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第9部 倒錯のイグニス
#37 基礎訓練⑥
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部屋の大部分を占める青いマットを指さして、小百合が言った。
「まず、その上に上がれ。靴下も脱いで、裸足でな。上がったら、中央に行って、座るんだ」
マットは床からかなりの高さがあった。
だが、上がってみると、素材が硬いせいか、クッションのように沈み込む感じはしない。
言われたように真ん中あたりまで歩くと、杏里はそこに体育座りで腰を落ちつけた。
「このマットは、レスリングの試合で使われるものと同じ規格になっている。だから、ここでみっちり訓練を積めば、勘をつかみやすくなるはずだ」
言いながら小百合が近づいてきて、杏里の後ろに座った。
前方に投げ出した両足で、ちょうど杏里の尻を背後から挟み込むような恰好である。
「最初に確かめたいことがある」
後ろから杏里の頸に太い両腕を回し、小百合が訊く。
「おまえがアニスの技をすり抜けた時のことだ。あのローションみたいな体液は、いったい何なのだ? 身体中が濡れていて、つるつる滑ってつかめないほどだった。汗かと思ったが、どうやら違うようだったし…。要はあの状態になれば、おまえはどんな技でもすり抜けられる。そうなんだろう?」
「よく、わかりません」
杏里は首を振った。
あれはタナトスの防御機能のひとつなのだ。
普通の人間に説明して、理解してもらうのは至難の業だった。
それにはまず、タナトスという存在の解説から始めなければならないからだ。
「ある状況に陥ると、身体中の毛穴という毛穴からあれがにじみ出す…。私にはそうとしか説明できないんです」
「特異体質みたいなものか。まあ、いい。別に健康に害がないのならな」
「それはありません。むしろ、怪我をした時など、あの体液のおかげで、治りが早くなるくらいですから…」
「ふむ、それは便利だ。ますますおまえはレスリング向きだという気がしてきたよ。とにかく、あれは武器になる。そのことは、間違いない」
杏里の体質の謎については、小百合はそれ以上興味がないようだ。
試合に応用できればなんでもいい。
そんな態度が見え見えで、逆に言えばそのほうが杏里にとっては好都合だった。
しかし、自分がレスリングに向いているという評価には、承服しがたいものがある。
できればその考えだけは変えてほしいと、切に思う。
そんなことを言い出したら、タナトスはみんな、レスラーにならなければいけないということになってしまう。
「それで聞きたいのだが、あの状態になるには、どんな条件が必要なのだ? それさえコントロールできれば、おまえは無敵になれる。私はそう思うのだがな」
小百合は杏里の右耳を舐めるようにささやいてくる。
その鼻息は荒く、口からは強いミントの香りのする息を吐き出してくる。
それが耳朶に直接当たり、杏里はくすぐったいような感触に身を硬くしていた。
「それは…」
杏里は顔を伏せた。
これ以上は言えない、と思う。
これ以上しゃべったら、小百合を余計に興奮させてしまうことになる。
もちろん、ここでタナトスの能力を発揮して、ほかの者たちより先に小百合を浄化してしまうという手もないことはない。
いざとなったらそうすればいいのだが、しかし、正直、それには少し抵抗があった。
浄化は、間違いなく、性的行為の最たるものである。
その性的行為は、現在、校則で禁止されている。
それを自分が積極的に破っていいものかどうか、そこにどうしても迷いが生じてしまうのだ。
そもそも、この禁止令自体が、杏里を囮に使っての学園祭のイベントを最大限成功させるためのものなのだから、自分だけは例外という気がしないでもない。
だが、それではイベントの意味がなくなってしまうのではないか。
これまで通り、杏里が生徒や職員たちを個別に攻略していくことが許されるなら、そんなイベントなど、開く必要がなくなるからだ。
そんなふうに頭を悩ませている時だった。
熱い吐息とともに、小百合が言った。
「私は思うのだが…ひょっとしてあれは、おまえが性的に興奮すると分泌されるのではないのか? なぜって、あの時、アニスが言っていたからだ。あの液体は、その、ラブジュースにそっくりだったと。いや、否定しなくてもいい。今からそれを試してみれば、じきにわかることだからな。ああ、だが、勘違いするんじゃないぞ。今から私がやろうとしていることは、決して性的な行為などではない。あくまでも、教育的見地に立った指導なのだ。それを忘れるな」
この人は、何を…?
何を言ってるの?
