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第9部 倒錯のイグニス
#188 イベント準備⑮
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とてもひとりカラオケの気分ではなかった。
迷路状のゲームコーナーを駆け抜けて、駐車場まで出てみたが、ルナの姿はどこにもない。
動くものといえば、1台の幼稚園バスが車両専用の出口を出ていくのが見えただけだった。
ルナは本当に帰ってしまったのだろうか?
それとも、ショッピングモールの中をあてもなく歩き回っているのだろうか?
杏里は踵を返すと、商業施設の入り口に向かった。
ルナに拒絶された痛手は想像以上に大きかった。
胸にぽっかり空洞が開いてしまったようで、いいようのない寂しさがこみあげてくる。
もちろん、ルナは杏里の存在自体を拒否したのではない。
それはわかっていた。
むしろ、彼女なりの論理で、杏里への思いを貫こうとしたというべきだろう。
だが、理屈ではわかっていても、杏里の肉体はそれでは満たされない。
浄化とまではいかなくても、せめてルナと肌を合わせたかった。
その思いが強い。
こんな中途半端な気持ちのままじゃ、とても家に帰る気なんてしない。
かといって、冬美の家に押しかけて、重人たちの前でまたルナに拒絶されたりしたら目も当てられない。
あてもなく歩き回った後、疲れてベンチに腰かけた。
膝の上に両肘をつき、チューリップの形に開いた両手に顎を乗せる。
目の前を通りすぎていくベビーカーを押した若い母親たち。
笑いながらふざけ合う杏里と同じくらいの年頃の少女たち。
みんな、みんな、幸せそうだ。
なのに私ときたら、ほんとに何をやってるのだろう?
あさってから学園祭が始まる。
中高生にとって胸躍るイベントであるはずの学園祭も、杏里には苦痛でしかない。
初日は一般公開日だからまだいいにしても、その翌日は問題のシークレットイベントだ。
600人を相手に、この身ひとつで性技の限りを尽くさなければならない。
そして仮にそれがうまくいったとしても、その後は…?
おそらく、ステージを変えての永遠に続く浄化。
更に、増殖する外来種たちとの絶えることのない確執が、まだまだ続くに違いない。
私、何のために生きてるのだろう?
何のためにこの世に生まれてきたのだろう?
いまだに答えの出ない疑問。
杏里には、ぼんやりと母親の記憶がある。
中学へ上がる前の病室でのやりとりを、ほんのかすかにだが、今も覚えているのだ。
幼い杏里の手を握りながら、母は言ったものだった。
-生きなさい。生き抜いて、あなたがこの世に生まれた意味を見つけるのよー
冷静に考えてみると、この記憶は矛盾している。
重人に記憶をサルベージされた結果判明したのは、杏里が蘇生したのは13歳頃だという事実である。
つまり、小学生の頃の記憶が残っているとすれば、それは肉体が死ぬ前に持っていた記憶ということになる。
杏里の人生は、父と姉の3人という疑似家族から始まった。
やがて、いじめと父からの性的虐待に耐えかねて姉が自死し、杏里を凌辱した後、その父も縊死して果てた。
結果、タナトスとして目覚めた杏里は、委員会の一員である小田切勇次に引き取られ、今に至っている。
そんな短い黒歴史の中で、母との思い出は小川の底の小石のようにひそやかな輝きを放っているのだ。
私がこの世に生まれた意味。
かっこよく言えば、それは、人類の繁栄のため。
今目の前を通りすぎる人たちの平和を、恒久的に維持させるため。
それでいいんだよね? お母さん。
でも、私自身の幸福は?
私は一度死んだ身。
すなわち人間ではなく、ゾンビみたいなもの。
だから人権もないし、モノみたいに取り換えがきく。
でも、ちゃんと感情を持っていて、人並みに喜んだり悲しんだりする。
今だって、ルナに振られて心が痛いんだ。
由羅もいない。
いずなちゃんも、ヤチカさんもいない。
孤独なんだ。とっても。
何度目かのため息をついた時だった。
隣に誰かが座る気配がした。
横目で見ると、背広姿の男が腰をかけ、むき出しの杏里の太腿を食い入るように見つめていた。
「君、いくら?」
やがて、右の太腿に手を置いて、男が言った。
「援交希望なんだろ? 匂いでわかるよ」
迷路状のゲームコーナーを駆け抜けて、駐車場まで出てみたが、ルナの姿はどこにもない。
動くものといえば、1台の幼稚園バスが車両専用の出口を出ていくのが見えただけだった。
ルナは本当に帰ってしまったのだろうか?
