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【2‐5】導くもの
叱ってほしくて
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わだかまりを抱えたまま、キャラメルシィの前で合流を果たした。
この七人と二匹が集結するのは久しぶりのように思える。
デートを仕組んだ竜次は、ジェフリーに嫌味を浴びせる。
「快気祝いはいかがでしたか?」
キッドがいる時点で察しがつきそうなものを、わざわざ言われると噛みついてやりたくもなる。だが、ジェフリーはここを堪えた。
コーディはジェフリーに気を遣っているようだ。
「ちゃんと歩けたの? と、いうか、髪の毛も乱れてるし、歩くのつらそうだね」
「足はまぁまぁかな。それよりも、左手が思うように動かない」
どちらかというと、コンディションは悪い。いずれは消えるだろうが、左の腕から先は針金でも入った鈍感である。
ジェフリーは自分の体調の心配をしてくれているありがたみを感じた。だが、もっと心配な話をしなくてはいけない。
「みんなに話がある。割と真剣な話だから、どこかゆっくりできる所で話そうと思う」
幻覚を見た話を信じてもらえるのかは怪しい。ただ、サキと圭馬がわかってくれたのだから、話す内容は伝わってくれるだろう。
話があるのはジェフリーだけではなかった。
「ジェフもですか? こちらもギルドで情報を仕入れましたのでお話ししたいですね」
竜次も仕入れた情報があるようだ。
小難しい話が展開されそうな流れだ。
キッドはこの隙に、キャラメルシィへ入った。ものの数秒で足早に店を出て来た彼女は箱を二つ持っている。
何の箱なのかを知っているサキはミティアを手招いた。
「ミティアさん、こちらへどうぞ」
サキがミティアを招こうとすると、キッドが間に入った。サキは首を傾げた。
「姉さん?」
「まずはあんたが先ね。はいこれ」
キッドはにやりと笑いながら、サキに細長い箱を渡した。
何を企んでいるのか、竜次とコーディもにやにやとしている。サキは受け取るも、わけがわからずに不振がった。
「え? あの、これ」
戸惑うサキを、コーディが急かす。
「早く開けなよ」
「は、はいっ」
箱を開けると中には黒紐のループタイが入っていた。
トップには紅い宝玉にドラゴンらしきものが掘られ、金色で模様が露になっている。宝玉は透明なガラスで更にコーティングされており、かなり綺麗だ。手製のものであるのがうかがえる。サキは目を丸くした。
竜次は自慢げにアピールをする。
「私が黒紐って提案したのですよ!」
提案したとはどういう意味だろうか。竜次はさらに急かす発言をする。
「着けてくださいな。せっかくです」
サキは状況が呑み込めず、おろおろとしている。痺れを切らせ、キッドがループタイを手に取り、サキの首から下げた。
「あら、いいじゃない」
「姉さんこれって、あの……」
「ちゃんとお祝いしてないもんね。あたしたちから、おめでとうのプレゼントよ」
キッドはサキの肩に手を置いて、笑みを浮かべた。彼は大きく目を見開いて、やっと把握した。
「おい、わい?」
サキは実感が湧き、じわじわとうれしい涙が込み上げて来る。だが、これだけではないらしい。
コーディが笑顔で見上げている。彼女も早く話したくて、うずうずしている様子だ。
「それ、魔力含んでるよ。宝玉、撫でてみて」
サキは言われるまま、タイの宝玉を撫でた。一瞬だけ小さく控えめな光が弾けた。この感覚は知っている。武器召喚石だ。光は尾を引き、長い棒状のものが現れる。
両手で持って少し大きいサイズの杖が手に落ちた。金属で重みがある。
「え、えっと?」
サキは先日、愛用していた杖を壊してしまった。フィラノスの大図書館から種の研究所に落ちてしまった際、魔石と一緒に武器召喚のガラス玉も潰してしまった。
壊してしまった杖は、鳥の羽根があしらわれていた。今手にしているのは、ドラゴンの絡まったデザインで翼も生えており、宝玉と同じ赤い色の石がワンポイントで付属している。見た目がかなりかっこいい。
遅い中二病の心を、呼び覚ますまである。
キッドは詳細を話した。
「前の杖、壊しちゃったんでしょ? コーディちゃんと先生とでお金を出し合って、お祝いを贈ろうってなったのよ。あたしは身に着けられる物がいいって。だからこうなっちゃったんだけど、どぉ? 好みじゃなかった?」
キッドはサキの顔を覗く。サキは杖をぎゅっと握り、うれし泣きをしていた。
