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第5部 ヒバナ、インモラルナイト!
#6 緋美子、混乱する
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あまりの暑苦しさに、緋美子は酸素を求める魚のように喘いだ。
自分の左手がヒバナの右胸を強く掴んでいることに気づいて、
「あ、ごめん」
あわてて手を離した。
手を引っこめる直前、ヒバナの乳首が固く尖っているのを掌に感じ、きまり悪さが倍増する。
そのヒバナはと見ると、よほど体調が悪いのか、ほとんど身体の力を抜いて緋美子にしなだれかかっている有様だった。
何か言いたげに熱に潤んだ目で緋美子を見つめ、次の瞬間、すっと視線を逸らす。
「大丈夫?」
緋美子はヒバナの肩に手をかけ、少し体を離してその顔をのぞきこんだ。
ヒバナが泣き笑いのような表情を浮かべ、こっくりとうなずく。
何があったのだろう?
最近、こういうことがよくある。
時々、意識が飛んでしまうのだ。
覚えていないわけではない。
幸のことでひずみに相談され、幸の家に3人で行き、そこで色々調べたことはちゃんと記憶にある。
メモ用紙の謎めいた落書き。PCに保存されていた、アルビノの少年のイラスト・・・。
その結果、熱田神宮に向かうことになったことも、ちゃんとわかってはいる。
ただ、そのディティールが、断続的に表層意識から飛んでしまっているのだった。
その過程で自分が何を言い、何をしたのか、それがわからない。
今もそうだ。
ヒバナの様子は明らかにおかしい。
まるで緋美子自身が何か彼女にしたかのようだ。
確かにヒバナは吸血鬼に血を吸われたとかで、最初出会ったとき、かなり弱ってはいた。
だが、その後、幸の家に居る間にずいぶん持ち直してきていたのだ。
それが今は、前より具合が悪くなったような印象である。
"戦闘服"から露出した肌が淡いピンク色に染まり、なんだか全身から熱を発しているように見える。
アナウンスが降車駅の名を告げたので、緋美子はヒバナに肩を貸して、人のひしめく雑踏の中へ降り立った。
ひずみが降りてくるのを待っていると、ふいに緋美子の手を引っぱって、ヒバナが言った。
「さっき言ってくれたこと、本当?」
緋美子は虚を突かれ、まじまじとヒバナを見た。
ヒバナは妙につきつめた表情をしていた。
さっき言ったこと?
私、何をこの子に言ったんだろう?
覚えていなかった。
「信じても、いいの?」
ヒバナがうわ言のように言い募る。
「わたしもそうだよ。ひみちゃんのためなら、何でもできる」
緋美子を見つめてくる瞳が、ろうそくの炎のように燃え、揺れている。
すがりつくものを、必死で求めているような必死さだ。
「う、うん」
緋美子はあいまいな笑みを返した。
完全に混乱していた。
どう返事をすればいいのか、見当がつかなかった。
何なのだろう?
