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【2‐5】導くもの
「行かないで」と言えなくて
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一行はアイラ、サテラとも挨拶を済ませて行動に出た。情報収集と依頼のため、ギルドに足を運ぶ。
ギルドに着いたが、静かだった。コーディの読みが当たった。
カウンターでコーディが呼び鈴を鳴らす。ミティアもその横に立った。まずはミティアの母親を探す依頼を試みようとしている。
他の皆は、壁の依頼やニュースなどの記事を見ている。
ローズがとある記事に注目した。
「先生サン、これ、昼間なかったけど大変なのではないのデス?」
サキも読んで小さく頷く。
「沙蘭に縁談とありますね。おめでたい話ではないのですか?」
竜次は小さく唸る。他人事ではないが、あえてこの話には干渉しないという手もある。
「沙蘭に縁談ねぇ。まぁ、姫子も二十三歳、そろそろだと思いますが」
縁談など珍しくない。他の国でもよくあることだ。
コーディとミティアがぱたぱたと合流する。
「お兄ちゃん先生、ローズも次の行先が決まりそうなんだけど」
コーディの手には桜の印が入った封書が握られている。ミティアは申し訳なさそうに手を組んで俯いていた。
まずコーディが壁の張り出しにある小さい記事を指さした。
「困ったね、沙蘭で傲慢なシスターが胡散臭い勧誘してるって。数日前の記事みたいなんだけど、これ」
最近はサキの大魔導士のお祝いや、幻を見た記事が多い。ゆえに、数日前のものが目立たなく埋もれている。
身体的な特徴までしっかり書かれている。赤毛で美しい見た目から、話を聞いてしまう者も多いようだ。
口が悪いのを直したいジェフリーも、この記事には脱力した。
「明らかにあのおばさんじゃないか。人探しなんて、依頼するまでもない」
探す手間が省けたのはいいのだが、ここまで迷惑を掛けているとは知らなかった。
沙蘭へ立ち寄ることがほぼ確定になったところで、コーディは竜次に封筒を渡した。
「コッチはお兄ちゃん先生に宛てられてるみたい。名指しだから、お兄ちゃん先生が先に読んでね」
竜次は受け取って封を切った。縁談の話の相談かと、兄ながら早くも答えを考えている。どうせ行くのだから、うまく流せる助言をしようと思った。
開いて整った筆文字に目を通す。正姫直筆のものだ。何枚かに渡っていた。読み進めるたびに竜次の表情が曇った。そして最後まで読み終えると深くため息をつき、肩を落とした。
ジェフリーは興味津々だ。
「姫姉、何だって?」
ジェフリーが安易に内容を質問する。すると、竜次は何も言わずに手紙を渡した。
「は? 俺が読んでいいのか?」
竜次は返事をしないまま何度か頷いた。ジェフリーは受け取って目を通すと、捲りもしないうちに表情が固まった。
「こいつは一大事だな」
ジェフリーの焦りにサキは疑問を抱いた。
「ジェフリーさん?」
今度はサキが手紙を覗き込んで顔を引きつらせている。
「え、どうするんですか、先生!?」
内容がショックなのか、竜次は顔を上げない。
ジェフリーは気まずそうにキッドに視線をおくった。彼女は気持ち悪がった。ここまではいつもの流れ。
その視線の理由をサキが説明する。
「ざっくりと言いますと、フィリップス王の姪にあたる方が、ぜひ、先生とお見合いをしたいという話が書いてあります」
ギルドの話なら、コーディには心当たりがあった。
「政略結婚ってことね。まぁ珍しい話ではないけど、急すぎじゃない?」
コーディの発言を聞き、ローズは情報を掘り下げる。
「王も王様も不在のフィリップスは情勢が不安定デス。ジェフ君は一応、王位継承権というのが残っていますから、その話をすると沙蘭に何かあったときにお困りでしょうネ。逆に、先生サンは王位継承権を破棄しているので自由。なるほど、フィリップスに婿入りすれば、その未来の女王を支える安泰となるのネ」
コーディは竜次を見上げ、眉を下げた。
「お兄ちゃん先生、マズイね。情勢からして、断れないよ?」
これは旅の継続が危ういと察知した。だが、この危機を楽しむ者がいた。圭馬だ。
「この空気、昼ドラみたいで好きだよー」
使い魔のからかいも何となく一連の流れとして慣れて来た。だが、今回は本当に断れない。コーディが言う、政略結婚まで話が進んでしまうかもしれない。
キッドは不自然に笑いながら、祝福した。
「な、なーんだ、先生、よかったね。結婚するんだ?」
絶対に心からの祝福ではない。キッドは視線を泳がせ、一歩退いた。
竜次は笑顔だが、目元は笑っていない。
「お見合いなんてしませんよ。何を言っているのですか」
キッドを気遣うような形になった。
「妹からの話なので、出向きはします。ですが、私にその気はありません。クレアには関係ありませんよ。大丈夫です」
下手くそ、と言ってやりたくなるような気遣いだ。いっそここではっきりと言えば少しは違って来たのに。
「そ、それに、ただの縁談です。だからまだ何も、ねぇ?」
一番気にしていたキッドに気持ちを言わず、誤魔化している。微妙な空気になってしまったが、キッドは変な笑いをしながら皆に向かって急かす。
「ほ、ほら、明日移動するなら、今日はもうご飯を買って部屋で食べて早めに休みましょ?こいつも早く本調子になってビシビシ働いてもらわないとねぇ?! あははは……」
皆に言ってから、ジェフリーを気遣った。おかしい。変だ。ジェフリーのことなど、普段はゴキブリくらいにしか思っていないのに。
ジェフリーは寒気を感じながら、キッドの相手にしないことにした。ジェフリーは竜次に言う。
「面倒臭い話だな、兄貴はちゃんとケジメを付けとけよ?」
「ジェフは気楽でいいですね。ローズさんの話を聞いていましたか? ジェフには国を担う権利が残っているのですよ?」
「そんなモンはクソだな。ただ地主だった先祖のせいで、子孫が振り回されるなんておかしいじゃないか」
ジェフリーが言いたいことはわからなくもない。彼は幼くして沙蘭を出てしまったせいもあって、自覚もなければ王になる器もない。
だからこそ、ここはケーシスに頼りたいが、この件に関してはおそらく何も知らないであろう。子育てすら半ば放置していたからだ。親戚は何人かいるものの、連絡を取り合っている者は少ない。こんな面倒な立場を嫌ってか質素な生活を好む。子どももいるかもしれないが、こんな複雑な関係は嫌がるだろう。
大きくて安定した都市だったら、色々と解決策は出て来るだろうが沙蘭はそんなに大きな国ではない。領土はスプリングフォレストや山道、幻獣の森という特別な利点もなく、広がるのは大自然。
考えれば考えるほど頭が痛い。ただでさえ拗れた血筋だと言うのに。
サラダや惣菜など、軽い物を買って宿に戻った。今日も色々とあったが充実はしていた。縁談の話以外はいい流れだった。逆に言うと、縁談の話が出た途端に今までのよかった話がぶち壊されてしまった気分になった。
宿に戻って明日の朝、定期便に乗り込む話をした。夕方には到着するので、日中天気次第では気持ちのいい航海になるだろう。これ以上、何も懸念事項がなければ。
惣菜の詰め合わせを雑に広げた。
男女それぞれの部屋で縁談の話になる。
男性部屋なんて葬式でも始まったかのように静かだ。
サキなんて本を広げ始めた。
気にしすぎもよくないが、ジェフリーはサキの神経を疑っている。
「お前、大丈夫か?」
こんなときでも勉強にシフトできるその頭は見習いたい。
サキはジェフリーの体調を心配した。
「ジェフリーさんこそ、お体は大丈夫ですか?」
革の眼鏡ケースから度の入った眼鏡を掛けている。
質問に質問で返されたのもそうだが、至って真面目な返しだ。ジェフリーはため息をついて、不貞腐れている。
「顔も頭も性格も口も悪い」
「そんなジェフリーさんでも、なぜかミティアさんは大好きみたいですね」
本に目を落としたまま、サキが鋭い返しをする。
ジェフリーはこの時点で察した。サキも気が立っている。本来はその矛先は竜次に向かっていたのかもしれない。姉であるキッドの幸せを願っているからこそ、本当は激しく問い詰めたいはずだ。
ジェフリーが再び話し掛けようとする。なぜかというと、魔法の相談がしたいからだ。フィラノスを出る前にどうかと思った。
「なぁ、サキ?」
サキは読んでいた本を閉じて突然立ち上がった。枕元に読んでいた本を置いて眼鏡を外す。そのまま部屋を出ようとする。
「ちょっと放っておいてください。夜風に当たって来ます」
「お、おい……」
ジェフリーが引き止めようとするが、取りつく島がない。ショコラが付き添うらしくちょこんと前に出た。
サキはそのまま外に出て行ってしまった。フィラノスは彼の庭だ。構造も裏道も把握しているし、変なことにはならないだろう。ショコラも一緒だ。
ジェフリーはイライラの矛先が自分ではないことに安心しながら、どこか不安な気持ちにもなった。宥めるのは自分ではない。今、自分は必要とされていない。友だちだというのにだ。
兄弟部屋に残され、空気が沈んだ。
竜次が深くため息をつき、頭を抱えた。
「いっそ、きつく当たってくれたらよかったのに」
どっと肩を落とす。竜次はサキが何も言わないことが気になっていた。
こういったときに口出しをするのは圭馬だ。
「そういうことをする子じゃないよ。賢いからなおさらね」
落ち込む一方だ。圭馬はサキがわざわざそんなことをするはずがないと言う。ジェフリーに対しては棘のある発言も平気でするだろう。だが、竜次には言うはずがない。
ジェフリーは竜次が気の毒に思えて来た。せめて、いつも通りの状態にしてやりたい思いだった。
「俺が連れ戻して来る。まだ近くにいるだろうから」
「よしなよ。そんな体で喧嘩にでもなってみたら、今のお兄ちゃん、骨折まであるんじゃない? もしくは黒焦げにでもされちゃうかもね」
ジェフリーが気張るかと思いきや、圭馬に止められた。次にサキのパンチを食らうのが怖い。一度目は掠かすり、二度目は鼻っ面、今度はシャレにならないかもしれない。
圭馬は楽観的に意見を言う。
「ババァが一緒だし。あいつのんびりだから、気が立ってる彼をなだめるの、うまいかもしれないね」
ジェフリーは圭馬の意見になぜか納得してしまった。のんびりでマイペースなショコラだが、要所でキレのある発言はするし、年寄なりにしっかりとしている。
サキより竜次の根性の方が問題ありそうな気もして来た。
「それで、お兄ちゃん先生どうするのさ? すごい包囲網だよね」
「どうするって……」
「フィリップスの王様も王子様も亡くなって、王権握ろうと内部の勢力争いに完全に巻き込まれたってことでしょ?」
圭馬がわかりやすい指摘をする。ローズの説明をもっと昼ドラのように言うとこんな感じだ。彼の性格が出る。
ジェフリーは呆れて悪態をついた。
「必死なもんだな。みにくくて、そのまま滅びちまえって言いたくなる。相手に絶対言わないけど」
「言えるなら言いたいですね。もう私には、好きに生きる権利すらないのでしょうか」
竜次は肩を落とした。好きに生きることを望んで国を出て行ったはずなのにこの騒動だ。気持ちなど尊重されない。これこそ理不尽とも言いたい。
圭馬は竜次を畳みかけるような言い方をした。
「そうやってなぁなぁにしているから隙を突かれたって感じじゃないの? お兄ちゃん先生、ここはビシッとオトコを見せないと。このままでいいの?」
オトコを見せるとは意味深だ。ジェフリーは気になる指摘をした。
「キッドに告白ってしたのか?」
キッドの肉親、サキが不在なのをいいことに、竜次はつらい質問ばかりされる。
「し、しました! でも、ちゃんとした返事はいただいていません。言ったら、泣かれてしまって、その……」
ハッキリしない言い方だ。あまりにも宙ぶらりんすぎる。
自分に対してはハッキリさせろと言ったり、逃げるなと言ったりしておきながら、本人がこの態度とはどの口が言うのかと思う。容姿も、頭も、育った環境も、独立だって、稼ぎだってずっと自分より恵まれている。とんだ優良物件だ。ジェフリーは竜次を気の毒とは思いつつ、贅沢な悩みなのかもしれないと思った。
そんな竜次は頭を抱えて唸っている。
圭馬は相変わらず楽しそうだ。
「あーあ、お兄ちゃん先生、パーティ離脱かぁ」
「あ、あんまりいじめないでください。本気で困っているのですよ」
「今まで好き勝手に生きて来た、ツケってヤツじゃない?」
「そこを突かれるとまた痛いのですが」
圭馬に言い攻められている。もういいと言うくらい痛い目を見ているのに、これ以上圧力が掛かることがつらい。