竜次は感動の追い打ちのように言葉を添える。
「これ、デザインしたの、コーディちゃんなんですよ」
竜次の説明に、コーディは顔を赤くしながら憤慨した。
「お兄ちゃん先生、余計なこと言わないでいいからっ!!」
察しがよければ、ここでコーディの意識に気がつきそうなものだ。だが、誰もそうは思っていない。周りにはまだ、もそういう認識はないらしい。かえってこの方がコーディは助かる。
実は気になっていたのはかなり前からだった。なぜいつも目下の思われているのだろうかとコーディは気にしていた。
さして親しい仲でもないと言っていた後輩のメルシィを愛称で呼び、お店の女性に好印象で人懐っこい。だが、変に媚びない。むしろそういうところは控えめだ。
ミティアをものすごく慕っている。それ以外の女性はほぼ眼中にない。
同い年のくせに、反則だ。人間のくせに、と壁を感じている。どうせ自分はドラグニー神族の末裔。つらい運命しか待っていない。。
まず対等な立場としても見てもらえない時点で、あり得ないのだが。
お祝いムードになり、何も聞いていないミティアとジェフリーが不満そうだ。
「ずるいなぁ、わたしもお祝いしたいなぁ」
「と、言うか、いつ仕組んだんだ?」
除け者にされた感が拭えない。
それはローズだってそうだ。彼女は何も言わないが、白衣のポケットに手を入れてぶらぶらとさせ、話の流れを静観している。
きっとこの間に何か考えているに違いない。
サキのお祝いがひと段落し、キッドはもう一つの箱を持ってミティアに歩み寄った。
箱を開けて差し出す。
「コッチはミティアのよ。魔力制御の腕輪。あたしとあの子で頑張ったのよ?」
「ん?」
ミティアは意外そうな反応をした。やはり自分のことは二の次に考えていたようだ。
キッドが見せたのは、バングル式の腕輪だ。少しいびつな部分があるが、先程手を施していたのを目の当たりにしている。
素人が頑張った、と言う色が出て金属の色が少しまだら模様になっている。だが、艶があって、とても綺麗だ。
圭馬がミティアに変化について指摘をする。
「これで垂れ流しになっていた魔力がなくなるんだから、魔法が使えるようになるんじゃない?」
「あ、そうだね。これで、みんなの足手まといにならないね」
「それは言わない約束じゃないかい?」
ミティアは圭馬の指摘にハッとさせられた。圭馬の言葉は、気付かされる発言が多い。
キッドバングル式の金属の腕輪をミティアの腕にはめる。細身だが、存在感がある。今までとは違い、取り外しができる。
「これでミティアが倒れなくなるかもしれないわね?」
「キッド、サキもみんなも、ありがとう……」
いいことが重なって、和やかな空気になった。これから少し詰まった話をしないといけなくなるのはお互いにわかっていて、この空気を堪能した。
少し距離を取って静観していたローズ。この和やかな空気を延長した。
「ちょっといいお店予約したデス。みんなでご飯、行きませんかネ?」
抜かりないローズは、こういうところで本領発揮する。
ご飯の話になると、ミティアは元気を取り戻す。
「ご飯っ!!」
今までの流れからがらりと変わり、ご飯の空気になった。本当にミティアらしい。彼女が明るくなると、不思議と笑顔が戻る。
ローズは念のため付け加えた。
「ジェフ君の快気祝いでもあるデス」
「博士はこういうところが憎いな」
「気が利くと言ってくださいデス」
ローズが先導しようと前に出る。窓越しにメルシィが手を振っていた。軽く会釈して移動を開始する。
少し歩いて、ショコラが立ち止まった。耳を立て、鼻をヒクッと上げた。
「どうした、ばあさん」
出遅れそうになっていたので、ジェフリーが抱き上げる。何やら周りを気にしていたが、次第に首を傾げていく。
「のぉん? ババァだからの。気のせいじゃなぁ」
ジェフリーは落ち着かせるように撫でる。すると、どんどん毛が抜ける。抜けた毛もきちんと鯖色をしていた。
せっかく買ったシャツが早くも毛まみれになった。
「ブラッシングしてあげないと、宿の人に怒られてしまうかもしれませんね」
竜次はジェフリーが勝手に買ったシャツに関して、何も言わなかった。ショコラの毛まみれ具合は気になるようだ。幻獣で、猫の姿は化身だが、こういうところは妙に現実味がある。
移動中、サキはずっと杖をしまわないで手に持っていた。目を輝かせ、何度も先端から先端まで眺めては幸せそうな表情をしている。
キッドは注意をした。
「そんな大きいの、さっさとしまいなさい。人にぶつけるわよ?」
「もうちょっとだけ、いいでしょ?」
