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#355話 施餓鬼会⑳
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牛舎の中はバケツごと赤いペンキをぶちまけたように血まみれだった。
中でも凄絶なのは、半ば解体された二頭の乳牛の死骸である。
どちらも胸から腹にかけて大きな穴が開き、そこから鳥籠みたいな形を胸骨の一部が見えている。
「かわいそうに」
菜緒が死骸に向かって両手を合わせ、祈るようなしぐさをした。
「これは…」
私はうめいた。
ゆうべの出来事が脳裏をかすめた。
父を襲ったあの黒い影。
家の周りを跳梁していたあいつらがやったのだろうか。
ー最近、多いんですよねー
刑事たちの会話が耳の奥によみがえった。
ー正体不明の獣に襲われたっていう通報がー
「他の牛たちはとりあえず裏の空き地に避難させてます。菜緒ちゃんはあの子たちのケアをしてあげてくれない?」
背の高い若者が菜緒に言う。
「いいですけど」
菜緒はというと入口の手前でしゃがみこみ、熱心に何かを見つめている。
「あれ見てください。足跡が残ってます」
牛舎の中の地面は打ちっ放しのコンクリートなのだが、よく見るとなるほど血で濡れた足跡がいくつか見える。
「警察呼んだからまだ中を細かくは見てないんだけど、言われてみればそうだね」
「あれ、形からして、絶対、猿や熊のものじゃないですよね」
「う、うん…。でも、それ言っちゃう?」
「ここはひとつ、はっきりさせておかないと。あれ、間違いなく、裸足の人間の足跡ですよね」
「つまりは、この牛たちを襲ったのは、ケモノじゃなくて、人だってこと?」
我慢できなくなって、私は横からふたりの会話に口をはさんだ。
真夜中に冷蔵庫の中身を食い散らかしていた勇樹の狂態を思い出す。
そうだ。やはり…。
翌日、母が冷蔵庫をガムテープでぐるぐる巻きにして、勝手に開けられなくした。
そのせいで、飢えた勇樹は、その夜、家中で最も無抵抗な寝たきりの父を襲ったのだ。
腹が減って、食べるために…。
「感染症にかかってるけど、自覚がなくって、医者にかかったり、保健所に届け出たりしていない人たち、この周辺にまだけっこう居るんじゃないかと思います」
立ち上がると、私と青年を交互に眺めながら、菜緒が言った。
「感染症? 最近ニュースになってるやつ? それがどうしたの?」
「かかると文字通り人が変わっちゃうんだと思います。あの病気。人が変わるというか、別のモノになる…」
「餓鬼」
菜緒の言葉を受け、私はつぶやいた。
「あれは、人間を餓鬼に変えてしまう病いなんだ」
中でも凄絶なのは、半ば解体された二頭の乳牛の死骸である。
どちらも胸から腹にかけて大きな穴が開き、そこから鳥籠みたいな形を胸骨の一部が見えている。
「かわいそうに」
菜緒が死骸に向かって両手を合わせ、祈るようなしぐさをした。
「これは…」
私はうめいた。
ゆうべの出来事が脳裏をかすめた。
父を襲ったあの黒い影。
家の周りを跳梁していたあいつらがやったのだろうか。
ー最近、多いんですよねー
刑事たちの会話が耳の奥によみがえった。
ー正体不明の獣に襲われたっていう通報がー
「他の牛たちはとりあえず裏の空き地に避難させてます。菜緒ちゃんはあの子たちのケアをしてあげてくれない?」
背の高い若者が菜緒に言う。
「いいですけど」
菜緒はというと入口の手前でしゃがみこみ、熱心に何かを見つめている。
「あれ見てください。足跡が残ってます」
牛舎の中の地面は打ちっ放しのコンクリートなのだが、よく見るとなるほど血で濡れた足跡がいくつか見える。
「警察呼んだからまだ中を細かくは見てないんだけど、言われてみればそうだね」
「あれ、形からして、絶対、猿や熊のものじゃないですよね」
「う、うん…。でも、それ言っちゃう?」
「ここはひとつ、はっきりさせておかないと。あれ、間違いなく、裸足の人間の足跡ですよね」
「つまりは、この牛たちを襲ったのは、ケモノじゃなくて、人だってこと?」
我慢できなくなって、私は横からふたりの会話に口をはさんだ。
真夜中に冷蔵庫の中身を食い散らかしていた勇樹の狂態を思い出す。
そうだ。やはり…。
翌日、母が冷蔵庫をガムテープでぐるぐる巻きにして、勝手に開けられなくした。
そのせいで、飢えた勇樹は、その夜、家中で最も無抵抗な寝たきりの父を襲ったのだ。
腹が減って、食べるために…。
「感染症にかかってるけど、自覚がなくって、医者にかかったり、保健所に届け出たりしていない人たち、この周辺にまだけっこう居るんじゃないかと思います」
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「感染症? 最近ニュースになってるやつ? それがどうしたの?」
「かかると文字通り人が変わっちゃうんだと思います。あの病気。人が変わるというか、別のモノになる…」
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