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4年間の苦労を擬音で表現する男・三波宇佐
しおりを挟む「伊月さん」
「瀬名連絡出来なくてごめん。泣かないで」
「あ……」
気づかないうちに泣いていたらしい。でも仕方ないじゃないか。
だって連絡も無い、メッセージを送っでも既読にもならない、家にも帰って来ない、父親や大藤さんも何も教えてくれない。ただ「大丈夫だから」だけ。不安で不安でしょうがなかった。
「もう瀬名の耳に入ってるんだね。大丈夫……大丈夫だから」
何が大丈夫なのか分からないが、スーツを着ている伊月さんからはいつもつけている香水に混じりサンダルウッドの香りしかしなくてほぅと息を吐き、背中を撫でられ力が抜ける。
先ほどの鼻メガネの怒りは遠く彼方へ飛んでいってしまった。
「ほら、座ろう」
そう言われ父親の方を見るように膝の上に座らされる。
親の前でこれはどうなのかと恥ずかしがるよりも心が少し弱っていた俺は黙って伊月さんの胸に寄りかかる。
「瀬名、噂を聞いたんでしょ?」
背中を撫でながら落ち着いた声で聞く伊月さんにコクリと頷くと舌打ちが聞こえビクッとしてしまう。
「ああごめん、瀬名にしたんじゃないよ。今回の噂はね、瀬名が発情期で籠もっている時に意図的に流されたんだよね」
「えっ?」
驚いて顔を上げると眉尻を下げた伊月さんの顔が涙で歪んで見える。
「どうやら僕がその間、大学に来なかったのも噂に拍車がかかったみたいなんだ」
確かに神楽や友人も伊月さんが大学に来ていないから噂が大きくなったようだって言ってたっけ。
「でもおかしいよね、僕があれだけ瀬名にべったりだったのをみんな見ているのに。普通なら僕と瀬名が発情期を一緒に過ごしているって噂が流れるはずでしょ?それなのに『運命の番』と出会って番う噂が急速に流れるなんて変でしょ」
「それはやっぱり『運命の番』って世間的に憧れがあって話題になりやすいって事じゃ……」
「そう、そこだよね。何故僕の『運命の番』の存在を知っているのか。それに瀬名の発情期の時に僕が大学を休むのを知っていたのかそれとも偶然なのか……今調べてるからね」
「それに間違っても瀬名以外とは番う気はないから」と安心させるような声色が耳に届く。番っていると分からなくなるフェロモンがしているという事は伊月さんは本当に番っていない。それが分かり胸元にすり寄ると、可愛いと何度も頭に唇が落ちてくる。それが嬉しいなんて発情期明けの余韻なんだろうか。
「あ~また待ちぼうけ?パパまた拗ねるよ」
くすくすと笑い合っていると拗ねた父親の声が聞こえくる。デジャヴだ。
「息子を勝手に鼻メガネ好きにしたんだ、もっと放置してもいいんだぞ」
「えー僕放置プレイは好きじゃないなぁ」
「母さんに怒られろ」
「あっ、美夜きゅんに言うのはやめて!また怒られちゃう!」
毎回適当な事を言ってるからな。しっかり怒られろ。
「でも大丈夫だったろ?」
ニヤリとして父親が言うが噂の事なのか伊月さんの事なのか、何が大丈夫か分からないんだが。こっちは何も聞かされてないんだよ。
「大丈夫って何も聞かされてないし。そう言われても納得出来ないんだけど。そもそも伊月さんは今まで何してたの?」
メッセージが未読で家にも帰って来ない、理由が分からなきゃやっぱり噂通りなのかと思うだろ。
「不安にさせちゃってごめんね。実は薬の研究で連絡が取れなかったんだ」
「薬?」
「そう、画期的な薬で研究内容が漏れないように極秘で進めてたから言えなかったんだ」
「極秘……」
「うん。需要はあるんだけど良く思わない人もいるから邪魔されないようにごく一部の人しか知らないし、研究施設もセキュリティが強固になってて、そこはスマホなどの通信機具は持ち込み禁止なんだよ」
なるほど、それなら連絡がつかないのも納得だ。しかし何日も連絡が取れないのはおかしくないか?
