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第9部 倒錯のイグニス
#319 幕間②
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戸口に、グレーのスーツに身を包んだ女が佇んでいる。
無表情な瓜実顔に、縁なしの眼鏡をかけ、長いストレートヘアを背中に流している。
服装は地味なのに、妙に肉感的な感じのする女性だった。
年の頃は30代後半か、40代初めといったところだろうか。
標準より背は高く、スタイルの良さがはちきれそうなスーツから見て取れる。
あの女だ。
幼稚園児たちを束ねていたあの女。
彼女が幼児と男に私を襲わせたのだ。
でも、何者なのだろう?
杏里の恋人だったという、あのヤチカという画家でないことは確かだった。
ヤチカの姿なら、沼人形工房に同行した時に、ちらっと眼にしていた。
ヤチカはもっとボーイッシュな髪型で、スレンダーな肢体の持主だったように思う。
この女とは、似ても似つかない。
「困ったわね。わかってるとは思うけど、あなたを今ここから出すわけにはいかないのよ」
機械がしゃべるような事務的な口調で、女が言った。
「どういうこと? それは今がイベントの最中だから? あなたたちは、杏里をどうしようっていうの?」
ルナは一歩、前に進み出た。
鮮やかなアクアマリンの眼が、無表情な女の顔にじっと注がれる。
ただの勘でしかない。
だが、ルナは本能的に悟っていた。
杏里の身に危険が迫っている。
私が今すぐサポートに行かないと、過酷なイベントのさなか、杏里はきっとつぶされてしまうだろう。
600人対ひとりの絶望的な戦いなのだ。
いかに彼女が優秀なタナトスでも、その体力にはおのずと限界が来るに違いない。
ましてや私を呼んだのが、重人のテレパシーだとしたら…。
ひょっとして、あの重人の身にも、危険が迫っているのかも…。
「学園祭のシークレットイベントのどさくさにまぎれて、あの子を拉致する。ヤチカや百足丸はそのつもりらしいわ。まあ、私にはどうでもいいことなんだけど」
気のない口ぶりで、あっさりと女が言った。
隠すつもりもないらしい。
それにしても、ひっかかる言い方だった。
おかしい、と思う。
ヤチカと、百足丸…?
あの男の名が、その百足丸だとしても、どうしてヤチカが杏里を…?
「でもね、あの子には貸しがあるし、頼まれた以上は、私はあなたをここに足止めしておかなきゃならないの」
「そういうあんたは誰? 杏里やヤチカとどんな関係が?」
「わたしは丸尾美里。あの子から聞いてないかしら。暁中学の前任のタナトスよ」
「タナトス試作機…あの、失敗作…?」
いつか、杏里から聞かされたことがある。
杏里の今の任務は、暴走した前任者の”感染”を除去することだと。
「本人を前にして、失礼な言い方ね。わたしは失敗作などではないわ。むしろ、人類と外来種の橋渡し役、そう評価してほしいところなのだけれど」
気分を害したふうもなく、淡々とした口調で美里と名乗る女は言う。
この女には、感情がないのだろうか。
なんだかあまりに非人間的で、薄気味が悪い。
ルナは腰のあたりでこぶしをきつく握り締め、じっと不測の事態に身構えている。
「あんたが一部分でも外来種の種を宿してるのなら、それこそ私の出番かもね」
「そうだったわね」
女がかすかに口角を吊り上げた。
「あなたはパトス。そのなかでも珍しい、サイキッカータイプなんですってね」
「だったらどうなの?」
ルナの眼が光る。
「悪いけど、たかが変異外来種なんかに、私は止められない」
「それはどうかしら」
美里がスーツのボタンに手をかけた。
「何事も、やってみなければ、わからないでしょう?」
無表情な瓜実顔に、縁なしの眼鏡をかけ、長いストレートヘアを背中に流している。
服装は地味なのに、妙に肉感的な感じのする女性だった。
年の頃は30代後半か、40代初めといったところだろうか。
標準より背は高く、スタイルの良さがはちきれそうなスーツから見て取れる。
あの女だ。
幼稚園児たちを束ねていたあの女。
彼女が幼児と男に私を襲わせたのだ。
でも、何者なのだろう?
杏里の恋人だったという、あのヤチカという画家でないことは確かだった。
ヤチカの姿なら、沼人形工房に同行した時に、ちらっと眼にしていた。
ヤチカはもっとボーイッシュな髪型で、スレンダーな肢体の持主だったように思う。
この女とは、似ても似つかない。
「困ったわね。わかってるとは思うけど、あなたを今ここから出すわけにはいかないのよ」
機械がしゃべるような事務的な口調で、女が言った。
「どういうこと? それは今がイベントの最中だから? あなたたちは、杏里をどうしようっていうの?」
ルナは一歩、前に進み出た。
鮮やかなアクアマリンの眼が、無表情な女の顔にじっと注がれる。
ただの勘でしかない。
だが、ルナは本能的に悟っていた。
杏里の身に危険が迫っている。
私が今すぐサポートに行かないと、過酷なイベントのさなか、杏里はきっとつぶされてしまうだろう。
600人対ひとりの絶望的な戦いなのだ。
いかに彼女が優秀なタナトスでも、その体力にはおのずと限界が来るに違いない。
ましてや私を呼んだのが、重人のテレパシーだとしたら…。
ひょっとして、あの重人の身にも、危険が迫っているのかも…。
「学園祭のシークレットイベントのどさくさにまぎれて、あの子を拉致する。ヤチカや百足丸はそのつもりらしいわ。まあ、私にはどうでもいいことなんだけど」
気のない口ぶりで、あっさりと女が言った。
隠すつもりもないらしい。
それにしても、ひっかかる言い方だった。
おかしい、と思う。
ヤチカと、百足丸…?
あの男の名が、その百足丸だとしても、どうしてヤチカが杏里を…?
「でもね、あの子には貸しがあるし、頼まれた以上は、私はあなたをここに足止めしておかなきゃならないの」
「そういうあんたは誰? 杏里やヤチカとどんな関係が?」
「わたしは丸尾美里。あの子から聞いてないかしら。暁中学の前任のタナトスよ」
「タナトス試作機…あの、失敗作…?」
いつか、杏里から聞かされたことがある。
杏里の今の任務は、暴走した前任者の”感染”を除去することだと。
「本人を前にして、失礼な言い方ね。わたしは失敗作などではないわ。むしろ、人類と外来種の橋渡し役、そう評価してほしいところなのだけれど」
気分を害したふうもなく、淡々とした口調で美里と名乗る女は言う。
この女には、感情がないのだろうか。
なんだかあまりに非人間的で、薄気味が悪い。
ルナは腰のあたりでこぶしをきつく握り締め、じっと不測の事態に身構えている。
「あんたが一部分でも外来種の種を宿してるのなら、それこそ私の出番かもね」
「そうだったわね」
女がかすかに口角を吊り上げた。
「あなたはパトス。そのなかでも珍しい、サイキッカータイプなんですってね」
「だったらどうなの?」
ルナの眼が光る。
「悪いけど、たかが変異外来種なんかに、私は止められない」
「それはどうかしら」
美里がスーツのボタンに手をかけた。
「何事も、やってみなければ、わからないでしょう?」
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