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第9部 倒錯のイグニス

#306 蜜色の罠①

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 壁を伝うようにして移動した。
 E組の教室が近づいてくる。
 廊下側の窓は閉まっていて、内側からカーテンのようなもので目張りがしてあり、中は見えない。
 それでも人の気配は感じることができた。
 それも、かなり大勢。
 くすくす笑いをしたり、咳をしたり…。
 何十人もの人間が、息を殺して杏里の到着を待ち受けているのだ。
 入口にたどり着くと、杏里はそっと引き戸に手を伸ばした。
 下見の時、重人はなんと言っていただろう。
 ここにはどんな仕掛けがあるというのか。
 思い出せなかった。
 が、たとえ思い出せたとしても、自分にできることは限られている。
 これまで続けてきたことを、ここでも繰り返すしかないのだ。
 意を決して、戸を開ける。
 そろそろと手前に引くと、教室の中が見えてきた。
 誰かが飛びかかってくるということもなかった。
 視界に広がったのは、妙にがらんとした空間である。
 杏里は信じられないといったふうに、目を見開いた。
 なに、これ?
 見慣れたはずの教室の中には、机や椅子がひとつもない。
 教卓さえもなくなった部屋の中は、普段よりずっと広く見える。
 そして、そこにあるはずのないものが現出していた。
 巨大なビニール製のプールだ。
 直径5メートルほどの、遊園地のアトラクションの設備のような円形のビニールプールが、教室の中央に設置してあるのだ。
 プールの中には、正体不明の飴色の液体が8分目ほど入っている。
 ただの水ではないことは、その香りからしても明らかだ。
 ローションか、オイル…?
 杏里は小鼻をひくつかせ、そう思った。
 くすくす笑いが大きくなる。
 ビニールプールの周りには、二重に人垣ができている。
 E組の生徒だけではない。
 隣のD組の面々も混じっている。
 こういうことだったの…。
 ようやく納得する思いだった。
 これは、D組とE組合同の罠なのだ。
 このプールを設置するために、ここの机と椅子をD組の教室に運び入れたのだ。
 生徒たちは、全員水着姿だった。
 男子は短パン、女子はスクール水着。
 紺色と肌色の集団がにやにや笑いながら、ひとり全裸の杏里を見つめているのだ。
 幸い、璃子とふみの姿はなかった。
 それを確かめてほっと安堵の息をついた時、理知的な顔立ちの眼鏡の少年がおもむろに話しかけてきた。
「久しぶりだね。笹原杏里君。君がここまで無事にたどりついてくれて、本当にうれしいよ。なんせ、君は僕らの大切なクラスメイトであり、みんなのあこがれの的なんだからね。元気そうで、何よりだ。心の底から、待ちかねてたよ。じゃあ、みんな、用意はいいかい? 僕らの歓迎会、そろそろ始めようじゃないか」

 


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