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第5章 百合はまだ世界を知らない
#41 結末①
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モウは犬だかクマだかの形にもどり、零の素足の足元に大人しくお座りしている。
零の着物の百目文様は、今は全部眼を閉じて、元の木の葉の図柄に戻っていた。
モウったら…。
姿が見えないと思っていたら、まさか零の袖の中に収納されてただなんて。
今となっては、驚くより呆れるほかはない。
風が雲を押しやり、葉を生い茂らせた梢の隙間から、煌々と輝く満月が顔を出した。
その月光に照らし出されて絶命しているもの…。
その異形の姿に、杏里は視線を戻した。
「これ…何なの?」
そう口にしてから、
さっきからこのセリフばっかりだ。
ふとそんなことを思った。
私ったら、何度同じ言葉を繰り返してるんだろう。
「わからないか?」
ようやく零は答える気になったようだ。
顔にかかった長い髪を指先で漉き上げ、真紅の瞳孔で真正面から杏里を見た。
「栗栖重人の心臓だよ」
膝のあたりまで来ているモウの頭を撫でながら、当たり前のような口調でそう言った。
「心臓…?」
杏里は目をしばたたき、もう一度地面のそれを注視した。
なるほど。
言われてみれば、その肉の塊は、いびつなハート形をしていて、大きさといいフォルムといい、これまで杏里が検視の際に見てきた被害者たちの心臓にそっくりである。
4本の触手のように見えるのは、心臓の4つの部屋から生えている動脈と静脈だったというわけか。
「この女は、亡き父の形見であるこの心臓を、自分の患者に移植してたんだ。だが、何らかの手違いから、心臓が暴走してしまった。倉田静香の内臓を食べたのも、宮原愛花の内臓を食い尽くしたのも、この生きた心臓だったというわけさ。見ての通り、このサイズだ。トイレやシンクの排水口から外に出ることくらい、朝飯前だったんじゃないかな」
「生きた、心臓…?」
杏里はあっけにとられた。
今度の事件の犯人は、ふたりの被害者の体内に宿った寄生虫のようなものではないか。
杏里自身、紆余曲折の末、そんな荒唐無稽な推理にたどりついてはいた。
そして、その寄生虫の正体は、てっきり外道の一種だろうと予測していたのだが…。
まさか、犯人が、移植された心臓そのものだったとは…。
それとも、これは心臓に擬態した外道なのだろうか。
あの人食い家具やウロボロスと同じように…。
モウの歯型の残ったその肉塊は、もう動かない。
半ばふたつにちぎれかけ、破損した傷口からだらだらと鮮血を垂れ流している。
歪んだ口から覗く乱杭歯、飛び出した眼球。
これがただの心臓でないことは、陽を見るより明らかだ。
「言っただろう? 重人は人魚の里の出身だって。杏里、おまえと同様、彼も不死者のひとりだったんだよ」
不死者…。
杏里はそのひと言に身震いした。
自分が特異体質であることは、物心ついた時から知っている。
怪我をしても、医者にかかる必要はない。
放っておけば、数分で治ってしまうからだ。
零は杏里をからかって、
「わたしの人魚姫」
よくそんな言い方をする。
でも、不死だなんて…。
正直、そんなふうに思ったことは、一度もない。
だったら、ひょっとして、私の心臓も…。
零はそう言いたいのだろうか。
でも、そんなこと、ありえない。
あっていいはずがない…。
それでは、私まで、化け物の仲間ということになってしまう。
無意識のうちに、嫌な想像を振り払うかのように、激しくかぶりを振っていた。
自分のことなど、どうでもいい。
とにかく今は、真相解明が先だろう。
「でも、たとえそれが本当だとしても、どうしてそんなことを…。死んだ父の心臓を、自分の患者に移植するなんて…」
言いかけた杏里を、零が遮った。
「そいつは、そこにいる本人に直接訊いてみるんだな。まあ、だいたいの予想はついてるけどさ」
「あ…そうだね」
摩耶は、木立のつくる闇の中に、凍りついたように佇んでいる。
杏里が口を開く前に、眼だけを異様に光らせ、押し殺した声でその摩耶が言った。