竜次と圭馬が言い合っているのを聞きながら、ジェフリーはキッドがどう思っているのかが知りたいと思っていた。彼女はジェフリーの個人的な呼び出しには応じないだろう。きっと機嫌を悪くする。ただでさえ口喧嘩になりやすい。ジェフリーは自分が問題を起こしたばかりだと思い出した。何を言っても、説得力がない。
女性部屋が気になる。ミティアがうまくなぐさめはするだろうが、コーディやローズは現実的な見据え方をするかもしれない。
やはりキーパーソンはサキになりそうだ。
ジェフリーは自分の身も心配しなくてはいけない。しばらくは警戒し、自分が崩れないように心掛けなくては。
気まずい空気だ。風呂でも入ってサッパリしようとジェフリーは部屋着を持って起立した。だが、なぜか竜次も圭馬も付いて来る。見捨てないでくれと、いつまでもウジウジしている竜次がうざったく感じた。仲間の精神面で支えてくれる、強くて逞しい兄だと油断したらこの有様だ。少しでもいい方に転んでほしい。もちろん、兄がこれから幸せな道を歩めるなら言うことはない。過去を知るからこそ望んだ。
夜のフィラノスの街。冷たい夜風が、温まってしまった思考を鎮めてくれる。サキは気が立っていた。
「どこへ行くのかのぉん?」
のろのろとショコラが追い駆けている。サキは立ち止まって驚いた。
「え、ショコラさん、付いて来ちゃったんですか?」
追って来たのがジェフリーなら、そっとしておいてくれと追い返したが、老猫のショコラとは知って悪い気がした。サキは足を戻して抱き上げ、カバンに入れる。
行き先を聞かれたのだった。サキは足早になりながら言う。
「本屋さんです。もうすぐ閉まってしまうので」
「読書で気を落ち着かせるのはいいことだのぉん?」
ショコラはとぼけたふりをしながら、サキの気が立っていたのを察していた。
サキはショコラの気遣いを察しながら、気を落とした。
「はぁ。僕、ヤな奴ですね……」
ため息をつきながら、サキは行き慣れた裏通りの本屋さんへ駆け込んだ。
こういうときは難しい本を読めば考える力が働くので、イライラがそちらにシフトするという考えだ。閉店間際だと言うのに、店員のおばあさんは嫌な顔ひとつしない。この人もサキと顔馴染みのようだ。
サキは手早くほしい本を手に取ってカウンターへ出した。
「これください。あとこれも」
金の懐中時計をチラリと見せて割引を使う。カウンターに出し、買い求めようとしたのは世界の難しい言語という本だ。他の種族が使う言葉や文字が書かれてある。
これだけ難しいと、夢中になれるかもしれない。
おばあさんはゆったりと笑顔で話す。
「噂は聞いてるよ。サキ君、立派に大きくなったもんだねぇ」
「いつもありがとうございます。僕が立派かどうかはまだわかりませんが、少しでも励みになっていただければと」
サキははにかみながら、お財布からお金を取り出す。
「そうだ、この本は在庫があるから、新しい方を出してあげよう」
「わぁ、ありがとうございます」
おばあさんはいったん裏の倉庫に引っ込んだ。店頭のものでかまわないのに、新しいのを出してくれるなんてちょっとうれしい。サキがよく利用していたのは、この理由もある。
しばらく待つことになり、先にお店の外の電気が消された。奥に行ったついでだろう。
サキはカウンターの内側を見てとあることに気が付いた。
「あっ!」
カウンターの中に、明日の日付が書かれた本が何種類か紐に縛られて置いてある。その中から見覚えのある本を見付けた。
ぱたぱたとおばあさんが戻った。
「あい。お待たせ。カバーは付けるかい?」
「あ、はい。あと、その本、買いたいです。ダメですか?」
「おやおや、明日発売のものだよ?」
「明日、早くに船乗っちゃうので買えないんです。お願いします!」
サキは財布を両手で握りながら軽く頭を下げた。実はこれ、常習的にやっている。おばあさんは少し困った顔をしていたが、しばらくするとにっこりと笑いながら頷いた。
「さっき閉店したから、今から明日だねぇ」
「わぁ、ありがとうございます!」
「こっちは文庫本だから合うカバーがないけどいいかね?」
「あぁっ、全然かまいません。それより時間が……僕、シャッター閉じてあげますね」
会計を済ませ、梱包をしてくれている間にサキはお店の閉店作業を手伝った。
ショコラはぼんやりと思っていた。
人に好かれることを、狙ってやっているのではなく、ごくごく自然にしている。名前による偏見に怯え、認められたいがために身に付けた礼儀正しさ。
まだ十六歳だが、それよりも前からアイラのお使いや、学問で必要な教材や資料をこうやって買う姿勢なのだろう。お駄賃やお小遣いを握り締めて買いに来る。勉強熱心な子どもが今や大魔導士、ショコラは目を細めた。
サキは両手で紙袋を持ち、軽く頭を下げて別れを告げる。足取り軽く、噴水広場まで戻って来た。
気が立っていたのが嘘のように上機嫌だ。立ち止まって紙袋を握りしめる。
「早く読みたい」
「難しい本を買っておったのぉん?」
「違いますよ。早く読みたいのはこっちです」
サキは紙袋を開け、無理を言って買わせてもらった文庫本を取り出した。カバーがかかっていないため、何の本なのか、ショコラは理解した。
「著者、コーデリア・イーグルサントって、あの、お嬢さんではないのかのぉ?」
「ふふっ……」
サキは若者特有の、純粋な好奇心と探究心に胸を踊らせている。今すぐにでも読みたいくらいだが、街灯では暗すぎる。
サキは足早に宿に戻った。縁談のごたごたで、あまりいい空気ではなかったことを思い出した。部屋に戻らずにロビーの端に目立たない席で腰を下ろし、姿勢を正して本を開く。できれば読書は誰にも邪魔されたくない。
ショコラがサキの膝に乗って同じペースで読んでいる。
あえてハードカバーで出さず、文庫本と言うのが気になった。内容からして、ハードカバーで立派な書籍として出してもいいものだ。文庫本で出したと言うのは何か狙いがあってのこと。もしくは、出版を急いでいたのだろうか。ハードカバーでは時間がかかるだろう。こんな思惑も本から汲み取るのが面白い。
女性部屋ではキッドが平然を装うのが不自然で変な空気だ。
どんなときでも物を食べているミティアはおとなしい。いいように抑制されたミティアだ。だが、彼女がキッドに対しては一番口うるさい。ローズは口下手だし、コーディは恋愛については歪んだ思想を持っている。
好きなら好きって言えばいいのに、とキッドに言いそうになって自分にも言えることではないかと、コーディは葛藤に悩んでいた。好きではないが、振り向かせてみたい。まったくその気配がない、同い年の大魔導士に対してだ。その前に種族の壁があるし、作家としてよく聞く身近な人が、気になるという典型的な展開にも頭を悩ませる。
ローズは恋愛について深く言わないが、一般的にはよく思われないことをしている。ギクシャクこそしないが、よくジェフリーや竜次とも仲良くやれているものだ。本人はこれも償いと思っているらしいが。
何かできるかと言ったら特にない。そんな微妙な空気だ。
この空気にいたたまれなくなり、キッドは部屋着を持って立ち上がった。
「あたし、先にお風呂入るわ。コーディちゃん一緒に行かない?」
「え、わ、私?」
まだ総菜をもぐもぐと食べるミティアと、端末のメンテナンスを広げるローズ。コーディだけが手が空いていたため、誘われる。
「う、うん」
追及を避けるように、キッドがコーディと部屋着を持って出て行った。
残されたミティアとローズはぎこちない会話を交わす。
「キッドがおかしい」
「まー、そうでしょうネ」
何か言おうにも、タイミングを損ねたミティア。多分、食べているのが悪い。
ドライバーでネジを外し、エアダスターでタブレットの中を清掃するローズも微妙な立場に首を傾げる。
最終的には本人の気持ち次第なのだろうが、かなりモヤモヤする展開だ。
煮え切らない、中途半端、ハッキリしろと言いたくもなるが誰もそんな立場ではない。
そしてあまりにも衝撃的な案件に、ミティアが母親に会う話が埋もれてしまいそうになる。どちらかと言うと、こちらが主軸のような気がする。
ミティアはちゃんとその件も考えているが、緊張感が感じられないのは彼女のキャラクターのせいだろうか。
「わたしも頑張らないと」
「もっと頑張らないといけないのは先生サンデスネ」
ローズの言葉に、ミティアは手羽先の骨をしゃぶりながら天井を仰ぐ。
「先生、いい人だけど、自分を見てもらいたい欲求が強い人だと思います。言いたいことと気持ちが一致してなくて、よくわからないんだよね」
ミティアは竜次に言い寄られたり、求愛されたりされた経緯がある。だからこその意見だ。竜次をよく理解しているが、そういう仲ではない。ただ、過去を知ってから竜次は寂しいのだろうと察してはいた。
埋まらないものを何かで埋めたい。その気持ちはわからなくもない。
「ミティアちゃん、先生サンをよく見ていますネ」
「先生、誰かを大切にしたくて、でも距離が縮まると、どうしようって引いちゃうの知っているから……」
ローズは思った。ミティアが一番薬になりそうなことを言っていると。
「でも、わたしが言うと、キッドが妬いちゃうし、傷付くかも」
「むー、ジェフ君がいながら、難しいデス」
すべてが少し触れたら崩れそうな絶妙さを保っている。親友だからといって、何でも介入できるわけではない。ある程度はキッドの気持ちも尊重したい。
「キッドは兄さんのことがずっと好きだった。先生だって、色んなものを犠牲にしてまで好きだった人がいた。きっと難しいんだと思う」
セカンドラブというのは、難しいものだと考え込むミティア。
「確かに次って考えるのは、ネ」
「わたしだったら、そんなの考えたくないけど、寂しいだろうなぁ……」
心配したり、食べたり、考えたり、今度は悩んで悲しんでいる。決して他人事ではない。身近で起こること、もしかしたら明日の自分がそうなるかもしれない。ミティアは自分のことのように考え込んだ。
沈みそうなミティアにローズが疑問を抱いた。
「そ言えば、ジェフ君のどこが好きなのデス?」
「え、えっ? あ、えっと……」
ミティアは頬を赤らめ、その頬を隠すように顔を手で覆い、激しく恥ずかしがった。百面相で本当に面白い。
「ジェフリーは、その……」
ミティアは頬だけではなく、顔全体が真っ赤になった。キョロキョロしながら下を向いている。ローズはからかうように追及した。
「カッコイイからデス?」
「そ、そうじゃないです。ジェフリーはどちらかというと、目つき悪いから、見た目は怖いかも。で、でも、やることはかっこいいです! くじけそうになっても、周りの人の力を借りながら信じて突き進む。やり遂げる意思は誰にも負けない。だから、かっこいいなぁって」
ミティアは適当に流さず、真剣に答えている。しかも惚気気味だ。
「いつも一生懸命で、ちゃんと見ててくれるのはうれしいかな。ダメなものはダメって言うから、わたしは間違った道を進まずにいられる」
もじもじとしながらも幸せそうな顔をしている。もうここまでで、ご馳走様という感じが強い。
思惑が入り乱れる中、マイペースな猫と現実逃避をする大魔導士。
その大魔導士、サキは本を読破した達成感に満たされていた。すっかり時間を要してしまった。仲間に心配をかけてしまったかもしれないと部屋へ急いで向かう。
ぱたぱたと部屋に戻ろうとして、曲がり角で前方不注意によりぶつかった。尻餅を着いて転んでしまった。サキは謝った。
「いったたた。す、すみません……」
宿泊しているのは自分たちだけではない。一般のお客さんもいる。まさかぶつかるとは思わなかった。だが、こちらが悪い。
ぶつかった相手は、明るい金髪でポニーテールを赤いリボンで結んでいる女の子だった。水色のロングコートを着ていて、リボン以外にしゃれっ気がない。年齢はサキと同じくらいの見た目だ。化粧もしておらず、目が大きい。変に飾らないため、素朴さが逆に魅力的な印象だった。
女の子は床を這い、そのまま頭を下げた。
「うえー、あたたた……こっちこそ、すみません」
立ち上がったのはサキが先だ。
サキは何か落としていないか確認しながら女の子に手を差し出した。ミティアとぶつかって懐中時計を紛失しかけた前歴を活かしている。
「立てますか?」
「うー……だ、大丈夫で、す?」
女の子はなぜか疑問形になり、語尾を高く発音した。サキではなく足元のショコラをじっと見ている。
「ん? もしかして、幻獣?」
なぜかショコラに興味を持っている。幻獣の化身なのかはわかる人にはわかる、というのが一般的な認識だ。猫としての認識は容易ではある。
女の子はサキの手には目もくれず、前のめりに四つん這いになり、ショコラに手を伸ばした。
「この時代にもいるんだ?」
女の子は意味深なことを言いながらショコラを撫でる。傍から見たら、猫を愛でるただの女の子だ。だが、サキは違和感を抱き、考え込んでいる。