「それにしても連絡が取れなさすぎじゃない?」
「あー……うん。そうだよね」
「……何か隠してる?」
完全に目が泳いで言い淀んでいる。これは言いづらい事がある人の特徴だ。
「もしかしてやっぱり運命の相手と」
「違う!違うよ!ただ、その……」
めっちゃ動揺しているがやましい事が無いなら言えるはずだ!もごもごしないで言ってくれ。
「隠す必要ないでしょ。伊月くんはね、研究の最終段階にのめり込み過ぎて何日も徹夜して倒れたんだよ」
「宇佐先生!」
「過労と睡眠不足で4日も目を覚まさなかったんだからね」
「4日も!?」
「うぅ……カッコ悪いから言いたくなかったのに」
涙が引っ込みパチパチと瞬きをし、見るとうっすらと隈がある美貌が恥ずかしそうな表情をしていた。
「……やっぱ知ってたんじゃん」
「まあね。だって僕、共同研究者だもん」
「はあ!?だったら教えてくれたっていいじゃん!」
「ムーリー。研究で起こる事全て家族にも他言無用の契約交わしてるからぁ」
「そう言う割には今話してるじゃん」
「大丈夫、今日発表する事になってるから」
そうなのかと伊月さんを見ると頷いている。でも何の発表をするんだろ?
「気になるだろ?これだよ。テテテテッテテー『運命の番専用抑制剤~』」
父親が白衣のポケットから錠剤を出し高々と持ち上げ、青い機械ネコが道具を出す真似をしながらドヤッている。
だから何故鼻メガネ装着してるんだ。
「鼻メガネは無視しといて薬を突っ込めばいいのか真似を突っ込めばいいのか……」
「瀬名らしいけど、できれば薬を聞いて欲しいなぁ」
ですよね。父親が3発かましてくるから混乱してしまったけど薬だよね。コクコクと頷くと頭を撫でられる。
「ふふっ、素直な瀬名も可愛いね。薬はその名の通り運命の番のフェロモンを認識させなくする薬だよ。αとΩにはフェロモンを感知する器官があるのは知っているよね?そこに『運命の番』のフェロモンを強く感知する部分があるんだけど、そこの機能だけを抑える薬なんだ」
「抑える……」
「前に話したと思うけど運命だからって上手く付き合えるとは限らない。番う前にそれが分かっても本能で離れられなかったりしてしまう。頑張って逃げる事も出来るけど全員がそうとは限らない。それに問題なのは好きな人や恋人、結婚してる人が『運命の番』に出会った場合だよ」
「あ……」
そうだ、運命の相手を見つけた時に独り身だとは限らない。遭遇した時、恋人がいたり家庭を持っていて運命に身を任せてしまうと、それを壊してしまうのだ。
「ゾッとするでしょ?自分が相手の関係を壊すんだよ?当事者からしたら「運命に出会わなければ幸せが続いたのに」って思うよね。そうならない為の薬だよ。……と高尚な事を言ったけど、『運命』に出会った僕が相手のフェロモンに惑わされる事無く瀬名と一緒にいたいという欲まみれで開発しただけなんだけどね」
「そんなもんだよ。研究や開発って探究心や欲がなければ出来ないし続かない」
自嘲する伊月さんに父親が研究者らしい事を言う。あ、研究者だったわ。
「でも4年で成果が出たのは奇跡だよ。宇佐先生の協力あっての開発だったんだ」
「僕の研究データが役に立ったよね。それがなければ軽く10年はかかったと思うよ」
「そうなんだ」
「そうだよ!父を褒めて!僕がデータをバーンて出してドーンとしてこんな感じでメキョってパフッとやってきたんだから!」
擬音付きで身振り手振りでされてもそんな説明じゃ全く理解出来ん。詳しい説明が面倒臭いとするその癖をどうにかしてほしい。
よくこれで教授をしていられるなと思うけど、授業や学会ではきちんと説明するんだよな、これが。
「で、最終段階に入って根をつめ過ぎて倒れたと」
「うん。あと一歩だと思って集中しすぎちゃった。施設内の医務室にいたから外部との連絡はほぼ遮断してて誰も連絡出来なかったんだよ。ごめんね」
そういう理由なら仕方ないし安心した。ただ父親がのほほんと大学にいたのは若干腹立たしいが。
「ま、そういう事だから。じゃあ行くか」
「そうですね。さ、瀬名行くよ」
「へっ?どこに?」
「会見場のホテルだよ」
「カイケンジョウのホテル」
「14時に間に合わなくなるから急ぐよ」
「イソグヨ?イッテラッシャイ?」
「何言ってる息子よ、お前も行くんだよ。伊月くん、まどろっこしいから担いで」
「はい」
「うわっ、何故に!?」
ひょいと伊月さんに横抱き、所謂お姫様抱っこをされ、白衣を脱ぎスーツ姿になった父親の後ろに続く。迎えの車に行くまでの間にすれ違った学生がギョッとしていたが、噂の俺と伊月さんが一緒にいるのに驚いたのか、それとも鼻メガネを外し忘れた父親を見て驚いたのか……どちらにしても話題は抜群だ。
車に乗り込むと、滑らかに走り出す。さっきは混乱して頭が回ってなくて思い至らなかったけど、
俺、行っても意味なくね?
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