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第5部 ヒバナ、インモラルナイト!

#16 緋美子、再起動する

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 霊界ネットワークは、いわば"霊魂のデータバンク"である。
 動物霊、下級霊、そして神獣の御霊(みたま)まで、すべての霊魂をその中に収めた巨大な霊廟(れいびょう)だ。
 以前は常世(とこよ)に属していたが、常世なき今は、5次元世界の中に、独立したひとつの閉鎖空間として、あぶくのようにぽつんとうかんでいる。
 人間界からアクセスできる場所は何箇所かあるらしいが、ヒバナが知っているのは、大猫観音の方丈寺の裏手に位置する、通称"裏稲荷"なる、黒い鳥居が立ち並ぶ不気味な場所だった。
 ヒバナ自身、竜の御霊を宿したのが、その裏稲荷だったのである。
 なぜそんな自宅に近い所に霊界への入口があるのかは謎だったが、レオンに言わせると、現在、霊的な歪みがこの那古野市中心に発生しており、このあたりでは何が起こってもおかしくないのだ、ということだった。

 緋美子を背中に乗せて、ヒバナは空を飛んでいた。
 寝ている源造じいさんを起こして車を出させるのも気の毒だったので、変身したままの姿で出かけることにしたのである。
 ーあのさ、レオン、わたし、ずっと疑問に思ってたんだけどー
 適度な高さと速度を保ちながら、頭の中でレオンに話しかける。
 -青竜の正体は、レオン、あなたなんでしょ? だったら、わたしがあそこで最初に宿した御霊は何だったの?-
 かつて氷の牢獄で、ヒバナは根の国の死天王のひとり、麗奈に殺されかけた。
 腕輪を壊され、変身することもかなわぬまま、肉体を完膚なきまでに破壊されて、まさに息絶える寸前の状態に追い込まれた。
 そのとき、レオンの潜在意識の底に眠っていた青竜の御霊が覚醒し、間一髪ヒバナの命を救ったのである。
 ー容量オーバーだったんだー
 レオンが答えた。
 -最初の”みたまうつし”のときのおまえは、心身ともにあまりにひ弱すぎた。だから、竜の御霊をすべてダウンロードすると、脳細胞がオーバーヒートする危険があった。だから、オレは第一と第二の竜の分だけおまえに移して、いちばん容量の大きいオレ自身、つまり青竜の分は、そのときそばにいたタケミカヅチのほうに一時的に入れておいたのさ。いつか、おまえの準備が整ったら、そのとき移し替えようと思ってねー
 ーふーん、そうだったんだー
 確かにそうかもしれない。
 ヒバナは納得した。
 あの頃のわたしは、存在感のない、自分にまったく自信も愛着も持てないでいる、冴えない女の子だったのだ。
 心も弱いし、脳細胞もさぞかし少なかったことだろう。
 どうりで最初の頃は、第一と第二の竜にしか変身できなかったはずである。
 ーでも、ってことは、あなた、タケミカヅチなの? 青竜なの? 今どっちなの?-
 ーもうどっちでもないよ。ひとつに融合しちまったからなー
 レオンが苦笑する気配。
 ーひみちゃんはどうするの? 彼女の望み通り朱雀を"みたまうつし"するとして、たぶん朱雀も三段階あるんでしょ? 全部入れちゃったらやばくない?-
 ー緋美子はあのときのおまえとは比べ物にならないくらい強い。現に、4頭の偽神獣の御霊がインストールされてても、これまでなんともなかったんだからな。おそらく一気にいけると思うし、初めから朱雀の成体に変身できるだろうよー
 ーちょっと落ち込むなあ。わたしのほうが2歳も年上なのにー
 ー何事にも個人差があるんだよ。別にどっちが優れているとかいう問題でもないさー
 ヒバナが色々レオンに話しかけるのには、やむにやまれぬ事情があった。
 背中に乗せている緋美子の肉体の感触から、なんとか他に気をそらしていたかったからである。
 緋美子は必死にヒバナの首に抱きついている。
 息がかかるほど近くに、恋しくてたまらない少女の唇があるのだ。
 ひみちゃんはまだ17歳なんだ。
 ヒバナは自分に言い聞かせる。
 手を出したら、ケーサツにつかまるぞ。