だが、杏里の抗議の言葉は、いともた易く喉の奥で圧殺された。
次の瞬間、小百合のたくましい右腕が、杏里のか細い首にがっしりと巻きついてきたからである。
「まず、その上に上がれ。靴下も脱いで、裸足でな。上がったら、中央に行って、座るんだ」
マットは床からかなりの高さがあった。
だが、上がってみると、素材が硬いせいか、クッションのように沈み込む感じはしない。
言われたように真ん中あたりまで歩くと、杏里はそこに体育座りで腰を落ちつけた。
「このマットは、レスリングの試合で使われるものと同じ規格になっている。だから、ここでみっちり訓練を積めば、勘をつかみやすくなるはずだ」
言いながら小百合が近づいてきて、杏里の後ろに座った。
前方に投げ出した両足で、ちょうど杏里の尻を背後から挟み込むような恰好である。
「最初に確かめたいことがある」
後ろから杏里の頸に太い両腕を回し、小百合が訊く。
「おまえがアニスの技をすり抜けた時のことだ。あのローションみたいな体液は、いったい何なのだ? 身体中が濡れていて、つるつる滑ってつかめないほどだった。汗かと思ったが、どうやら違うようだったし…。要はあの状態になれば、おまえはどんな技でもすり抜けられる。そうなんだろう?」
「よく、わかりません」
杏里は首を振った。
あれはタナトスの防御機能のひとつなのだ。
普通の人間に説明して、理解してもらうのは至難の業だった。
それにはまず、タナトスという存在の解説から始めなければならないからだ。
「ある状況に陥ると、身体中の毛穴という毛穴からあれがにじみ出す…。私にはそうとしか説明できないんです」
「特異体質みたいなものか。まあ、いい。別に健康に害がないのならな」
「それはありません。むしろ、怪我をした時など、あの体液のおかげで、治りが早くなるくらいですから…」
「ふむ、それは便利だ。ますますおまえはレスリング向きだという気がしてきたよ。とにかく、あれは武器になる。そのことは、間違いない」
杏里の体質の謎については、小百合はそれ以上興味がないようだ。
試合に応用できればなんでもいい。
そんな態度が見え見えで、逆に言えばそのほうが杏里にとっては好都合だった。
しかし、自分がレスリングに向いているという評価には、承服しがたいものがある。
できればその考えだけは変えてほしいと、切に思う。
そんなことを言い出したら、タナトスはみんな、レスラーにならなければいけないということになってしまう。
「それで聞きたいのだが、あの状態になるには、どんな条件が必要なのだ? それさえコントロールできれば、おまえは無敵になれる。私はそう思うのだがな」
小百合は杏里の右耳を舐めるようにささやいてくる。
その鼻息は荒く、口からは強いミントの香りのする息を吐き出してくる。
それが耳朶に直接当たり、杏里はくすぐったいような感触に身を硬くしていた。
「それは…」
杏里は顔を伏せた。
これ以上は言えない、と思う。
これ以上しゃべったら、小百合を余計に興奮させてしまうことになる。
もちろん、ここでタナトスの能力を発揮して、ほかの者たちより先に小百合を浄化してしまうという手もないことはない。
いざとなったらそうすればいいのだが、しかし、正直、それには少し抵抗があった。
浄化は、間違いなく、性的行為の最たるものである。
その性的行為は、現在、校則で禁止されている。
それを自分が積極的に破っていいものかどうか、そこにどうしても迷いが生じてしまうのだ。
そもそも、この禁止令自体が、杏里を囮に使っての学園祭のイベントを最大限成功させるためのものなのだから、自分だけは例外という気がしないでもない。
だが、それではイベントの意味がなくなってしまうのではないか。
これまで通り、杏里が生徒や職員たちを個別に攻略していくことが許されるなら、そんなイベントなど、開く必要がなくなるからだ。
そんなふうに頭を悩ませている時だった。
熱い吐息とともに、小百合が言った。
「私は思うのだが…ひょっとしてあれは、おまえが性的に興奮すると分泌されるのではないのか? なぜって、あの時、アニスが言っていたからだ。あの液体は、その、ラブジュースにそっくりだったと。いや、否定しなくてもいい。今からそれを試してみれば、じきにわかることだからな。ああ、だが、勘違いするんじゃないぞ。今から私がやろうとしていることは、決して性的な行為などではない。あくまでも、教育的見地に立った指導なのだ。それを忘れるな」
この人は、何を…?
何を言ってるの?
だが、杏里の抗議の言葉は、いともた易く喉の奥で圧殺された。
次の瞬間、小百合のたくましい右腕が、杏里のか細い首にがっしりと巻きついてきたからである。
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