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第9部 倒錯のイグニス
#211 美しき虜囚①
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七尾ヤチカの屋敷は、森の奥に位置している。
2階にバルコニーを配した、古びてはいるが、しゃれたつくりの邸宅だ。
独身の女の住まいにしては、贅沢すぎる。
きのうも感じた感想を、門扉の前に立った百足丸は改めて思い返している。
きのうはあれから、園児送迎用のバスで気を失ったルナをここに運んだ。
屋敷には先回りしたヤチカが待っていて、彼女の指示でルナを家の中に運び入れたのだ。
丸尾美里なる謎の女はそのままバスに乗り、子供たちの送迎があるからと帰っていった。
ルナのことはヤチカにまかせ、百足丸もじきに”本部”へ帰ったのだが、百足丸の報告を聞くなり、井沢は眉をひそめたものだった。
「丸尾美里? それも元タナトスだと? ヤチカにそんな協力者がいたなんて、聞いたことがないぞ」
「ここに幽閉される前の知り合いなんだろうが、とにかく気味の悪い女だったよ。タナトスというより、あれはどちらかというと変異優生種に近い」
「ふむ…。もしかしたら、ヤチカはマインドコントロールが解けかけているのかもしれないな」
難しい顔をして、井沢が黙り込む。
「どうする? ヤチカのやつ、ここへ呼び戻すか? もしそうなら、野放しは危険だろう?」
ルナの監視のため、ヤチカは一時的に自分の家で暮らすことが許されている。
曙中学の”イベント”で百足丸と組んで杏里を捕獲したら、その後、ルナの調教に専念するためだ。
もちろん調教には百足丸も協力することになっているのだが、ヤチカが自我を取り戻しているのだとすると、計画全体に支障が出る可能性は大いにある。
「明日、もう一度ヤチカに会ってこい。本当にマインドコントロールが解けているのかどうか、その目で確かめてくるんだ。そしてもし、その危惧が当たっているようなら、力ずくでここに連れてこい。おまえの鍼なら簡単だろう。イベントはもう、あさってに迫っている。土壇場での裏切りは許されない」
そんな会話があり、そして今、百足丸はヤチカの屋敷を再訪しているのだった。
石造りの門柱に取りつけられたインターフォンを鳴らすと、
-今、開けるわー
スピーカーから、落ち着いたヤチカの声が返ってきた。
百足丸はほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも、ルナを連れて雲隠れしたわけではないらしい。
分厚い門扉が自動的に開き、中に足を踏み入れると、右手の花壇に咲き誇る秋の花々の色彩がいきなり目に飛び込んできた。
向かって左手がガレージになっていて、車寄せを上がった先に、西洋風の両開きの扉に守られた玄関がある。
鬱蒼とした森と抜けるような青空を背景にして、ひっそりとたたずむ白塗りの洋館…。
まるで一幅の絵を見るような光景だ。
かすかな軋みを発して扉が開くと、現れたのは白いブラウスに黒のパンツを穿いたヤチカだった。
ブラウスは襟と袖口にレースの縁取りがあり、いつになく上品な雰囲気だ。
下半身にフィットしたパンツは体の線をくっきりと浮き立たせていて、柔らかな午後の日差しの下、スレンダーなヤチカの肢体をひどくセクシーなものに見せている。
井沢の性奴隷としての全裸のヤチカを見慣れた百足丸の目には、その姿はどきりとするほど新鮮だった。
「ルナの様子はどうだ?」
何を口にしていいか思い浮かばず、単刀直入に百足丸は本題から切り出した。
しょせん相手は奴隷同然の女である。
時候の挨拶の必要はないはずだった。
「すやすや眠っているわ。あなたの鍼のおかげでね」
井沢には召使いのように振る舞うヤチカも、百足丸に対しては一切へりくだるつもりはないらしい。
あるいは百足丸のことを、自分と同じ立場だと考えているのか、言葉遣いはあくまでも対等である。
それについて今更意義を唱える気はなかったが、少なからず百足丸は不快な気分になった。
「会わせてもらうぞ。直接様子をみてこいと、井沢さんにも言われてるんでね」
井沢の名を耳にしても、ヤチカは眉一筋動かさなかった。
「どうぞ」
尖った顎をしゃくって、扉の内側を指す。
1顔は、広いロビーである。
正面に吹き抜けの2階に上がるカーブを描いた階段。
右手に奥へと続く通路。
左手が来宅用の空間だ。
バーのカウンターを備えた客間の奥には仕切りがあり、その向こうが隠し部屋になっている。
きのう、ルナを運び入れたのは、その部屋だった。
豪華なソファやテーブルの間を、ヤチカについて歩く。
タイトなパンツに包まれたヤチカの尻は小ぶりだが、歩くたびに筋肉が動くそのさまは、後ろから見ていて落ち着かなくなるほど悩ましい。
井沢の調教のたまものなのか。
ヤチカは、本来の肉体の魅力を超えた性的なフェロモンを、周囲に撒き散らしているかのようだ。
一見ただの壁の一部に見えるドアをスライドさせると、20畳ほどの広い部屋が現れた。
照明を落とした部屋の中央にキングサイズのベッドがあり、白いシーツの上に金髪が扇のように広がっている。
きのうここへ運び込んだ時にはボロボロに裂けた制服を着ていたルナは、今は薄物を裸身にまとっただけの姿でベッドに横たえられている。
その美しさに、百足丸は声を出すのも忘れ、呆然と見入った。
黒野零の魔性を秘めた裸体に比べ、ルナのそれはただひたすら、純粋に美しい。
造化の美とは、このことをいうのだろう。
そんな場違いな思いにとらえられてしまったのだ。
「このお部屋にはバスもトイレも備わってるの。入浴も着替えも、ゆうべのうちに済ませておいたわ」
百足丸と肩を並べて眠っているルナを眺めながら、無感動な口調でヤチカが言った。
「等身大のお人形をお風呂に入れるみたいで、かなり大変だったけれど」
空調の効いた室内は、裸に近いルナに合わせて温度が少し高めに設定してあるようだ。
百足丸は妙な息苦しさを覚え、わざとらしく咳払いした。
「あの、美里とかいう女は信用できるのか? 明日と明後日、俺たちが捕り物に出ている間、彼女がこいつを見張るんだろう?」
「大丈夫よ。彼女は裏委員会には所属していないけど、目的は同じだから。それに、彼女の能力は、あなたもその目で見たはずよね」
いささかも動じることなく、ヤチカが答えた。
「目的か。本人の口から、それは聞いてる。笹原杏里への復讐だとな。ヤチカ、おまえは何を隠している?」
百足丸の眼が細くなる。
「別に何も」
「言っておくが、俺たちを裏切ったら、死ぬことになるぞ」
「知ってる」
ヤチカが目を上げた。
「それほど疑うなら、試してみたらどう?」
「試す? 何をだ?」
いぶかしげに訊き返す百足丸。
と、ヤチカの口角が、かすかに吊り上がった。
どうやら、笑ったようだった。
「あなたの鍼よ。あなたがいつも零にしてるようなこと、久しぶりに私の身体で試してみたいと思わない?」
2階にバルコニーを配した、古びてはいるが、しゃれたつくりの邸宅だ。
独身の女の住まいにしては、贅沢すぎる。
きのうも感じた感想を、門扉の前に立った百足丸は改めて思い返している。
きのうはあれから、園児送迎用のバスで気を失ったルナをここに運んだ。
屋敷には先回りしたヤチカが待っていて、彼女の指示でルナを家の中に運び入れたのだ。
丸尾美里なる謎の女はそのままバスに乗り、子供たちの送迎があるからと帰っていった。
ルナのことはヤチカにまかせ、百足丸もじきに”本部”へ帰ったのだが、百足丸の報告を聞くなり、井沢は眉をひそめたものだった。
「丸尾美里? それも元タナトスだと? ヤチカにそんな協力者がいたなんて、聞いたことがないぞ」
「ここに幽閉される前の知り合いなんだろうが、とにかく気味の悪い女だったよ。タナトスというより、あれはどちらかというと変異優生種に近い」
「ふむ…。もしかしたら、ヤチカはマインドコントロールが解けかけているのかもしれないな」
難しい顔をして、井沢が黙り込む。
「どうする? ヤチカのやつ、ここへ呼び戻すか? もしそうなら、野放しは危険だろう?」
ルナの監視のため、ヤチカは一時的に自分の家で暮らすことが許されている。
曙中学の”イベント”で百足丸と組んで杏里を捕獲したら、その後、ルナの調教に専念するためだ。
もちろん調教には百足丸も協力することになっているのだが、ヤチカが自我を取り戻しているのだとすると、計画全体に支障が出る可能性は大いにある。
「明日、もう一度ヤチカに会ってこい。本当にマインドコントロールが解けているのかどうか、その目で確かめてくるんだ。そしてもし、その危惧が当たっているようなら、力ずくでここに連れてこい。おまえの鍼なら簡単だろう。イベントはもう、あさってに迫っている。土壇場での裏切りは許されない」
そんな会話があり、そして今、百足丸はヤチカの屋敷を再訪しているのだった。
石造りの門柱に取りつけられたインターフォンを鳴らすと、
-今、開けるわー
スピーカーから、落ち着いたヤチカの声が返ってきた。
