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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!
#25 帰還
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ナミの持つフューズ1の世界の記憶。
それによると、根の国を支配していた禍津神は無辺大の体を持つ多核生物だった。
本来はひとつの細胞に何十億という数の核を備えたこの異形の生命体は、増殖するときだけ細胞の一部を切り離して他の生き物あるいは無機物に寄生する。
その分離した細胞群が”暗黒細胞”であり、それはすさまじい成長能力を持っていた。
「リセット前の世界では、あたしたちの体は暗黒細胞に侵食され、いわばあの化け物と一蓮托生だった。でも、こうして生き返ったところを見ると、今度の観測者はそのへんの事情には甘いとみていいわ」
ナミは新しい煙草を取り出した。
細身の外国製メンソールである。
ピンクの唇に挟み、洒落たオイルライターで火をつける。
「ただ、それでもあたしたちの体の中に、暗黒細胞が残っている可能性は高いんじゃないかしら。それを抽出して培養すれば、オロチの体を修復できるかも」
「はは、君は面白いことをいうね」
ツクヨミが笑った。
「いったい、どうやって抽出するっていうんだい?」
「ラボに遠心分離機があるわ。それにミキサーで挽いた肉片を放り込んで・・・」
「ちょ、ちょっと待てよ」
青い顔でナギが口を挟む。
「ナミ、おまえ、何の話してるんだよ」
「もちろん、兄さんの話よ」
ナミがあっさりいった。
「どこの肉がいい? 腕? 脚? それとも目立たないようにお尻くらいにしておく?」
「わーっ! 人殺し!」
ナギが逃げ出した。
長い手足を振り回して、階下へと続く扉のほうへと必死で駆けていく。
「ストップ!」
右腕を突き出し、ナギの背中を指差すと、ナミが鋭く命令した。
眉根を寄せている。
思念を集中しているのだ。
ピタリとナギの足が止まる。
「往生際の悪いやつ」
ナミが吐き捨てるようにつぶやいた。
「こりゃ傑作だ」
ツクヨミがクスクス笑い出した。
「元兄妹で夫婦。でも、君たちは神話上でも不倶戴天の敵同士だったものね」
「あたしを黄泉の国に置いて逃げた罰よ」
ナミはいった。
本当は、転生を繰り返しすぎたせいか、そんな大昔の記憶など、かけらもない。
だが、『古事記』などにそう書いてある以上、自分は被害者なのだとナミは常々思っている。
「ラボに行こう。鬼の腕に暗黒細胞の抽出。今夜は忙しくなるよ」
手すりに先を押しつけて煙草の火を消し、今度は携帯用灰皿に吸殻をしまう。
消臭タブレットを口の中に放り込み、ガリガリと奥歯で噛み砕く。
さらさらの髪を左手でかきあげると、ツクヨミの返事も待たず、ナミは颯爽と歩き出した。
「ヒバナがやられたっていうから、急いで駆けつけてみたら」
ヒバナの顔をのぞきこんで、八代ひずみがいった。
「ただの二日酔いだっていうじゃない。もう、拍子抜けだよ」
気がつくと、家のベッドに寝ていた。
いつの間にか、パジャマに着替えさせられている。
えへ、とヒバナは力なく笑い、ママは? と訊いた。
「お仕事だってあわてて出てったよ。糸魚川・お通夜の凸凹コンビが、ここまで運んでくれたんだって」
ヒバナの額に手を当てながら、ひずみが説明する。
「で、入れ替わりにあたしたちが来たっていうわけ。ね、ミミ」
ひずみが横に置いたショルダーバッグが動いて、中から紐状の生き物が伸び上がった。
蛭子の化身、ひずみの守護獣、ミミである。
「最強の戦闘少女に、こんな弱点があったとはね」
ミミが、ゆらゆらと目のない頭部を振りながら、いう。
「ヒバナは体は大人だけど、中身は子どもだからね」
ヒバナより4つも年下なのに、ひずみは容赦ない。
「そうだね」
ヒバナは泣き笑いの表情を浮かべた。
我ながら、情けないと思う。
おそらく、ご神体はツクヨミの手に渡ってしまったに違いない。
「二日酔いなんて、あたしたちが出るまでもないと思ったけど、少しヒーリングしておいたから」
立ち上がりながら。ひずみがいった。
「もうすぐ良くなると思うよ。じゃ、あたしは塾があるから、これで」
「ありがとね、ひずみちゃん」
ヒバナは上半身を起こし、頭を下げた。
ひずみが振り向いた。
「あ、それから、緋美先輩は今修学旅行中だから、来られないと思う。残念だけどね」
シャワーを浴び、熱い湯を湯船に張って、体を沈めた。
ひずみの治癒能力のおかげでアルコールはすっかり抜けていたが、体に力が入らない。
頭痛もまだ少し残っていた。
今すぐにでも青沼家に戻り、老夫婦にお詫びしたかったが。きょうは仕事に行かねばならなかった。
ヒバナがいないと、店長の熊崎沙紀はそのうち過労で倒れてしまうに違いない。
なんといっても、これでもヒバナは喫茶『アイララ』の副店長なのである。
新しい下着に替え、そのままの格好で居間のソファに坐る。
「お酒飲む練習しなきゃなあ」
乾いたタオルで頭をごしごし拭きながら、ひとりごちた。
高卒で就職したせいか、ヒバナには飲酒の経験がほとんどない。
そもそも『アイララ』は喫茶店だから、酒類を置いていないのだ。
店長の沙紀や厨房長の松尾に居酒屋に連れて行かれることはあるが、ヒバナはそんなときでもウーロン茶しか飲まないのだった。
「でも、わたしはやっぱり」
冷蔵庫から、牛乳パックを出す。
「こっちのほうが好き」
一気に半分ほど飲み干したときだった。
どーんというものすごい音が、玄関のほうから響いてきた。
まさか、敵?
