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第9部 倒錯のイグニス

#68 闇へ続く道

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 病院を出る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
 屋外の平面駐車場には車の影もまばらで、だだっ広いスペースに小田切の薄汚れたセダンだけがぽつんと止まっている。
 助手席に乗りこみ、ダッシュボードのデジタル時計に目をやると、すでに夜の8時を過ぎていた。
「どこかに寄って、食事をしていくというのはどうかしら?」
 ルナと並んで後部座席に腰を落ちつけると、冬美が提案した。
「杏里ちゃん富樫さんも、この時間に帰って夕食の支度なんて、とても無理でしょう? 疲れてるだろうし」
「言われてみればそうだな。なんだか家に帰るのも億劫だ」
 その声ににじむ疲労に気づいて、杏里はバックミラーに映る金髪少女を一瞥した。
 ルナは気だるそうにシートに沈み込み、固く目を閉じている。
 昼の陽光の下ではあれほど精気に満ちあふれて見えた頬が、粉を吹いたように白くそそけだっている。
「なんなら、しばらくうちに来る? あなたの部屋、今頃消毒液で真っ白だろうし、新たな外来種に狙われないとも限らない」
「それもいいな。外来種なんて怖くないけど、いずなの行方が気になる。あんたのとこには重人がいるんだったっけ。ちょうどいい。この機会に、彼に調べさせよう」
「そうね。重人を通じてサイコジェニーの力を借りれば、案外た易く見つかるかもね」
 杏里も同感だった。
 ”あれ”がいずなでなかったとしたら、本物のいずなはどこにいるのだろう?
 まさか家に帰ってのんびりしてるなんてことは、まずありえない。
「新種薔薇育成委員会が、タナトスを欲しがってるってことだろうな」
 両手でハンドルを握り、まっすぐ前を見たまま、小田切が言った。
「本命は杏里なんだろうが、いずなもタナトスには違いない。拉致して何かに使う気じゃないか」
「何かって?」
 背筋を悪寒が走った気がして、杏里はたずねた。
「おそらく、生体実験みたいなものだろう。殺そうと思えば殺せたはずのいずなを拉致したからには、生身の彼女の身体に用があるということだ」
「外来種のミトコンドリアと、人間のミトコンドリアの両方を持つタナトス。そのせいで、どういう化学変化が起こったのか、タナトスはオリジナルよりも優れた治癒能力を持つようになった。彼らもきっと、その秘密を知りたくてたまらないのでしょうね」
 他人事のようなふたりの会話に、杏里は胸がむかつくのを感じていた。
 トレーナーとはいえ、小田切も冬美もしょせん人間なのだ。
 杏里たちの悲哀を真に理解しているとはとても思えない。
 いずなちゃんを助けなきゃ。
 なんとかして。
 でも、私ひとりでは、どうしていいかわからない。
 知らず知らずのうちに、杏里は固くこぶしを握り締めている。
 こんな時、由羅がいてくれたら。
 そう、痛いほど思った。
 由羅なら切羽詰まったこの気持ち、きっとわかってくれるのに…。
「とにかく、いずなの行方は俺たちが追うから、おまえらふたりは大人しくしてるんだ。杏里は普段の生活を続けて、やりかけの曙中学の浄化を完遂しろ。ルナは荘内橋中学から曙中に移って、杏里のガードに回ってくれ。そのための二重在籍なんだ。いずながいない今、荘内橋中にはもう用はない」
「わかった」
 目を閉じたまま、うなずいてみせるルナ。
「どの道、向こうはいずなの頑張りでほぼ鎮静化してる。来週から曙中のほうに登校するよ」
 きょうのルナは荘内橋のセーラー服姿だが、初めて会った時には杏里と同じ曙中の制服を着ていた。
 ふたつの中学校に在籍するなどという離れ業ができるのも、裏に委員会が控えているからこそだろう。
「でも、その代わり、いずなのこと、頼んだぞ。彼女がさらわれたのは、わたしのせいだ。このままじゃ、寝覚めが悪くてならない。委員会の介入で助け出せないなら、わたしひとりで乗りこむからな」
「その時には、私も手伝うよ」
 ヘッドライトが切り裂く闇を見つめながら、バックシートのルナに向かって杏里は言った。
「私と重人と3人で、いずなちゃんを助けに行こう。だって私たち、数少ない仲間なんだもの」












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