百足丸はほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも、ルナを連れて雲隠れしたわけではないらしい。
分厚い門扉が自動的に開き、中に足を踏み入れると、右手の花壇に咲き誇る秋の花々の色彩がいきなり目に飛び込んできた。
向かって左手がガレージになっていて、車寄せを上がった先に、西洋風の両開きの扉に守られた玄関がある。
鬱蒼とした森と抜けるような青空を背景にして、ひっそりとたたずむ白塗りの洋館…。
まるで一幅の絵を見るような光景だ。
かすかな軋みを発して扉が開くと、現れたのは白いブラウスに黒のパンツを穿いたヤチカだった。
ブラウスは襟と袖口にレースの縁取りがあり、いつになく上品な雰囲気だ。
下半身にフィットしたパンツは体の線をくっきりと浮き立たせていて、柔らかな午後の日差しの下、スレンダーなヤチカの肢体をひどくセクシーなものに見せている。
井沢の性奴隷としての全裸のヤチカを見慣れた百足丸の目には、その姿はどきりとするほど新鮮だった。
「ルナの様子はどうだ?」
何を口にしていいか思い浮かばず、単刀直入に百足丸は本題から切り出した。
しょせん相手は奴隷同然の女である。
時候の挨拶の必要はないはずだった。
「すやすや眠っているわ。あなたの鍼のおかげでね」
井沢には召使いのように振る舞うヤチカも、百足丸に対しては一切へりくだるつもりはないらしい。
あるいは百足丸のことを、自分と同じ立場だと考えているのか、言葉遣いはあくまでも対等である。
それについて今更意義を唱える気はなかったが、少なからず百足丸は不快な気分になった。
「会わせてもらうぞ。直接様子をみてこいと、井沢さんにも言われてるんでね」
井沢の名を耳にしても、ヤチカは眉一筋動かさなかった。
「どうぞ」
尖った顎をしゃくって、扉の内側を指す。
1顔は、広いロビーである。
正面に吹き抜けの2階に上がるカーブを描いた階段。
右手に奥へと続く通路。
左手が来宅用の空間だ。
バーのカウンターを備えた客間の奥には仕切りがあり、その向こうが隠し部屋になっている。
きのう、ルナを運び入れたのは、その部屋だった。
豪華なソファやテーブルの間を、ヤチカについて歩く。
タイトなパンツに包まれたヤチカの尻は小ぶりだが、歩くたびに筋肉が動くそのさまは、後ろから見ていて落ち着かなくなるほど悩ましい。
井沢の調教のたまものなのか。
ヤチカは、本来の肉体の魅力を超えた性的なフェロモンを、周囲に撒き散らしているかのようだ。
一見ただの壁の一部に見えるドアをスライドさせると、20畳ほどの広い部屋が現れた。
照明を落とした部屋の中央にキングサイズのベッドがあり、白いシーツの上に金髪が扇のように広がっている。
きのうここへ運び込んだ時にはボロボロに裂けた制服を着ていたルナは、今は薄物を裸身にまとっただけの姿でベッドに横たえられている。
その美しさに、百足丸は声を出すのも忘れ、呆然と見入った。
黒野零の魔性を秘めた裸体に比べ、ルナのそれはただひたすら、純粋に美しい。
造化の美とは、このことをいうのだろう。
そんな場違いな思いにとらえられてしまったのだ。
「このお部屋にはバスもトイレも備わってるの。入浴も着替えも、ゆうべのうちに済ませておいたわ」
百足丸と肩を並べて眠っているルナを眺めながら、無感動な口調でヤチカが言った。
「等身大のお人形をお風呂に入れるみたいで、かなり大変だったけれど」
空調の効いた室内は、裸に近いルナに合わせて温度が少し高めに設定してあるようだ。
百足丸は妙な息苦しさを覚え、わざとらしく咳払いした。
「あの、美里とかいう女は信用できるのか? 明日と明後日、俺たちが捕り物に出ている間、彼女がこいつを見張るんだろう?」
「大丈夫よ。彼女は裏委員会には所属していないけど、目的は同じだから。それに、彼女の能力は、あなたもその目で見たはずよね」
いささかも動じることなく、ヤチカが答えた。
「目的か。本人の口から、それは聞いてる。笹原杏里への復讐だとな。ヤチカ、おまえは何を隠している?」
百足丸の眼が細くなる。
「別に何も」
「言っておくが、俺たちを裏切ったら、死ぬことになるぞ」
「知ってる」
ヤチカが目を上げた。
「それほど疑うなら、試してみたらどう?」
「試す? 何をだ?」
いぶかしげに訊き返す百足丸。
と、ヤチカの口角が、かすかに吊り上がった。
どうやら、笑ったようだった。
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