女の子の背後から声がした。
「ミエーナ!! 何をしているんだ!?」
男性の声だ。金髪で少し長めの髪を綺麗な緑の宝玉で横にまとめている、赤いマントで魔導士らしい格好の人だ。一見、女性にも見えなくはない、綺麗な顔立ちをしている。
腰に剣が下がっていた。サキより少し年上のようだ。最大の特徴は、大きな眼鏡をしている。
女の子はミエーナという名前のようだ。
「あ、ごめん。この人とぶつかって……へぶっ」
「すみません、妹が迷惑をおかけしました」
妹と言っているのだから、この人は兄だ。妹の頭をスリッパで踏みつけ、土下座のようにさせた。恐ろしいまでの神経だ。
サキは両手を前に苦笑する。
「あぁ、その、大丈夫でしたので」
ここまでされると悪い気がする。サキはミエーナを庇うように言う。
「僕の前方不注意でしたので、妹さんは悪くありません。申し訳ないです」
ミエーナの兄は眉間にしわを寄せ、サキを気遣った。この様子だと、サキが何者なのかを知っているようだ。
「お怪我はありませんか?」
「ほ、本当に大丈夫です」
サキはショコラを拾い上げる。ミティアと初めて出会った頃もこんな感じだった。その経験があるため、この出会いにも意味があるものではないかと感じてしまう。
ミエーナはコートを払って、やっとまともにサキを見た。目を丸くしている。
「おぉ、この人、噂の史上最年少の大魔導士さんじゃん」
「こら、ミエーナ、失礼ですよ?」
「はーい。ごめんなさい」
兄妹漫才でも始まってしまいそうだ。サキは苦笑いのまま軽く会釈してこの場を去ろうとする。
「そ、それじゃあ、僕はこれで……」
「サキさん……」
ミエーナの兄に呼び止められた。サキは足を止め、目をぱちくりさせる。まだ用があるのだろうかと構えてしまった。それだけではない。ミエーナと比べ物にならない威圧を身に感じた。青紫の澄んだ優しい目をしているのに、どこか冷たい。すべてを見透かされそうだ。
「は、はい、まだ何か?」
「またどこかで……」
男性はミエーナを猫のように摘まんで笑顔で去って行った。
サキも部屋に戻る。ちょうど誰もいなかった。それを確認し、扉に寄り掛かって大きく息を吸って吐いた。緊張が解け、安堵の息かもしれない。
「ふぅ、あの人たち、何だったのかな。不思議な人たちだったなぁ」
サキの足元にショコラがすり寄る。
「おかしいのぉん?」
「えっ?」
「あのおなご、幻獣の加護を持っていたのに幻獣が見当たらんかったなぁ。お兄さんの方もそうじゃったよぉ」
サキはあの二人は魔法使い、もしくは魔導士だろうとショコラは言いたいのだと思っていた。だが、少し違うようだ。
「一般的に大魔導士として認識されるなら、本名ではないのかのぉん?」
「僕のファンとかそういう感じではなくて、何かあったとでも?」
「言ってはナンじゃが、お兄さんは主より格上じゃと思うのぉん?」
「へぇ……」
「反応がドライじゃなぁ?」
「世の中には大魔導士の先輩はたくさんいます。僕よりすごい人はたくさんいますよ?」
ショコラはあの二人が気になるらしく、珍しくしつこく話題を引き摺った。サキは謙遜しながら妙な引っ掛かりを感じていた。
サキは本をチェストに置き、カバンも帽子も外す。
「さて、と、ジェフリーさんは期待できないから、僕も色々考えておこうかな」
つかの間の現実逃避で心をリフレッシュさせ、現実を見据える。思えば、気にすることの多さに目まぐるしい。
ショコラは尻尾をパタパタと上下させ、サキを見上げた。
「ちゃんと考えておるのかのぉん?」
「一応は、ですね」
サキは軽装になって入れ違いでお風呂に入ろうと、計画をしていた。できるだけ顔を合わせないように心掛けている。意図的に避けることで、自分でも意識してもらおうという狙いだ。
ただ、頼られるのはうれしいが、魔法以外で頼られても専門ではない。自分が必ずしも正しい答えを導けるかはわからない。
「僕は瘴気の魔物について、何らかの機会に調べた方がいいような気がしますね」
いつもそうだが、大体がいくつかの案件を抱えたままの旅になる。いつかはのんびりと景色を見たり、探索をしたり、自分が本当にやりたいことを見付けられる有意義な旅になると信じて続けてはいる。今のところ、のんびりの気配はない。
自立して稼げるわけでもない。だからと言って、いつまでもだらだらとしているわけにもいかない。
何となく将来についても考えている。まだ少し先の話になるとは思うが。
「のぉ、主?」
ショコラはサキの膝に乗った。サキは真面目な話をするのかと身構えた。ショコラは耳のうしろを掻いている。
「風呂で抜け毛を綺麗にしてはくれんかのぉ?」
まさかの申し出に、サキは思わず笑顔が綻んだ。
緊張ばかりではこういったことも癒しになる。
一方、男性風呂では、いつも以上に竜次の世話焼きがひどく感じられた。左腕が上げづらいジェフリーを気遣い、頭や背中を流していた。こんなことは子どものとき以来、大人になってからは初めてだ。保護者のように優しいが、今日はやけに献身的のような気がする。ジェフリーは申し訳ない気持ちを抱いていた。
「なんか、悪いな……」
「何を言っているんですか。もうこういうの、できないかもしれないでしょうに」
特別仲がいい兄弟ではないが、話さないほど仲が悪い訳ではない。世の中には兄弟なのに憎み合っていたり、経済的な理由や親の事情で一緒に暮らせない者がいたりするのだ。
「また髪伸びました? 切ってあげましょうか」
「そこまで考えてなかった。別にこのままでいい」
湯船に浸かっているときも黙ってはいない。あまりかまい過ぎると、変な払い方をしてしまいそうだが意地を張って衝突するのは避けたい。ジェフリーは悪態をつかないように意識をしていた。
「何本注射されたのでしょう? 痛い痛しいですね」
「親父は壊死してないだけよかったなって言ってたけどな」
「少しでもほぐしておきなさい。私がマッサージでもしましょうか?」
「そこまでするか!? 誤解されるからよしてくれ」
心配されるのはありがたいが、どこまで頼っていいものか。乱暴にならないように断るも、竜次は不満そうだ。
桶風呂を楽しむ圭馬は客観的に指摘を入れた。
「仲がいい兄弟っていいね」
そう言えば、圭馬も三人兄弟だ。仲がいいと指摘したが、違うのだろうか。
「圭馬さんこそ、お兄さんも妹さんもいるではないですか」
「そーだねぇ。ボクって生前の記憶がないんだ。だから、どうして死んで、英雄の魂を持っていたのか、幻獣になったのかを知らないんだ。白兄ちゃんと恵ちゃんのことは覚えていたけど、別に仲が悪いわけじゃないよ」
複雑な事情を抱えているようだ。死して英雄の魂が認められて幻獣となった。当然、圭馬には生前がある。だが、そこまで気にしていないし、大きな喧嘩をしている様子もなかったことから仲が悪いわけではないようだ。
「何百、何千年とか生きていると、いいところも悪いところもどうでもよくなって来るのさ。新しく何かを知ろうと探求心があるうちは、光輝いていていいよね。ボクはそういうの、疲れちゃった」
遠回しにサキに対して皮肉を言っている。だが、都合がいいことに本人はここには不在だ。
「お兄ちゃんたちは間に女の人がいるんだっけ? 兄弟のうち、女性が一人でもいると男同士でもあんまり仲悪くならないって聞いたことあるよ」
圭馬は自分で脱線して、自分で話題を戻した。竜次とジェフリは顔を見合わせる。
思うところがあるのはジェフリーだった。
「まぁ、姫姉がいるし。でも、俺は早くに離れてたから、あんまり兄弟の時間はなかった。どちらかと言うと、兄貴が落ちぶれてからよく話すようになったと言うか、一応は一緒に暮らしてたし。なかがっ悪いわけじゃないとは思う」
そんなつもりはなかったのに、竜次が黙り込んで俯いている。気が付いたジェフリーが即謝った。
「ごめん……」
「いえ、そうではないのです」
思い詰めた感じではなく、何かに気が付いたようだ。
「気が付いたら、いつも誰かに甘えていました。誰かに依存し続けないと自分が保てないなんて、こんなのよくないですね」
竜次は自分に足りないものにまた気が付いたようだ。
湿原をしまったかもしれない懸念は見当違いだった。ジェフリーは竜次の気持ちが落ちているのが気になった。
「私が沙蘭の城主をしなくて、本当によかったかもしれません。今頃壊滅して、再起不能になっていたかも」
足りないものを糧にしようという意思表示。何度も見て来たが、また気付かされた。
「私って、本当にジェフのお兄さんで合っているのでしょうか?」
「親父に聞いてみろよ。そこを疑ったら、俺はもっと怪しいと思うぞ」
この言い合いは少し虚しかった。兄弟であることの否定とは何だろうかと、ジェフリーは自分の存在を疑った。今さら血縁がなかったとしても、大して驚かないが、もしかしたら自分は種の研究所で手を加えられていた人間ではないかと初めて疑った。心当たりは二つある。
一つはなぜ、少し学んだ程度だった魔法がアシストこそないとできないが上級魔法まで使えるのか。もう一つは、自分の両手を見つめ、恐ろしくなって手を震わせる。
「ジェフ、そろそろ上がりませんか? のぼせますよ?」
「あ、うん。そうだな」
竜次はジェフリーの様子がおかしいのに気が付いたのか、脱衣所でも仲良しの兄弟みたいになってしまった。竜次がジェフリーの頭にタオルを被せて拭いている。
「そんな、いいのに……」
ジェフリーは面倒くさそうな声を上げる。だが、特に払う理由もない。こんなに優しくされると気持ちが悪いが、別にいつもではないのだからいいかと流していた。
「何を悩んでいます?」
表情から詮索したようだ。
これは余計なお世話だ。ジェフリーはそっけない対応をする。
「自分の心配をしろ」
「はい、悩んでいる証拠」
「なっ……」
ジェフリーは鼻っ面を指で突かれた。このまま噛み付いてしまいそうな勢いで睨み付ける。
「うっさい!」
ジェフリーは着替えて早々に出ようとする。一緒にいると気分が悪い。
竜次は言葉で引き止めた。
「外出はやめなさい」
長い髪を拭いながら、振り返らずに背中を向けたままだ。時々やろうとしていることを見透かすこの言動がジェフリーには怖かった。
「今は自分の体を粗末にするときではないでしょう。それより、ミティアさんの心配をしてあげた方がいいかもしれません」
ジェフリーは品のない足音と共に出て行った。竜次の足元で圭馬が見上げる。
「え、ジェフリーお兄ちゃん行っちゃったけど、いいの?」
「体力が戻っていないのに、街中を歩くのは無理があります。時間をかけて心配させることくらい、わかっているでしょう」
「どこに行こうとしていたのかもわかっているって口振りだね」
圭馬は呆れているのか、耳を垂れ、身を震わせる。
「どうせあの顔はお父様に問い詰めたいことでもできたのでしょうね。でも残念ながらお父様はこの街を離れたと私は思っています」
「ボクもそう思う。でなかったら、あの子のお師匠様に子どもを預けはしないよね」
珍しく圭馬と意見が合った。今日歩んだ状況から、少し考えれば想像できそうなものだ。竜次は小さく唸って考え込んだ。
「私は、そろそろ沙蘭に残った方がいいのかもしれないですね。みんなに迷惑がかかるかもしれない」
圭馬はぴくりと耳を立てて慌て出した。
「えっ、どうしたの、お兄ちゃん先生!?」
「まだ、考えている段階です。でも、そろそろその道も考えた方がいいかもしれません」
ジェフリーとの会話で何か心変わりでもあったのだろうか。竜次は急におとなしくなった。入浴の際に外していた三日月のピアスをきゅっと握った。
「最後かもしれませんし、言っておこうかな……」
ぽつりとつぶやいて身支度を整える。
ジェフリーではないが、後悔しないためにキッドを探す決意をした。
女性部屋では、ローズがタブレット端末の試運転をさせていた。
「ミティアちゃん、何か調べたいこと、ありませんデス?」
唐突な振りに、ミティアは驚いた。
「んん!? 今度は何ができるようになったんですか?」
今までは地図の閲覧や、発信機などでマーキングしたものの場所の探索に使っていた。今度は何が追加されたのだろうか。
この世界にこういった端末はまだそんなに普及していない。大図書館があるくらいなのだ。テレビもそんなにメジャーではない。パソコンだってそうだ。ないことはない。自販機も少ない。遺伝子の操作、科学や化学に関しては変に吐出しているが、機械に関しては少々劣る。
その理由は技師がいないこと。学校がないこと。技術者を育てる学校がないため、ほとんどの者がローズのように独学だ。そんなローズはどこで機械整備士なんてライセンスを得たのかまだ聞いていない。だが、ミティアが知りたいのはそこではない。