下着姿のまま、飛びだした。
引きちぎった鉄のドア片手に、少女が立っていた。
はあはあと肩で息を切らしている。
漆黒の髪。
浅黒い肌。
とびっきりの美少女である。
なぜか、ブレザーの制服もブラウスも、びりびりに破れている。
「ひみちゃん・・・」
ヒバナはあっけにとられ、ぽかんと口を開けた。
立っていたのは、秋津緋美子だった。
大体、オートロックで締まっていたマンションの鉄扉を引きちぎるなど、普通の人間には不可能だ。
「ヒバナのばか」
緋美子が、いきなりなじった。
「どうしてまた・・・ひとりでそんな危ないことするの」
漆黒の瞳の奥に、怒りとも悲しみともつかぬ感情がゆらめいている。
「あの、ひみちゃん、修学旅行だったんじゃ・・・?」
相手の剣幕に押され、おそるおそるヒバナは訊いた。
「変身して、飛んできたの」
涙で潤んだ瞳をヒバナに向け、緋気子がいった。
はあ、と深いため息をつく。
手の甲で涙を拭う。
横顔が、どきりとするほど美しい。
ややあって、緋美子が微笑んだ。
そして、真顔でつぶやいた
「旅客機から飛び降りるのって、けっこう大変だったのよ」
それによると、根の国を支配していた禍津神は無辺大の体を持つ多核生物だった。
本来はひとつの細胞に何十億という数の核を備えたこの異形の生命体は、増殖するときだけ細胞の一部を切り離して他の生き物あるいは無機物に寄生する。
その分離した細胞群が”暗黒細胞”であり、それはすさまじい成長能力を持っていた。
「リセット前の世界では、あたしたちの体は暗黒細胞に侵食され、いわばあの化け物と一蓮托生だった。でも、こうして生き返ったところを見ると、今度の観測者はそのへんの事情には甘いとみていいわ」
ナミは新しい煙草を取り出した。
細身の外国製メンソールである。
ピンクの唇に挟み、洒落たオイルライターで火をつける。
「ただ、それでもあたしたちの体の中に、暗黒細胞が残っている可能性は高いんじゃないかしら。それを抽出して培養すれば、オロチの体を修復できるかも」
「はは、君は面白いことをいうね」
ツクヨミが笑った。
「いったい、どうやって抽出するっていうんだい?」
「ラボに遠心分離機があるわ。それにミキサーで挽いた肉片を放り込んで・・・」
「ちょ、ちょっと待てよ」
青い顔でナギが口を挟む。
「ナミ、おまえ、何の話してるんだよ」
「もちろん、兄さんの話よ」
ナミがあっさりいった。
「どこの肉がいい? 腕? 脚? それとも目立たないようにお尻くらいにしておく?」
「わーっ! 人殺し!」
ナギが逃げ出した。
長い手足を振り回して、階下へと続く扉のほうへと必死で駆けていく。
「ストップ!」
右腕を突き出し、ナギの背中を指差すと、ナミが鋭く命令した。
眉根を寄せている。
思念を集中しているのだ。
ピタリとナギの足が止まる。
「往生際の悪いやつ」
ナミが吐き捨てるようにつぶやいた。
「こりゃ傑作だ」
ツクヨミがクスクス笑い出した。
「元兄妹で夫婦。でも、君たちは神話上でも不倶戴天の敵同士だったものね」
「あたしを黄泉の国に置いて逃げた罰よ」
ナミはいった。
本当は、転生を繰り返しすぎたせいか、そんな大昔の記憶など、かけらもない。
だが、『古事記』などにそう書いてある以上、自分は被害者なのだとナミは常々思っている。
「ラボに行こう。鬼の腕に暗黒細胞の抽出。今夜は忙しくなるよ」
手すりに先を押しつけて煙草の火を消し、今度は携帯用灰皿に吸殻をしまう。
消臭タブレットを口の中に放り込み、ガリガリと奥歯で噛み砕く。
さらさらの髪を左手でかきあげると、ツクヨミの返事も待たず、ナミは颯爽と歩き出した。
「ヒバナがやられたっていうから、急いで駆けつけてみたら」
ヒバナの顔をのぞきこんで、八代ひずみがいった。
