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第9部 倒錯のイグニス
#2 新参者
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「イベントの詳細は決まり次第発表するが、ひとつだけ言っておくと、これは学園祭2日目に、完全に外部との交流を遮断して、学校関係者のみで行う予定だ。よって、そうしたシークレット性の高い行事があることも、周囲にはくれぐれもオフレコにしておいてほしい。むろん、保護者をも含めてね」
場内にざわめきが広がった。
保護者にも秘密の行事という一点が、反抗期真っ盛りの生徒たちの琴線に触れたに違いなかった。
が、周囲が高揚するのに反比例して、杏里の気分は沈んでいく一方だった。
校長は、本当にあれを行うつもりなのだ。
全校生徒の”死への衝動”を一気に浄化する、一大イベント。
すなわち、杏里を餌食にした究極の脱出ゲーム。
確かに、爆発寸前の人間たちからストレスを吸収するのが、杏里たちタナトスの役割である。
また、その過程で外来種を発見できる可能性もあるのだから、理論的には悪い話ではない。
これまでしてきたように、毎日数人ずつ、放課後の教室で、あるいはトイレ、体育倉庫でと、ちまちまと浄化を繰り返すより、一度に全員が集合する機会を設けて一息に片づけるほうが、ずっと手間が省けることも確かである。
ただ、その人数が問題だった。
1年生から3年生まで合わせると、生徒だけで約500人。
そこに教職員も含めたら、600人近い数になるのではなかろうか。
さすがの杏里も、これには憂鬱にならざるを得なかった。
しかも、今回は、どんな時でも身体を盾にして杏里を守ってくれた由羅はいない。
杏里ひとりで600人を相手にしなければならないのだ。
失敗すれば、前代未聞の人数の暴漢たちに、集団レイプされることになるだろう。
その屈辱ときたら、想像するだに恐ろしい。
無類の再生機能を備えたこの肉体はともかく、果たして精神が耐えられるかどうか、はなはだ自信がない。
正直、委員会本部でのあの勝ち抜きバトルにも匹敵するレベルの、難度の高さだった。
「何するつもりなのかねえ」
隣で純がしきりに首をひねっている。
「それに、性的行為禁止だなんて今になっていきなりねえ。あたしはいいけど、美里先生がいなくなってから、みんな相当もやもやがたまってるみたいだし、本当に大丈夫なのかって気がするよ」
そもそも、朝礼のような公的な場で、学校責任者の口からそんな言葉が飛び出すことからして常軌を逸しているのだが、長い間美里の影響下に置かれていた生徒たちは、純も含めてそれについては何の違和感も感じていないらしかった。
「それは…」
言いかけて、杏里は口をつぐんだ。
校長の狙いは明確だ。
生徒たちのストレスを限界まで溜めに溜めておいて、頂点に達したところで、イベント当日、いちどきに杏里にぶつけさせるつもりなのだ。
そのほうが、ひとりの脱落者もなく、全員を綺麗に浄化できると踏んだのだろう。
「ん? どうしたの? 杏里、何か知ってるの?」
純が杏里の言葉尻を聞きとがめてそう詰め寄った時、
「それからきょうは、もうひとつお知らせがある」
大山校長の朗々とした声が杏里の耳朶を打った。
「新しい先生を紹介しよう。小谷小百合先生だ。主に2年生の体育を担当していただく」
「2年生っていったら、うちらじゃないの」
こうべをめぐらせ、壇上に目をやった純が、そこであっと小さく喉の奥で叫んだ。
「うっそー! あれ、元オリンピック選手の…」
再び高まり出した喧噪の中、舞台への階段を大柄な人影がのぼっていく。
身長は軽く180センチは超えていそうだ。
首が後頭部と同じくらい太く、たくましい。
短く刈り上げた髪。
先がふたつに割れたたくましい顎。
名前を先に聞いていなければ、女性だとは到底思わなかったに違いない。
「オリンピック選手って…何の競技?」
その類人猿じみた風貌にどこか見覚えがある気がして、杏里はそっと純にたずねた。
「やだ。杏里ったら知らないの? 小谷小百合といえば、レスリングに決まってるじゃない。うわあ、すごいなあ。ひょっとして、女子レスリング部をつくるつもりなのかなあ」
「まさか」
杏里は苦笑した。
ただでさえ部活の種類の少ない公立中学に、レスリング部などできるはずがない。
が、杏里は間違っていた。
その”まさか”を、堂々と校長の大山が口にしたのである。
「みんなも知ってるだろう? 小谷先生は、前々回のオリンピックの銅メダリストだ。もう現役は引退しておられるが、わが校に教師として赴任するにあたり、新たにレスリング部を創設したいと考えていらっしゃる。まずは女子から募集されるそうだから、我と思わんものは、直接先生にお願いするといい」
「うは。あたし、入ろっかなっ」
お気に入りのアイドルを見つけたファンみたいに、純が胸の前で両手を組み合わせた。
「ねえ、杏里もどう? 一緒にやろうよ、レスリング」
「む、無理無理」
激しく首を振る杏里。
運動自体苦手なのに、格闘技なんてできるわけがない。
と、壇上でマイクを前に、小谷小百合が話し始めた。