「ある程度の検索を復旧させましたデス。壊れやすいのでネ。あと、少し前のギルドの情報も引っ張れるかもしれないデス」
ギルドに赴かなくてもここから依頼とか請け負うことができたらどんなに楽だろうか、ミティアはそんなこと思いながら液晶画面を覗き込んだ。
こういうものが普及すると、何でも早くなるし情報も拡散しやすい。もっと普及した段階で種の研究所の話が出たら、人々の関心ももっとあっただろう。種族戦争だってそうだ。考えても悲しくなるだけなので、ミティアは『フィラノスの美味しいお店』と答える。すると、食べ物屋さんやレストランがまとめられたものが表示される。
「わっ、すごい!! おいしそう!! 知らないお店もありますね」
今まだ立ち寄ったお店の他にも、知らないお店がある。違う焼肉屋さん、ステーキ専門店、サラダが食べ放題のお店、ワッフル専門店、ケーキ屋さんもあった。ミティアはごくりと涎を飲み込んだ。食べたばかりなのに胃袋を刺激する。
胃袋を刺激されたのはミティアだけではない。ローズは切り替えを試みた。
「他にはないデス? もっと現実的なことでも」
「現実的?」
唸りながら考え込むミティア。回数制限もないのに、いきなりすぎて何を知りたいと言われても困ってしまう。しかも、万能ではない。現実的なことと言われ、ミティアは自分が抱えている問題を思い出した。
「そ、そうだ、天空の民って何ですか?」
「お、そういうのは面白そうデスネ」
ローズはパチパチとパネルのタッチ音を立て検索をする。すると、天空の民どころか天空都市の話が出て来た。ミティアの表情が険しくなる。
「愚かな天空の民は男を知らないあまりに、招き入れた一人の地上人の男性により、その天空都市は滅んだ。滅んだって?」
「ム?」
ローズもしかめた顔をしながらミティアの表情をうかがっている。
「すでに滅んでいるの? 本当に?」
「これは、サキ君とかにもお力を借りてちゃんと調べた方がいいかもしれませんネ」
ミティアの中で母親に聞きたいことが増えた。思ったより空気が重くなってしまい、ローズが取り乱す。
「あぁー、ははは。そ、そだ、フィリップスの情勢とか調べちゃおっかナ!!」
パチパチとパネルをタッチする音がする。ミティアの心情を揺るがすことの多さに気遣わなくてはならない。ただでさえ、今のミティアはメンタル面が不安だ。
「わたし、もう少し気丈にならないと」
自分に言い聞かせているがどれだけ気丈になれるだろうか。理解なんて、和解なんてできるだろうか。ミティアは思い詰めた様子だった。
「あ、ミティアちゃん、そんなに思い詰めてはいけませんヨ?」
「ん、はぁい……」
ミティアのから返事が気になる。だが、ローズにはどうにもできない。現状の維持がいいところだ。もしくは思い切って話題を逸らすか。
ローズは考えながら手元を見た。
「んン!?」
動揺して調べたフィリップスの情勢が面白いことに気が付いた。ローズはミティアを手招きする。
二人はじっとタブレット端末に見入っていた。
ミティアはとあることに気が付き、首を傾げた。
「あれこれ、ローズさん?」
「うーむ、風向きが変わって来そうな予感デス」
端末に表示された記事を読み、二人で顔を見合わせながら小さく笑う。検索機能、意外と使えるかもしれない。
コンコンと扉がノックされた。キッドたちが帰って来たのかと思った。
ミティアが扉を開いて応対すると、音の正体はジェフリーだった。風呂上りなのか、髪の毛がぼさぼさなので新鮮に見える。
「悪いな。博士と一緒か」
「あ、うん。お邪魔だったら、わたしはお風呂にでも行くよ?」
「いや、一緒でいい」
ミティアに会いに来たのではないようだ。ジェフリーはローズに用事があるようだ。
「博士に質問がある」
「おっと、ワタシにデス?」
「親父と長い付き合いなら、俺のことは知っていたよな?」
「何か、唐突デスネ?」
竜次に聞かないという点が気になる。ローズはしかめた顔をしながらジェフリーの様子をうかがう。どうも、自身に関して気になることがあるようだ。これは真剣に答えないとジェフリーに悪い。ローズは思い出しながら話す。
「ワタシは写真でしかジェフ君たちを知らなかったデス。よくお話は聞いていましたがネ?」
「親父は俺に何かしてないよな?」
「何を疑っているのデス?」
ローズは眉間にシワを作り、小難しい表情を浮かべる。
ミティアもジェフリーの様子がおかしいと心配してしまった。
「どうしたの?」
考え過ぎだ、きっと。ジェフリーは首を振って切り替えた。
「……いや、いい。ごめん。忘れてほしい」
ジェフリーは簡単に引き下がった。知るのも怖い。自分は何らかの手を加えられ、身体的な部分で人間ではないのかもしれないと思った。上級魔法が使えるほどの隠れた才能。魔導士狩りの直後から一部が欠落した記憶。父親であるケーシスの目が自分を避けているようだった。
向き合って話をしてもらえたが、和解したわけではない。
マイナスに捕らえてはいけないと知りつつ、気にはなった。ケーシスはまだ『何か』を隠している。
ローズは眉間にしわを寄せつつ、首を傾げた。
「変なジェフ君デス。まだお疲れでは?」
「そうかもしれない。ゆっくり休むよ」
反発的な面ばかり見て来たせいか、素直になったジェフリーは新鮮に映る。
自身の死に直面したせいで、地に足を着き、現実を見据えるようになった。まだまだ突発的に口の悪さが出てしまうが、抑え込んでいる。
ジェフリーは個人的に竜次の案件よりもミティアを気遣った。
「ミティアもしっかり休めよ? 俺も協力するから」
「あ、ありがとう」
少しでも気にかけてくれるのがうれしい。ミティアはもじもじと縮こまって上目遣いになった。
ジェフリーは少し照れながら視線を逸らした。その視線の先が、ローズの手元に行く。
「ん、何か見てたのか?」
「あぁ、ジェフ君も見ておきマスカ?」
ローズは持っていたタブレット端末をジェフリーに見せて来た。
「な、何だ、これ。まずい情報じゃないのか?」
王都フィリップスの情勢だ。古い情報だが、王と王子を含めた血縁関係の構図が書かれている。ジェフリーは肝を冷やす。だが、ローズとミティアは笑顔だ。ジェフリーは画面を覗き込み、すぐにその理由を把握した。
「こいつは、やられたな」
とんでもないことが判明した。だが、言いふらすつもりはない。
廊下でちょっとした遭遇。避けるには難しい。圭馬を抱えた竜次、キッドとコーディがばったりと遭遇した。別にここで遭遇しなくても、一緒に行動するのだからいくらでも機会はあるが、お互い風呂上がりで気分もいいはずなのに、睨み合うようになった。
キッドは遭遇した相手が竜次を知り、引け越しになった。
「えっと、あ、あたし、早く休もうかな」
逃げそうなキッドの服の裾を、コーディが摘む。
「え? コーディちゃん!?」
コーディは竜次を見上げ、手を出した。
「……もらう」
正確には竜次ではなく圭馬だった。コーディははもらうと言いながら、奪うように圭馬を摘まんだ。圭馬はじたばたと暴れた。
「え、ボク、気になるのに!」
「だめー」
コーディはそのままぱたぱたと走って行った。あまりにも華麗な立ち回りだ。キッドも竜次も驚いている。
「え、コーディちゃん?」
キッドが遅れて追おうとする。だが、竜次が逃すまいとキッドの腕を掴んだ。
「お願い。避けないで。私の話を聞いてほしい」
「こ、ここでですか?」
「……」
捕まえたはいいが、ここは廊下で他の人の目もある。お互い部屋着だし、外に出るには寒いし不格好だ。
悩むも、今度はキッドが手を引いた。
「テラスの前はどうですか。寒いからあんまり人がいませんよ」
「あ、えっと……」
「そんな顔されたら、ちゃんと話を聞かないと失礼だと思ったから」
竜次はたじろぐ。キッドが引っ張るという妙な展開になった。これでは竜次の立場がない。客室を抜け、テラスが見えた。静かなくつろぎの空間だ。大きな窓にフィラノスの夜景と星空が覗く。
話を切り出したのはキッドだった。
「あの、あたし、やっぱり友人という立場がいいと思います」
「ど、どうしてですか?」
何の前触れもなく、いきなり結論だけ突き付けられた。竜次は何とか調和を保とうとする。
「私はクレアが好きです。言えば仲間の一人として意識されなくなるし、周りの目が怖かった。不快ならば、私は沙蘭に残って街医者でもします」
「違うんです。そうじゃないんです。あたし、馬鹿だから、竜次さんと身分があってない。あたしは田舎者だし……」
「そんなものは、気持ちに関係ない」
「それだけじゃないんです。本当はそんなものじゃ……」
キッドが涙を浮かべながら唇を震わせる。何か別の理由があるとすれば、と竜次は心当たりを言う。
「まさか、まだ『あの人』が好きなのでは?」
「ごめんなさい、竜次さん……」
「……っ」
竜次は塞ぎ込む。キッドの心が蝕まれているのを、何もできないのだろうかと苦悩する。キッドに謝らせていることが申し訳なかった。
「こんな気持ちで、竜次さんに好きだなんて言えない。本当はわかっているんです。消えないといけないのはむしろあたしの方。だって、そうしないとあたしはこれからもみんなに迷惑を掛ける。今度は本当に誰かが死んじゃうかもしれない。ミティアや竜次さんと一緒にいたい。けど、でも……」
キッドは俯き、首を振った。
迷いを断ち切ることは難しい。竜次は一つの提案をした。
「それなら、私と一緒に戦うことを辞めますか?」
キッドは目を見開き、驚いている。涙がほろりと零れ落ちた。
「どう、いう?」
「私は縁談を含め、みんなに迷惑を掛けています。私と旅を降りて、静かに……一緒に暮らしませんか? あなたが傷付くのを見ていられない」
「え、どうして、そこまで……」
キッドは目を擦り、竜次を真っ直ぐ見つめる。
抱き締めて、キスをする権利は自分にはない。竜次は悲しさを引きずりながら笑う。
「そういう道も、悪くないんじゃないかなって。あなたと一緒ならね」
自分の存在意義、同じような悲しい思いをするのならば自己犠牲の心もあった。都合がいい話だ。これこそ、仲間から嫌われても仕方がない。それでも、キッドとともになら悪くないと思った。
前にも話したが、そこまで悪い反応ではなかった。今度はどうだろうか。
キッドは視線を伏せる。その様子に竜次は一歩引いてみた。
「すぐに答えを頂けるとは思っていません。沙蘭に戻ってからで。折を見て何となく話をしますが、私はそこまでになると思います」
「竜次さん、本当に旅をやめるの?」
この場ですぐには判断を下せない。まだ考えている段階ではあるものの、意志の半分以上はその方向で考えている。
「自分のような孤独な人を作らないようにするのが、私の使命だと思っていました。ですが、ジェフも落ち着きました。ミティアさんは自らの道を切り開こうとしています。サキ君はもう立派な大魔導士です。コーディちゃんも自分の夢のために踏み出した。ローズさんも積極的になってくれてています。みんな、変わった。変わらないのは私だけです」
皮肉で締め括る。だが、キッドは笑って頷いた。
「返事、考えておきます。そこまで考えているんだから、あたしも真面目に考えて返事がしたいです」
「話を聞いてくれてありがとう。ジェフじゃないですが、言わないまま死ねないと、変な意識をしてしまって。でも話をしたいが強引でしたよね」
「あたしも、最近思います。あたしの返事を聞くまで死なないでくださいよ?」
「沙蘭への船旅だけです。景色を楽しむ余裕があるくらいですよ」
心配のし過ぎだと、二人は笑う。話が終わってそれぞれ部屋に戻った。
男性部屋ではジェフリーがベッドに座って、スタンドの明かりで本を読んでいた。
竜次は注意をする。
「部屋の電気を点けなさい。目が悪くなりますよ?」
パチッと明かりを点ける。すると、ジェフリーは視線だけを上げた。
「あなたが本を読むなんて珍しいですね」
「俺の本じゃない。サキに借りた。読んでおいた方がいいって言われたから」
「あぁ、サキ君の? 魔法の本ですか?」
部屋にサキ本人はいない。入れ違いで入浴しに行ったのだろう。ショコラもいない。
竜次は馴れ馴れしく、ジェフリーの隣に腰を下ろした。
「な、何だよ」
「そんな態度なら話すのやめようかな」
「はぁ?」
竜次はせっかく座ったが、立ち上がって自分のベッドに横になった。ジェフリーは竜次が何を考えているのかわからず、徐々に不機嫌になる。
「意味がわからない。言いたいことがあるなら言えばいいだろ?」
竜次はそのまま言及を避けるように背中を向けた。背中を向けたまま言う。
「先に言っておきますよ。あなたはもうすぐ自由になれるかもしれない」
「俺はサキみたいに頭がよくないから、説明がないと理解ができないんだが?」
「明日早いんだから、寝なさい」
「人の話を聞けよ、ったく」
