上 下
382 / 463
第10部 姦禁のリリス

#28 小田切勇次の焦燥①

しおりを挟む
 冷たいリノリウムの床が続いている。
 その突き当りにあるのは、がっしりしたエアロックのような扉である。
「なんだって下っ端の俺まで駆り出されなきゃなんないんだ?」
 先を行く白衣姿の水谷冬美に声をかけたのは、同じく白衣を着た小田切勇次だ。
 セーターの上から寸足らずの白衣を羽織った小田切は、寝起きの灰色熊のように不機嫌だった。
 ゆうべ、冬美に突如として強制的にこの本部まで呼び出されたからである。
「まさか、杏里の消息がわかったっていうんじゃないだろうな? それともあれか? 裏委員会の本拠地の場所でも判明したとか?」
「そのどれも、鋭意捜索中。というより、裏委員会本部の所在がわかれば、杏里ちゃんの居場所がわかったも同然でしょ?」
「だったら、とっとと見つけてやってくれよ。裏委員会ってのは、外来種主体の組織なんだろ? そんなのが杏里を手に入れたとしたら…想像するだけでも気が滅入るってもんだ」
「珍しく人間らしいことを言うじゃない。タナトスなんて所詮道具ーそう思ってたんじゃなかったの?」
「馬鹿言え。俺はおまえとは違うんだ。杏里は俺の妹みたいなもんなんだよ」
 揶揄するような冬美の口調に、小田切はつい本音をぶちまけた。
 杏里と暮らし始めて、もうすぐ1年になる。
 タナトスという特異な存在だけに、杏里はひどく気まぐれで、少女と娼婦がひとつの肉体に同居する、どうにも扱い辛いキャラである。
 それでも杏里が姿を消した今になって、小田切は思うのだ。
 彼女との生活は、自分にとってかけがえのないものだったのではないのか、と。
「まあ、彼女の行方は捜索チームに任せるとして…それより、あなたにぜひ見てもらいたいものがあるの」
 掌紋認証をパスして、冬美が分厚いエアロック状のドアを開けた。
 内側のもう一枚の扉をくぐると、プールサイドのような場所に出た。
 高い天井の下、目の前に広がるのは、縦10メートル、横5メートルほどのプールである。
 水を8分目ほどたたえたその中に、奇妙な物体が浮かんでいる。
 全体が黒っぽいそれは、大きな肉の塊のように見えた。
 あちこちから突起物の突き出た、崩れた肉団子のような物体だ。
「なんだ、あれは?」
 無意識のうちに、小田切は顔をしかめていた。
 肉団子の表面から突き出ているのは、あれは、手や足ではないだろうか?
 それも、1本や2本ではない。
 何十本という数の細い手足が、奇怪なオブジェのように球体全体に生えているのだ。
「杏里ちゃんが消息を絶った、あの曙中学の火災事件…。あの焼け跡から見つかったのが、これなの。体育課を全焼した炎にも、これは燃えなかった。強靭な耐火性の粘膜に包まれて、じっと火が消えるのを待っていた…」
 怯えからなのか嫌悪感からなのか、冬美の声はかすかに震えを帯びている。
「焼け跡から…?」
 あの火事は、曙中学の校長からの緊急連絡を受けて、委員会の処理班が人為的に起こしたものと聞いている。
 なんでも、イベント会場に凶悪な変異外来種が乱入し、多くの生徒や教師を殺傷したからだというのだが…。
 では、目の前のこの物体が、騒動の元凶である怪物だというのだろうか。
「あちこちから突き出てるのは、人間の手足のように見えるが…」
「手足だけじゃないわ。球体の表面をよく見て」
「ん? どういうことだ?」
 冬美の指差すほうに目を凝らし、「う」と絶句する小田切。
 ランダムに生えた手足の間に、おわんのように盛り上がっているのは、乳房である。
 よく見ると、耳も、尻も、唇、眼もある。
 しかも、そのどれもがひとつではない。
 その球体は、まさに、何十人分の人間のパーツを表皮に埋め込んだかのような様相を呈しているのだ。
「あり得ない…」
 小田切は、舌が干からびた喉に貼りつくような恐怖を覚えていた。
 あの目、あの口、あの耳…。
 そのどれにも、見覚えがある。
「わかったでしょ? 私があなたを呼んだわけ」
 ぞっとするような冷たい声で、冬美が言った。
「あれに変化が現れたのは、きのうの夕方のこと。私には、ひと目でわかった。でも、確信がなかったから、あなたにも確かめてもらいたかったの。彼女とずっと一緒に暮らしてきたあなたなら、間違いなくわかるんじゃないかと思ってね」
「し、しかし・・・どうして、こんなことが…?」
「認めるのね」
 茫然とする小田切に、冬美が畳みかけた。
「あの身体のパーツは、どれも彼女のものだってことを」
「あれが…」
 小田切はうめくようにつぶやいた。
「杏里の成れの果てだとでも、言いたいのか…?」
 

 






しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

兄になった姉

廣瀬純一
大衆娯楽
催眠術で自分の事を男だと思っている姉の話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...