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第4部 ヒバナ、エンプティハート!

#7 ミタマウツシ

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「本当に大丈夫かな、霊獣の御霊(ミタマ)って、相性があるんじゃなかったっけ。いくらコピーとはいえ、それをひとりの人間に一度に四つも憑依させるなんて可能かな。あの超人的なヒバナでさえ、今まで竜を1匹ずつなわけだろ。第一、青竜も玄武も朱雀も白虎も、みんな属性が違うじゃないか」
 広いラボを見渡す制御室の中。回転椅子に腰かけてナギが言った。
「門外漢は黙っててよ。あたしはそれも見越した上であの子を選んだの。あの子なら肉体的にも精神的にもきっと耐えられる。それに、一匹ずつ憑依させるから、副作用の問題も少ないはず」
 兄に背を向けて手元の作業に没頭しながら、白衣を身にまとったナミが言う。
「わかったよ。黙って見てますって。ってゆうか、もう夜中の11時じゃないか。僕、もう眠くなってきたよ。その子はいつ来るんだい?」
 ふわああっとのん気にあくびをして、ナギがたずねた。
「バイト終わってからだって言ってたから、もうそろそろじゃないかな。それよりナギ、あんた昼間、学校さぼってあたしに内緒でどこ行ってたのよ」
「あれ? 言ってなかったっけ? 主(ぬし)様からまた指令がきてさ、ちょっとこの町の水まわりを調べてたんだよ」
 とぼけた口調で言い、ボリボリと頭を掻く。
「水まわりって、今度は何やる気? 戦艦武蔵で懲りたんじゃなかったの?」
「まあ、それはお楽しみにってことで。まずはナミのお手並みを拝見したいってことみたいだよ」
 ナミが何か言い返そうとしたとき、頭上遠くでインターホンの鳴る音がした。
「おっと、お出ましだな。かわいい子なんだってね。ちょっと楽しみだ」
 ナギが椅子から立ち上がる。
「隣のクラスなんだから、見たことあるはずだよ」
「僕には女の子の顔なんて、みんな同じに見えるのさ。特に十代の娘なんて、子供過ぎて鑑賞の対象にもなりゃしない」
 円筒形のエレベーターに向かいながら、ナギが言う。
「悪かったわね、十代の娘で」
 ナミは兄の背中にそう毒づいた。
                    ◇
 ここ那古野市の東部、千種区はいわゆる高級住宅街である。周囲は自然に恵まれ、地形は起伏に富んでいる。その丘と丘の間に、森に隠れるようにして乾家はあった。
 三階建ての豪奢な邸宅である。
 見上げるほど高い正門の鉄扉は、幸いなことに開いていた。
 正門から玄関まで、長いスロープが続いている。
 右手に外車を三台収めたガレージ、左手には時計塔が立っている。
 正面の巨大な木製の扉の上には、外国映画で見るような凝った意匠を施された白いバルコニーが、二段に重なって宙に張り出していた。
 地下鉄の駅からずいぶん距離があったため、到着したときにはすでに夜中の11時を過ぎていた。明日が土曜日で学校が休みなのがせめてもの救いだが、家で独り寝ている妹のことを思うと、なんとしてでも朝までには帰らねばならない。ナミは実験だと言ったが、それがどんなものかということよりも、今の緋美子にはそのことのほうが重大事だった。
それだけ現代風のインターホンを鳴らすと、しばらくして扉の上のほうからナミの声がした。
「鍵は開けたわ。さ、遠慮なく入って」
 重い扉を引いて一歩内部に足を踏み入れた緋美子は、思わずあっと息を飲んだ。
 真紅の絨毯。きらめくシャンデリア。
 弧を描いて二階へと続く階段。
 壁面を飾る巨大な絵画。
 まさにスクリーン上でしか見たことのない、きらびやかな世界が目の前に広がっていたのだ。
「ようこそ」
 両腕を広げて登場したのは、ナミの双子の兄、ナギだった。
「キミがうわさのヒミコちゃんだね」
 白いシャツにジーンズといった、カジュアルな格好をしている。
 顔立ちは妹そっくりだが、髪が短く、色ももっと明るい。
 妹と違い、眼鏡はかけていない。屈託のない笑顔が整った顔によく似合う、美青年だ。
「ナミがラボでお待ちかねだよ。でも、その前にジュースでもどうだい? 喉渇いてるでしょ」
 片手に持った大ジョッキを差し出して、言った。
 緋美子は反射的に、こくんとうなずいていた。
 ナギの言うとおり、急いだせいで喉がカラカラだったのだ。
 一息で飲み干すと、
「どう? おいしい? 僕の作った特製ドリンク」
 青年がうれしそうに目を細めた。
 妙に気配りがあるというのか、とにかく悪い人間ではなさそうだった。ジュースも、少し変わった味がしたものの、別に毒や睡眠薬が仕込まれているふうでもない。
「ナミのラボはこっちだよ。エレベーターで地下に降りるんだ」
 なるほど、階段の蔭に、透明なガラスでできたシリンダーー状のエレベーターが見えている。
 青年の後に続いて中に入ると、まったく音を立てず、エレベーターが下降し始めた。
 一分もせずに、ドアが開く。
 広々とした、まぶしい空間に出た。
「ハロー」
 目の前に、白衣を着たナミが立っていた。
「兄さんは向こうで見ててね」
「はいはい」
 空のジョッキを持って、ナギが右手にあるガラス張りの部屋に入っていく。
 緋美子はラボを見渡した。
 病院の手術室か、大学の研究室を思わせる大きなスペースである。
 真ん中に手術台そっくりのベットがあり、その周囲をさまざまな装置が取り巻いている。
 ナミの『錬金術』という言葉から中世ヨーロッパの古城にある不気味な地下室を想像していた緋美子だったが、ここは最新の設備を備えた病院なみの明るさ、清潔さである。
 それにしても、単なる高校生にすぎないナミがなぜこんな贅沢な施設を持っているのだろう。
 そんな素朴な疑問を抱かざるを得ない。
 とにかく、すべてが庶民の緋美子の想像を絶しているのだ。
「別に手術するわけじゃないんだけど、一応滅菌室でシャワーを浴びてきてもらおうかな。それから、綺麗になったらこれに着替えて、この腕輪をはめて」
 ナミがワインレッドの水着のような衣装と、大ぶりの古めかしい金属性の腕輪を渡してきた。
 衣装のほうは、ひと目見てひどく露出度が高いとわかるきわどいものだった。
 緋美子は顔を赤くしてナミを睨んだ。
「別にあなたのエロ動画を撮って動画サイトに投稿しようってんじゃないよ。体の変化をできるだけ視認したいんだ。裸がいちばんなんだけど、それだとさすがにあなたも抵抗あるだろうと思ってね」
 しごく真面目な口調でナミが言う。
「滅菌室はエレベーターの左手の扉。それから、着替えが終わったら、あのベットに寝て」
 仕方なく、言われるままに緋美子は滅菌室とやらに入り、薬のにおいのするシャワーを浴びた。温風で全身を乾かすと、ナミに渡された衣装と腕輪を身につける。腕輪はともかくとして、その水着のような布切れは極端に面積が狭く、苦労して着てみると、かろうじて乳頭と局部が隠れるだけで、あとはほとんど細いひもでつながっているだけという、AV女優風のおそろしいシロモノだった。
 裸でいるより恥ずかしい気がして、両腕で胸を隠してそろそろとベッドに向かって歩く。標準より肉感的な体つきである分、極小面積の布が余計に体の凹凸を強調してしまうのだ。
 しかも、別室でとはいえ、ナギに見られているかと思うと、恥ずかしさが倍増する。
 ようやくベッドにたどりつき、なんとかその上に仰向けになると、透明な手袋と大きなマスクをはめたナミが近づいてきて、
「まず霊界端末を装着します。これはちょっと痛いかも。目を閉じててね」