ジェフリーは思わず舌打ちをしてしまった。だが、竜次はそれ以上返さなかった。
喧嘩と言うほどではないが、変な形で一日を終えた。
引っ掛かり、違和感を残しながら。
ギルドに着いたが、静かだった。コーディの読みが当たった。
カウンターでコーディが呼び鈴を鳴らす。ミティアもその横に立った。まずはミティアの母親を探す依頼を試みようとしている。
他の皆は、壁の依頼やニュースなどの記事を見ている。
ローズがとある記事に注目した。
「先生サン、これ、昼間なかったけど大変なのではないのデス?」
サキも読んで小さく頷く。
「沙蘭に縁談とありますね。おめでたい話ではないのですか?」
竜次は小さく唸る。他人事ではないが、あえてこの話には干渉しないという手もある。
「沙蘭に縁談ねぇ。まぁ、姫子も二十三歳、そろそろだと思いますが」
縁談など珍しくない。他の国でもよくあることだ。
コーディとミティアがぱたぱたと合流する。
「お兄ちゃん先生、ローズも次の行先が決まりそうなんだけど」
コーディの手には桜の印が入った封書が握られている。ミティアは申し訳なさそうに手を組んで俯いていた。
まずコーディが壁の張り出しにある小さい記事を指さした。
「困ったね、沙蘭で傲慢なシスターが胡散臭い勧誘してるって。数日前の記事みたいなんだけど、これ」
最近はサキの大魔導士のお祝いや、幻を見た記事が多い。ゆえに、数日前のものが目立たなく埋もれている。
身体的な特徴までしっかり書かれている。赤毛で美しい見た目から、話を聞いてしまう者も多いようだ。
口が悪いのを直したいジェフリーも、この記事には脱力した。
「明らかにあのおばさんじゃないか。人探しなんて、依頼するまでもない」
探す手間が省けたのはいいのだが、ここまで迷惑を掛けているとは知らなかった。
沙蘭へ立ち寄ることがほぼ確定になったところで、コーディは竜次に封筒を渡した。
「コッチはお兄ちゃん先生に宛てられてるみたい。名指しだから、お兄ちゃん先生が先に読んでね」
竜次は受け取って封を切った。縁談の話の相談かと、兄ながら早くも答えを考えている。どうせ行くのだから、うまく流せる助言をしようと思った。
開いて整った筆文字に目を通す。正姫直筆のものだ。何枚かに渡っていた。読み進めるたびに竜次の表情が曇った。そして最後まで読み終えると深くため息をつき、肩を落とした。
ジェフリーは興味津々だ。
「姫姉、何だって?」
ジェフリーが安易に内容を質問する。すると、竜次は何も言わずに手紙を渡した。
「は? 俺が読んでいいのか?」
竜次は返事をしないまま何度か頷いた。ジェフリーは受け取って目を通すと、捲りもしないうちに表情が固まった。
「こいつは一大事だな」
ジェフリーの焦りにサキは疑問を抱いた。
「ジェフリーさん?」
今度はサキが手紙を覗き込んで顔を引きつらせている。
「え、どうするんですか、先生!?」
内容がショックなのか、竜次は顔を上げない。
ジェフリーは気まずそうにキッドに視線をおくった。彼女は気持ち悪がった。ここまではいつもの流れ。
その視線の理由をサキが説明する。
「ざっくりと言いますと、フィリップス王の姪にあたる方が、ぜひ、先生とお見合いをしたいという話が書いてあります」
ギルドの話なら、コーディには心当たりがあった。
「政略結婚ってことね。まぁ珍しい話ではないけど、急すぎじゃない?」
コーディの発言を聞き、ローズは情報を掘り下げる。
「王も王様も不在のフィリップスは情勢が不安定デス。ジェフ君は一応、王位継承権というのが残っていますから、その話をすると沙蘭に何かあったときにお困りでしょうネ。逆に、先生サンは王位継承権を破棄しているので自由。なるほど、フィリップスに婿入りすれば、その未来の女王を支える安泰となるのネ」
コーディは竜次を見上げ、眉を下げた。
「お兄ちゃん先生、マズイね。情勢からして、断れないよ?」
これは旅の継続が危ういと察知した。だが、この危機を楽しむ者がいた。圭馬だ。
「この空気、昼ドラみたいで好きだよー」
使い魔のからかいも何となく一連の流れとして慣れて来た。だが、今回は本当に断れない。コーディが言う、政略結婚まで話が進んでしまうかもしれない。
キッドは不自然に笑いながら、祝福した。
「な、なーんだ、先生、よかったね。結婚するんだ?」
絶対に心からの祝福ではない。キッドは視線を泳がせ、一歩退いた。
竜次は笑顔だが、目元は笑っていない。
「お見合いなんてしませんよ。何を言っているのですか」
キッドを気遣うような形になった。
「妹からの話なので、出向きはします。ですが、私にその気はありません。クレアには関係ありませんよ。大丈夫です」
下手くそ、と言ってやりたくなるような気遣いだ。いっそここではっきりと言えば少しは違って来たのに。
「そ、それに、ただの縁談です。だからまだ何も、ねぇ?」
一番気にしていたキッドに気持ちを言わず、誤魔化している。微妙な空気になってしまったが、キッドは変な笑いをしながら皆に向かって急かす。
「ほ、ほら、明日移動するなら、今日はもうご飯を買って部屋で食べて早めに休みましょ?こいつも早く本調子になってビシビシ働いてもらわないとねぇ?! あははは……」
皆に言ってから、ジェフリーを気遣った。おかしい。変だ。ジェフリーのことなど、普段はゴキブリくらいにしか思っていないのに。
ジェフリーは寒気を感じながら、キッドの相手にしないことにした。ジェフリーは竜次に言う。
「面倒臭い話だな、兄貴はちゃんとケジメを付けとけよ?」
「ジェフは気楽でいいですね。ローズさんの話を聞いていましたか? ジェフには国を担う権利が残っているのですよ?」
「そんなモンはクソだな。ただ地主だった先祖のせいで、子孫が振り回されるなんておかしいじゃないか」
ジェフリーが言いたいことはわからなくもない。彼は幼くして沙蘭を出てしまったせいもあって、自覚もなければ王になる器もない。
だからこそ、ここはケーシスに頼りたいが、この件に関してはおそらく何も知らないであろう。子育てすら半ば放置していたからだ。親戚は何人かいるものの、連絡を取り合っている者は少ない。こんな面倒な立場を嫌ってか質素な生活を好む。子どももいるかもしれないが、こんな複雑な関係は嫌がるだろう。
大きくて安定した都市だったら、色々と解決策は出て来るだろうが沙蘭はそんなに大きな国ではない。領土はスプリングフォレストや山道、幻獣の森という特別な利点もなく、広がるのは大自然。
考えれば考えるほど頭が痛い。ただでさえ拗れた血筋だと言うのに。
サラダや惣菜など、軽い物を買って宿に戻った。今日も色々とあったが充実はしていた。縁談の話以外はいい流れだった。逆に言うと、縁談の話が出た途端に今までのよかった話がぶち壊されてしまった気分になった。
宿に戻って明日の朝、定期便に乗り込む話をした。夕方には到着するので、日中天気次第では気持ちのいい航海になるだろう。これ以上、何も懸念事項がなければ。
惣菜の詰め合わせを雑に広げた。
男女それぞれの部屋で縁談の話になる。
男性部屋なんて葬式でも始まったかのように静かだ。
サキなんて本を広げ始めた。
気にしすぎもよくないが、ジェフリーはサキの神経を疑っている。
「お前、大丈夫か?」
こんなときでも勉強にシフトできるその頭は見習いたい。
サキはジェフリーの体調を心配した。
「ジェフリーさんこそ、お体は大丈夫ですか?」
革の眼鏡ケースから度の入った眼鏡を掛けている。
質問に質問で返されたのもそうだが、至って真面目な返しだ。ジェフリーはため息をついて、不貞腐れている。
「顔も頭も性格も口も悪い」
「そんなジェフリーさんでも、なぜかミティアさんは大好きみたいですね」
本に目を落としたまま、サキが鋭い返しをする。
ジェフリーはこの時点で察した。サキも気が立っている。本来はその矛先は竜次に向かっていたのかもしれない。姉であるキッドの幸せを願っているからこそ、本当は激しく問い詰めたいはずだ。
ジェフリーが再び話し掛けようとする。なぜかというと、魔法の相談がしたいからだ。フィラノスを出る前にどうかと思った。
「なぁ、サキ?」
サキは読んでいた本を閉じて突然立ち上がった。枕元に読んでいた本を置いて眼鏡を外す。そのまま部屋を出ようとする。
「ちょっと放っておいてください。夜風に当たって来ます」
「お、おい……」
ジェフリーが引き止めようとするが、取りつく島がない。ショコラが付き添うらしくちょこんと前に出た。
サキはそのまま外に出て行ってしまった。フィラノスは彼の庭だ。構造も裏道も把握しているし、変なことにはならないだろう。ショコラも一緒だ。
ジェフリーはイライラの矛先が自分ではないことに安心しながら、どこか不安な気持ちにもなった。宥めるのは自分ではない。今、自分は必要とされていない。友だちだというのにだ。
兄弟部屋に残され、空気が沈んだ。
竜次が深くため息をつき、頭を抱えた。
「いっそ、きつく当たってくれたらよかったのに」
どっと肩を落とす。竜次はサキが何も言わないことが気になっていた。
こういったときに口出しをするのは圭馬だ。
「そういうことをする子じゃないよ。賢いからなおさらね」
落ち込む一方だ。圭馬はサキがわざわざそんなことをするはずがないと言う。ジェフリーに対しては棘のある発言も平気でするだろう。だが、竜次には言うはずがない。
ジェフリーは竜次が気の毒に思えて来た。せめて、いつも通りの状態にしてやりたい思いだった。
「俺が連れ戻して来る。まだ近くにいるだろうから」
「よしなよ。そんな体で喧嘩にでもなってみたら、今のお兄ちゃん、骨折まであるんじゃない? もしくは黒焦げにでもされちゃうかもね」
ジェフリーが気張るかと思いきや、圭馬に止められた。次にサキのパンチを食らうのが怖い。一度目は掠かすり、二度目は鼻っ面、今度はシャレにならないかもしれない。
圭馬は楽観的に意見を言う。
「ババァが一緒だし。あいつのんびりだから、気が立ってる彼をなだめるの、うまいかもしれないね」
ジェフリーは圭馬の意見になぜか納得してしまった。のんびりでマイペースなショコラだが、要所でキレのある発言はするし、年寄なりにしっかりとしている。
サキより竜次の根性の方が問題ありそうな気もして来た。
「それで、お兄ちゃん先生どうするのさ? すごい包囲網だよね」
「どうするって……」
「フィリップスの王様も王子様も亡くなって、王権握ろうと内部の勢力争いに完全に巻き込まれたってことでしょ?」
圭馬がわかりやすい指摘をする。ローズの説明をもっと昼ドラのように言うとこんな感じだ。彼の性格が出る。
ジェフリーは呆れて悪態をついた。
「必死なもんだな。みにくくて、そのまま滅びちまえって言いたくなる。相手に絶対言わないけど」
「言えるなら言いたいですね。もう私には、好きに生きる権利すらないのでしょうか」
竜次は肩を落とした。好きに生きることを望んで国を出て行ったはずなのにこの騒動だ。気持ちなど尊重されない。これこそ理不尽とも言いたい。
圭馬は竜次を畳みかけるような言い方をした。
「そうやってなぁなぁにしているから隙を突かれたって感じじゃないの? お兄ちゃん先生、ここはビシッとオトコを見せないと。このままでいいの?」
オトコを見せるとは意味深だ。ジェフリーは気になる指摘をした。
「キッドに告白ってしたのか?」
キッドの肉親、サキが不在なのをいいことに、竜次はつらい質問ばかりされる。
「し、しました! でも、ちゃんとした返事はいただいていません。言ったら、泣かれてしまって、その……」
ハッキリしない言い方だ。あまりにも宙ぶらりんすぎる。
自分に対してはハッキリさせろと言ったり、逃げるなと言ったりしておきながら、本人がこの態度とはどの口が言うのかと思う。容姿も、頭も、育った環境も、独立だって、稼ぎだってずっと自分より恵まれている。とんだ優良物件だ。ジェフリーは竜次を気の毒とは思いつつ、贅沢な悩みなのかもしれないと思った。
そんな竜次は頭を抱えて唸っている。
圭馬は相変わらず楽しそうだ。
「あーあ、お兄ちゃん先生、パーティ離脱かぁ」
「あ、あんまりいじめないでください。本気で困っているのですよ」
「今まで好き勝手に生きて来た、ツケってヤツじゃない?」
「そこを突かれるとまた痛いのですが」
圭馬に言い攻められている。もういいと言うくらい痛い目を見ているのに、これ以上圧力が掛かることがつらい。
竜次と圭馬が言い合っているのを聞きながら、ジェフリーはキッドがどう思っているのかが知りたいと思っていた。彼女はジェフリーの個人的な呼び出しには応じないだろう。きっと機嫌を悪くする。ただでさえ口喧嘩になりやすい。ジェフリーは自分が問題を起こしたばかりだと思い出した。何を言っても、説得力がない。
