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第9部 倒錯のイグニス

#127 紅白戦①

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 ああ、ついに…。
 正門の前に立ち、杏里は重いため息をついた。
 ついに来てしまったのだ。
 この日が。
 もちろん、杏里にとっての目下の最重要課題は、週末に控える学園祭である。
 だが、きょうのレスリング部紅白戦も、心理的にはかなりの重荷になっている。
 秋晴れの青空の下、三々五々グループをつくった生徒たちが、思い思いに校門をくぐっていく。
 門柱の陰に佇む杏里の姿に気づくと、誰もが一度は足を止め、粘りつくような視線を向けてくる。
 きのうの朝、全クラス一斉に行われたタブレット端末によるイベント発表。
 あれ以来、杏里は全校生徒の注目の的だった。
 痴態の限りを尽くした杏里の画像は、明らかに思春期の只中にある彼らに重度の衝撃をもたらしたようだ。
 美里の”調教”で性という禁断の果実に狂った挙句、それをまた封印されしまっていた十代半ばの少年少女たち。
 彼らの爆発しそうな欲望がまっすぐに自分に向けられるのを、杏里は肌で感じないではいられなかった。
 ただ、イベントまでの数日間、杏里に手を出すことは、一切許されていない。
 そうなると、彼らの当面の関心は、自然、きょうの午後開催されるレスリング部の紅白戦に集約されることになる。
 ただの練習試合なのに…。
 杏里が恨めしげに見上げたのは、校舎の正面入り口にかけられた大げさな横断幕である。
 
『曙中学校 レスリング部紅白戦 本日午後2時開催』

 白い布地に、赤い字ででかでかとそう書き殴ってあるのだ。
 
 杏里はブレザーのポケットに手を入れ、指先で底をまさぐった。
 あった。
 小さな箱の所在を確認して、安堵の吐息を漏らした。
 試合前に飲むつもりの性露丸だ。
 どうせなら、残り全部を飲んでしまって、週末のイベント用は、また今度買ってこよう。
 そう思っている。
 歩き出すと、股の間が疼いた。
 ミニスカートの下、滑らかなシルクのパンティの裏地に、リングで搾り上げられた陰核の先端がこすれているのだ。
 秘裂自体はぴたりと閉じているのだが、肥大しすぎて陰核が陰唇の中に収まらなくなってしまっているのである。
 あまり足早に歩くと、刺激が強くなりすぎて、危険な気がした。
「杏里、おはよ」
 ふいに肩を叩かれてびくりと身を硬くした杏里に、その顔をのぞき込むようにして長身の純が笑いかけてきた。
「いよいよだね。ドキドキするね」
「はああ…早く終わってほしい」
 杏里はため息混じりに応えた。
「何弱気なこと言ってんの! きょうの試合、絶対勝つよ! 杏里だって、きのう、そう言ってたじゃない」
「まあね…それは、そうなんだけど」
 純の励ましに、どんよりした表情でうなずいた。
 負けたくない、という思いは本当だ。
 でも、本番間近となると、あんなこと言わなきゃよかった、という後悔の念も強い。
「じゃ、先に行ってるね。また教室で」
 颯爽と駆け去っていく純のすらりとした後ろ姿をぼんやり見送っていると、
「杏里、おまえ、あれに出るんだってな」
 背後から、今度は聞き慣れた声がした。
 どきんと、心臓が一瞬鼓動を停止した。
 振り向くと、予想通り、アクアマリンの瞳と眼が合った。
「ルナ…」
 頬が火のように熱くなる。
 こっちを見つめて立っているのは、ブロンドの髪を朝陽に輝かせたルナだった。
 きょうはポニーテールでなく、長い髪を肩の下まで自然に流している。
 だからきょうのルナは、いつもよりずっと大人っぽく見える。
 ルナは例の横断幕を指さしている。
 ルナとは学校生活について、ほとんど話し合ったことがない。
 専ら話題に上がるのは、タナトスとパトスが属する裏の世界の出来事ばかりだからである。
 杏里が頬を染めたのは、ほかでもない。
 今更のように、ある事実に思い至ったからだった。
 ルナは今、クラスこそ違え、この曙中学の生徒である。
 ということは、きのうの動画を彼女も見ているのだ。
 その杏里の内心の動揺を感じ取ったのだろう。
「動画も見た]
 気まずそうに視線を足元に落とし、ルナが言った。
「軽蔑するよね」
 自嘲気味な杏里のつぶやきに、
「いや、タナトスも、いろいろ大変だなって思っただけさ」
 ルナが足元を見つめながら、苦笑する。
「ごめんね」
 なんとなく、そんな言葉が口をついて出た。
 何が「ごめんね」なのか、自分でもよくわからない。
「わたしに手伝えることがあれば、遠慮なく言ってくれ」
 つぶやくように、ルナが言った。
 ルナのやさしさは、最期に一緒に過ごした日々、由羅が見せてくれたやさしさに似ている。
 そう思うと、少し悲しくなった。
「ううん。ありがとう」
 かぶりを振ると、顔を上げたルナと眼が合った。
「きょうの試合、見に行っていいか?」
 今度は杏里の瞳から視線を逸らさず、ルナが訊く。
「うん」
 杏里は、はにかんだように微笑んだ。
「本当は、かなり恥ずかしいんだけどね」

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