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第5章 百合はまだ世界を知らない
#38 対決④
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港へ向かう幹線道路に車を乗り入れると、大型トラックやコンテナ車の数が増えてきた。
港の工場地帯から引き揚げてくる車両が、ヘッドライトをぎらつかせながら反対車線を爆走していく。
軽自動車の貧弱な板金だけが頼りの杏里は、さながら野獣の群れに逆らって走る兎にでもなった気分だった。
現場まであと30分くらいだろうか。
早く車の運転から解放されたいと思う。
こんな気分のまま、夜の工業道路をドライブするなんて、我ながら自殺行為としか思えない。
「でも、そんなこと言ったって、T郡が人魚の里だなんて、しょせん言い伝えに過ぎないんでしょ? 栗栖重人が、その、人魚の子孫だなんて証拠は、どこにもないんじゃない?」
両手でハンドルにしがみつきながら、杏里は言い返した。
人魚の存在自体を否定する気はない。
厳密に言えば正体不明だが、それらしきものは確かに存在する。
拳銃で撃たれても、刃物で刺されても死なない刑事。
杏里自身がそうなのだから。
「まあね。けど、わたしは何も、インターネットで拾ったデマを信じてるわけじゃない。お館さまの蔵書にあった郷土史の記述をもとにしゃべってるんだ。そもそも、海を渡ってきたカタリ派が、隠遁先にどうしてT郡を選んだのか…。それは、そこに彼らの求めるものがあったからじゃないかと思うのさ」
「彼らの求めるもの…?」
「イデア界から降臨し、悪に取り込まれて記憶をなくした”純粋者”…この世に光を取り戻すカギとなる聖処女、ソフィア」
「零の話は唐突すぎてわけがわかんないよ。それが今度の事件に、何の関係があるの? これは現実で、神話や聖書の中の話じゃないんだよ」
「すまない。ちょっと先走ったか」
ヘッドライトの光芒の中で、零が苦笑した。
「とにかく、これだけは覚えておいてくれ。栗栖重人は、その特異体質を利用して、数々の奇跡を起こして信者を集めた。ところが、何者かが彼を殺した。そしてさらに言えば、杏里、おまえの故郷だったかもしれない三重県のT郡、人魚の里も今はない」
「ない…?」
「10年前の9月。超大型台風があのあたりを直撃した。その嵐の最中、暴風雨に紛れて何者かが村人たちを惨殺し、一夜にして村は壊滅したそうだ。あまりの異様な出来事に、報道管制が敷かれ、村人たちの死は台風による津波のせいとされた。思うんだが、杏里、おまえはその時の生き残りじゃないのかな」
「…え?」
杏里は絶句した。
危うく急ブレーキを踏みそうになり、あわてて左足をブレーキペダルから放した。
幹線道路の降り口が見えてきている。
目的地まであと少し。
「おまえの見る夢…それはきっと、その最後の夜の記憶なんだろう」
港の工場地帯から引き揚げてくる車両が、ヘッドライトをぎらつかせながら反対車線を爆走していく。
軽自動車の貧弱な板金だけが頼りの杏里は、さながら野獣の群れに逆らって走る兎にでもなった気分だった。
現場まであと30分くらいだろうか。
早く車の運転から解放されたいと思う。
こんな気分のまま、夜の工業道路をドライブするなんて、我ながら自殺行為としか思えない。
「でも、そんなこと言ったって、T郡が人魚の里だなんて、しょせん言い伝えに過ぎないんでしょ? 栗栖重人が、その、人魚の子孫だなんて証拠は、どこにもないんじゃない?」
両手でハンドルにしがみつきながら、杏里は言い返した。
人魚の存在自体を否定する気はない。
厳密に言えば正体不明だが、それらしきものは確かに存在する。
拳銃で撃たれても、刃物で刺されても死なない刑事。
杏里自身がそうなのだから。
「まあね。けど、わたしは何も、インターネットで拾ったデマを信じてるわけじゃない。お館さまの蔵書にあった郷土史の記述をもとにしゃべってるんだ。そもそも、海を渡ってきたカタリ派が、隠遁先にどうしてT郡を選んだのか…。それは、そこに彼らの求めるものがあったからじゃないかと思うのさ」
「彼らの求めるもの…?」
「イデア界から降臨し、悪に取り込まれて記憶をなくした”純粋者”…この世に光を取り戻すカギとなる聖処女、ソフィア」
「零の話は唐突すぎてわけがわかんないよ。それが今度の事件に、何の関係があるの? これは現実で、神話や聖書の中の話じゃないんだよ」
「すまない。ちょっと先走ったか」
ヘッドライトの光芒の中で、零が苦笑した。
「とにかく、これだけは覚えておいてくれ。栗栖重人は、その特異体質を利用して、数々の奇跡を起こして信者を集めた。ところが、何者かが彼を殺した。そしてさらに言えば、杏里、おまえの故郷だったかもしれない三重県のT郡、人魚の里も今はない」
「ない…?」
「10年前の9月。超大型台風があのあたりを直撃した。その嵐の最中、暴風雨に紛れて何者かが村人たちを惨殺し、一夜にして村は壊滅したそうだ。あまりの異様な出来事に、報道管制が敷かれ、村人たちの死は台風による津波のせいとされた。思うんだが、杏里、おまえはその時の生き残りじゃないのかな」
「…え?」
杏里は絶句した。
危うく急ブレーキを踏みそうになり、あわてて左足をブレーキペダルから放した。
幹線道路の降り口が見えてきている。
目的地まであと少し。
「おまえの見る夢…それはきっと、その最後の夜の記憶なんだろう」
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