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第10部 姦禁のリリス
エピローグ
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杏里たち5人が運ばれたのは、県外の総合病院だった。
山に囲まれた扇状地の扇の要の位置に、その白亜の建物はひっそりとたたずんでいた。
大きくはないが、できて間もないらしく、ロビーも通路も病室も磨き上げられたばかりのように綺麗だった。
「ここは昔からの友人が建てた医院でね。委員会とは別に、長い間タナトスやパトス、そして外来種の研究に携わっているんだ。委員会には知られていないから、完全に回復するまでゆっくり休むといい」
初日にそう言い残すと、御門塔子とともに富樫博士はすぐに姿を消してしまった。
委員会が信用できないのはもう明らかだったから、いわばこれは渡りに船だった。
あの怪物が委員会の本部からやってきたのなら、今頃本部はどうなっているかわかったものではない。
現に冬美の様子はずっとおかしかったのだ。
小田切ひとりまともそうだったが、あれは彼が一種の”宦官”みたいなものだからなのだろうと杏里は思った。
あの怪物の胎内に取り込まれた時の、すさまじい快感を思い出す。
おそらく”あれ”は、周囲に悪のフェロモンを撒き散らし、そばにいる者をことごとく色情狂に変えてしまうのに違いない。
あれからあの化け物はどうなったのだろう。
最後にふみに形を変え、多量の脂肪を燃料に、巨大な松明みたいに燃え尽きていった。
あれで本当に零は死んだのだろうか。
増殖し、融合した、ふみと美里と杏里の細胞と一緒に…。
入院3日目の午後。
杏里はレストルームで重人と向かい合っていた。
ふたりとも病衣を着ているが、どこも悪い所はない。
杏里は己の治癒力でここに来るまでにすでに全快していたし、重人はといえば今回は全くの無傷だったのだ。
今はルナと由羅、そしていずなの回復を待つだけである。
「まあ、医院長が物分かりのいい人でよかったよ」
紙コップのジュースを舐めながら、重人が言った。
「沢渡先生って言ったっけ。富樫博士が北海道のラボに就任する前からの友人なんだって」
杏里は小太りの白衣の医師を思い出した。
沢渡医院長は、丸眼鏡をかけた温和な顔つきの初老の男性である。
頭はほとんど禿げていて、医院長という肩書に似合わぬ優しい物言いをする人物だった。
-君たちのことなら、よく知ってるよ。だから大船に乗った気でいてくれたまえ。なに、みんなすぐ治るさ。笹原君の応急処置のおかげで、重症の榊君ですら、もう快方に向かいかけている。
初対面の時、ボロボロの杏里たちを前に、柔和な眼を細めて、医院長は言ったものだ。
「まあね。ただ、信用しすぎるのもどうかと思うけど」
紙コップの中のウーロン茶をストローで掻き回し、杏里は気のない返事をした。
だいたい、あの富樫博士という人物からして謎なのだ。
ルナの祖父で、杏里たちの生みの親という触れ込みだったのに、ろくに話もしないうちに行方をくらませてしまった。
沢渡医院長の話によると、海外から緊急の呼び出しがかかったのだという。
委員会、裏委員会以外に、まだ第三の組織が存在するということなのだろうか。
だとしたら、その目的は…?
