふうにシラを切ればいいのだ。
が、摩耶はそんな常識的な逃げを打つ気はさらさらないようだった。
「あなた、前に、グノーシスの教義をどう思うか、私に訊いたわよね。いいわ、教えてあげる。中世南フランスで発祥し、ヨーロッパからアジアにかけて伝わったあの教えは、正真正銘、真実なの。キリスト教だけでなく、ほかの多くの宗教もその流れを取り入れた事実が、そのことを立証してるわ。いい? 今私たちが生きているこの世界は、絶対悪によってつくられたものなのよ。あなたも疑問に思ったことがあるはずよ。何千年、何百年経ってもよくならない世界。殺し合い、憎み合いのなくならない世界。こんな世界、根本的に間違ってるんじゃないかって」
摩耶の狂気をはらんだまなざしが、杏里に突き刺さる。
とうとう本性を現した。
杏里は虚しさとともにそう思った。
あの時はうまくはぐらかされたけど、この人、狂信的な信者だったのだ。
何って、そう…。
「語り衆、ですか。中世異端のカタリ派の流れを汲む、隠れキリシタン」
「名前はこの際意味ないわ。何派だろうと、何衆だろうと、関係ない。重要なのはね、父こそが、この世界を救う鍵だったんだってこと。アストラル界から遣わされた聖なる処女、ソフィアの血を引く者、それが父だった。だから私は父をよみがえらせなければならなかった。幸い、心臓だけは生きてたから、それを使って何度でも…」
「ソフィアか。世界を浄化するために、神から遣わされたものの、悪の手に落ちて凌辱され、調教された挙句、記憶を失った聖処女ソフィア。グノーシスの二元論の中核を成す思想だが、そのソフィアの子孫がこの国にいて、それが栗栖重人だと、おまえはそう言いたいわけか」
冷ややかな口調で、零が言った。
「ばかばかしいにもほどがある、と言いたいところだが、そこにそいつが転がっている以上、むげに否定はできないな。栗栖重人は不死者だった。だから心臓だけにされても生きていた。それは認めよう。だが、ひとつだけ聞きたいことがある。おまえの父親が永遠の生命の持ち主だったなら、なぜ死んだ? 1年前に、何があったんだ?」
これは、ここへ来るまでの車の中でも零が口にしていた疑問である。
確かにそうだ。
今になって、杏里も思う。
そもそも重人は、どうして心臓だけになってしまったのだろう?
木陰に立ち尽くす摩耶のほうに一歩足を踏み出して、杏里はたずねた。
摩耶が不審な動きをしたら、すぐに手錠を取り出せるように、右手はバッグの口にかかっている。
でも、と思う。
この人は、果たして犯人といえるのだろうか。
実行犯が死体となってそこに転がっているその異形の生き物だとしたら、摩耶はその黒幕ということになる。
けど、それを実証する物的証拠は?
摩耶はただ単に移植手術を実行しただけ。
あとは心臓が勝手にやったこと。
そう言い逃れることも、十分可能である。
今夜ここにいたことも、ただ偶然通りかかっただけ。
そんなふうにシラを切ればいいのだ。
が、摩耶はそんな常識的な逃げを打つ気はさらさらないようだった。
「あなた、前に、グノーシスの教義をどう思うか、私に訊いたわよね。いいわ、教えてあげる。中世南フランスで発祥し、ヨーロッパからアジアにかけて伝わったあの教えは、正真正銘、真実なの。キリスト教だけでなく、ほかの多くの宗教もその流れを取り入れた事実が、そのことを立証してるわ。いい? 今私たちが生きているこの世界は、絶対悪によってつくられたものなのよ。あなたも疑問に思ったことがあるはずよ。何千年、何百年経ってもよくならない世界。殺し合い、憎み合いのなくならない世界。こんな世界、根本的に間違ってるんじゃないかって」
摩耶の狂気をはらんだまなざしが、杏里に突き刺さる。
とうとう本性を現した。
杏里は虚しさとともにそう思った。
あの時はうまくはぐらかされたけど、この人、狂信的な信者だったのだ。
何って、そう…。
「語り衆、ですか。中世異端のカタリ派の流れを汲む、隠れキリシタン」
「名前はこの際意味ないわ。何派だろうと、何衆だろうと、関係ない。重要なのはね、父こそが、この世界を救う鍵だったんだってこと。アストラル界から遣わされた聖なる処女、ソフィアの血を引く者、それが父だった。だから私は父をよみがえらせなければならなかった。幸い、心臓だけは生きてたから、それを使って何度でも…」
「ソフィアか。世界を浄化するために、神から遣わされたものの、悪の手に落ちて凌辱され、調教された挙句、記憶を失った聖処女ソフィア。グノーシスの二元論の中核を成す思想だが、そのソフィアの子孫がこの国にいて、それが栗栖重人だと、おまえはそう言いたいわけか」
冷ややかな口調で、零が言った。
「ばかばかしいにもほどがある、と言いたいところだが、そこにそいつが転がっている以上、むげに否定はできないな。栗栖重人は不死者だった。だから心臓だけにされても生きていた。それは認めよう。だが、ひとつだけ聞きたいことがある。おまえの父親が永遠の生命の持ち主だったなら、なぜ死んだ? 1年前に、何があったんだ?」
これは、ここへ来るまでの車の中でも零が口にしていた疑問である。
確かにそうだ。
今になって、杏里も思う。
そもそも重人は、どうして心臓だけになってしまったのだろう?
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
無能な陰陽師
もちっぱち
ホラー
警視庁の詛呪対策本部に所属する無能な陰陽師と呼ばれる土御門迅はある仕事を任せられていた。
スマホ名前登録『鬼』の上司とともに
次々と起こる事件を解決していく物語
※とてもグロテスク表現入れております
お食事中や苦手な方はご遠慮ください
こちらの作品は、
実在する名前と人物とは
一切関係ありません
すべてフィクションとなっております。
※R指定※
表紙イラスト:名無死 様
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる