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第234話 開かずの間(後編)
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乳白色の月の光を浴び、薄闇に浮かび上がった”それ”ー。
身長は2メートル近くあるだろうか。
背中は甲羅を背負っているかのようにおわん型に盛り上がり、その下から三角形の尻尾がのぞいている。
頭部には毛が一本もなく、顔の真横にまぶたのないぎょろりとした目が開き、口は長い口吻になっている。
体色は腐った沼のような暗緑色で、足には大きな水かきがついている。
似ているものがあるとすれば、すっぽんである。
と、そのすっぽんの化け物が、扉の向こうに呼びかけるような感じで、奇妙に甲高い声でひと声鳴いた。
びっくりしたのはそのあとだ。
開かずの間の中から、打てば響くように返事が聴こえてきたのである。
聞き間違いかと思うほどかすかだったけど、それは紛れもなく女性の声だった。
返事を聞くと、すっぽんの化け物は開かずの間の扉に手をかけ、隙間からするりと中に姿を消した。
何だろう?
それに、中から聴こえたあの声って…?
怖かった。
けど、ここでもやはり好奇心が勝った。
化け物だけだったら、絶対行かなかったと思う。
私の背中を押したのは、声の主を知りたいという欲求だった。
だってあれは、まず間違いなく…。
私は部屋を抜け出すと、濡れた足跡を踏まないように忍び足で廊下を移動し、開かずの間の扉に貼りついた。
廊下の最深部を支える柱の陰に身を潜めながら、首だけ伸ばして様子をうかがった。
ほかの部屋と違い、そこだけ頑丈な木彫りの扉がはまった向こうからは、かすかな声が漏れてくる。
それは明らかに女性のもので、しかもうめき声にそっくりだった。
涼音さんだ。
涼音さんが、危ない…!
胸郭の中で飛び跳ねる心臓を懸命になだめつつ、そっと扉を引いた。
5センチほど引いて、隙間から中を覗いてみると、濃厚なお香の匂いがつんと鼻孔を衝いた。
10畳ほどの和室である。
薄桃色の照明の中、屏風を背に布団が敷かれている。
布団の上には、真っ赤な長襦袢を身にまとった女性が横たわっていた。
その長襦袢は半ばはだけられ、その下からミルク色の妖美な肌が露わになっている。
そして、その上に覆いかぶさるようにあの化け物が跨っていた。
そのリズミカルな腰の動き、口吻から漏れる喘ぎ声からして、何をやっているかは明白だ。
涼音、さん…?
思わずそう口に出しそうになって、私は声を飲み込んだ。
化け物に犯されているのは、綺麗に化粧したあの涼音さんに違いなかった。
ただひとつ不思議なのは、化け物にレイプされているかのように見える涼音さんの顔が、奇妙に恍惚としていることだった。
そして、大きくのけぞったその白い喉から漏れる声が、聞くに堪えないくらい甘ったるく官能的なこと…。
その証拠に、長襦袢から美しい裸身を曝け出した涼音さんは、怪物の動きに合わせて、自ら腰を振っているー。
どれほど時間が経ったのか。
絡み合ったふたりの動きが一段と激しくなったかと思うと、突然すすり泣くような声を発して怪物が硬直した。
そして、涼音さんの身体の上から青畳の上にごろりと転がり、動かなくなった。
しゅうしゅうしゅう…。
見る間に肌の色が深緑から白に変わり始め、奇怪な音を発して少しずつその身体が縮んでいく。
数分後、そこに現れたのは、全裸の人間の男の姿だった。
禿頭気味の、下腹がぽってり突き出た、どこにでもいるような中年男である。
男は目を覚ますと、涼音さんに一礼し、恥ずかしそうに股間を隠しながらこっちに向かってきた。
私はあわてて柱の陰に身を隠し、開かずの間を出て廊下を遠ざかる全裸の男の背中を見送った。
何が起こったのか、わけがわからなかった。
ただ、見てはいけないものを見てしまった、ということだけは、おぼろげながらわかった。
気になるのは涼音さんだ。
あんなことして、身体は大丈夫なのだろうか。
がー。
そのことを確かめに開かずの間の中に入る暇は、私には与えられなかった。
逡巡しているうちにまた、ぺた、ぺた、というあの足音が聴こえてきて、廊下の角から二匹目の化け物が姿を現したからである…。
遠くから聞こえる喧騒と差し込む朝陽で目が覚めた。
いつのまに戻っていたのか、そこは私の部屋だった。
昨夜の忌まわしい記憶が蘇る。
あれから、開かずの間を訪れ、涼音さんとまぐわった化け物は、計20匹を数えたのだ。
その20匹全部が、行為を終えて出てくる時には人間の男に変わっていたのも驚きだった。
涼音さんは?