ヒバナのこのリアクションは。
まるで、そう、恋人に囁きかけるような熱っぽさだ・・・。
罪の意識が心のどこかで蠢くのがわかった。
私は何か、とんでもなくいけないことをしているのではないか。
ふと、そう思ったのである。
地下鉄の駅から少し歩くと、やがて大きな鳥居が見えてきた。
熱田神宮は、1900年以上の歴史を持つ、日本有数の神社である。
幼い頃、七五三で連れてきてもらったときには鳥居は赤かったような気したのだが、実際に目の当たりにしてみると、実物は木の色そのままで、その分古さを感じさせるたたずまいだった。
「ヒバナ、大丈夫?」
後ろでひずみがヒバナに話しかけている。
「吸血鬼に血を吸われると、吸われたほうも吸血鬼になっちゃうっていうけど、ヒバナは平気なの? もし、血が吸いたくなったら遠慮なく言ってね。あたしは、ミミに毎日血をあげてるんで、慣れてるから」
「ありがとう」
応えるヒバナの声には、いつもの張りがない。
「でも、それは心配ないみたい。血なんて吸いたくならないし、太陽に当たっても燃えたりしないもん」
「ならいいけど。あんまりフラフラしてるからさ」
ひずみが世話女房のようにあれこれヒバナに話しかけるのは、何かの反動だろうか。
2人の会話を聞くともなく耳にしながら、緋美子はそんなことを思う。
自分はというと、少しヒバナから、意識的に距離を取って歩いていた。
正門を抜けると、長い参道に出た。
鬱蒼と茂る森の中を、土の道が本宮に向かって延々と伸びている。
平日の夕方近くなので、さすがに参拝者の数は少なかった。
「みんな、気をつけて」
ひずみのバッグの中からミミが言うのが聞こえてきた。
「何か、すごく嫌な予感がする。先が読めなくなってる。少年は確かに少し前、ここを歩いてた。でも、そのあとどうなったのか、"絵"がさっぱり浮かんでこない」
ミミに指摘されるまでもなく、緋美子も異変に気づいていた。
本宮に近づくにつれて、空がどんどん暗くなっていく。
さっきまであんなに晴れていた夏空が、進行方向で墨を流したようにどす黒く濁り、その濁った部分がこちらに向かってすごい勢いで広がってくるのだった。
そして、この匂い。
生臭い、魚の腐ったような臭いがだんだん濃くなって来るのがわかる。
「先輩、ここに、三種の神器の一つが奉納されてるって、知ってますか?」
ひずみが声をかけてきた。
「草薙の剣、だったかしら。何でも、ヤマトタケルが東征の途中で置いていったとか・・・」
緋美子は答えた。
何かでそんな話を読んだ記憶があった。
『古事記』か『日本書紀』に出ていたエピソードだった気がする。
「その剣の出所が気になるんです」
ひずみが言った。
「出所?」
緋美子が訊き返したとき、前方で悲鳴が上がった。
本宮前の広場のほうから、参拝者たちが走ってくる。
「そもそも、草薙の剣というのは、スサノオノミコトが姉の天照大神に献上したもの。そして、その出所は・・・」
駆けて来る人々に逆行して広場に踏み込んだ緋美子は、そこで棒を呑んだように立ち尽くした。
異様な光景が目の前に現出していた。
草薙の剣が奉納されているといわれる、神々しいばかりの本宮の建物。
その背後から、とほうもなく巨大な影が、広場全体を覆いつくさんばかりに空に向かって広がっている。
八本の長い、禍々しい首の影が、頭上で揺れている。
空を覆う黒い影、生臭い臭いの正体はこれだったのだ。
「ヤマタノオロチ・・・」
いつの間にか隣に並んできたひずみが、ぽつりとつぶやいた。
「草薙の剣は、ヤマタノオロチの尾から出てきたんです。頭が8本、尾も8本・・・。幸のあの変な落書きは、きっとあの怪物を暗示してたんですよ」
と、そのときだった。
だしぬけに、緋美子とひずみを押しのけるようにして、よろめきながらヒバナが前へ出た。
「わたし、行かなきゃ」
腰をかがめ、腕輪に触ろうとする。
「だめ!」
ひずみが叫び、ヒバナに飛びついた。
「そんな体で変身しちゃだめだよ!」
ヒバナにしがみつき、腕輪をもぎ取ろうとする。
「いいわ。私が行く。ひずみちゃん、ヒバナをつかまえてて」
緋美子が言い、駆け出した。
走りながら腕輪のリングを調節する。
まず、朱雀の翼が開いた。
左腕が玄武の盾に変わる。
右手から白虎の鋭い鈎爪が伸びた。
着衣が裂け、はじけ飛ぶ。
ワインレッドのレオタード風の布切れだけが、かろうじて発達した胸と下腹部を覆っている。
青竜に変異した脚で高々と跳び上がり、左右に限界まで翼を開いて気流をつかまえた。
ヤマタノオロチの巨大な影が目の前にぐんぐん迫ってくる。
守らなきゃ。
怪物に向かって飛翔しながら、緋美子は思う。
ヒバナも、ひずみも、みんな、私が守らなきゃ・・・。
自分の左手がヒバナの右胸を強く掴んでいることに気づいて、
「あ、ごめん」
あわてて手を離した。
手を引っこめる直前、ヒバナの乳首が固く尖っているのを掌に感じ、きまり悪さが倍増する。
そのヒバナはと見ると、よほど体調が悪いのか、ほとんど身体の力を抜いて緋美子にしなだれかかっている有様だった。
何か言いたげに熱に潤んだ目で緋美子を見つめ、次の瞬間、すっと視線を逸らす。
「大丈夫?」
緋美子はヒバナの肩に手をかけ、少し体を離してその顔をのぞきこんだ。
ヒバナが泣き笑いのような表情を浮かべ、こっくりとうなずく。
何があったのだろう?