女性部屋が気になる。ミティアがうまくなぐさめはするだろうが、コーディやローズは現実的な見据え方をするかもしれない。
やはりキーパーソンはサキになりそうだ。
ジェフリーは自分の身も心配しなくてはいけない。しばらくは警戒し、自分が崩れないように心掛けなくては。
気まずい空気だ。風呂でも入ってサッパリしようとジェフリーは部屋着を持って起立した。だが、なぜか竜次も圭馬も付いて来る。見捨てないでくれと、いつまでもウジウジしている竜次がうざったく感じた。仲間の精神面で支えてくれる、強くて逞しい兄だと油断したらこの有様だ。少しでもいい方に転んでほしい。もちろん、兄がこれから幸せな道を歩めるなら言うことはない。過去を知るからこそ望んだ。
夜のフィラノスの街。冷たい夜風が、温まってしまった思考を鎮めてくれる。サキは気が立っていた。
「どこへ行くのかのぉん?」
のろのろとショコラが追い駆けている。サキは立ち止まって驚いた。
「え、ショコラさん、付いて来ちゃったんですか?」
追って来たのがジェフリーなら、そっとしておいてくれと追い返したが、老猫のショコラとは知って悪い気がした。サキは足を戻して抱き上げ、カバンに入れる。
行き先を聞かれたのだった。サキは足早になりながら言う。
「本屋さんです。もうすぐ閉まってしまうので」
「読書で気を落ち着かせるのはいいことだのぉん?」
ショコラはとぼけたふりをしながら、サキの気が立っていたのを察していた。
サキはショコラの気遣いを察しながら、気を落とした。
「はぁ。僕、ヤな奴ですね……」
ため息をつきながら、サキは行き慣れた裏通りの本屋さんへ駆け込んだ。
こういうときは難しい本を読めば考える力が働くので、イライラがそちらにシフトするという考えだ。閉店間際だと言うのに、店員のおばあさんは嫌な顔ひとつしない。この人もサキと顔馴染みのようだ。
サキは手早くほしい本を手に取ってカウンターへ出した。
「これください。あとこれも」
金の懐中時計をチラリと見せて割引を使う。カウンターに出し、買い求めようとしたのは世界の難しい言語という本だ。他の種族が使う言葉や文字が書かれてある。
これだけ難しいと、夢中になれるかもしれない。
おばあさんはゆったりと笑顔で話す。
「噂は聞いてるよ。サキ君、立派に大きくなったもんだねぇ」
「いつもありがとうございます。僕が立派かどうかはまだわかりませんが、少しでも励みになっていただければと」
サキははにかみながら、お財布からお金を取り出す。
「そうだ、この本は在庫があるから、新しい方を出してあげよう」
「わぁ、ありがとうございます」
おばあさんはいったん裏の倉庫に引っ込んだ。店頭のものでかまわないのに、新しいのを出してくれるなんてちょっとうれしい。サキがよく利用していたのは、この理由もある。
しばらく待つことになり、先にお店の外の電気が消された。奥に行ったついでだろう。
サキはカウンターの内側を見てとあることに気が付いた。
「あっ!」
カウンターの中に、明日の日付が書かれた本が何種類か紐に縛られて置いてある。その中から見覚えのある本を見付けた。
ぱたぱたとおばあさんが戻った。
「あい。お待たせ。カバーは付けるかい?」
「あ、はい。あと、その本、買いたいです。ダメですか?」
「おやおや、明日発売のものだよ?」
「明日、早くに船乗っちゃうので買えないんです。お願いします!」
サキは財布を両手で握りながら軽く頭を下げた。実はこれ、常習的にやっている。おばあさんは少し困った顔をしていたが、しばらくするとにっこりと笑いながら頷いた。
「さっき閉店したから、今から明日だねぇ」
「わぁ、ありがとうございます!」
「こっちは文庫本だから合うカバーがないけどいいかね?」
「あぁっ、全然かまいません。それより時間が……僕、シャッター閉じてあげますね」
会計を済ませ、梱包をしてくれている間にサキはお店の閉店作業を手伝った。
ショコラはぼんやりと思っていた。
人に好かれることを、狙ってやっているのではなく、ごくごく自然にしている。名前による偏見に怯え、認められたいがために身に付けた礼儀正しさ。
まだ十六歳だが、それよりも前からアイラのお使いや、学問で必要な教材や資料をこうやって買う姿勢なのだろう。お駄賃やお小遣いを握り締めて買いに来る。勉強熱心な子どもが今や大魔導士、ショコラは目を細めた。
サキは両手で紙袋を持ち、軽く頭を下げて別れを告げる。足取り軽く、噴水広場まで戻って来た。
気が立っていたのが嘘のように上機嫌だ。立ち止まって紙袋を握りしめる。
「早く読みたい」
「難しい本を買っておったのぉん?」
「違いますよ。早く読みたいのはこっちです」
サキは紙袋を開け、無理を言って買わせてもらった文庫本を取り出した。カバーがかかっていないため、何の本なのか、ショコラは理解した。
「著者、コーデリア・イーグルサントって、あの、お嬢さんではないのかのぉ?」
「ふふっ……」
サキは若者特有の、純粋な好奇心と探究心に胸を踊らせている。今すぐにでも読みたいくらいだが、街灯では暗すぎる。
サキは足早に宿に戻った。縁談のごたごたで、あまりいい空気ではなかったことを思い出した。部屋に戻らずにロビーの端に目立たない席で腰を下ろし、姿勢を正して本を開く。できれば読書は誰にも邪魔されたくない。
ショコラがサキの膝に乗って同じペースで読んでいる。
あえてハードカバーで出さず、文庫本と言うのが気になった。内容からして、ハードカバーで立派な書籍として出してもいいものだ。文庫本で出したと言うのは何か狙いがあってのこと。もしくは、出版を急いでいたのだろうか。ハードカバーでは時間がかかるだろう。こんな思惑も本から汲み取るのが面白い。
女性部屋ではキッドが平然を装うのが不自然で変な空気だ。
どんなときでも物を食べているミティアはおとなしい。いいように抑制されたミティアだ。だが、彼女がキッドに対しては一番口うるさい。ローズは口下手だし、コーディは恋愛については歪んだ思想を持っている。
好きなら好きって言えばいいのに、とキッドに言いそうになって自分にも言えることではないかと、コーディは葛藤に悩んでいた。好きではないが、振り向かせてみたい。まったくその気配がない、同い年の大魔導士に対してだ。その前に種族の壁があるし、作家としてよく聞く身近な人が、気になるという典型的な展開にも頭を悩ませる。
ローズは恋愛について深く言わないが、一般的にはよく思われないことをしている。ギクシャクこそしないが、よくジェフリーや竜次とも仲良くやれているものだ。本人はこれも償いと思っているらしいが。
何かできるかと言ったら特にない。そんな微妙な空気だ。
この空気にいたたまれなくなり、キッドは部屋着を持って立ち上がった。
「あたし、先にお風呂入るわ。コーディちゃん一緒に行かない?」
「え、わ、私?」
まだ総菜をもぐもぐと食べるミティアと、端末のメンテナンスを広げるローズ。コーディだけが手が空いていたため、誘われる。
「う、うん」
追及を避けるように、キッドがコーディと部屋着を持って出て行った。
残されたミティアとローズはぎこちない会話を交わす。
「キッドがおかしい」
「まー、そうでしょうネ」
何か言おうにも、タイミングを損ねたミティア。多分、食べているのが悪い。
ドライバーでネジを外し、エアダスターでタブレットの中を清掃するローズも微妙な立場に首を傾げる。
最終的には本人の気持ち次第なのだろうが、かなりモヤモヤする展開だ。
煮え切らない、中途半端、ハッキリしろと言いたくもなるが誰もそんな立場ではない。
そしてあまりにも衝撃的な案件に、ミティアが母親に会う話が埋もれてしまいそうになる。どちらかと言うと、こちらが主軸のような気がする。
ミティアはちゃんとその件も考えているが、緊張感が感じられないのは彼女のキャラクターのせいだろうか。
「わたしも頑張らないと」
「もっと頑張らないといけないのは先生サンデスネ」
ローズの言葉に、ミティアは手羽先の骨をしゃぶりながら天井を仰ぐ。
「先生、いい人だけど、自分を見てもらいたい欲求が強い人だと思います。言いたいことと気持ちが一致してなくて、よくわからないんだよね」
ミティアは竜次に言い寄られたり、求愛されたりされた経緯がある。だからこその意見だ。竜次をよく理解しているが、そういう仲ではない。ただ、過去を知ってから竜次は寂しいのだろうと察してはいた。
埋まらないものを何かで埋めたい。その気持ちはわからなくもない。
「ミティアちゃん、先生サンをよく見ていますネ」
「先生、誰かを大切にしたくて、でも距離が縮まると、どうしようって引いちゃうの知っているから……」
ローズは思った。ミティアが一番薬になりそうなことを言っていると。
「でも、わたしが言うと、キッドが妬いちゃうし、傷付くかも」
「むー、ジェフ君がいながら、難しいデス」
すべてが少し触れたら崩れそうな絶妙さを保っている。親友だからといって、何でも介入できるわけではない。ある程度はキッドの気持ちも尊重したい。
「キッドは兄さんのことがずっと好きだった。先生だって、色んなものを犠牲にしてまで好きだった人がいた。きっと難しいんだと思う」
セカンドラブというのは、難しいものだと考え込むミティア。
「確かに次って考えるのは、ネ」
「わたしだったら、そんなの考えたくないけど、寂しいだろうなぁ……」
心配したり、食べたり、考えたり、今度は悩んで悲しんでいる。決して他人事ではない。身近で起こること、もしかしたら明日の自分がそうなるかもしれない。ミティアは自分のことのように考え込んだ。
沈みそうなミティアにローズが疑問を抱いた。
「そ言えば、ジェフ君のどこが好きなのデス?」
「え、えっ? あ、えっと……」
ミティアは頬を赤らめ、その頬を隠すように顔を手で覆い、激しく恥ずかしがった。百面相で本当に面白い。
「ジェフリーは、その……」
ミティアは頬だけではなく、顔全体が真っ赤になった。キョロキョロしながら下を向いている。ローズはからかうように追及した。
「カッコイイからデス?」
「そ、そうじゃないです。ジェフリーはどちらかというと、目つき悪いから、見た目は怖いかも。で、でも、やることはかっこいいです! くじけそうになっても、周りの人の力を借りながら信じて突き進む。やり遂げる意思は誰にも負けない。だから、かっこいいなぁって」
ミティアは適当に流さず、真剣に答えている。しかも惚気気味だ。
「いつも一生懸命で、ちゃんと見ててくれるのはうれしいかな。ダメなものはダメって言うから、わたしは間違った道を進まずにいられる」
もじもじとしながらも幸せそうな顔をしている。もうここまでで、ご馳走様という感じが強い。
思惑が入り乱れる中、マイペースな猫と現実逃避をする大魔導士。
その大魔導士、サキは本を読破した達成感に満たされていた。すっかり時間を要してしまった。仲間に心配をかけてしまったかもしれないと部屋へ急いで向かう。
ぱたぱたと部屋に戻ろうとして、曲がり角で前方不注意によりぶつかった。尻餅を着いて転んでしまった。サキは謝った。
「いったたた。す、すみません……」
宿泊しているのは自分たちだけではない。一般のお客さんもいる。まさかぶつかるとは思わなかった。だが、こちらが悪い。
ぶつかった相手は、明るい金髪でポニーテールを赤いリボンで結んでいる女の子だった。水色のロングコートを着ていて、リボン以外にしゃれっ気がない。年齢はサキと同じくらいの見た目だ。化粧もしておらず、目が大きい。変に飾らないため、素朴さが逆に魅力的な印象だった。
女の子は床を這い、そのまま頭を下げた。
「うえー、あたたた……こっちこそ、すみません」
立ち上がったのはサキが先だ。
サキは何か落としていないか確認しながら女の子に手を差し出した。ミティアとぶつかって懐中時計を紛失しかけた前歴を活かしている。
「立てますか?」
「うー……だ、大丈夫で、す?」
女の子はなぜか疑問形になり、語尾を高く発音した。サキではなく足元のショコラをじっと見ている。
「ん? もしかして、幻獣?」
なぜかショコラに興味を持っている。幻獣の化身なのかはわかる人にはわかる、というのが一般的な認識だ。猫としての認識は容易ではある。
女の子はサキの手には目もくれず、前のめりに四つん這いになり、ショコラに手を伸ばした。
「この時代にもいるんだ?」
女の子は意味深なことを言いながらショコラを撫でる。傍から見たら、猫を愛でるただの女の子だ。だが、サキは違和感を抱き、考え込んでいる。
女の子の背後から声がした。
「ミエーナ!! 何をしているんだ!?」
男性の声だ。金髪で少し長めの髪を綺麗な緑の宝玉で横にまとめている、赤いマントで魔導士らしい格好の人だ。一見、女性にも見えなくはない、綺麗な顔立ちをしている。
