激甚のタナトス ~世界でおまえが生きる意味について~【激闘編】

戸影絵麻

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第9部 倒錯のイグニス

#44 基礎訓練⑬

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 授業後、純に練習には少し遅れていく旨を告げると、荷物はそのままにして、杏里は校長室を訪れた。
 他の教師たちの目が鬱陶しいので、職員室には寄らず、直接校長室のドアをノックする。
「入りたまえ」
 打てば響くように、校長の大山のバリトンが返ってきた。
「笹原です。失礼します」
 ドアを閉めて、一礼する。
 教頭の前原がソファから立ち上がり、杏里の手をとらんばかりに対面の席に誘導した。
 大山はソファにどっかりと沈み込み、長い脚を組んでいる。
 テーブルの上の灰皿では、吸いかけの煙草が一本。
 その煙で、空気全体がいがらぽい。
「久しぶりだな、笹原君。元気そうで何よりだ。ますます女っぷりにも磨きがかかったようで、安心したよ」
 おもむろに身を起こすと、向かい側に座ろうとする杏里の太腿のあたりを注視して、鷹揚な口調で大山が言った。
「こうして彼女が無事でいられるのも、大山校長の性的行為禁止令。あれのおかげですよね。まったく、素晴らしいアイデアだと、つくづく感服する次第であります」
 揉み手をしながら横から口を挟んだのは、バーコード頭の前原だ。
 確かにその言葉には一理あるけれど、そんなに校長をヨイショしなくても、と杏里は聊か閉口する思いだった。
「まあな。この学校を救えるのは笹原君、彼女しかいないんだ。学園祭まで、彼女の身の安全を守り通すのが、我々管理者の義務だからな」
 まんざらでもなさそうに、目を細めてうなずく大山。
 杏里は下着が見えないようにソファに浅くかけ、スカートの裾を引っ張っている。
 あまり刺激しすぎると、血の気の多い大山のことだ。
 前回同様、前原を追い出してまたぞろフェラチオを要求してこないとも限らない。
 それを防ぐための安全策だった。
「ところで、聞いたよ。レスリング部の件」
 杏里が無言でいると、大山がすかさず話題を変えてきた。
「元金メダリストの小谷先生の目に止まるなんて、すごいじゃないか。正直なところ、驚いたよ。笹原君、君にレスリングの才能があっただなんて。なあ」
 最後の「なあ」は、傍らで控える前原に向けてのひと言だった。
「ほんとですよね。いやあ、人は見かけによらないというか…。なんでも、来週の金曜日に部員同士の紅白戦が行われるそうで、生徒たちだけでなく、教師たちの間でも、今その噂で持ち切りなんですよ」
「ほう、紅白戦ね。こりゃ、ぜひ私も観戦したいものだな。まあ、小谷先生には、学園祭の裏イベントでも活躍していただかなければならないから、一度挨拶がてら顔を出すとしよう」
「あのう、それで、きょうは何のご用なんですか?」
 いつまでたっても本題が見えてこないので、火のついた煙草に手を伸ばし、わざとらしくそれを灰皿でもみ消すと、杏里はきっと顔を上げ、大山の長広舌を遮った。
「その学園祭のイベントのことだと、友人からは聞きましたけど」
「おお、そうだった」
 我に返ったように、大山が分厚い手のひらで脂ぎった顔をぶるんと撫でた。
「実は、裏イベントの内容について教えろと、生徒たちから生徒会に苦情が殺到しておるらしくてな、とうとう昨日、生徒会長が私の所に直接泣きついてきおったのだ。だから、そろそろ概要を発表しようと思う。今度のイベントが、性的行為を禁止されてもなお余りある、実り多いものであることを全校生徒に知らしめるためにもな」
「じゃあ…決まったんですか? その…イベントの詳細も」
 杏里は探るように大山の顔を見た。
 タナトスである杏里を使って、全校生徒を一気に浄化する。
 それが大山の企画した学園祭シークレットイベントの目的である。
 そのために、一種の脱出ゲームの形式をとるというところまでは聞いていたが、それ以降、音沙汰がなかった。
 600人の生徒相手に、いったい私にどうしろというのだろう?
 それが杏里には、いぶかしくてならないのだ。
「なあに、ルールは簡単だ。前にも少し話したと思うが、これはいわゆる、大規模な鬼ごっこだと思ってもらえばいい」
 新たな煙草を口にくわえ、大山が話し出した。
「鬼は全校生徒、それから、参加を希望する教職員とする。逃げるのは、当然、笹原君、君だ。会場は校内全体。タイムリミットは夜明けまで。当日は学校を閉鎖し、外部との交通を一切遮断する」
「それが…どう、浄化とつながるんですか? ただの鬼ごっこなら、あっと言う間に私が捕まって、そこで終わりって気がするんですけど…」
 わけがわからず、杏里は訊き返した。
 そんなことのために、学校を外部から遮断して、全校生徒と職員を総動員する?
 たかが鬼ごっこごときで、抑圧された者たちの”自己破壊衝動=他己破壊衝動”が収まるはずがない。
「もちろん、それだけではない。君を捕らえただけでは、勝者ということにはならないのだ。勝利の条件は、これだよ」
 大山がスーツのポケットからつかみ出したのは、ビロード製の指輪を入れるケースのような小箱である。
「…何ですか?」
 いぶかしげに眉をひそめる杏里を、大山が促した。
「開けてごらん」
 蓋を開くと、ひどく小さな金属製のリングが現れた。
「タナトスである君なら、これが何かわかるだろう?」
 好色そうな目つきで杏里を眺め、大山がたずねてきた。
 杏里の顔色が変わったことに気づいたのだ。
「そう、これは俗にクリトリスリングと呼ばれるものだ。今度のイベントの最大の肝は、これなのだよ。チームでも個人でもかまわない。勝者は、これを君に装着し、更には君を失神させた者とする。君はそうならないよう、全力で相手を浄化するのだ。まさに偉大なる性の饗宴。リビドーの大爆発。どうだ? まったくもって、素敵なアイデアだと思わないか?」





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