「ただの二日酔いだっていうじゃない。もう、拍子抜けだよ」
気がつくと、家のベッドに寝ていた。
いつの間にか、パジャマに着替えさせられている。
えへ、とヒバナは力なく笑い、ママは? と訊いた。
「お仕事だってあわてて出てったよ。糸魚川・お通夜の凸凹コンビが、ここまで運んでくれたんだって」
ヒバナの額に手を当てながら、ひずみが説明する。
「で、入れ替わりにあたしたちが来たっていうわけ。ね、ミミ」
ひずみが横に置いたショルダーバッグが動いて、中から紐状の生き物が伸び上がった。
蛭子の化身、ひずみの守護獣、ミミである。
「最強の戦闘少女に、こんな弱点があったとはね」
ミミが、ゆらゆらと目のない頭部を振りながら、いう。
「ヒバナは体は大人だけど、中身は子どもだからね」
ヒバナより4つも年下なのに、ひずみは容赦ない。
「そうだね」
ヒバナは泣き笑いの表情を浮かべた。
我ながら、情けないと思う。
おそらく、ご神体はツクヨミの手に渡ってしまったに違いない。
「二日酔いなんて、あたしたちが出るまでもないと思ったけど、少しヒーリングしておいたから」
立ち上がりながら。ひずみがいった。
「もうすぐ良くなると思うよ。じゃ、あたしは塾があるから、これで」
「ありがとね、ひずみちゃん」
ヒバナは上半身を起こし、頭を下げた。
ひずみが振り向いた。
「あ、それから、緋美先輩は今修学旅行中だから、来られないと思う。残念だけどね」
シャワーを浴び、熱い湯を湯船に張って、体を沈めた。
ひずみの治癒能力のおかげでアルコールはすっかり抜けていたが、体に力が入らない。
頭痛もまだ少し残っていた。
今すぐにでも青沼家に戻り、老夫婦にお詫びしたかったが。きょうは仕事に行かねばならなかった。
ヒバナがいないと、店長の熊崎沙紀はそのうち過労で倒れてしまうに違いない。
なんといっても、これでもヒバナは喫茶『アイララ』の副店長なのである。
新しい下着に替え、そのままの格好で居間のソファに坐る。
「お酒飲む練習しなきゃなあ」
乾いたタオルで頭をごしごし拭きながら、ひとりごちた。
高卒で就職したせいか、ヒバナには飲酒の経験がほとんどない。
そもそも『アイララ』は喫茶店だから、酒類を置いていないのだ。
店長の沙紀や厨房長の松尾に居酒屋に連れて行かれることはあるが、ヒバナはそんなときでもウーロン茶しか飲まないのだった。
「でも、わたしはやっぱり」
冷蔵庫から、牛乳パックを出す。
「こっちのほうが好き」
一気に半分ほど飲み干したときだった。
どーんというものすごい音が、玄関のほうから響いてきた。
まさか、敵?
下着姿のまま、飛びだした。
引きちぎった鉄のドア片手に、少女が立っていた。
はあはあと肩で息を切らしている。
漆黒の髪。
浅黒い肌。
とびっきりの美少女である。
なぜか、ブレザーの制服もブラウスも、びりびりに破れている。
「ひみちゃん・・・」
ヒバナはあっけにとられ、ぽかんと口を開けた。
立っていたのは、秋津緋美子だった。
大体、オートロックで締まっていたマンションの鉄扉を引きちぎるなど、普通の人間には不可能だ。
「ヒバナのばか」
緋美子が、いきなりなじった。
「どうしてまた・・・ひとりでそんな危ないことするの」
漆黒の瞳の奥に、怒りとも悲しみともつかぬ感情がゆらめいている。
「あの、ひみちゃん、修学旅行だったんじゃ・・・?」
相手の剣幕に押され、おそるおそるヒバナは訊いた。
「変身して、飛んできたの」
涙で潤んだ瞳をヒバナに向け、緋気子がいった。
はあ、と深いため息をつく。
手の甲で涙を拭う。
横顔が、どきりとするほど美しい。
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