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第3部 ヒバナ、デッド・オア・アライブ!

#7 囚われの者たち

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 空気まで凍てつきそうな氷の牢獄の中で、レオンは激しく後悔していた。
 まさかあれが、敵の僕(しもべ)だったなんて・・・。
 レオンは食べ物に目がない。特に虫類が大好物である。
 その餌の中に、敵が紛れ込んでいたのだ。
  数日前のことだ。
 いつものように餌を探しに大猫観音商店街の裏路地を探索していたレオンは、中華料理屋の裏庭で、大きな"巣"を発見した。そこに群れをなして入っていくクロゴキブリの臭いにつられ、つい見境なく中に頭を突っ込んだとたん、眉間に毒針を打ち込まれ、一時的に意識を失った。そして次に目覚めたときには、この氷の檻に閉じ込められていたというわけである。
 うかつだった、と思う。
 あれは、罠だったのだ。

 変温動物のカメレオンに擬態しているレオンにとって、低温は最大の敵である。
 体温の低下とともに、思考力がどんどん鈍っていくのがわかる。
-しぶといわねー
 どこからか、女の声が響く。
 蜜をふくんだような、ねっとりした官能に訴えかける声色だ。
ーあなたがただの常世神でないことはわかってるの。私は、その意識のずっと奥に眠っている、本当のあなたを見せてほしいだけー
 何を言っているのだ、この女。
 そう反発しながらも、レオンは潜在意識のずっと深いところで、何かおぼろげな記憶が呼び覚まされようとしているのを感じている。
 遠い、いにしえの記憶。
 まだ竜族が存在していた頃の、何千年も過去の記憶・・・。
 馬鹿な、と思う。
 オレは竜族なんて知らない。
 オレはただ、創造主たちに作られ、この中つ国を守るようにプログラムされただけの、いわば自動機械(オートマトン)のようなものに過ぎない。
  常世の世界が消失したあと、まだあちこちにあぶくのように残っている異空間。そこにレオンの"工房"はある。レオンは工房で対根の国用の"土偶"をつくり、彼らを手足のように操って獲物を狩る、という戦闘スタイルをとってきた。ヒバナはむしろ例外中の例外で、レオンが初めて手がけた人間兵器だった。
どちらにせよ、レオン自身は、自分では戦うこともできない、神とは名ばかりの出来損ないに過ぎないのだ。
ーいいわ、いつまでもそうしていなさい。あなたが強情を張っているうちに、仲間たちは次々に死んでいく。最後にひとりだけ残って、非力なあなたにいったい何ができるかしらねー
 それを最後に、女の声が遠ざかっていく。
 すまん、ヒバナ。
 レオンは、いつも何かに驚いているように目をぱっちり見開いている、平凡だがどこか愛らしい少女の貌を脳裏に思い浮かべながら、力なく目を閉じた。
                   ◇
『聖ソフィアの会』のオフィス。
 営業時間を過ぎ、照明を落とした部屋の窓に、巨大な蜘蛛が張りついている。
 その前に立っているのは、体にぴったりフィットした革のボンテージ風ボディスーツ姿の麗奈である。
「レイナ、君はあいかわらずつれないね」
 蜘蛛がしゃべった。
「またボクに思考を読ませようとしない」
「私、裸になるのは好きだけど、心のガードは固いのよ」
 ふん、と鼻で笑って麗奈が言う。
「ボクのこと、マガツカミから派遣された監視役だとでも思ってるのかい?」
「思うも何も、その通りでしょ」
「まあね。でも、レオンをつかまえてあげたのはボクだぜ」
「そうね、あれはお手柄だったわ」
 麗奈の手が、毛むくじゃらの蜘蛛の脚を、一本一本そっとなで上げていく。
「お手柄ついでに、今晩のイベントも任せるから」
「イベントねえ」
 蜘蛛が少し考え込む。
