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#2 詩帆①
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田んぼの間の砂利道をたどっていくと、竹の高いトウモロコシに囲まれた平屋建ての家が見えてきた。
残暑が厳しいせいか、9月だというのに、今年はまだトウモロコシが実り、その間に向日葵までが花を咲かせているようだ。
トウモロコシの生垣を回り込むと、そこは広い前庭になっていて、濡れ縁には正座した祖母の姿があった。
前かがみになり、一心にざるの中のえんどう豆のさやを剥いている。
「ただいま」
声をかけたけど、祖母はちらと目を上げただけだった。
いつものことだ。
祖母はしゃべらない。
少なくとも、ここで暮らした18年間、僕は祖母の声を聞いたことがない。
「兄さんは?」
コッコッコと声がするのは鶏小屋。
井戸にはつるべが下がり、その向こうが納屋とトイレになっている。
「敬一郎なら工場だよ。こんな時間に帰ってるわけないだろ」
兄の名を聞いて、不機嫌そうに見晴が言った。
「だよな」
僕は肩をすくめた。
「見晴。おまえだけだよ。俺の帰りを心待ちにしてくれるのは」
兄は死んだ父から受け継いだ製材所の工場長兼経営者だ。
このご時世、第一次産業の中でも、林業というのはさらに厳しい。
若い頃から休みなしに働く兄が、僕は少しかわいそうになる。
「トウモロコシ、もいどかなくていいのか? 鴉にねこそぎ食われちまうぞ」
電線に止まった黒い不気味な鳥の群れ。
このあたりにまでかなりの数が出張ってきているみたいでいまいましい。
そういえば。
懐かしい実家の景色を堪能しながら、僕は思う。
うちの田んぼには案山子がない。
うちで案山子を見たのは、あれはいつのことだったろう。
ずいぶん昔のことだったような気がする。
「あたしにやれっていうのかよ」
見晴が怒った目で僕を見上げた。
「鶏の世話も、何もかも」
「そんなことは言ってない」
僕はうろたえて視線を母屋のほうにさ迷わせた。
詩帆さんがいるだろう?
そう言いたかったが、たったそれだけの言葉が、なぜだか喉に引っかかって出てこない。
家の周囲の田んぼは人に貸し出しているから、人手の少ない朝倉家が世話をする必要はない。
ただ、家の中の雑用をこなすのは兄嫁の詩帆さんの仕事である。
少なくとも、僕の居た3年前はそうだった。
「義姉さんなら、奥にいるけど。最近、あんまり部屋から出てこない」
黙っていると、見晴のほうからその話題に触れてきた。
「どうして?」
玄関の三和木で靴を脱ぎかけていた僕は、驚いて先に上がった見晴を見上げた。
「よくわかんない。でも、やばいみたい」
勝気そうな見晴の顔が、泣き出しそうに歪んだ。
「やばい? 何が?」
「色々と」
ぷいと顔を背けて、どたどたと足音荒く部屋に入っていく見晴。
「おい、待てよ」
手を伸ばした時だった。
ふいに外からけたたましい笑い声が沸き起こり、僕はぎくりとなった。
続いて、翼が空気を叩く激しい音。
なんだ、鴉か。
思わず舌打ちをした。
そんなものに少しでも怯えた自分が、腹立たしくてならなかったのだ。
残暑が厳しいせいか、9月だというのに、今年はまだトウモロコシが実り、その間に向日葵までが花を咲かせているようだ。
トウモロコシの生垣を回り込むと、そこは広い前庭になっていて、濡れ縁には正座した祖母の姿があった。
前かがみになり、一心にざるの中のえんどう豆のさやを剥いている。
「ただいま」
声をかけたけど、祖母はちらと目を上げただけだった。
いつものことだ。
祖母はしゃべらない。
少なくとも、ここで暮らした18年間、僕は祖母の声を聞いたことがない。
「兄さんは?」
コッコッコと声がするのは鶏小屋。
井戸にはつるべが下がり、その向こうが納屋とトイレになっている。
「敬一郎なら工場だよ。こんな時間に帰ってるわけないだろ」
兄の名を聞いて、不機嫌そうに見晴が言った。
「だよな」
僕は肩をすくめた。
「見晴。おまえだけだよ。俺の帰りを心待ちにしてくれるのは」
兄は死んだ父から受け継いだ製材所の工場長兼経営者だ。
このご時世、第一次産業の中でも、林業というのはさらに厳しい。
若い頃から休みなしに働く兄が、僕は少しかわいそうになる。
「トウモロコシ、もいどかなくていいのか? 鴉にねこそぎ食われちまうぞ」
電線に止まった黒い不気味な鳥の群れ。
このあたりにまでかなりの数が出張ってきているみたいでいまいましい。
そういえば。
懐かしい実家の景色を堪能しながら、僕は思う。
うちの田んぼには案山子がない。
うちで案山子を見たのは、あれはいつのことだったろう。
ずいぶん昔のことだったような気がする。
「あたしにやれっていうのかよ」
見晴が怒った目で僕を見上げた。
「鶏の世話も、何もかも」
「そんなことは言ってない」
僕はうろたえて視線を母屋のほうにさ迷わせた。
詩帆さんがいるだろう?
そう言いたかったが、たったそれだけの言葉が、なぜだか喉に引っかかって出てこない。
家の周囲の田んぼは人に貸し出しているから、人手の少ない朝倉家が世話をする必要はない。
ただ、家の中の雑用をこなすのは兄嫁の詩帆さんの仕事である。
少なくとも、僕の居た3年前はそうだった。
「義姉さんなら、奥にいるけど。最近、あんまり部屋から出てこない」
黙っていると、見晴のほうからその話題に触れてきた。
「どうして?」
玄関の三和木で靴を脱ぎかけていた僕は、驚いて先に上がった見晴を見上げた。
「よくわかんない。でも、やばいみたい」
勝気そうな見晴の顔が、泣き出しそうに歪んだ。
「やばい? 何が?」
「色々と」
ぷいと顔を背けて、どたどたと足音荒く部屋に入っていく見晴。
「おい、待てよ」
手を伸ばした時だった。
ふいに外からけたたましい笑い声が沸き起こり、僕はぎくりとなった。
続いて、翼が空気を叩く激しい音。
なんだ、鴉か。
思わず舌打ちをした。
そんなものに少しでも怯えた自分が、腹立たしくてならなかったのだ。
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