それとも、ショッピングモールの中をあてもなく歩き回っているのだろうか?
杏里は踵を返すと、商業施設の入り口に向かった。
ルナに拒絶された痛手は想像以上に大きかった。
胸にぽっかり空洞が開いてしまったようで、いいようのない寂しさがこみあげてくる。
もちろん、ルナは杏里の存在自体を拒否したのではない。
それはわかっていた。
むしろ、彼女なりの論理で、杏里への思いを貫こうとしたというべきだろう。
だが、理屈ではわかっていても、杏里の肉体はそれでは満たされない。
浄化とまではいかなくても、せめてルナと肌を合わせたかった。
その思いが強い。
こんな中途半端な気持ちのままじゃ、とても家に帰る気なんてしない。
かといって、冬美の家に押しかけて、重人たちの前でまたルナに拒絶されたりしたら目も当てられない。
あてもなく歩き回った後、疲れてベンチに腰かけた。
膝の上に両肘をつき、チューリップの形に開いた両手に顎を乗せる。
目の前を通りすぎていくベビーカーを押した若い母親たち。
笑いながらふざけ合う杏里と同じくらいの年頃の少女たち。
みんな、みんな、幸せそうだ。
なのに私ときたら、ほんとに何をやってるのだろう?
あさってから学園祭が始まる。
中高生にとって胸躍るイベントであるはずの学園祭も、杏里には苦痛でしかない。
初日は一般公開日だからまだいいにしても、その翌日は問題のシークレットイベントだ。
600人を相手に、この身ひとつで性技の限りを尽くさなければならない。
そして仮にそれがうまくいったとしても、その後は…?
おそらく、ステージを変えての永遠に続く浄化。
更に、増殖する外来種たちとの絶えることのない確執が、まだまだ続くに違いない。
私、何のために生きてるのだろう?
何のためにこの世に生まれてきたのだろう?
いまだに答えの出ない疑問。
杏里には、ぼんやりと母親の記憶がある。
中学へ上がる前の病室でのやりとりを、ほんのかすかにだが、今も覚えているのだ。
幼い杏里の手を握りながら、母は言ったものだった。
-生きなさい。生き抜いて、あなたがこの世に生まれた意味を見つけるのよー
冷静に考えてみると、この記憶は矛盾している。
重人に記憶をサルベージされた結果判明したのは、杏里が蘇生したのは13歳頃だという事実である。
つまり、小学生の頃の記憶が残っているとすれば、それは肉体が死ぬ前に持っていた記憶ということになる。
杏里の人生は、父と姉の3人という疑似家族から始まった。
やがて、いじめと父からの性的虐待に耐えかねて姉が自死し、杏里を凌辱した後、その父も縊死して果てた。
結果、タナトスとして目覚めた杏里は、委員会の一員である小田切勇次に引き取られ、今に至っている。
そんな短い黒歴史の中で、母との思い出は小川の底の小石のようにひそやかな輝きを放っているのだ。
私がこの世に生まれた意味。
かっこよく言えば、それは、人類の繁栄のため。
今目の前を通りすぎる人たちの平和を、恒久的に維持させるため。
それでいいんだよね? お母さん。
でも、私自身の幸福は?
私は一度死んだ身。
すなわち人間ではなく、ゾンビみたいなもの。
だから人権もないし、モノみたいに取り換えがきく。
でも、ちゃんと感情を持っていて、人並みに喜んだり悲しんだりする。
今だって、ルナに振られて心が痛いんだ。
由羅もいない。
いずなちゃんも、ヤチカさんもいない。
孤独なんだ。とっても。
何度目かのため息をついた時だった。
隣に誰かが座る気配がした。
横目で見ると、背広姿の男が腰をかけ、むき出しの杏里の太腿を食い入るように見つめていた。
「君、いくら?」
やがて、右の太腿に手を置いて、男が言った。
「援交希望なんだろ? 匂いでわかるよ」
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