「あなたたち、自分が何をしたかわかってるの? あなたたちは、たった今、その手で人類の未来を潰してしまったのよ!」
零の着物の百目文様は、今は全部眼を閉じて、元の木の葉の図柄に戻っていた。
モウったら…。
姿が見えないと思っていたら、まさか零の袖の中に収納されてただなんて。
今となっては、驚くより呆れるほかはない。
風が雲を押しやり、葉を生い茂らせた梢の隙間から、煌々と輝く満月が顔を出した。
その月光に照らし出されて絶命しているもの…。
その異形の姿に、杏里は視線を戻した。
「これ…何なの?」
そう口にしてから、
さっきからこのセリフばっかりだ。
ふとそんなことを思った。
私ったら、何度同じ言葉を繰り返してるんだろう。
「わからないか?」
ようやく零は答える気になったようだ。
顔にかかった長い髪を指先で漉き上げ、真紅の瞳孔で真正面から杏里を見た。
「栗栖重人の心臓だよ」
膝のあたりまで来ているモウの頭を撫でながら、当たり前のような口調でそう言った。
「心臓…?」
杏里は目をしばたたき、もう一度地面のそれを注視した。
なるほど。
言われてみれば、その肉の塊は、いびつなハート形をしていて、大きさといいフォルムといい、これまで杏里が検視の際に見てきた被害者たちの心臓にそっくりである。
4本の触手のように見えるのは、心臓の4つの部屋から生えている動脈と静脈だったというわけか。
「この女は、亡き父の形見であるこの心臓を、自分の患者に移植してたんだ。だが、何らかの手違いから、心臓が暴走してしまった。倉田静香の内臓を食べたのも、宮原愛花の内臓を食い尽くしたのも、この生きた心臓だったというわけさ。見ての通り、このサイズだ。トイレやシンクの排水口から外に出ることくらい、朝飯前だったんじゃないかな」
「生きた、心臓…?」
杏里はあっけにとられた。
今度の事件の犯人は、ふたりの被害者の体内に宿った寄生虫のようなものではないか。
杏里自身、紆余曲折の末、そんな荒唐無稽な推理にたどりついてはいた。
そして、その寄生虫の正体は、てっきり外道の一種だろうと予測していたのだが…。
まさか、犯人が、移植された心臓そのものだったとは…。
それとも、これは心臓に擬態した外道なのだろうか。
あの人食い家具やウロボロスと同じように…。
モウの歯型の残ったその肉塊は、もう動かない。
半ばふたつにちぎれかけ、破損した傷口からだらだらと鮮血を垂れ流している。
歪んだ口から覗く乱杭歯、飛び出した眼球。
これがただの心臓でないことは、陽を見るより明らかだ。
「言っただろう? 重人は人魚の里の出身だって。杏里、おまえと同様、彼も不死者のひとりだったんだよ」
不死者…。
杏里はそのひと言に身震いした。
自分が特異体質であることは、物心ついた時から知っている。
怪我をしても、医者にかかる必要はない。
放っておけば、数分で治ってしまうからだ。
零は杏里をからかって、
「わたしの人魚姫」
よくそんな言い方をする。
でも、不死だなんて…。
正直、そんなふうに思ったことは、一度もない。
だったら、ひょっとして、私の心臓も…。
零はそう言いたいのだろうか。
でも、そんなこと、ありえない。
あっていいはずがない…。
それでは、私まで、化け物の仲間ということになってしまう。
無意識のうちに、嫌な想像を振り払うかのように、激しくかぶりを振っていた。
自分のことなど、どうでもいい。
とにかく今は、真相解明が先だろう。
「でも、たとえそれが本当だとしても、どうしてそんなことを…。死んだ父の心臓を、自分の患者に移植するなんて…」
言いかけた杏里を、零が遮った。
「そいつは、そこにいる本人に直接訊いてみるんだな。まあ、だいたいの予想はついてるけどさ」
「あ…そうだね」
摩耶は、木立のつくる闇の中に、凍りついたように佇んでいる。
杏里が口を開く前に、眼だけを異様に光らせ、押し殺した声でその摩耶が言った。
「あなたたち、自分が何をしたかわかってるの? あなたたちは、たった今、その手で人類の未来を潰してしまったのよ!」
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