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第232話 開かずの間(前編)

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 高校三年生の頃の話である。

 受験を控えたその年の夏、都会の喧騒を逃れて、私はK県の山奥にある母方の実家に身を寄せることにした。
 一か月、静かなところで受験勉強に専念したい、という名目だった。
 時節柄、むろん、受験勉強云々というのはうそではなかったが、人間関係に疲れてもいた、というのも事実。
 別れたばかりの恋人からの、ストーカーまがいの嫌がらせ、親友だと思っていた同級生の裏切り、家へ帰れば父の浮気疑惑と、正直、心が落ち着く暇もなかったのだ。
 母方の実家は清流沿いにあり、母の妹の涼音さんが女手一つで小さな料亭を営んでいた。
 お盆の際に何度か行ったことがあるけれど、こんなので経営が成り立つのか、と不安になるほどいつも閑散としていて、客の入りは少なかった。
 いや、正直、客の姿を見かけたことは、一度もなかったように思う。
 それでも私は、綺麗で優しい涼音さんが大好きだった。親戚中で一番好きだったといっても、過言ではない。
 そう、あんなことがあるまでは…。

「いらっしゃい」
 大きなリュックを背負った私を見て、涼音さんはにっこり笑ってくれたものだ。
 前もって母を通して了承を得ていたものの、さすがに夏休み中ずっとお世話になるのは気が引けて、
「すみません。勝手なことお願いしちゃって」
 私は首をすくめて縮こまった。
「何他人行儀なこと言ってるのよ。私こそ大歓迎だわ。真美ちゃん、ここしばらく来なかったから、心配してたとこなの」
 高校に上がってから、夏は部活が忙しくなって、毎年私だけ実家に残ったのだった。
 言われてみれば私のほうも涼音さんに会うのは久しぶりである。
 母同様、アラフォーに差し掛かっているはずなのに、独身だからか、涼音さんはめっちゃ若々しくて美人だ。
「ゆっくりしてってね。なんなら住み着いちゃってもかまわないから」
 冗談とも本気ともつかぬ口調で言いながら、和服姿の涼音さんは長い廊下を歩いていく。
 廊下はコの字形に広い庭を囲んでいて、生垣の向こうからは意外に近く清流のせせらぎの音が聴こえてくる。
「このお部屋、自由に使ってね。お風呂も自由だけど、一日ごとに女湯と男湯が入れ替わるから気を付けて。あ、それから、前にも言ったと思うけど」
 あてがわれた和室の前で涼音さんは右腕を伸ばし、廊下の終点を指差した。
「あのお部屋には、何があっても絶対に入らないこと。いわゆる”開かずの間”ってやつね」
「中に何があるんですか? 前にも訊いたと思いますけど」
 子供の頃のおぼろげな記憶を探りながら、私はたずねた。
 そうだった。
 そういえば、母にも同じことを言われたことがある。
「さあね。とにかく、先祖代々の決まりなの。他界した両親の話では、このお屋敷の守り神が住んでるとか、そんなことだったはず」
「座敷わらし?」
「みたいなものかもね」
 ちょっと気味の悪い話ではあったけれど、その時はそれほど気にならなかったのだ。
 到着初日の私は、珍しく受験勉強に取り組む気満々だったし、何よりも、他に見るものがいっぱいあったから。
 それに何より、久方ぶりに見る叔母の笑顔がうれしくてしかたなかったからである。

 でも、そんな私の避暑生活に暗雲が垂れ込め始めたのは、それから二週間ほど経ってからのことだったー。

 ー続くー
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