「大人は信用できない。特に、人間の大人はね」
窓の外に広がる紅葉を眺めながら、杏里はつぶやく。
もうすぐ冬が来る。
そのあと、私たちは無事春を迎えられるのだろうか。
「これからどうするの?」
重人が訊いてきた。
「まだ委員会の仕事、続けるつもり?」
少し考えて、
「うん」
と杏里はうなずいた。
「委員会の機能が元に戻って、もしまだ依頼が来るようならね」
小田切には携帯で連絡を取ってある。
今は博士に紹介された病院の世話になっているが、みんなが完治したら家に戻ると言っておいた。
小田切は、
「そうか。好きにしろ」
そう返してきただけである。
「杏里はタフだね。あんな目に遭って、まだ懲りないんだ」
半ば呆れ顔の重人を、杏里はキッと睨みつけた。
「だって私はタナトスだよ。この体を使って人を浄化することしか、できることなんて他にないんだから」
山に囲まれた扇状地の扇の要の位置に、その白亜の建物はひっそりとたたずんでいた。
大きくはないが、できて間もないらしく、ロビーも通路も病室も磨き上げられたばかりのように綺麗だった。
「ここは昔からの友人が建てた医院でね。委員会とは別に、長い間タナトスやパトス、そして外来種の研究に携わっているんだ。委員会には知られていないから、完全に回復するまでゆっくり休むといい」
初日にそう言い残すと、御門塔子とともに富樫博士はすぐに姿を消してしまった。
委員会が信用できないのはもう明らかだったから、いわばこれは渡りに船だった。
あの怪物が委員会の本部からやってきたのなら、今頃本部はどうなっているかわかったものではない。
現に冬美の様子はずっとおかしかったのだ。
小田切ひとりまともそうだったが、あれは彼が一種の”宦官”みたいなものだからなのだろうと杏里は思った。
あの怪物の胎内に取り込まれた時の、すさまじい快感を思い出す。
おそらく”あれ”は、周囲に悪のフェロモンを撒き散らし、そばにいる者をことごとく色情狂に変えてしまうのに違いない。
あれからあの化け物はどうなったのだろう。
最後にふみに形を変え、多量の脂肪を燃料に、巨大な松明みたいに燃え尽きていった。
あれで本当に零は死んだのだろうか。
増殖し、融合した、ふみと美里と杏里の細胞と一緒に…。
入院3日目の午後。
杏里はレストルームで重人と向かい合っていた。
ふたりとも病衣を着ているが、どこも悪い所はない。
杏里は己の治癒力でここに来るまでにすでに全快していたし、重人はといえば今回は全くの無傷だったのだ。
今はルナと由羅、そしていずなの回復を待つだけである。
「まあ、医院長が物分かりのいい人でよかったよ」
紙コップのジュースを舐めながら、重人が言った。
「沢渡先生って言ったっけ。富樫博士が北海道のラボに就任する前からの友人なんだって」
杏里は小太りの白衣の医師を思い出した。
沢渡医院長は、丸眼鏡をかけた温和な顔つきの初老の男性である。
頭はほとんど禿げていて、医院長という肩書に似合わぬ優しい物言いをする人物だった。
-君たちのことなら、よく知ってるよ。だから大船に乗った気でいてくれたまえ。なに、みんなすぐ治るさ。笹原君の応急処置のおかげで、重症の榊君ですら、もう快方に向かいかけている。
初対面の時、ボロボロの杏里たちを前に、柔和な眼を細めて、医院長は言ったものだ。
「まあね。ただ、信用しすぎるのもどうかと思うけど」
紙コップの中のウーロン茶をストローで掻き回し、杏里は気のない返事をした。
だいたい、あの富樫博士という人物からして謎なのだ。
ルナの祖父で、杏里たちの生みの親という触れ込みだったのに、ろくに話もしないうちに行方をくらませてしまった。
沢渡医院長の話によると、海外から緊急の呼び出しがかかったのだという。
委員会、裏委員会以外に、まだ第三の組織が存在するということなのだろうか。
だとしたら、その目的は…?
「大人は信用できない。特に、人間の大人はね」
窓の外に広がる紅葉を眺めながら、杏里はつぶやく。
もうすぐ冬が来る。
そのあと、私たちは無事春を迎えられるのだろうか。
「これからどうするの?」
重人が訊いてきた。
「まだ委員会の仕事、続けるつもり?」
少し考えて、
「うん」
と杏里はうなずいた。
「委員会の機能が元に戻って、もしまだ依頼が来るようならね」
小田切には携帯で連絡を取ってある。
今は博士に紹介された病院の世話になっているが、みんなが完治したら家に戻ると言っておいた。
小田切は、
「そうか。好きにしろ」
そう返してきただけである。
「杏里はタフだね。あんな目に遭って、まだ懲りないんだ」
半ば呆れ顔の重人を、杏里はキッと睨みつけた。
「だって私はタナトスだよ。この体を使って人を浄化することしか、できることなんて他にないんだから」
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お久しぶりです。
またこの作品が読めるようになって本当に嬉しいです。
改めて最初から読んでみると、杏里には常に環境が敵になって味方の行動も敵対的になるのが気の毒ですね。
だから良いのですが(笑)
ありがとうございます。
あんまり長いので、分冊にして整理しながら上げています。
またよろしくお願いします。