「みなさん、初めまして。今度体育の教師として、この曙中学にお世話になることになりました、小谷小百合です。これまではアスリートとして第一線で頑張ってきましたが、これからは初心に返り、皆さんと一緒に、一介の新米教師として、少しずつ成長していきたいと思っています…」
場内にざわめきが広がった。
保護者にも秘密の行事という一点が、反抗期真っ盛りの生徒たちの琴線に触れたに違いなかった。
が、周囲が高揚するのに反比例して、杏里の気分は沈んでいく一方だった。
校長は、本当にあれを行うつもりなのだ。
全校生徒の”死への衝動”を一気に浄化する、一大イベント。
すなわち、杏里を餌食にした究極の脱出ゲーム。
確かに、爆発寸前の人間たちからストレスを吸収するのが、杏里たちタナトスの役割である。
また、その過程で外来種を発見できる可能性もあるのだから、理論的には悪い話ではない。
これまでしてきたように、毎日数人ずつ、放課後の教室で、あるいはトイレ、体育倉庫でと、ちまちまと浄化を繰り返すより、一度に全員が集合する機会を設けて一息に片づけるほうが、ずっと手間が省けることも確かである。
ただ、その人数が問題だった。
1年生から3年生まで合わせると、生徒だけで約500人。
そこに教職員も含めたら、600人近い数になるのではなかろうか。
さすがの杏里も、これには憂鬱にならざるを得なかった。
しかも、今回は、どんな時でも身体を盾にして杏里を守ってくれた由羅はいない。
杏里ひとりで600人を相手にしなければならないのだ。
失敗すれば、前代未聞の人数の暴漢たちに、集団レイプされることになるだろう。
その屈辱ときたら、想像するだに恐ろしい。
無類の再生機能を備えたこの肉体はともかく、果たして精神が耐えられるかどうか、はなはだ自信がない。
正直、委員会本部でのあの勝ち抜きバトルにも匹敵するレベルの、難度の高さだった。
「何するつもりなのかねえ」
隣で純がしきりに首をひねっている。
「それに、性的行為禁止だなんて今になっていきなりねえ。あたしはいいけど、美里先生がいなくなってから、みんな相当もやもやがたまってるみたいだし、本当に大丈夫なのかって気がするよ」
そもそも、朝礼のような公的な場で、学校責任者の口からそんな言葉が飛び出すことからして常軌を逸しているのだが、長い間美里の影響下に置かれていた生徒たちは、純も含めてそれについては何の違和感も感じていないらしかった。
「それは…」
言いかけて、杏里は口をつぐんだ。
校長の狙いは明確だ。
生徒たちのストレスを限界まで溜めに溜めておいて、頂点に達したところで、イベント当日、いちどきに杏里にぶつけさせるつもりなのだ。
そのほうが、ひとりの脱落者もなく、全員を綺麗に浄化できると踏んだのだろう。
「ん? どうしたの? 杏里、何か知ってるの?」
純が杏里の言葉尻を聞きとがめてそう詰め寄った時、
「それからきょうは、もうひとつお知らせがある」
大山校長の朗々とした声が杏里の耳朶を打った。
「新しい先生を紹介しよう。小谷小百合先生だ。主に2年生の体育を担当していただく」
「2年生っていったら、うちらじゃないの」
こうべをめぐらせ、壇上に目をやった純が、そこであっと小さく喉の奥で叫んだ。
「うっそー! あれ、元オリンピック選手の…」
再び高まり出した喧噪の中、舞台への階段を大柄な人影がのぼっていく。
身長は軽く180センチは超えていそうだ。
首が後頭部と同じくらい太く、たくましい。
短く刈り上げた髪。
先がふたつに割れたたくましい顎。
名前を先に聞いていなければ、女性だとは到底思わなかったに違いない。
「オリンピック選手って…何の競技?」
その類人猿じみた風貌にどこか見覚えがある気がして、杏里はそっと純にたずねた。
「やだ。杏里ったら知らないの? 小谷小百合といえば、レスリングに決まってるじゃない。うわあ、すごいなあ。ひょっとして、女子レスリング部をつくるつもりなのかなあ」
「まさか」
杏里は苦笑した。
ただでさえ部活の種類の少ない公立中学に、レスリング部などできるはずがない。
が、杏里は間違っていた。
その”まさか”を、堂々と校長の大山が口にしたのである。
「みんなも知ってるだろう? 小谷先生は、前々回のオリンピックの銅メダリストだ。もう現役は引退しておられるが、わが校に教師として赴任するにあたり、新たにレスリング部を創設したいと考えていらっしゃる。まずは女子から募集されるそうだから、我と思わんものは、直接先生にお願いするといい」
「うは。あたし、入ろっかなっ」
お気に入りのアイドルを見つけたファンみたいに、純が胸の前で両手を組み合わせた。
「ねえ、杏里もどう? 一緒にやろうよ、レスリング」
「む、無理無理」
激しく首を振る杏里。
運動自体苦手なのに、格闘技なんてできるわけがない。
と、壇上でマイクを前に、小谷小百合が話し始めた。
「みなさん、初めまして。今度体育の教師として、この曙中学にお世話になることになりました、小谷小百合です。これまではアスリートとして第一線で頑張ってきましたが、これからは初心に返り、皆さんと一緒に、一介の新米教師として、少しずつ成長していきたいと思っています…」
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