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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!

#53 童子

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 凍てつくような氷原で用を足すのは、さすがに初めての経験だった。
 しかも、触手が腰に絡みついたままなのだから、尚更である。
 氷の表面を流れていく湯気の立つ液体を眺めながら、ヒバナはほっと安堵のため息をついた。
 助かった。
 まず何よりも意外だったのは、ナギがすぐにいうことを聞いてくれたことである。
 そしてもうひとつは、体をがんじがらめにしていた触手生物が、そのナギの命令に従ったことだった。
「逃げちゃダメだよ」
 ヒバナを解放するに当たって、ナギはいった。
「それから、用が済んだら、元のように磔状態に戻ること。でないと、ぼくが殺されちゃうからね」
 切羽詰ったところまで追い詰められていたので、ヒバナは一も二もなく了承した。
 そして今、ようやく用を足し終えることができたのだが・・・。
 一瞬、このまま逃げようか、という考えが脳裏を掠めた。
 ヒバナにとりついている触手は、現在1本だけである。
 1本なら、なんとかひきちぎることも可能だろう。
「絶対見ないでよ」
 そう釘を刺してナギを遠ざけてある今なら、彼を傷つけることなく逃げるのはたやすい。
 だが、と思う。
 敵とはいえ、これだけの便宜を図ってくれたのだ。
 そのナギを裏切るのは、さすがに気が引けた。
「済んだよ」
 かなり離れたところで、こちらに背を向けて立っているナギに向かって、ヒバナは声をかけた。
「ありがとう。ほんと、助かった」
 感謝の念をこめて、いった。
「あ、ああ」
 ナギが振り返った。
「元通りに、縛ってくれない?」
 ヒバナは十字架の下に歩み寄った。
「本当にいいのかい?」
 ナギが後ろから、訊く。
「だって、わたしのために誰かが死ぬなんて、耐えられないもの」
 振り向いて、ヒバナはナギを見下ろした。
「それなんだけどさ」
 ナギは、何やら悩ましげな表情をしていた。
 ため息をひとつつくと、いった。
「ぼく、たぶん何をやっても殺される運命にあると思うんだ。だから、ここで君を逃がしたところで、結果は一緒って気がするんだよ」
「え?」
 ヒバナが、ただでさえ丸い目を丸くした。
「どういうこと?」
「だからさ、君を逃がそうと思うんだ。というか、一緒に逃げて欲しい」
 ナギは思いのほか真剣なまなざしをしている。
「ナミはそうじゃないみたいだけど、本当はぼく、普通の高校生活ってやつがけっこう好きなんだ。
勉強もそんなに嫌いじゃないし、部活も楽しいし。ぼく、バスケ部のレギュラーなんだぜ」
 ドリブルをし、シュートを打つマネをしながら、そんなことをいう。
「その上、君みたいにかわいい彼女ができたら、もう最高だと思う。だから、さっき、つきあってほしいっていったのも、けっこうマジだったんだ」
 照れたように下を向く。
「あんた、かわってるね」
 ヒバナは呆れた。
 したたかな妹とは大違いである。
 今のナギには、伊邪那岐命としての神性は皆無だった。
 どう見て、普通の年下の男の子といった感じなのだ。
「気持ちはうれしいけど、でも、もう手遅れみたいだよ」
 遠くの地平に視線を移して、ヒバナはいった。
 少し前から、鈍い足音が聞こえている。
 平らな氷原の向こうから、何かとほうもなく大きなものが近づいてくる。
 凍った地面から立ちのぼる靄が揺れ、分厚い胸板と、大きな頭部が現れた。
 額から突き出した鋭い角。
 顔中に開いた、たくさんの目。
「酒呑童子・・・」
 ナギが放心したように、つぶやいた。
 そのとたん、だった。
 突然触手たちが息を吹き返し、背後からヒバナを絡め取った。
 あっと思ったときにはすでに遅く、ヒバナは元通り十字架に四肢を固定されていた。
 酒呑童子が目の前に立った。
 体長6mはあるだろうか。
 十字架に縛りつけられたヒバナと、ほぼ同じ高さに顔があった。
 童子が右腕をスウィングした。
 次の瞬間、
 すさまじいパンチが腹にめり込んでいた。
 二発目が来た。
 内臓が破裂しそうなぐらい、強烈な打撃が脇腹を襲う。
 三発目が鳩尾にヒットした。
 口から血反吐が飛び出した。
 今度は下から、顎にアッパーを喰らった。
 ぐらりとゆらいだヒバナの顔を、横殴りに童子が連続で殴りつける。
 変身して、かなりの強度を保っているはずのヒバナの顔面が見る間にはれ上がった。
 まぶたが垂れ下がり、目が半分見えなくなっていた。
「や、やめろ!」
 ナギが飛び出した。
 童子の丸太のように太い脚にしがみつく。
 童子がその首筋をつかみ、ナギを軽々と遠くに放り投げた。
 すぐにヒバナのほうに向き直ると、右手で首を締め上げてくる。
 万力にかけられたようなものだった。
 ヒバナはもがいた。
 苦しくてならなかった。
 涙があふれてきた。
 息ができない。
 ヒバナの細い首がきしみ、唇の端から血の混じった白い泡が吹き出した。
 右手で首を締め上げたまま、童子が左手で拳を作り、ヒバナの平らな下腹を思いっきり殴りつけた。
 一発、二発、三発。
 すさまじく重いパンチだった。
 内臓がつぶれる音がした。
 左フックが、ヒバナの右頬に炸裂した。
 グキ、と嫌な音がして、ヒバナの頭部が不自然な角度で傾いた。
 黒目が裏返り、白目だけになる。
 どぼっと、大量の血が、口と鼻の穴から流れ出す。
 だらりと足が下がった。
 黄色い尿が、一筋太腿を伝って落ちた。
 ヒバナは動かなかった。
 とうとう、首の骨が折れたのだった。


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