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第9部 倒錯のイグニス
#23 緊急事態⑤
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A棟の階段を3階へ上がったところで、廊下の先から複数の靴音が聞こえてきた。
手すりの陰に隠れて様子をうかがうと、駆けてくるのは防弾チョッキを装備した制服の警官たちだった。
-なに?-
杏里は重人に思念を向けた。
重人は今頃、部室に隠れて杏里とルナをトレースしているはずだ。
その場合、こちらがテレパスでなくとも、こうすれば思いが届くのを杏里は知っている。
-ついさっき、現場の指揮官の思考を読んでみた。県警がSATの突入を決めたらしい。説得が功を奏さないんで、最終手段に出るってことだね。まあ、あの状況じゃ、確かに説得どころじゃないんだけどー
この思念波は、同時にルナにも届いているはずだ。
その証拠に、次の重人からの返事は、ルナにも向けられたものだった。
-そうだ、ルナ。だから、A棟の警官隊には退避命令が出ている。これで君たちは動きやすくなるはずだー
SATが警察の特殊部隊であることは、テレビなどから得た知識で杏里も知っている。
警官隊の撤退で動きやすくなるのはいいが、逆に言えばSAT突入の前にカタをつけないと、面倒なことになるというわけだ。
それにしても、慌ただしい一日だと思う。
奇妙なレスリング部の入部審査に、ふみの襲撃。
それを辛くも逃れたと思ったら、数十分後にはこんなところに居て、刑事ドラマでしか見たことのないSATの心配までしている始末。
現実世界の展開が早すぎて、思考がついていっていない気がする。
通り過ぎる警官たちをやり過ごしながらも、非現実感を拭い切れないのだ。
足音が聞えなくなったのを確かめ、3階に上がる。
しんと静まり返った廊下が伸びているだけで、人の気配はない。
3階から4階へ向かう階段の踊り場まで来た時、
「誰だ? おまえたちは?」
頭上からふいに男の声が降ってきた。
まだ警官が残っていたらしく、制帽の男がこちらを見下ろしていた。
「生徒はとっくの昔に全員退避させたはずだろう? 今までどこに隠れていた?」
駆け下りてくる警官に、ルナが目を向けた。
「わっ」
だしぬけに、男の身体が宙に浮く。
そのまま杏里たちの頭の上を飛び越え、階段を転げ落ちていった。
「殺さないでって言ったじゃない!」
杏里はルナの腕をつかんだ。
この子は凶器と同じだ。
放っておいたら、何をしでかすかわからない。
「死にはしない。せいぜい骨折程度だろう」
ルナが涼しい顔で言う。
赤の他人の痛みなど、知ったことではない。
そんな能面みたいな横顔だ。
腹立ちを押さえて、4階に上がり、廊下を進む。
目指す美術室は、あれだろうか。
奥の部屋だけ、なぜか引き戸が半分開いている。
入口わきの壁に背をつけると、ルナが早口でささやいた。
「ここから先はおまえひとりで行くんだ。入ったら、どんな手を使ってもいい。横尾守をいずなから引き離せ。それに成功したら、わたしが突入する。いいな」
「そんなこと、言われても…」
抗議する暇もなかった。
ルナが視線を杏里の腹に当て、次に入口のほうへと動かした。
見えない力にぐいと身体が引かれたと思ったら、杏里はすでに部屋の中だった。
たたらを踏んで、転倒するのを辛うじて免れた。
がらんとした広い部屋である。
壁際に、イーゼルが何脚か立っているほかは、ところどころにトルソや胸像のレプリカがあるばかり。
が、窓辺に目を向けて、杏里は危うく叫び出しそうになった。
制服をびりびりに引き裂かれた半裸の少女が、窓に押しつけられている。
三つ編みの髪型からして、間違いなくいずなだろう。
その背中に、異様なものが蔽いかぶさっていた。
何、これ?
吐き気がこみ上げてきた。
これが、外来種…?
信じられない。
ここまで人間離れした相手は、初めてだった。
そして同時に、杏里はルナが自分を呼んだ理由に気づいていた。
これでは、念力は使えないわけだ。
使ったら、いずなちゃんまで、一緒に死んでしまう…。
ルナは、外来種をいずなから引き離せと言った。
でも、いったい、どうしたら…?