腰に剣が下がっていた。サキより少し年上のようだ。最大の特徴は、大きな眼鏡をしている。
女の子はミエーナという名前のようだ。
「あ、ごめん。この人とぶつかって……へぶっ」
「すみません、妹が迷惑をおかけしました」
妹と言っているのだから、この人は兄だ。妹の頭をスリッパで踏みつけ、土下座のようにさせた。恐ろしいまでの神経だ。
サキは両手を前に苦笑する。
「あぁ、その、大丈夫でしたので」
ここまでされると悪い気がする。サキはミエーナを庇うように言う。
「僕の前方不注意でしたので、妹さんは悪くありません。申し訳ないです」
ミエーナの兄は眉間にしわを寄せ、サキを気遣った。この様子だと、サキが何者なのかを知っているようだ。
「お怪我はありませんか?」
「ほ、本当に大丈夫です」
サキはショコラを拾い上げる。ミティアと初めて出会った頃もこんな感じだった。その経験があるため、この出会いにも意味があるものではないかと感じてしまう。
ミエーナはコートを払って、やっとまともにサキを見た。目を丸くしている。
「おぉ、この人、噂の史上最年少の大魔導士さんじゃん」
「こら、ミエーナ、失礼ですよ?」
「はーい。ごめんなさい」
兄妹漫才でも始まってしまいそうだ。サキは苦笑いのまま軽く会釈してこの場を去ろうとする。
「そ、それじゃあ、僕はこれで……」
「サキさん……」
ミエーナの兄に呼び止められた。サキは足を止め、目をぱちくりさせる。まだ用があるのだろうかと構えてしまった。それだけではない。ミエーナと比べ物にならない威圧を身に感じた。青紫の澄んだ優しい目をしているのに、どこか冷たい。すべてを見透かされそうだ。
「は、はい、まだ何か?」
「またどこかで……」
男性はミエーナを猫のように摘まんで笑顔で去って行った。
サキも部屋に戻る。ちょうど誰もいなかった。それを確認し、扉に寄り掛かって大きく息を吸って吐いた。緊張が解け、安堵の息かもしれない。
「ふぅ、あの人たち、何だったのかな。不思議な人たちだったなぁ」
サキの足元にショコラがすり寄る。
「おかしいのぉん?」
「えっ?」
「あのおなご、幻獣の加護を持っていたのに幻獣が見当たらんかったなぁ。お兄さんの方もそうじゃったよぉ」
サキはあの二人は魔法使い、もしくは魔導士だろうとショコラは言いたいのだと思っていた。だが、少し違うようだ。
「一般的に大魔導士として認識されるなら、本名ではないのかのぉん?」
「僕のファンとかそういう感じではなくて、何かあったとでも?」
「言ってはナンじゃが、お兄さんは主より格上じゃと思うのぉん?」
「へぇ……」
「反応がドライじゃなぁ?」
「世の中には大魔導士の先輩はたくさんいます。僕よりすごい人はたくさんいますよ?」
ショコラはあの二人が気になるらしく、珍しくしつこく話題を引き摺った。サキは謙遜しながら妙な引っ掛かりを感じていた。
サキは本をチェストに置き、カバンも帽子も外す。
「さて、と、ジェフリーさんは期待できないから、僕も色々考えておこうかな」
つかの間の現実逃避で心をリフレッシュさせ、現実を見据える。思えば、気にすることの多さに目まぐるしい。
ショコラは尻尾をパタパタと上下させ、サキを見上げた。
「ちゃんと考えておるのかのぉん?」
「一応は、ですね」
サキは軽装になって入れ違いでお風呂に入ろうと、計画をしていた。できるだけ顔を合わせないように心掛けている。意図的に避けることで、自分でも意識してもらおうという狙いだ。
ただ、頼られるのはうれしいが、魔法以外で頼られても専門ではない。自分が必ずしも正しい答えを導けるかはわからない。
「僕は瘴気の魔物について、何らかの機会に調べた方がいいような気がしますね」
いつもそうだが、大体がいくつかの案件を抱えたままの旅になる。いつかはのんびりと景色を見たり、探索をしたり、自分が本当にやりたいことを見付けられる有意義な旅になると信じて続けてはいる。今のところ、のんびりの気配はない。
自立して稼げるわけでもない。だからと言って、いつまでもだらだらとしているわけにもいかない。
何となく将来についても考えている。まだ少し先の話になるとは思うが。
「のぉ、主?」
ショコラはサキの膝に乗った。サキは真面目な話をするのかと身構えた。ショコラは耳のうしろを掻いている。
「風呂で抜け毛を綺麗にしてはくれんかのぉ?」
まさかの申し出に、サキは思わず笑顔が綻んだ。
緊張ばかりではこういったことも癒しになる。
一方、男性風呂では、いつも以上に竜次の世話焼きがひどく感じられた。左腕が上げづらいジェフリーを気遣い、頭や背中を流していた。こんなことは子どものとき以来、大人になってからは初めてだ。保護者のように優しいが、今日はやけに献身的のような気がする。ジェフリーは申し訳ない気持ちを抱いていた。
「なんか、悪いな……」
「何を言っているんですか。もうこういうの、できないかもしれないでしょうに」
特別仲がいい兄弟ではないが、話さないほど仲が悪い訳ではない。世の中には兄弟なのに憎み合っていたり、経済的な理由や親の事情で一緒に暮らせない者がいたりするのだ。
「また髪伸びました? 切ってあげましょうか」
「そこまで考えてなかった。別にこのままでいい」
湯船に浸かっているときも黙ってはいない。あまりかまい過ぎると、変な払い方をしてしまいそうだが意地を張って衝突するのは避けたい。ジェフリーは悪態をつかないように意識をしていた。
「何本注射されたのでしょう? 痛い痛しいですね」
「親父は壊死してないだけよかったなって言ってたけどな」
「少しでもほぐしておきなさい。私がマッサージでもしましょうか?」
「そこまでするか!? 誤解されるからよしてくれ」
心配されるのはありがたいが、どこまで頼っていいものか。乱暴にならないように断るも、竜次は不満そうだ。
桶風呂を楽しむ圭馬は客観的に指摘を入れた。
「仲がいい兄弟っていいね」
そう言えば、圭馬も三人兄弟だ。仲がいいと指摘したが、違うのだろうか。
「圭馬さんこそ、お兄さんも妹さんもいるではないですか」
「そーだねぇ。ボクって生前の記憶がないんだ。だから、どうして死んで、英雄の魂を持っていたのか、幻獣になったのかを知らないんだ。白兄ちゃんと恵ちゃんのことは覚えていたけど、別に仲が悪いわけじゃないよ」
複雑な事情を抱えているようだ。死して英雄の魂が認められて幻獣となった。当然、圭馬には生前がある。だが、そこまで気にしていないし、大きな喧嘩をしている様子もなかったことから仲が悪いわけではないようだ。
「何百、何千年とか生きていると、いいところも悪いところもどうでもよくなって来るのさ。新しく何かを知ろうと探求心があるうちは、光輝いていていいよね。ボクはそういうの、疲れちゃった」
遠回しにサキに対して皮肉を言っている。だが、都合がいいことに本人はここには不在だ。
「お兄ちゃんたちは間に女の人がいるんだっけ? 兄弟のうち、女性が一人でもいると男同士でもあんまり仲悪くならないって聞いたことあるよ」
圭馬は自分で脱線して、自分で話題を戻した。竜次とジェフリは顔を見合わせる。
思うところがあるのはジェフリーだった。
「まぁ、姫姉がいるし。でも、俺は早くに離れてたから、あんまり兄弟の時間はなかった。どちらかと言うと、兄貴が落ちぶれてからよく話すようになったと言うか、一応は一緒に暮らしてたし。なかがっ悪いわけじゃないとは思う」
そんなつもりはなかったのに、竜次が黙り込んで俯いている。気が付いたジェフリーが即謝った。
「ごめん……」
「いえ、そうではないのです」
思い詰めた感じではなく、何かに気が付いたようだ。
「気が付いたら、いつも誰かに甘えていました。誰かに依存し続けないと自分が保てないなんて、こんなのよくないですね」
竜次は自分に足りないものにまた気が付いたようだ。
湿原をしまったかもしれない懸念は見当違いだった。ジェフリーは竜次の気持ちが落ちているのが気になった。
「私が沙蘭の城主をしなくて、本当によかったかもしれません。今頃壊滅して、再起不能になっていたかも」
足りないものを糧にしようという意思表示。何度も見て来たが、また気付かされた。
「私って、本当にジェフのお兄さんで合っているのでしょうか?」
「親父に聞いてみろよ。そこを疑ったら、俺はもっと怪しいと思うぞ」
この言い合いは少し虚しかった。兄弟であることの否定とは何だろうかと、ジェフリーは自分の存在を疑った。今さら血縁がなかったとしても、大して驚かないが、もしかしたら自分は種の研究所で手を加えられていた人間ではないかと初めて疑った。心当たりは二つある。
一つはなぜ、少し学んだ程度だった魔法がアシストこそないとできないが上級魔法まで使えるのか。もう一つは、自分の両手を見つめ、恐ろしくなって手を震わせる。
「ジェフ、そろそろ上がりませんか? のぼせますよ?」
「あ、うん。そうだな」
竜次はジェフリーの様子がおかしいのに気が付いたのか、脱衣所でも仲良しの兄弟みたいになってしまった。竜次がジェフリーの頭にタオルを被せて拭いている。
「そんな、いいのに……」
ジェフリーは面倒くさそうな声を上げる。だが、特に払う理由もない。こんなに優しくされると気持ちが悪いが、別にいつもではないのだからいいかと流していた。
「何を悩んでいます?」
表情から詮索したようだ。
これは余計なお世話だ。ジェフリーはそっけない対応をする。
「自分の心配をしろ」
「はい、悩んでいる証拠」
「なっ……」
ジェフリーは鼻っ面を指で突かれた。このまま噛み付いてしまいそうな勢いで睨み付ける。
「うっさい!」
ジェフリーは着替えて早々に出ようとする。一緒にいると気分が悪い。
竜次は言葉で引き止めた。
「外出はやめなさい」
長い髪を拭いながら、振り返らずに背中を向けたままだ。時々やろうとしていることを見透かすこの言動がジェフリーには怖かった。
「今は自分の体を粗末にするときではないでしょう。それより、ミティアさんの心配をしてあげた方がいいかもしれません」
ジェフリーは品のない足音と共に出て行った。竜次の足元で圭馬が見上げる。
「え、ジェフリーお兄ちゃん行っちゃったけど、いいの?」
「体力が戻っていないのに、街中を歩くのは無理があります。時間をかけて心配させることくらい、わかっているでしょう」
「どこに行こうとしていたのかもわかっているって口振りだね」
圭馬は呆れているのか、耳を垂れ、身を震わせる。
「どうせあの顔はお父様に問い詰めたいことでもできたのでしょうね。でも残念ながらお父様はこの街を離れたと私は思っています」
「ボクもそう思う。でなかったら、あの子のお師匠様に子どもを預けはしないよね」
珍しく圭馬と意見が合った。今日歩んだ状況から、少し考えれば想像できそうなものだ。竜次は小さく唸って考え込んだ。
「私は、そろそろ沙蘭に残った方がいいのかもしれないですね。みんなに迷惑がかかるかもしれない」
圭馬はぴくりと耳を立てて慌て出した。
「えっ、どうしたの、お兄ちゃん先生!?」
「まだ、考えている段階です。でも、そろそろその道も考えた方がいいかもしれません」
ジェフリーとの会話で何か心変わりでもあったのだろうか。竜次は急におとなしくなった。入浴の際に外していた三日月のピアスをきゅっと握った。
「最後かもしれませんし、言っておこうかな……」
ぽつりとつぶやいて身支度を整える。
ジェフリーではないが、後悔しないためにキッドを探す決意をした。
女性部屋では、ローズがタブレット端末の試運転をさせていた。
「ミティアちゃん、何か調べたいこと、ありませんデス?」
唐突な振りに、ミティアは驚いた。
「んん!? 今度は何ができるようになったんですか?」
今までは地図の閲覧や、発信機などでマーキングしたものの場所の探索に使っていた。今度は何が追加されたのだろうか。
この世界にこういった端末はまだそんなに普及していない。大図書館があるくらいなのだ。テレビもそんなにメジャーではない。パソコンだってそうだ。ないことはない。自販機も少ない。遺伝子の操作、科学や化学に関しては変に吐出しているが、機械に関しては少々劣る。
その理由は技師がいないこと。学校がないこと。技術者を育てる学校がないため、ほとんどの者がローズのように独学だ。そんなローズはどこで機械整備士なんてライセンスを得たのかまだ聞いていない。だが、ミティアが知りたいのはそこではない。
「ある程度の検索を復旧させましたデス。壊れやすいのでネ。あと、少し前のギルドの情報も引っ張れるかもしれないデス」
ギルドに赴かなくてもここから依頼とか請け負うことができたらどんなに楽だろうか、ミティアはそんなこと思いながら液晶画面を覗き込んだ。
