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第289話 頼まれごと

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 帰ろうとして、廊下を歩いていたら、理科室の前まで来たところで、ふいに声をかけられた。
「おお、ユカリじゃないか。ちょうどよかった。ちょっと頼まれてくれないか」
 理科室の入口から半身を見せているのは、神崎先生だった。
 私たち2年C組の担任で、指導教科は理科だ。
 私は立ち止まり、そして少し赤くなった。
 神崎先生は独身で、しかもなかなかのイケメンだから、私たち女生徒の評判もいい。
「あ、はい、いいですよ」
 どぎまぎしながら、理科室に入ると、床にフタをしたポリバケツが置かれていた。
「これを焼却炉に捨ててきてほしいんだ。今、ちょっと手が離せなくてね」
「はあ…」
 神崎先生は白衣を着ている。
 その白衣の所々に、赤い染みができていた。
 それに、この匂い。
 なんだろう?
 どこかで嗅いだことのある、生臭い匂いが、理科室じゅうに漂っている。
 先生の肩越しに、実験台の一部が見えていた。
 その上に被せてあるシーツが、こんもりと盛り上がっている。
 シーツはやはり、先生の白衣同様、真ん中あたりがべっとりと赤く染まっている。
「焼却炉ですね」
 気持ちが悪くなって、さっさと用を済ませることにした。
 取っ手を持ってバケツを持ち上げると、ずっしりと重かった。
 中で何か柔らかいものがずるりと動いた気配がした。
「ひとつだけ言っておく」
 蒼ざめた私を見て、先生が低い声で言った。
「絶対に中を見るなよ。焼却炉には、そのバケツごと、放り込めばいい。余計なことは考えるな。さもないと…」
 その時不意に、ばさりという音がした。
 ちらりと背後に目をやる先生。
 その視線を追った私は、見た。
 実験台のシーツの一部がめくれて、何か細長いものがベッドの端から垂れ下がっている。
 大理石のように白い色のそれは、明らかに若い女性の腕だった。
 そして、中指に嵌まったあの指輪。
 あれは確か、音楽担当ののアケミ先生の…。
「ひっ」
 手からバケツが滑り落ち、ひっくり返って足元に中身をぶちまけた。
 赤い液体にまみれたどろどろした肉色の紐のようなもの。
 その間に袋みたいなものがいくつか絡まっていて…。
「おまえは本当にドジなやつだな」
 震える私を冷ややかに見やると、扉に内鍵を下ろしながら、先生が嘆息した。
「おかげでまたひとつ、手間が増えちまったじゃないか」
 
 

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