気が気でなかった。
あれが現実なら、いくらなんでも、身体がもたない。
あれじゃまるで、化け物専門の遊女か娼婦ではないか。
着替えて廊下に出ると、喧騒の源が宴会用の大広間だということがわかった。
廊下に散乱するおびただしいスリッパを踏まないように気をつけながら、襖の陰から中をのぞく。
席の間を和服姿の涼音さんが、ビール瓶片手に蝶のように舞っている。
その周りに、料理を前にして胡坐をかいて座っているのは、どれも見たことのある顔ばかり。
ゆうべ、開かずの間に来た彼らである。
ふと思い当って、私は宴会場の柱を見た。
達筆な毛筆で書かれているのは、
ー河童様一同ー
の文字。
ああ、そういうことか。
なんとなく腑に落ちた気がした。
涼音さんは普段、こうして生計を立てているのだ。
身長は2メートル近くあるだろうか。
背中は甲羅を背負っているかのようにおわん型に盛り上がり、その下から三角形の尻尾がのぞいている。
頭部には毛が一本もなく、顔の真横にまぶたのないぎょろりとした目が開き、口は長い口吻になっている。
体色は腐った沼のような暗緑色で、足には大きな水かきがついている。
似ているものがあるとすれば、すっぽんである。
と、そのすっぽんの化け物が、扉の向こうに呼びかけるような感じで、奇妙に甲高い声でひと声鳴いた。
びっくりしたのはそのあとだ。
開かずの間の中から、打てば響くように返事が聴こえてきたのである。
聞き間違いかと思うほどかすかだったけど、それは紛れもなく女性の声だった。
返事を聞くと、すっぽんの化け物は開かずの間の扉に手をかけ、隙間からするりと中に姿を消した。
何だろう?
それに、中から聴こえたあの声って…?
怖かった。
けど、ここでもやはり好奇心が勝った。
化け物だけだったら、絶対行かなかったと思う。
私の背中を押したのは、声の主を知りたいという欲求だった。
だってあれは、まず間違いなく…。
私は部屋を抜け出すと、濡れた足跡を踏まないように忍び足で廊下を移動し、開かずの間の扉に貼りついた。
廊下の最深部を支える柱の陰に身を潜めながら、首だけ伸ばして様子をうかがった。
ほかの部屋と違い、そこだけ頑丈な木彫りの扉がはまった向こうからは、かすかな声が漏れてくる。
それは明らかに女性のもので、しかもうめき声にそっくりだった。
涼音さんだ。
涼音さんが、危ない…!
胸郭の中で飛び跳ねる心臓を懸命になだめつつ、そっと扉を引いた。
5センチほど引いて、隙間から中を覗いてみると、濃厚なお香の匂いがつんと鼻孔を衝いた。
10畳ほどの和室である。
薄桃色の照明の中、屏風を背に布団が敷かれている。
布団の上には、真っ赤な長襦袢を身にまとった女性が横たわっていた。
その長襦袢は半ばはだけられ、その下からミルク色の妖美な肌が露わになっている。
そして、その上に覆いかぶさるようにあの化け物が跨っていた。
そのリズミカルな腰の動き、口吻から漏れる喘ぎ声からして、何をやっているかは明白だ。
涼音、さん…?
思わずそう口に出しそうになって、私は声を飲み込んだ。
化け物に犯されているのは、綺麗に化粧したあの涼音さんに違いなかった。
ただひとつ不思議なのは、化け物にレイプされているかのように見える涼音さんの顔が、奇妙に恍惚としていることだった。
そして、大きくのけぞったその白い喉から漏れる声が、聞くに堪えないくらい甘ったるく官能的なこと…。
その証拠に、長襦袢から美しい裸身を曝け出した涼音さんは、怪物の動きに合わせて、自ら腰を振っているー。
どれほど時間が経ったのか。
絡み合ったふたりの動きが一段と激しくなったかと思うと、突然すすり泣くような声を発して怪物が硬直した。
そして、涼音さんの身体の上から青畳の上にごろりと転がり、動かなくなった。
しゅうしゅうしゅう…。
見る間に肌の色が深緑から白に変わり始め、奇怪な音を発して少しずつその身体が縮んでいく。
数分後、そこに現れたのは、全裸の人間の男の姿だった。
禿頭気味の、下腹がぽってり突き出た、どこにでもいるような中年男である。
男は目を覚ますと、涼音さんに一礼し、恥ずかしそうに股間を隠しながらこっちに向かってきた。
私はあわてて柱の陰に身を隠し、開かずの間を出て廊下を遠ざかる全裸の男の背中を見送った。
何が起こったのか、わけがわからなかった。
ただ、見てはいけないものを見てしまった、ということだけは、おぼろげながらわかった。
気になるのは涼音さんだ。
あんなことして、身体は大丈夫なのだろうか。
がー。
そのことを確かめに開かずの間の中に入る暇は、私には与えられなかった。
逡巡しているうちにまた、ぺた、ぺた、というあの足音が聴こえてきて、廊下の角から二匹目の化け物が姿を現したからである…。
遠くから聞こえる喧騒と差し込む朝陽で目が覚めた。
いつのまに戻っていたのか、そこは私の部屋だった。
昨夜の忌まわしい記憶が蘇る。
あれから、開かずの間を訪れ、涼音さんとまぐわった化け物は、計20匹を数えたのだ。
その20匹全部が、行為を終えて出てくる時には人間の男に変わっていたのも驚きだった。
涼音さんは?
気が気でなかった。
あれが現実なら、いくらなんでも、身体がもたない。
あれじゃまるで、化け物専門の遊女か娼婦ではないか。
着替えて廊下に出ると、喧騒の源が宴会用の大広間だということがわかった。
廊下に散乱するおびただしいスリッパを踏まないように気をつけながら、襖の陰から中をのぞく。
席の間を和服姿の涼音さんが、ビール瓶片手に蝶のように舞っている。
その周りに、料理を前にして胡坐をかいて座っているのは、どれも見たことのある顔ばかり。
ゆうべ、開かずの間に来た彼らである。
ふと思い当って、私は宴会場の柱を見た。
達筆な毛筆で書かれているのは、
ー河童様一同ー
の文字。
ああ、そういうことか。
なんとなく腑に落ちた気がした。
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