その時だった。
杏里の頭の中に、ぱっと”眼”が開いた。
オレンジ色の虹彩の奥の、ルビーのように赤い瞳が、じろりと杏里を見た。
-まだまだだねえー
ため息混じりに、サイコジェニーが”言っ”た。
-真のタナトスにステップアップするには、どうやら杏里、おまえは、その心に問題があるようだー
手すりの陰に隠れて様子をうかがうと、駆けてくるのは防弾チョッキを装備した制服の警官たちだった。
-なに?-
杏里は重人に思念を向けた。
重人は今頃、部室に隠れて杏里とルナをトレースしているはずだ。
その場合、こちらがテレパスでなくとも、こうすれば思いが届くのを杏里は知っている。
-ついさっき、現場の指揮官の思考を読んでみた。県警がSATの突入を決めたらしい。説得が功を奏さないんで、最終手段に出るってことだね。まあ、あの状況じゃ、確かに説得どころじゃないんだけどー
この思念波は、同時にルナにも届いているはずだ。
その証拠に、次の重人からの返事は、ルナにも向けられたものだった。
-そうだ、ルナ。だから、A棟の警官隊には退避命令が出ている。これで君たちは動きやすくなるはずだー
SATが警察の特殊部隊であることは、テレビなどから得た知識で杏里も知っている。
警官隊の撤退で動きやすくなるのはいいが、逆に言えばSAT突入の前にカタをつけないと、面倒なことになるというわけだ。
それにしても、慌ただしい一日だと思う。
奇妙なレスリング部の入部審査に、ふみの襲撃。
それを辛くも逃れたと思ったら、数十分後にはこんなところに居て、刑事ドラマでしか見たことのないSATの心配までしている始末。
現実世界の展開が早すぎて、思考がついていっていない気がする。
通り過ぎる警官たちをやり過ごしながらも、非現実感を拭い切れないのだ。
足音が聞えなくなったのを確かめ、3階に上がる。
しんと静まり返った廊下が伸びているだけで、人の気配はない。
3階から4階へ向かう階段の踊り場まで来た時、
「誰だ? おまえたちは?」
頭上からふいに男の声が降ってきた。
まだ警官が残っていたらしく、制帽の男がこちらを見下ろしていた。
「生徒はとっくの昔に全員退避させたはずだろう? 今までどこに隠れていた?」
駆け下りてくる警官に、ルナが目を向けた。
「わっ」
だしぬけに、男の身体が宙に浮く。
そのまま杏里たちの頭の上を飛び越え、階段を転げ落ちていった。
「殺さないでって言ったじゃない!」
杏里はルナの腕をつかんだ。
この子は凶器と同じだ。
放っておいたら、何をしでかすかわからない。
「死にはしない。せいぜい骨折程度だろう」
ルナが涼しい顔で言う。
赤の他人の痛みなど、知ったことではない。
そんな能面みたいな横顔だ。
腹立ちを押さえて、4階に上がり、廊下を進む。
目指す美術室は、あれだろうか。
奥の部屋だけ、なぜか引き戸が半分開いている。
入口わきの壁に背をつけると、ルナが早口でささやいた。
「ここから先はおまえひとりで行くんだ。入ったら、どんな手を使ってもいい。横尾守をいずなから引き離せ。それに成功したら、わたしが突入する。いいな」
「そんなこと、言われても…」
抗議する暇もなかった。
ルナが視線を杏里の腹に当て、次に入口のほうへと動かした。
見えない力にぐいと身体が引かれたと思ったら、杏里はすでに部屋の中だった。
たたらを踏んで、転倒するのを辛うじて免れた。
がらんとした広い部屋である。
壁際に、イーゼルが何脚か立っているほかは、ところどころにトルソや胸像のレプリカがあるばかり。
が、窓辺に目を向けて、杏里は危うく叫び出しそうになった。
制服をびりびりに引き裂かれた半裸の少女が、窓に押しつけられている。
三つ編みの髪型からして、間違いなくいずなだろう。
その背中に、異様なものが蔽いかぶさっていた。
何、これ?
吐き気がこみ上げてきた。
これが、外来種…?
信じられない。
ここまで人間離れした相手は、初めてだった。
そして同時に、杏里はルナが自分を呼んだ理由に気づいていた。
これでは、念力は使えないわけだ。
使ったら、いずなちゃんまで、一緒に死んでしまう…。
ルナは、外来種をいずなから引き離せと言った。
でも、いったい、どうしたら…?
その時だった。
杏里の頭の中に、ぱっと”眼”が開いた。
オレンジ色の虹彩の奥の、ルビーのように赤い瞳が、じろりと杏里を見た。
-まだまだだねえー
ため息混じりに、サイコジェニーが”言っ”た。
-真のタナトスにステップアップするには、どうやら杏里、おまえは、その心に問題があるようだー
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