 と意味不明なことを妙に報告めいた口調で言い、緋美子の額に手を当てた。
 言われたとおりに目を閉じる。
 とたんに、額の中心がカッと熱くなった。
 何か硬質のものが皮膚にめり込んだかと思うと、そこを起点にして頭の中全体にパルスのような刺激が広がっていくのがわかった。
 脳神経が一斉にピリピリ痙攣し始めたような気味悪さだった。
「成功」
 ナミが言った。
「次に、アプリをダウンロードします。これは別名、『みたまうつし』という儀式です。きょうは、"白虎"で行きます」
 目を開けると、目の前に、レーザー光線の照射装置みたいなものが迫ってきていた。
 その胴体部分は透明で、中にホルマリン漬けの胎児のような気味の悪い物体が浮かんでいるのがちらりと垣間見え、緋美子は肌が粟立つのを感じないではいられなかった。
 ナミが装置のスイッチをオンにした。
 目に見えぬ波動が照射される気配がし、ふいに額の中心がまた熱をもった。
 大脳の中で続けざまに閃光が走り、今度は体全体の血管という血管が、どくんどくんと波打ち始めた。
「うううっ」
 緋美子は全身をくねらせ、あられもない姿のまま、大きくのけぞった。
 申し訳程度の布切れがずれ、年齢の割に意外なほど豊かな右の乳房がこぼれ出る。
 露出した肌が見る間に赤く色づき、ぬらぬらした大量の汗にまみれていく。
 はあ、はあ、はあ・・・。
 激しい息遣いが、半開きの形のいい唇の間から、絶え間なく漏れた。
 現実世界はすでに緋美子の脳裏から消し飛んでいる。
 その代わりにまぶたの裏に浮かび上がったのは、ひどくいびつな巨大生物のイメージだった。
 それは、虎に似て、否なる存在だった。
 なぜかその生き物は、狂気をはらんだ真っ白な眼をしていた。
 緋美子は絶叫した。
 "それ"が、強引に頭の中に入ってくるのを感じたからだった。
                  ◇
「右腕だけって・・・これ、どういうこと?」
 ナミが途方にくれたように言った。
 ナギがその隣に立ち、気絶した緋美子をいたましそうな表情で見下ろしている。
 少女の右腕に、信じられない変化が生じていた。
 腕が以前の倍以上に太くたくましくなり、肩から手首のあたりまでが真っ白い剛毛に覆われている。
 特に変化が著しいのは手首から先の部分だった。
 五本の指の先から、カミソリのように鋭く長い鉤爪が生えているのだ。
 ナギがいつになく生真面目な声で言った。
「やっぱり複製品だからなんだろうな。遺伝子が不完全にしか発現していない」
「まずいな。これじゃ、ヒバナに勝てない。早いとこ、あと三匹も憑依させないと」
 珍しく焦りのにじむ口調で、ナミがつぶやく。
「おいおい、きょうはもう無理だぜ。この子、これ以上やったら死んでしまうよ」
 ナギが妹の肩に手を置いて、制した。
「そんなこと、わかってる。でも、来週中には完成させる」
 ナミは今にも歯軋りせんばかりだ。
「とりあえず、すべてが完了するまで、腕輪ははずしておいたほうがいいだろうね、霊界端末も、絆創膏でも貼って隠しておくか。ヒバナに気づかれちゃ、まずいだろ」
「そうね」
 ナミがうなずき、緋美子の左手から腕輪をそっと抜き取った。
「しばらく寝かせといて、目覚めたら家まで車で送らせよう。この子、小さい妹がいるんだって? 
 ったくナミも残酷なことするよな。レイナといい、オンナは恐いよ」
 へらず口をたたくナギ。
 しかし、今回に限り、ナミは相手をしようとはしなかった。
 眼を閉じて横たわる少女を食い入るようなまなざしで見つめながら、祈るような声で言った。
「緋美子、頼むよ。がんばってよ。あたしには、あんただけが頼りなんだから」


 
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