2 / 10
#1 美晴
しおりを挟む
よっこらせ。
そうつぶやいて腰を上げたのは、真っ赤なTシャツの上にレモンイエローのパーカーを羽織った、ある意味健康的な印象の少女である。
朝倉美晴16歳。4つ下の僕の妹だ。
ちなみに僕の名は朝倉悟。隣県のN市の大学に、ボロアパートでひとり暮らしをしながら通っている。
中学や高校と違い、大学の夏休みは長く、9月も2週目にならないと授業が始まらない。
その最後の1週間を実家で過ごそうと帰省してきた僕を妹が迎えに来たとまあ、そんな構図なのだったが…。
「鴉が多すぎるんだよ。この村は」
水田地帯に目をやって、いまいましげに美晴がつぶやく。
なるほど田んぼの上を走る送電線には、仔猫ほどもある鴉が無数にとまっていて、ぎゃあぎゃあと盛んに鳴きわめいている。
「あたしも早く出ていきたいよ。サトルばっかりずるいじゃないかよ」
「まあ、そう言うな」
僕は苦笑して、詰め寄ってきた美晴の胸に土産のチョコレート詰め合わせの箱を押しつけた。
少し見ないうちに美晴の胸はずいぶんと立派に成長していて、箱を押し返す弾力はなかなかのものだった。
そういえば、デニムのショートパンツから伸びた長い脚も、中学生の頃と比べて妙に色っぽい。
「ところでみんな元気か?」
まだなにか言いたそうな妹を遮って、僕は早口にたずねた。
駅の前には一応バス停もあるけれど、3時間に1本しかないバスを待つより歩いたほうがはるかに早い。
「…別に」
隣を歩く美晴が、少し間をおいて答えた。
「ふつうなんと違う? あたしにはよくわかんない」
「そうか」
今年高校に上がった美晴にとって、あの家はどんな場所なのだろう?
時折触れる美晴の腕の感触に、ふとそんなことを思う。
幼い僕らを残して交通事故でこの世を去った両親に代わり、実質的に朝倉の家を支えてきたのは歳の離れた長兄だ。
若い頃から人並み外れた苦労をしてきた敬一郎兄さんは、超がつくほど真面目な性格で、浮いたものを極度に嫌う。
だから、長ずるにつれてなぜかパンクな性格が表面化してきた美晴とは、僕が一緒に住んでいる頃から衝突することが多かった。
高校生という生涯で最も多感な時期にさしかかった美晴にとって、今の朝倉家の空気が面白かろうはずがない。
「ほんとは義姉さんのことが訊きたいんだろ?」
橋を渡る頃になって、いきなり美晴が言い出した。
「隠してもダメ。わかるんだから」
めまいがして、僕は足を止めた。
欄干のはるか下で逆巻く川の水音が、一瞬、消えたようだった。
明減する白い肌の記憶を振り払い、対岸を見る。
崖がカーブを描く向こうに、また水田が広がっている。
金色の稲穂の波の間に、黒い人影のようなものがいくつもいくつも立っている。
「案山子の季節だな」
空を飛び交う鴉の群れを目で追って、僕は誰にともなくつぶやいた。
そうつぶやいて腰を上げたのは、真っ赤なTシャツの上にレモンイエローのパーカーを羽織った、ある意味健康的な印象の少女である。
朝倉美晴16歳。4つ下の僕の妹だ。
ちなみに僕の名は朝倉悟。隣県のN市の大学に、ボロアパートでひとり暮らしをしながら通っている。
中学や高校と違い、大学の夏休みは長く、9月も2週目にならないと授業が始まらない。
その最後の1週間を実家で過ごそうと帰省してきた僕を妹が迎えに来たとまあ、そんな構図なのだったが…。
「鴉が多すぎるんだよ。この村は」
水田地帯に目をやって、いまいましげに美晴がつぶやく。
なるほど田んぼの上を走る送電線には、仔猫ほどもある鴉が無数にとまっていて、ぎゃあぎゃあと盛んに鳴きわめいている。
「あたしも早く出ていきたいよ。サトルばっかりずるいじゃないかよ」
「まあ、そう言うな」
僕は苦笑して、詰め寄ってきた美晴の胸に土産のチョコレート詰め合わせの箱を押しつけた。
少し見ないうちに美晴の胸はずいぶんと立派に成長していて、箱を押し返す弾力はなかなかのものだった。
そういえば、デニムのショートパンツから伸びた長い脚も、中学生の頃と比べて妙に色っぽい。
「ところでみんな元気か?」
まだなにか言いたそうな妹を遮って、僕は早口にたずねた。
駅の前には一応バス停もあるけれど、3時間に1本しかないバスを待つより歩いたほうがはるかに早い。
「…別に」
隣を歩く美晴が、少し間をおいて答えた。
「ふつうなんと違う? あたしにはよくわかんない」
「そうか」
今年高校に上がった美晴にとって、あの家はどんな場所なのだろう?
時折触れる美晴の腕の感触に、ふとそんなことを思う。
幼い僕らを残して交通事故でこの世を去った両親に代わり、実質的に朝倉の家を支えてきたのは歳の離れた長兄だ。
若い頃から人並み外れた苦労をしてきた敬一郎兄さんは、超がつくほど真面目な性格で、浮いたものを極度に嫌う。
だから、長ずるにつれてなぜかパンクな性格が表面化してきた美晴とは、僕が一緒に住んでいる頃から衝突することが多かった。
高校生という生涯で最も多感な時期にさしかかった美晴にとって、今の朝倉家の空気が面白かろうはずがない。
「ほんとは義姉さんのことが訊きたいんだろ?」
橋を渡る頃になって、いきなり美晴が言い出した。
「隠してもダメ。わかるんだから」
めまいがして、僕は足を止めた。
欄干のはるか下で逆巻く川の水音が、一瞬、消えたようだった。
明減する白い肌の記憶を振り払い、対岸を見る。
崖がカーブを描く向こうに、また水田が広がっている。
金色の稲穂の波の間に、黒い人影のようなものがいくつもいくつも立っている。
「案山子の季節だな」
空を飛び交う鴉の群れを目で追って、僕は誰にともなくつぶやいた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ショクザイのヤギ
煤原
ホラー
何でも屋を営む粟島は、とある依頼を受け山に入った。そこで珍妙な生き物に襲われ、マシロと名乗る男に助けられる。
後日あらためて山に登った粟島は、依頼を達成するべくマシロと共に山中を進む。そこにはたしかに、依頼されたのと同じ特徴を備えた“何か”が跳ねていた。
「あれが……ツチノコ?」
◇ ◆ ◇
因習ホラーのつもりで書き進めていたのに、気付けばジビエ料理を作っていました。
ホラーらしい覆せない理不尽はありますが、友情をトッピングして最後はハッピーエンドです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
小径
砂詠 飛来
ホラー
うらみつらみに横恋慕
江戸を染めるは吉原大火――
筆職人の与四郎と妻のお沙。
互いに想い合い、こんなにも近くにいるのに届かぬ心。
ふたりの選んだ運命は‥‥
江戸を舞台に吉原を巻き込んでのドタバタ珍道中!(違
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる