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第4部 ヒバナ、エンプティハート!

#16 ホーンテッド・ホスピタル

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 もうこれ以上、仲間を失うわけには行かない。
 ヒバナは固く下唇を噛んだ。
 右手で、左腕の外側に生えている逆三角形の大きなひれをつかむ。
 痛みをこらえて、思いっきりむしりとった。
 ぼたぼたっと鮮血が足元に飛び散るのにもかまわず、むしりとったばかりのひれを投げた。
 ひれは弧を描いて緋美子の背中を掠め、遠く廊下の向こうに回転しながら飛んで行く。
 それを見届けるなり、ヒバナは跳躍した。
 ブーメランのように、飛ばしたひれが戻ってくる。
 そして、背後から魔物の頭部を直撃した。
 鉄仮面がふっとび、一つ目の気味の悪い顔がむき出しになる。
 その目玉めがけて、体重を乗せた槍を突き刺した。
 青い体液が噴水のように吹き上がる。
 ぐおおおん。
 魔物がたまらずのけぞった。
 その喉笛に、隙を逃さず緋美子が右手の鉤爪を突き立てる。
 深く刺さったところで、力まかせにその太い喉を横一文字に掻き切った。
 魔物の頭部がぐらりと傾き、切断面から青色の血を撒き散らしながら背中のほうに落ちていく。
 その胸を、緋美子が左手の盾でぶん殴る。
 どうっと地響きを立てて魔物の胴体が倒れ伏す。
 ヒバナが火球を放ち、ナースステーションの中に発生していた異空間の入り口を封鎖した。
 こうした異空間は根の国へと通じている。
 開口部が攻撃を受けると、"向こう側"へ被害が広がらないように、"向こう"にいる誰かが機械みたいなものを操作して口を閉じてしまうのだ、といつかレオンに教えられた。
 それが本当かどうか確かめるすべはないが、火竜のプラズマ火球がダンジョン破壊に有効なのは、経験上ヒバナも知っていた。
「だから無理しないでって言ったのに」
 ヒバナの口調がうらみがましい響きを帯びる。
「ごめんなさい。ちょっとドーパミンが出すぎてるみたいで、歯止めがきかなくなっちゃって」
 緋美子がすまなさそうに謝罪した。
「でも、もう平気です」 
上体を左右にねじって体の具合を確かめると、にっと笑ってみせる。
「OK。じゃ、次が最終ダンジョン。いい? くれぐれも気をつけて。『命大事に』で行くこと。約束だよ」
 ぷりぷりしながらヒバナがそんな妙に古い引用を口にしたので、緋美子は思わず吹き出した。
 
 緋美子の母の病室は、非常階段の上り口から見ると、円形の通路を180度行った先に位置していた。
 つまり、今二人が立っているところからはいちばん遠い場所にあるというわけだ。
「ちょっとやっかいだなあ。なんかたどり着くまでに、色々出てきそう」
 ヒバナがうんざりしたようにぼやいたとき、早速曲がり角から"それ"が登場した。
 前傾姿勢で突進してくるのは、まぎれもなく恐竜だった。
 ただ、ヒバナの知っている恐竜と違うところは、胴と頭が赤い羽毛に覆われていることである。
 姿かたちはティラノサウルスなのだが、極彩色の羽毛のせいで変にファンキーに見えるのだ。
 ヒバナは知る由もないが、これはマガツカミの暗黒細胞がいかに素材のDNA情報を正確に再現できるかという、その何よりの証拠だった。
 恐竜はおそろしく足が速かった。
 気がつくともう、すぐそこにいた。
 ブルドーザーのような顎が上下に開き、頭上から襲いかかってくる。
 緋美子が左腕をかざして前へ出る。
 盾が、ふいにぐんと大きくなった。
 三倍ほどの面積に広がったのだ。
 その盾が恐竜の突進を食い止めた。
 ヒバナが滑り出た。
 恐竜の足元にスライディングすると、真下から柔らかい腹部に槍を突き刺した。
 踏み殺そうともがく恐竜の攻撃をかわしてすばやく立ち上がると、その不必要にでかい顔面に拳の連打を叩き込む。
 頭蓋骨が砕け、動きが鈍ってきたところで、両顎を両手で持ってべりべりと引き裂いた。
 べっとりついた赤い血をピッピッと両手を振って払うと、
「次」
 と短く言って走り出す。
 角を曲がった瞬間、黒い影が飛びかってきた。
 体長2メートルの大カマキリだ。
 とっさに鎌の攻撃を槍を水平に構えて食い止める。
 空中にホバリングしたまま、大カマキリが腹部を曲げ、尻の先端に突き出ている針で、ヒバナのむき出しの腹をねらってきた。
「危ない!」 
 緋美子が盾でカマキリの頭を粉砕し、ヒバナはかろうじて命拾いした。
「ヤバかったなあ。卵産みつけられるとこだった」
 げっそりした表情でヒバナがつぶやく。
「ね、けっこう役に立つでしょ、私」
 緋美子が笑って言う。