 方丈寺は、幹線道路に面した正門側は夜中でも明るいが、一歩裏手に回ると街路灯も少なく、真っ暗だった。
 闇に紛れて地上に降り立つと、ヒバナは見覚えのある竹やぶに分け入った。
 裏稲荷への入り口は、常世の結界のため、八幡古墳にある極楽湯同様、一般人の目には見ることができない。
 が、元常世の神であるレオンと同化しているため、ヒバナには竹やぶの奥にある黒い鳥居の列が見えた。
 緋美子を背中にかばい、鳥居をくぐる。
 とたんに周囲の景色が消え、二人は鳥居が無限に続く長い通廊の入り口に立っていた。
 緋美子の手を引いて走る。
 ほどなく通廊が切れ、青白い微光で満たされた広大な空間に出た。
 中世ヨーロッパの大伽藍(だいがらん)を思わせる霊廟の威容に、背後で緋美子が息を呑むのがわかった。
「この内側の壁には、何世紀にも渡って蓄えられてきた霊魂がびっしり詰まってるの。だから、絶対触っちゃだめ。特に、額の霊界端末に霊魂が触れないように気をつけて。最初にそこに触れた魂がダウンロードされちゃうから」
 かつてレオンに教えられた通りに、ヒバナは緋美子に知識を伝授した。
 あのときは生身だったから、本当に辛かった。
『アイララ』の同僚のクマちゃんがくれた”あれ”がなかったら、ヒバナは今頃キツネかタヌキの動物霊の餌食になっていたかもしれないのである。
 だが、今は事情が違う。
 何も壁にはりついた狭い通路を、あのときのように霊魂に追いかけられながら走って登る必要はないのだ。
「ひみちゃん、もう一回、わたしにつかまって」
 ばさっと翼を開いて、ヒバナは言った。
 てっぺんの『四神獣の間』まで、一気に飛んでやる。
 そうすれば、どんなに強力な霊魂だって、追っかけて来られないに違いない。
 大伽藍の中心に、ミラーボールそっくりの大きな球体が浮かんでいる。
 この空間を維持するエネルギー発生装置である。
 前回は、ここを脱出する際、ヒバナはそれに飛び込んで位相転移に成功し、なんとか死天王シンの魔手から逃れることができた。
 今回は、おそらくその必要もないだろう。
 緋美子の腕を首筋に、柔らかな胸の弾力を背中に感じると、ヒバナは軽々と大伽藍の中空へと飛び上がった。
 駆動装置の発する波動を翼に受けて、一息に高度を上げる。
 大きく数回羽ばたいただけで、天頂近くに辿りついた。
 伽藍の内壁を螺旋状に刻む通廊の果てに、オーロラのように七色の光がはためく一郭がある。
 それが、めざす場所、『四神獣の間』だった。

 霊魂たちの襲撃を一度も受けることなく、光のカーテンをくぐった。
 ここだけ石でつくられたような、奥に長い部屋である。
 中央に、腕輪の乗った金色の祭壇がある。
 四神を織り込んだ精巧なタペストリが正面の壁にかかっている。
 あのとき見えなかったものが、竜化した今のヒバナには見える。
 4つの獣を描いたタペストリの模様。
 そのそれぞれの眼にあたるところに極小の異空間が生じており、その中に金色に輝く魂が眠っている。
 いちばん左端、竜の刺繍の眼の部分だけが空洞だった。
 その中身は、今レオンと同化して、ヒバナの内部にあるからだ。
 青竜の隣が、翼を広げた炎の鳥の図柄である。
 朱雀だ。
「これが、朱雀の腕輪ですね」
 緋美子が言い、祭壇の上の3つの腕輪のうち、1つを手に取った。
「こんなに大きいのは、分不相応だから」
 現在緋美子がはめているのは、かつてシンがここから持ち去り、麗奈の手を経てヒバナのものとなった『すべてを統べる腕輪』である。
 リングが5つあり、どの神獣にも変身できるコードを備えている。
 それをはずし、あえて緋美子は朱雀の腕輪をはめたのだった。
「どの道、残りの腕輪と御霊は全部回収しておくつもりだ。オロチ側の者の手にでも渡ったら、面倒なことになるからな」
 ヒバナと入れ替わって表面に現れたレオンの人格が、ヒバナの口を借りて言った。
 玄武、白虎の腕輪、そして緋美子がはずした『大いなる腕輪』の3つを、持参した布袋に入れ、代わりに小さな強化硝子製のシリンダーを2本、取り出した。
 長く先の尖ったヒバナの竜の爪で、異空間ごと白虎と玄武の御霊をつまみ出し、シリンダーに収納する。
 朱雀だけが残った。
「朱雀の文様に、霊界端末を近づけろ。眼をつぶって、心を無にするんだ」
 タペストリの前に、緋美子がひざまずく。
 祈るように胸の前で両手を組み、眼を閉じた。
 どれくらいの間、そうしていたのか・・・。
 ふいに電撃が走ったかのように、緋美子の体がびくんと震えた。
 ゆっくりと、眼を開く。
「終わりました」
 つぶやくように、言った。
 同時に、ヒバナも気づいていた。
 朱雀の眼から、御霊が消えている。
 緋美子が、ダウンロードに成功したのだ。
 予想以上にスムーズだった。
 緋美子と朱雀は、よほど相性がいいに違いなかった。

 来た時と逆の行程をたどり、霊界ネットワークの結界を出た、その瞬間だった。
 ー囲まれてるなー
 ヒバナの頭の中で、ふいにレオンが言った。
 竹やぶのあちらこちら、そして暗い路地の奥のほうにも、何かがいる。
 馴染み深い根の国の魔物の気配とは微妙に違う、邪悪な波動である。
「早速、本物の”朱雀”を試すときが、来ましたね」
 緋美子が言って、左手首の腕輪に右手を添える。
「ひみちゃんにも、新しい戦闘服、つくっておくんだった」
 ヒバナが複雑な表情をした。
 変身がとけたとき、緋美子が全裸になってしまうことが忍びないのだった。
「行きます」
 緋美子が短く、言った。
 そして、華麗なる変身が始まった。
 
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