最近、こういうことがよくある。
時々、意識が飛んでしまうのだ。
覚えていないわけではない。
幸のことでひずみに相談され、幸の家に3人で行き、そこで色々調べたことはちゃんと記憶にある。
メモ用紙の謎めいた落書き。PCに保存されていた、アルビノの少年のイラスト・・・。
その結果、熱田神宮に向かうことになったことも、ちゃんとわかってはいる。
ただ、そのディティールが、断続的に表層意識から飛んでしまっているのだった。
その過程で自分が何を言い、何をしたのか、それがわからない。
今もそうだ。
ヒバナの様子は明らかにおかしい。
まるで緋美子自身が何か彼女にしたかのようだ。
確かにヒバナは吸血鬼に血を吸われたとかで、最初出会ったとき、かなり弱ってはいた。
だが、その後、幸の家に居る間にずいぶん持ち直してきていたのだ。
それが今は、前より具合が悪くなったような印象である。
"戦闘服"から露出した肌が淡いピンク色に染まり、なんだか全身から熱を発しているように見える。
アナウンスが降車駅の名を告げたので、緋美子はヒバナに肩を貸して、人のひしめく雑踏の中へ降り立った。
ひずみが降りてくるのを待っていると、ふいに緋美子の手を引っぱって、ヒバナが言った。
「さっき言ってくれたこと、本当?」
緋美子は虚を突かれ、まじまじとヒバナを見た。
ヒバナは妙につきつめた表情をしていた。
さっき言ったこと?
私、何をこの子に言ったんだろう?
覚えていなかった。
「信じても、いいの?」
ヒバナがうわ言のように言い募る。
「わたしもそうだよ。ひみちゃんのためなら、何でもできる」
緋美子を見つめてくる瞳が、ろうそくの炎のように燃え、揺れている。
すがりつくものを、必死で求めているような必死さだ。
「う、うん」
緋美子はあいまいな笑みを返した。
完全に混乱していた。
どう返事をすればいいのか、見当がつかなかった。
何なのだろう?