「やつらもけっこう強いから、ひょっとしたらボク、死んじゃうかもねえ」
「そうなったらそうなったで、脚の一本でも拾いに行ってあげるわよ」
「ははは、やっぱり君って、つれないオンナだね」
 麗奈が窓を開けてやると、そんなことを言い残して、大蜘蛛は夜の大気の中に消えていった。
                ◇
 ここ那古野市の経済の根幹を成すのは自動車産業である。円安効果でその輸送機械産業は現在絶好調であるものの、少子化の波はこの那古野市にも例外なく押し寄せてきていて、毎年いくつかの小中学校が統廃合されていた。那古野駅の西側に位置する中央小学校もその一つで、バット君が霊魂たちのネットワークを使って得た情報によると、ミミはそこに現れた閉鎖空間(ダンジョン)に幽閉されているということだった。 
 夜8時。廃校の前に三つの人影が立つ。
 見捨てられて一年になる小学校の校舎は、夜の闇の中で見ると、さながら大きな幽霊屋敷のようだ。
 大斧を構え、カイが先頭に立って、門の中に入る。
 そのすぐ後を、竜化したヒバナと、白いワンピース姿のひずみが続く。
 正門同様、玄関ホールの扉にも鍵がかかっていたが、カイが怪力にものを言わせ、あっさり開けてしまう。
「どっちだ」
「・・・上かな」
 耳を澄ますように目を閉じていたひずみが、階段のほうを指差した。
 ほんのかすかに残された、ミミの気配を感じ取っているのだろう。
 建物の中は当然真っ暗だが、変身したヒバナとカイは夜目が効く。
 赤外線スコープを通したように、はっきり周囲の風景が見えている。
 階段を上がりきったとたん、ざわざわという音とともに灰色の獣の集団が廊下に現れた。
 猫ほどの大きさのあるドブネズミの集団である。
 カイが斧を振るい、先頭の何匹かをたたき潰す。
 その脇からヒバナが躍り出て、両の掌から小型のプラズマ火球を連射し、魔物軍団を焼き尽くした。
「先を急ぐぞ」
 敵の残党がひるんで逃げ出すのを確認して、カイが言う。
 三階の廊下に出ると、
「この奥の階段」
 そう、ひずみが言った。
 廊下の左側に教室が並んでいる。
 そのドアが次から次へと開き、わらわらと骸骨の群れが湧き出してきた。
「マジ幽霊屋敷かよ」
 カイが大斧を、ヒバナが長槍を振り回して骸骨軍団を粉々に砕き、道をつくっていく。
 四階に上がったところで、
「あそこ」
 ひずみが前方を指差した。
「ミミは、あの中にいる」
 このフロアは教室ではなく、音楽室や保健室などが軒を連ねているのだが、ひずみが指し示したのは、その中でもいちばん奥の『理科実験室』というプレートの出ている部屋だった。
「気を抜くな。罠かもしれん」
 低く声を押し殺してカイがささやいたときだった。
「ミミ!」
 叫んで、突然ひずみが駆け出した。
「あ、ばか!」
「ひずみちゃん!」
 カイとヒバナがほとんど同時に声を上げる。
 暗くて見えていないはずなのに、ひずみは正確に理科実験室の引き戸を探り当てると、開けるのももどかしくその中へ飛び込んで行った。
「ったく!」
 舌打ちしてカイが後に続く。
 ヒバナも急いでカイの広い背中を追う。
 部屋の中に飛び込むと、そこはダンジョンの中のダンジョン、と化していた。
 ただの理科室のはずなのに、体育館ほども広い。
 そして、正面、ここが体育館ならさしずめ舞台に当たるところにミミは居た。
 床から天井までびっしりと張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣。
 その真ん中に宙吊りになっている。
 ヒバナにはそのとき、見慣れたミミの環形動物状の体に、なぜか手足のないふくよかな女体がダブって見えた。
 これが本来のミミ、ヒルコの姿なのかもしれない。
 ヒバナはふと、そんなことを考えた。

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