こういうものが普及すると、何でも早くなるし情報も拡散しやすい。もっと普及した段階で種の研究所の話が出たら、人々の関心ももっとあっただろう。種族戦争だってそうだ。考えても悲しくなるだけなので、ミティアは『フィラノスの美味しいお店』と答える。すると、食べ物屋さんやレストランがまとめられたものが表示される。
「わっ、すごい!! おいしそう!! 知らないお店もありますね」
今まだ立ち寄ったお店の他にも、知らないお店がある。違う焼肉屋さん、ステーキ専門店、サラダが食べ放題のお店、ワッフル専門店、ケーキ屋さんもあった。ミティアはごくりと涎を飲み込んだ。食べたばかりなのに胃袋を刺激する。
胃袋を刺激されたのはミティアだけではない。ローズは切り替えを試みた。
「他にはないデス? もっと現実的なことでも」
「現実的?」
唸りながら考え込むミティア。回数制限もないのに、いきなりすぎて何を知りたいと言われても困ってしまう。しかも、万能ではない。現実的なことと言われ、ミティアは自分が抱えている問題を思い出した。
「そ、そうだ、天空の民って何ですか?」
「お、そういうのは面白そうデスネ」
ローズはパチパチとパネルのタッチ音を立て検索をする。すると、天空の民どころか天空都市の話が出て来た。ミティアの表情が険しくなる。
「愚かな天空の民は男を知らないあまりに、招き入れた一人の地上人の男性により、その天空都市は滅んだ。滅んだって?」
「ム?」
ローズもしかめた顔をしながらミティアの表情をうかがっている。
「すでに滅んでいるの? 本当に?」
「これは、サキ君とかにもお力を借りてちゃんと調べた方がいいかもしれませんネ」
ミティアの中で母親に聞きたいことが増えた。思ったより空気が重くなってしまい、ローズが取り乱す。
「あぁー、ははは。そ、そだ、フィリップスの情勢とか調べちゃおっかナ!!」
パチパチとパネルをタッチする音がする。ミティアの心情を揺るがすことの多さに気遣わなくてはならない。ただでさえ、今のミティアはメンタル面が不安だ。
「わたし、もう少し気丈にならないと」
自分に言い聞かせているがどれだけ気丈になれるだろうか。理解なんて、和解なんてできるだろうか。ミティアは思い詰めた様子だった。
「あ、ミティアちゃん、そんなに思い詰めてはいけませんヨ?」
「ん、はぁい……」
ミティアのから返事が気になる。だが、ローズにはどうにもできない。現状の維持がいいところだ。もしくは思い切って話題を逸らすか。
ローズは考えながら手元を見た。
「んン!?」
動揺して調べたフィリップスの情勢が面白いことに気が付いた。ローズはミティアを手招きする。
二人はじっとタブレット端末に見入っていた。
ミティアはとあることに気が付き、首を傾げた。
「あれこれ、ローズさん?」
「うーむ、風向きが変わって来そうな予感デス」
端末に表示された記事を読み、二人で顔を見合わせながら小さく笑う。検索機能、意外と使えるかもしれない。
コンコンと扉がノックされた。キッドたちが帰って来たのかと思った。
ミティアが扉を開いて応対すると、音の正体はジェフリーだった。風呂上りなのか、髪の毛がぼさぼさなので新鮮に見える。
「悪いな。博士と一緒か」
「あ、うん。お邪魔だったら、わたしはお風呂にでも行くよ?」
「いや、一緒でいい」
ミティアに会いに来たのではないようだ。ジェフリーはローズに用事があるようだ。
「博士に質問がある」
「おっと、ワタシにデス?」
「親父と長い付き合いなら、俺のことは知っていたよな?」
「何か、唐突デスネ?」
竜次に聞かないという点が気になる。ローズはしかめた顔をしながらジェフリーの様子をうかがう。どうも、自身に関して気になることがあるようだ。これは真剣に答えないとジェフリーに悪い。ローズは思い出しながら話す。
「ワタシは写真でしかジェフ君たちを知らなかったデス。よくお話は聞いていましたがネ?」
「親父は俺に何かしてないよな?」
「何を疑っているのデス?」
ローズは眉間にシワを作り、小難しい表情を浮かべる。
ミティアもジェフリーの様子がおかしいと心配してしまった。
「どうしたの?」
考え過ぎだ、きっと。ジェフリーは首を振って切り替えた。
「……いや、いい。ごめん。忘れてほしい」
ジェフリーは簡単に引き下がった。知るのも怖い。自分は何らかの手を加えられ、身体的な部分で人間ではないのかもしれないと思った。上級魔法が使えるほどの隠れた才能。魔導士狩りの直後から一部が欠落した記憶。父親であるケーシスの目が自分を避けているようだった。
向き合って話をしてもらえたが、和解したわけではない。
マイナスに捕らえてはいけないと知りつつ、気にはなった。ケーシスはまだ『何か』を隠している。
ローズは眉間にしわを寄せつつ、首を傾げた。
「変なジェフ君デス。まだお疲れでは?」
「そうかもしれない。ゆっくり休むよ」
反発的な面ばかり見て来たせいか、素直になったジェフリーは新鮮に映る。
自身の死に直面したせいで、地に足を着き、現実を見据えるようになった。まだまだ突発的に口の悪さが出てしまうが、抑え込んでいる。
ジェフリーは個人的に竜次の案件よりもミティアを気遣った。
「ミティアもしっかり休めよ? 俺も協力するから」
「あ、ありがとう」
少しでも気にかけてくれるのがうれしい。ミティアはもじもじと縮こまって上目遣いになった。
ジェフリーは少し照れながら視線を逸らした。その視線の先が、ローズの手元に行く。
「ん、何か見てたのか?」
「あぁ、ジェフ君も見ておきマスカ?」
ローズは持っていたタブレット端末をジェフリーに見せて来た。
「な、何だ、これ。まずい情報じゃないのか?」
王都フィリップスの情勢だ。古い情報だが、王と王子を含めた血縁関係の構図が書かれている。ジェフリーは肝を冷やす。だが、ローズとミティアは笑顔だ。ジェフリーは画面を覗き込み、すぐにその理由を把握した。
「こいつは、やられたな」
とんでもないことが判明した。だが、言いふらすつもりはない。
廊下でちょっとした遭遇。避けるには難しい。圭馬を抱えた竜次、キッドとコーディがばったりと遭遇した。別にここで遭遇しなくても、一緒に行動するのだからいくらでも機会はあるが、お互い風呂上がりで気分もいいはずなのに、睨み合うようになった。
キッドは遭遇した相手が竜次を知り、引け越しになった。
「えっと、あ、あたし、早く休もうかな」
逃げそうなキッドの服の裾を、コーディが摘む。
「え? コーディちゃん!?」
コーディは竜次を見上げ、手を出した。
「……もらう」
正確には竜次ではなく圭馬だった。コーディははもらうと言いながら、奪うように圭馬を摘まんだ。圭馬はじたばたと暴れた。
「え、ボク、気になるのに!」
「だめー」
コーディはそのままぱたぱたと走って行った。あまりにも華麗な立ち回りだ。キッドも竜次も驚いている。
「え、コーディちゃん?」
キッドが遅れて追おうとする。だが、竜次が逃すまいとキッドの腕を掴んだ。
「お願い。避けないで。私の話を聞いてほしい」
「こ、ここでですか?」
「……」
捕まえたはいいが、ここは廊下で他の人の目もある。お互い部屋着だし、外に出るには寒いし不格好だ。
悩むも、今度はキッドが手を引いた。
「テラスの前はどうですか。寒いからあんまり人がいませんよ」
「あ、えっと……」
「そんな顔されたら、ちゃんと話を聞かないと失礼だと思ったから」
竜次はたじろぐ。キッドが引っ張るという妙な展開になった。これでは竜次の立場がない。客室を抜け、テラスが見えた。静かなくつろぎの空間だ。大きな窓にフィラノスの夜景と星空が覗く。
話を切り出したのはキッドだった。
「あの、あたし、やっぱり友人という立場がいいと思います」
「ど、どうしてですか?」
何の前触れもなく、いきなり結論だけ突き付けられた。竜次は何とか調和を保とうとする。
「私はクレアが好きです。言えば仲間の一人として意識されなくなるし、周りの目が怖かった。不快ならば、私は沙蘭に残って街医者でもします」
「違うんです。そうじゃないんです。あたし、馬鹿だから、竜次さんと身分があってない。あたしは田舎者だし……」
「そんなものは、気持ちに関係ない」
「それだけじゃないんです。本当はそんなものじゃ……」
キッドが涙を浮かべながら唇を震わせる。何か別の理由があるとすれば、と竜次は心当たりを言う。
「まさか、まだ『あの人』が好きなのでは?」
「ごめんなさい、竜次さん……」
「……っ」
竜次は塞ぎ込む。キッドの心が蝕まれているのを、何もできないのだろうかと苦悩する。キッドに謝らせていることが申し訳なかった。
「こんな気持ちで、竜次さんに好きだなんて言えない。本当はわかっているんです。消えないといけないのはむしろあたしの方。だって、そうしないとあたしはこれからもみんなに迷惑を掛ける。今度は本当に誰かが死んじゃうかもしれない。ミティアや竜次さんと一緒にいたい。けど、でも……」
キッドは俯き、首を振った。
迷いを断ち切ることは難しい。竜次は一つの提案をした。
「それなら、私と一緒に戦うことを辞めますか?」
キッドは目を見開き、驚いている。涙がほろりと零れ落ちた。
「どう、いう?」
「私は縁談を含め、みんなに迷惑を掛けています。私と旅を降りて、静かに……一緒に暮らしませんか? あなたが傷付くのを見ていられない」
「え、どうして、そこまで……」
キッドは目を擦り、竜次を真っ直ぐ見つめる。
抱き締めて、キスをする権利は自分にはない。竜次は悲しさを引きずりながら笑う。
「そういう道も、悪くないんじゃないかなって。あなたと一緒ならね」
自分の存在意義、同じような悲しい思いをするのならば自己犠牲の心もあった。都合がいい話だ。これこそ、仲間から嫌われても仕方がない。それでも、キッドとともになら悪くないと思った。
前にも話したが、そこまで悪い反応ではなかった。今度はどうだろうか。
キッドは視線を伏せる。その様子に竜次は一歩引いてみた。
「すぐに答えを頂けるとは思っていません。沙蘭に戻ってからで。折を見て何となく話をしますが、私はそこまでになると思います」
「竜次さん、本当に旅をやめるの?」
この場ですぐには判断を下せない。まだ考えている段階ではあるものの、意志の半分以上はその方向で考えている。
「自分のような孤独な人を作らないようにするのが、私の使命だと思っていました。ですが、ジェフも落ち着きました。ミティアさんは自らの道を切り開こうとしています。サキ君はもう立派な大魔導士です。コーディちゃんも自分の夢のために踏み出した。ローズさんも積極的になってくれてています。みんな、変わった。変わらないのは私だけです」
皮肉で締め括る。だが、キッドは笑って頷いた。
「返事、考えておきます。そこまで考えているんだから、あたしも真面目に考えて返事がしたいです」
「話を聞いてくれてありがとう。ジェフじゃないですが、言わないまま死ねないと、変な意識をしてしまって。でも話をしたいが強引でしたよね」
「あたしも、最近思います。あたしの返事を聞くまで死なないでくださいよ?」
「沙蘭への船旅だけです。景色を楽しむ余裕があるくらいですよ」
心配のし過ぎだと、二人は笑う。話が終わってそれぞれ部屋に戻った。
男性部屋ではジェフリーがベッドに座って、スタンドの明かりで本を読んでいた。
竜次は注意をする。
「部屋の電気を点けなさい。目が悪くなりますよ?」
パチッと明かりを点ける。すると、ジェフリーは視線だけを上げた。
「あなたが本を読むなんて珍しいですね」
「俺の本じゃない。サキに借りた。読んでおいた方がいいって言われたから」
「あぁ、サキ君の? 魔法の本ですか?」
部屋にサキ本人はいない。入れ違いで入浴しに行ったのだろう。ショコラもいない。
竜次は馴れ馴れしく、ジェフリーの隣に腰を下ろした。
「な、何だよ」
「そんな態度なら話すのやめようかな」
「はぁ?」
竜次はせっかく座ったが、立ち上がって自分のベッドに横になった。ジェフリーは竜次が何を考えているのかわからず、徐々に不機嫌になる。
「意味がわからない。言いたいことがあるなら言えばいいだろ?」
竜次はそのまま言及を避けるように背中を向けた。背中を向けたまま言う。
「先に言っておきますよ。あなたはもうすぐ自由になれるかもしれない」
「俺はサキみたいに頭がよくないから、説明がないと理解ができないんだが?」
「明日早いんだから、寝なさい」
「人の話を聞けよ、ったく」
ジェフリーは思わず舌打ちをしてしまった。だが、竜次はそれ以上返さなかった。
喧嘩と言うほどではないが、変な形で一日を終えた。
引っ掛かり、違和感を残しながら。
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