 めざす1020号室はすぐそこだった。
 が、予想通り、部屋の前に黒い靄が立ちのぼっていた。
「そうすんなりとはいかないよね」
 靄から出てきたものを見て、ヒバナが観念したようにつぶやいた。
 軽自動車並みのサイズを誇るその生き物は、ナメクジに似ていた。
 アザラシかアシカの胴体に、ナメクジの頭を合成したような、そんな気色悪い姿である。
 頭から1メートルほどもある触覚が突き出し、その先端にソフトボール大の眼球がついている。
 不思議なのは、右のが赤くて左のが青いことだった。
「こんどは何かしら」
 緋美子がつぶやくのと同時だった。
 ナメクジの赤いほうの目が光った。
「あちっ!」
 ヒバナが左肩を押さえてうずくまる。
 間髪をいれず、すぐさま青いほうの眼も光る。
 今度は間に合った。
 緋美子の盾が、一瞬早くヒバナをかばう。
「うっ」
 が、うめいたのは緋美子のほうだった。
 盾が凍りついている。
 左腕がしびれ、感覚がなくなっていく。
「熱線と冷凍光線なんて、そんな卑怯な! そんな漫画みたいな非科学的な必殺技って、アリなの?」
 ヒバナがわめいた。
 ナメクジの光線が、二人の周りをなぎ払っていく。
 耐え切れず、ヒバナが、そして少し遅れて緋美子が飛んだ。
 距離を取り、相手の出方をうかがう。
「ナメクジ相手なら、やっぱりあれかな」
 ややあって、ヒバナがひとりごちた。
 ジャンプして光線を避けると、
「ええい!」
 気合と共に、空中から放水した。
 両の掌から、大量の海水を吹き出したのだ。
 それまで正確な機械のように二人をねらっていた二つの目玉が、束の間ひるんだように見えた。
 そこに、緋美子が羽根の矢を飛ばした。
 こめかみの飾り羽根が逆立ち、小さな羽根の矢を連射する。
 目玉が破裂した。
 身をくねらせて吼える怪物めがけて、ヒバナが力いっぱい槍を振り回す。
 首の付け根のところで分断されたナメクジが、腐臭のような匂いのする透明な液体を噴出させて床の上をのたうちまわる。
 そこを更にヒバナのプラズマ火球が焼き尽くした。
 もともと水分の多い体組織でできていたのか、じゅわじゅわ湯気を上げて溶けると、後にはほとんど何も残らなかった。
 黒い靄にもう一発火球を打ち込んで、ダンジョン攻略は完了した。
「あー、疲れた」
 腕輪を回し、元の姿に戻ると、げんなりした声でヒバナが言った。
「お母さん、無事かしら」
 緋美子が、変身の溶けるのを待つのももどかしい、といった様子で、ドアのノブに手をかける。
 中に入ると、母の瑞穂が課を上げたところだった。
「お母さん・・・」
 駆け寄ろうとしたとき、母が娘を見て眉を逆立て、言った。
「ちょっとひみちゃん、あんた昼間っからなんて格好してるの!」
 緋美子は耳まで赤くなった。
 あの異様に露出度の高いレオタード姿に戻っていることを、すっかり忘れていたのだ。
 後ろでヒバナが楽しそうに笑った。
 きょう初めて聞く、ヒバナの笑い声だった。
 
 
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