ヒバナのこのリアクションは。
まるで、そう、恋人に囁きかけるような熱っぽさだ・・・。
罪の意識が心のどこかで蠢くのがわかった。
私は何か、とんでもなくいけないことをしているのではないか。
ふと、そう思ったのである。
地下鉄の駅から少し歩くと、やがて大きな鳥居が見えてきた。
熱田神宮は、1900年以上の歴史を持つ、日本有数の神社である。
幼い頃、七五三で連れてきてもらったときには鳥居は赤かったような気したのだが、実際に目の当たりにしてみると、実物は木の色そのままで、その分古さを感じさせるたたずまいだった。
「ヒバナ、大丈夫?」
後ろでひずみがヒバナに話しかけている。
「吸血鬼に血を吸われると、吸われたほうも吸血鬼になっちゃうっていうけど、ヒバナは平気なの? もし、血が吸いたくなったら遠慮なく言ってね。あたしは、ミミに毎日血をあげてるんで、慣れてるから」
「ありがとう」
応えるヒバナの声には、いつもの張りがない。
「でも、それは心配ないみたい。血なんて吸いたくならないし、太陽に当たっても燃えたりしないもん」
「ならいいけど。あんまりフラフラしてるからさ」
ひずみが世話女房のようにあれこれヒバナに話しかけるのは、何かの反動だろうか。
2人の会話を聞くともなく耳にしながら、緋美子はそんなことを思う。
自分はというと、少しヒバナから、意識的に距離を取って歩いていた。
正門を抜けると、長い参道に出た。
鬱蒼と茂る森の中を、土の道が本宮に向かって延々と伸びている。
平日の夕方近くなので、さすがに参拝者の数は少なかった。
「みんな、気をつけて」
ひずみのバッグの中からミミが言うのが聞こえてきた。
「何か、すごく嫌な予感がする。先が読めなくなってる。少年は確かに少し前、ここを歩いてた。でも、そのあとどうなったのか、"絵"がさっぱり浮かんでこない」
ミミに指摘されるまでもなく、緋美子も異変に気づいていた。
本宮に近づくにつれて、空がどんどん暗くなっていく。
さっきまであんなに晴れていた夏空が、進行方向で墨を流したようにどす黒く濁り、その濁った部分がこちらに向かってすごい勢いで広がってくるのだった。
そして、この匂い。
生臭い、魚の腐ったような臭いがだんだん濃くなって来るのがわかる。
「先輩、ここに、三種の神器の一つが奉納されてるって、知ってますか?」
ひずみが声をかけてきた。
「草薙の剣、だったかしら。何でも、ヤマトタケルが東征の途中で置いていったとか・・・」
緋美子は答えた。
何かでそんな話を読んだ記憶があった。
『古事記』か『日本書紀』に出ていたエピソードだった気がする。
「その剣の出所が気になるんです」
ひずみが言った。
「出所?」
緋美子が訊き返したとき、前方で悲鳴が上がった。
本宮前の広場のほうから、参拝者たちが走ってくる。
「そもそも、草薙の剣というのは、スサノオノミコトが姉の天照大神に献上したもの。そして、その出所は・・・」
駆けて来る人々に逆行して広場に踏み込んだ緋美子は、そこで棒を呑んだように立ち尽くした。
異様な光景が目の前に現出していた。
草薙の剣が奉納されているといわれる、神々しいばかりの本宮の建物。
その背後から、とほうもなく巨大な影が、広場全体を覆いつくさんばかりに空に向かって広がっている。
八本の長い、禍々しい首の影が、頭上で揺れている。
空を覆う黒い影、生臭い臭いの正体はこれだったのだ。
「ヤマタノオロチ・・・」
いつの間にか隣に並んできたひずみが、ぽつりとつぶやいた。
「草薙の剣は、ヤマタノオロチの尾から出てきたんです。頭が8本、尾も8本・・・。幸のあの変な落書きは、きっとあの怪物を暗示してたんですよ」
と、そのときだった。
だしぬけに、緋美子とひずみを押しのけるようにして、よろめきながらヒバナが前へ出た。
「わたし、行かなきゃ」
腰をかがめ、腕輪に触ろうとする。
「だめ!」
ひずみが叫び、ヒバナに飛びついた。
「そんな体で変身しちゃだめだよ!」
ヒバナにしがみつき、腕輪をもぎ取ろうとする。
「いいわ。私が行く。ひずみちゃん、ヒバナをつかまえてて」
緋美子が言い、駆け出した。
走りながら腕輪のリングを調節する。
まず、朱雀の翼が開いた。
左腕が玄武の盾に変わる。
右手から白虎の鋭い鈎爪が伸びた。
着衣が裂け、はじけ飛ぶ。
ワインレッドのレオタード風の布切れだけが、かろうじて発達した胸と下腹部を覆っている。
青竜に変異した脚で高々と跳び上がり、左右に限界まで翼を開いて気流をつかまえた。
ヤマタノオロチの巨大な影が目の前にぐんぐん迫ってくる。
守らなきゃ。
怪物に向かって飛翔しながら、緋美子は思う。
ヒバナも、ひずみも、みんな、私が守らなきゃ・・・。
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