29 / 463
第9部 倒錯のイグニス
#28 真正タナトス
しおりを挟む
「おまえ、何をしたんだ…?」
近づいてきたルナが、床に転がった”それ”を見下ろして、茫然とした口調でつぶやいた。
「まさか…死んでいるのか?」
「ううん、死んではいないと思う」
杏里は小さく首を横に振った。
セミの抜け殻のようにしぼんだ怪物は、よく見ると、だらしなく伸ばした6本の脚を小刻みに痙攣させている。
「ただ、吸い取っただけ」
ぽつんと言った。
「吸い取った? 何を?」
ルナが、いぶかしげな視線を杏里の横顔に当てる。
「いのちのエキスみたいなもの。私には、そうとしか言えないんだけれど」
「いのちの、エキス?」
ルナにはまるで理解できないようだ。
ただ、呆けたように、杏里をじっと見つめている。
それは精液だけを指すのではない。
細胞が分泌する、もっと根源的なもの。
ミトコンドリアたちがつくり出す、原初の生命エネルギー、とでも呼べばいいだろうか。
「いずなを含め、今まで何人ものタナトスを見てきたが、杏里、おまえみたいなのは初めてだ」
ルナの声には、かすかに畏怖の念すらこめられているようだった。
「化け物は、そいつではなく、おまえのほうだな」
そう言われるのも、無理はない。
杏里の身体には、傷ひとつついていないのだ。
6本の凶器のような脚で刺された脇腹も、蠍のような尾を突き立てられた陰部も、わずかな間に、すっかり元に戻ってしまっている。
「そんなことより、いずなちゃんを」
杏里は窓辺にくず折れているいずなを助け起こすと、ルナの手にあずけた。
「これを着せてあげて。あなたのは、この前、私が借りちゃったから」
床に落ちていた自分のブレザーを拾い上げ、いずなに肩を貸したルナに手渡した。
いずなの制服もスカートも、怪物に引き裂かれてぼろぼろだ。
せめて傷ついた身体を隠してあげたい。
「ひとまずわたしの家に連れて行こう。タナトスをそのへんの病院にあずけるわけにはいくまい」
「そうね。篠崎医院はここからちょっと遠いしね」
篠崎医院とは、委員会の息のかかった個人病院であり、杏里も何度か世話になったことがある。
「急がないと、SATが来る」
下着を身に着け、ブラウスを羽織り、スカートを穿くと、杏里はルナの反対側からいずなに肩を貸した。
二人三脚のような恰好で美術室を出て、後ろ手に引き戸を閉めた時である。
ガチャン。
部屋の中で、ガラスの割れる音がした。
SATの突入が始まったのだ。
近づいてきたルナが、床に転がった”それ”を見下ろして、茫然とした口調でつぶやいた。
「まさか…死んでいるのか?」
「ううん、死んではいないと思う」
杏里は小さく首を横に振った。
セミの抜け殻のようにしぼんだ怪物は、よく見ると、だらしなく伸ばした6本の脚を小刻みに痙攣させている。
「ただ、吸い取っただけ」
ぽつんと言った。
「吸い取った? 何を?」
ルナが、いぶかしげな視線を杏里の横顔に当てる。
「いのちのエキスみたいなもの。私には、そうとしか言えないんだけれど」
「いのちの、エキス?」
ルナにはまるで理解できないようだ。
ただ、呆けたように、杏里をじっと見つめている。
それは精液だけを指すのではない。
細胞が分泌する、もっと根源的なもの。
ミトコンドリアたちがつくり出す、原初の生命エネルギー、とでも呼べばいいだろうか。
「いずなを含め、今まで何人ものタナトスを見てきたが、杏里、おまえみたいなのは初めてだ」
ルナの声には、かすかに畏怖の念すらこめられているようだった。
「化け物は、そいつではなく、おまえのほうだな」
そう言われるのも、無理はない。
杏里の身体には、傷ひとつついていないのだ。
6本の凶器のような脚で刺された脇腹も、蠍のような尾を突き立てられた陰部も、わずかな間に、すっかり元に戻ってしまっている。
「そんなことより、いずなちゃんを」
杏里は窓辺にくず折れているいずなを助け起こすと、ルナの手にあずけた。
「これを着せてあげて。あなたのは、この前、私が借りちゃったから」
床に落ちていた自分のブレザーを拾い上げ、いずなに肩を貸したルナに手渡した。
いずなの制服もスカートも、怪物に引き裂かれてぼろぼろだ。
せめて傷ついた身体を隠してあげたい。
「ひとまずわたしの家に連れて行こう。タナトスをそのへんの病院にあずけるわけにはいくまい」
「そうね。篠崎医院はここからちょっと遠いしね」
篠崎医院とは、委員会の息のかかった個人病院であり、杏里も何度か世話になったことがある。
「急がないと、SATが来る」
下着を身に着け、ブラウスを羽織り、スカートを穿くと、杏里はルナの反対側からいずなに肩を貸した。
二人三脚のような恰好で美術室を出て、後ろ手に引き戸を閉めた時である。
ガチャン。
部屋の中で、ガラスの割れる音がした。
SATの突入が始まったのだ。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。



どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる