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第3部 ヒバナ、デッド・オア・アライブ!

#16 神問答

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 レオンを囲む氷の壁に細かい亀裂が走った。
 その音に、レオンは短い首を上げた。
 すぐ前に、レイナが立っていた。
 八頭身のメリハリのある肢体。背中に流れるストレートの長い黒髪。
 切れ長の猫のような目で、レオンを見下ろしている。
 開いたレイナの脚と脚の間から、氷の床に倒れているヒバナが見える。
 まるで血に染まった襤褸切れのようだ。
 その背中で無数の線虫のようなものが蠢いていた。
 駆けつけてやりたい。
 だが、後ろの二本の脚が完全に壊死してしまっており、前進すらままならない状態だ。
「竜の腕輪を壊してしまったようだが、いいのか? 竜神の力が欲しかったんじゃないのか」
「だってこっちのが格が上でしょ」
 レイナが左手首にはめたもう一つの腕輪を掲げて見せる。
 元はといえば、最初の死天王、シンが所持していた腕輪である。
「まあな。それは四神獣を召喚する神器だ。ちなみに、ヒバナの腕輪の第三の竜は、その腕輪でも呼び出すことができる」
「青竜ね。でも、神獣は四柱なのに、この腕輪にはリングが5つある」
「玄武、白虎、朱雀、青竜は四つの方位を守る神獣だが、実は中央にもう一柱居る。黄竜だ」
「なるほどね。それは素敵」
 薄く微笑むレイナ。
「でもな、それはおそらくおまえには使えまい」
「今のところはね」
 上体をかがめ、レイナがレオンに美しい顔を近づける。
「何のためにあなたを生かしておいたと思う? ヒバナに装着した"霊界端末"。あれを私にもつけて欲しいから」
「だと思ったよ。だが、残念ながらあれはもうないんだ。もともと一つしかなくてね。ヒバナにやったのが、最初で最後だ」
「大丈夫。あの子から取り外して、私に付け替えればいい。簡単でしょ?」
「そんなことをしたら、ヒバナは死んでしまう。あれは装着者の脳神経と生体的につながっている。一度つけたら、はずすことはできないんだ」
「心配しなくても、あの子はもう死んでるわ。死体から取り外すなら、何も問題はないじゃない」
「待て。前から気になっていたことがあるんだが」
 ヒバナの元に歩み寄ろうと立ち去りかけたレイナを、レオンは呼び止めた。
「その逆五芒星。レイナ、おまえ、グノーシスの者か」
「さすが物知りね。伊達に年をとっちゃいないわね」
「まさか、この21世紀に、とは思ったが・・・」
 レイナの胸の谷間には、三角形を二つ組み合わせたような刺青がある。
 レオンが指摘したのは、そのことだった。
「ここに拉致されてくる前、私は小さな教会の神父の娘だった。父は表面上カトリック信者を装っていたけど、実は中世カタリ派を研究していたの。私のことを、よく『小さなソフィア』と呼んでいたものよ」
 レイナが心なしか遠い目になる。
「ソフィア・・・知の女神だな。つまり、お前に言わせると、この世界をつくった高天原の神々は、狂った神デミウルゴス、ということになる」
「よくわかってるわね。常世も、中つ国も、根の国も、みんなそろってくだらない。根底から間違っている。それは、狂った神に造られたから。そうじゃない?」
「俺にはよくわからないが・・・。マガツカミも、人間も、常世の聖獣たちも、みんな彼らの創作物だということだけは、確かだろうな」
「なぜデミウルゴスがこの三つの世界を造り、立ち去ったのか。それは考えても仕方のないこと。だって、初めからあいつらは、狂ってたんだから」
 ふっとレイナが笑う。
 グラビアアイドル顔負けの外見とは裏腹に、ひどく知的で酷薄な眼をしている。
 レイナにとって肉体の美しさ、妖艶さは武器の一つに過ぎない。
 中身は人間的感情を持たない高次の"何か"なのだ。
 最初のうち、潜在意識の底に隠れていたその高次の存在は、レイナがマガツカミとつながり、その超常的な生命力の一部を受け継ぐことで、彼女の中で次第に大きくなっていった。
 その意識の変化はおそらくマガツカミにも知られていることだろうが、あの途方もなく巨大な粘菌状の多核生命体は今のところ彼女を野放しにしている。自分の掌の中で孫悟空を操る釈迦の気分ででもいるのかもしれない、と常々レイナは思っている。事実、主様はシンや双子には厳しく注文をつけるが、レイナにはほとんど無干渉だった。知らず知らずのうちに何かの実験台にされている、という可能性もある。まあ、どの道、どちらが上かはもう少しではっきりすることだ。
「それで、その五つの神獣の力を手に入れて、お前は何をするつもりだ?」
 レオンはしゃべりながら、心の中でミミに呼びかけ続けている。
 この距離なら、常世の者同士、思念が届くはずだった。
「ここと、人間の世界を叩き潰したら、そうね、アイオーンのところへ還るわ。静謐に支配された、美しい知の宇宙に」
 レイナの声に、陶酔に似た感情がかすかに混じった。
「至高神アイオーン・・・。本当に居るんだろうか」
「居るわ」
「きっぱりと、レイナが断言する。
「私、会ったことあるもの。ずっと、ずーっと、幼い頃にね」
             ◇
「ひずみ・・・そのはさみで」
 ミミが口を開いたのは、ずいぶん時間がたってからのことだった。
「いや」
 ひずみは幼子が駄々をこねるように首を横に振った。
「そんなこと、できない。あなたを殺すなんてことは」
「違うの。ちょっと、気が変わったっていうか・・・思いついたことがあって」
 相変わらずぐったりして、ミミは苦しそうだ。
 だが、今までと違うところは、声に少しだけ、張りが戻ってきていることだった。
「何なの?」
「うちの体で、汚染されていない部分、そこだけ切り取って、食べるんだ」
「え?」
「そうすれば、たぶん、ほんの短い間なら、癒しの力を使うことができる」
「ヒバナを、助けられるの・・・?」
「わからない。でも、やってみる価値はある。うちはどうせ、もう死にかけている。今更体をちょっとくらい切られたところで、痛くもかゆくもないしね」
「ミミ・・・」
 ひずみはベルトからステンレス製の大鋏を抜き取った。
 ほとんど無意識で拝借してきたものだが、まさかこんなところで役に立とうとは・・・。
 レイナのほうを盗み見る。
 今、レイナはこの大伽藍の中心部の檻の前に立ち、何やらレオンと話し込んでいる。
 完全にひずみから意識が逸れているようだった。
「痛くして、ごねんね」
 ひずみは歯をくいしばり、はさみを持つ手に力を込めた。
 激痛のあまり、ミミが痙攣するのがわかった。
 ひずみの手に、真っ赤なミミの体液が飛び散った。
 苦労してこぶし大の肉片を切り取ると、そのぶよぶよした塊をひずみは口の中に押し込んだ。
 それは妙に塩辛かった。
 ミミの肉は、人間の血の味がした。

 
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