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第241話 墓のない村②
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「い、今の声は…?」
あんまり気味悪いのでついたずねると、
「たぶんトラツグミだと思いますけど…。ああ、座敷牢の兄の声なら、地下から聴こえるはずですし…」
小首をかしげて彼女が答えた。
「座敷牢の、兄って?」
「あ、いや、ひとりごとです。なんでもありません」
気分が落ち込んでくるのがわかった。
さっきの両親といい、何なのだ、ここは。
天井に等間隔に並ぶ裸電球に照らし出された薄暗い廊下を、音も立てずに歩き出す彼女。
その青白いうなじが、目印のようにぼうっと暗がりに浮かび上がる。
仕方なくついていくと、突き当りに土間があった。
廊下はここから左手に曲がっているのだが、不気味なのはその土間だった。
六畳ほどの広さのコンクリート打ちっ放しの空間に、所狭しと焼き物の壺が並んでいる。
壺はどれも大人の腰ぐらいまでの高さがあって、口の上に木製の蓋が載せてあるのだが、一番手前の壺だけ蓋がなくて、中身が見えているのだ。
見たくて見たのではなかった。
廊下を曲がろうと足を止めた瞬間、偶然視線が土間へと動き、うっかりそれが視界に入ってしまったのだ。
「え?」
僕は無意識のうちに声を上げていたようだ。
壺の中には八分目まで半透明の黄色い液体が入っていたのだが、問題はその底に沈んでいる”もの”だった。
ぶよぶよにふやけ、肥大した人間の胎児ー。
それにそっくりの”何か”が、壺の底から皮膚に入った切れ目のような眼で、恨めし気にこちらを見上げていたのである。
「ここは薬酒を作る作業場なんです。それがうちの実家の収入源なので」
壺を背中で隠す位置に移動して、彼女が言った。
「ま、まさかとは思うけど、い、今の、人間の…」
恐怖に顔をひきつらせながら訊くと、
「大丈夫です。素材はみんな、死産で生まれた胎児ですから。法に背くことをしているわけではありません。母はこの村の助産師をやっているので、たまに流れた赤ちゃんを持ち帰っては、ああしてお酒に漬けてるんです」
何でもないことのように答える彼女。
「試しにひと口飲んでみますか? 反魂酒といって、滋養強壮にとっても効果があるんですよ」
「い、いや、いいよ。遠慮しておく」
気持ち悪くて吐きそうだ。
こんな家、一刻も早くオサラバしたい。
でも、言い出したのは僕のほうなのだ。
着いて早々、そんな身勝手が許されていいはずがない。
とにかくここは、我慢しよう。
いくら奇妙な因習に縛られていようとも、今は多様性の時代である。
差別はいけない。
この令和の世の中、それは自明の理なのだからー。
案内されたのは、畳のささくれ立った物置みたいな和室だった。
色褪せた壁に薄汚れた掛け軸があり、よく見ると、柳の下に立つ女の幽霊が描かれていた。
「ここで待っていてくださいね、今お食事をお持ちしますから」
彼女が去ると、急に部屋の温度が下がったように寒くなった。
他に見るものがないので、嫌でも掛け軸の絵が目に入ってくる。
ひと目見て、二の腕にぞわっと鳥肌が立った。
それは足のない女の幽霊の絵で、色白で髪の毛の長いこともあり、どことなく横顔が彼女に瓜二つだったのだ。
あんまり気味悪いのでついたずねると、
「たぶんトラツグミだと思いますけど…。ああ、座敷牢の兄の声なら、地下から聴こえるはずですし…」
小首をかしげて彼女が答えた。
「座敷牢の、兄って?」
「あ、いや、ひとりごとです。なんでもありません」
気分が落ち込んでくるのがわかった。
さっきの両親といい、何なのだ、ここは。
天井に等間隔に並ぶ裸電球に照らし出された薄暗い廊下を、音も立てずに歩き出す彼女。
その青白いうなじが、目印のようにぼうっと暗がりに浮かび上がる。
仕方なくついていくと、突き当りに土間があった。
廊下はここから左手に曲がっているのだが、不気味なのはその土間だった。
六畳ほどの広さのコンクリート打ちっ放しの空間に、所狭しと焼き物の壺が並んでいる。
壺はどれも大人の腰ぐらいまでの高さがあって、口の上に木製の蓋が載せてあるのだが、一番手前の壺だけ蓋がなくて、中身が見えているのだ。
見たくて見たのではなかった。
廊下を曲がろうと足を止めた瞬間、偶然視線が土間へと動き、うっかりそれが視界に入ってしまったのだ。
「え?」
僕は無意識のうちに声を上げていたようだ。
壺の中には八分目まで半透明の黄色い液体が入っていたのだが、問題はその底に沈んでいる”もの”だった。
ぶよぶよにふやけ、肥大した人間の胎児ー。
それにそっくりの”何か”が、壺の底から皮膚に入った切れ目のような眼で、恨めし気にこちらを見上げていたのである。
「ここは薬酒を作る作業場なんです。それがうちの実家の収入源なので」
壺を背中で隠す位置に移動して、彼女が言った。
「ま、まさかとは思うけど、い、今の、人間の…」
恐怖に顔をひきつらせながら訊くと、
「大丈夫です。素材はみんな、死産で生まれた胎児ですから。法に背くことをしているわけではありません。母はこの村の助産師をやっているので、たまに流れた赤ちゃんを持ち帰っては、ああしてお酒に漬けてるんです」
何でもないことのように答える彼女。
「試しにひと口飲んでみますか? 反魂酒といって、滋養強壮にとっても効果があるんですよ」
「い、いや、いいよ。遠慮しておく」
気持ち悪くて吐きそうだ。
こんな家、一刻も早くオサラバしたい。
でも、言い出したのは僕のほうなのだ。
着いて早々、そんな身勝手が許されていいはずがない。
とにかくここは、我慢しよう。
いくら奇妙な因習に縛られていようとも、今は多様性の時代である。
差別はいけない。
この令和の世の中、それは自明の理なのだからー。
案内されたのは、畳のささくれ立った物置みたいな和室だった。
色褪せた壁に薄汚れた掛け軸があり、よく見ると、柳の下に立つ女の幽霊が描かれていた。
「ここで待っていてくださいね、今お食事をお持ちしますから」
彼女が去ると、急に部屋の温度が下がったように寒くなった。
他に見るものがないので、嫌でも掛け軸の絵が目に入ってくる。
ひと目見て、二の腕にぞわっと鳥肌が立った。
それは足のない女の幽霊の絵で、色白で髪の毛の長いこともあり、どことなく横顔が彼女に瓜二つだったのだ。
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