普段なら聞き分けのいいサキが、この感動を抑えられずにずっと眺めていた。余ほどうれしいプレゼントだったようだ。
歩きながら、コーディはミティアを気遣う。
「それ、着けて何か変わった?」
「うぅん、今のところは特に?」
ミティアを気落ちさせまいと注意しているらしい。時折顔色をうかがうようにして、笑顔を見せる。その笑顔の裏は、なぜミティアがこんなにも男性に好意を寄せられるのかを探っている。作家ならではの観察力が生きるかは不明だが、コーディもいつか行動を起こそうとしていた。
ローズに案内された『ちょっといいお店』とは焼肉屋さんだった。昼間なので、ひっそりとやっている。夜にでも来れば、お店からの煙が胃袋を誘うようなお店だ。
外看板のメニューの一部にプレミアム沙蘭牛と書いてあり、竜次は苦笑いしている。
ジェフリーが店の前で声をひっくり返した。
「ひ、昼間から!?」
ローズはあたかも当然のように答える。
「食べられそうなときに食べる。何か問題でもあるデス?」
楽天的というか、ある意味一番現実を見据えているというか、ローズはずかずかとお店に入って行った。昼間から焼肉なんて、あまり考えない選択だ。
店内は客がほとんどいない貸し切り状態だった。この人数でサキがいる。店員は感激し、個室の大部屋に案内した。
個室という条件は、一行にとって会議もできて都合がいい。
通された個室は、編み籠や木の札などの古風な装飾がされ、ちりめんのような細かい柄をした和紙のようなものが壁に貼られている。沙蘭を意識しているようだ。畳の掘り炬燵に似た構造をしている。
絶対に高い。だが、ローズはルージュを引いた口にやりとさせ、誇らしげに胸ポケットからプラチナカードを取り出した。
「奢りデス。好きなだけ頼んで、焼いてくださいネ」
忘れがちだが、ローズは金持ちだ。学者もしていたし、実家は宿を経営。もしかしたら、この中で一番お金を持っているかもしれない。
四角い食卓テーブルに丸い網が張られ、中には炭が入っている。
絶対においしいが、よく焼かないとお腹を壊しそうだ。『焼き物はトングをお使いください』と大きな注意書きが目に入る。
竜次は落ち着きがなく、そわそわとしている。飲食店でこの様子はお酒がほしいに違いない。キッドは指摘を入れた。
「先生、お酒はこれから何もないときにしてください」
「え、どうしてわかったのですか!? まだ、何も言っていないのに」
「昨日今日の仲じゃないでしょ? みんなもわかっているんじゃないですか?」
この迅速で綺麗な漫才のようなやり取りは、もう結婚した方がいいレベルだ。
竜次の酒癖は悪い。困ったことに、それを把握しているのはごく一部だ。彼のためにも止めるべきである。暴力的になるよりはマシなのだが、本当に少量にしてもらわないと、その辺で適当に寝てしまう程度には堕落してしまう。
盛り合わせと、大きなサラダで昼食を囲んだ。あまりない光景だ。新鮮だし、これもいい意味で非日常であり、面白い食卓だ。
「ジェフ君は、減量中でしたっけネ?」
「いや、さすがに食べる。人の金で焼肉なんてそうない。ありがたくて何て言ったらいいのかわからない」
「うわぁプレミアム沙蘭牛おいふい……」
「わわわ、ミティア、そんなに欲張ったら喉を詰まらせるわよ」
「えっと、その肉まだ生では?」
「牛はレアでも大丈夫ですよ。さ、サキ君も主役さんでしょう?」
「ボクにもちょうだいよ!!」
「はい、ウサギさん、ピーマン。猫さんは?」
「わしはツナがいいのぉん」
昼間から賑やかだ。こんな食卓は久しぶりだ。ローズには感謝したい。
食べているときに暗い話はしない。いつしか暗黙のルールになっていた。今回もそれは守られたが、お祝いばかりなのだ。こんな日があってもいい。
お祝いムードで、ジェフリーは気になることを言う。
「大魔導士の試験、どんな感じだったか見たかった」
ジェフリーは倒れてしまったため、サキの勇姿を見ていない。
サキは照れくさそうに当時の様子を話した。
「途中でスタミナ切れを起こしました。焦りました。皆さんの忠告を無視して、ジェフリーさんを探しに行ったからですけど」
ジェフリーは見られなかったのを悔いた。同時に、迷惑をかけてしまったことに罪悪感を抱いた。
「本当にすまなかった」
「緊張していたのもありましたけど、あんまり寝られなかったので」
「それも俺が関係してないか?」
サキは恨めしくジェフリーを見上げている。
この視線が突き刺さる。ジェフリーは気まずくなった。
コーディも謎の指摘をする。
「そうだ、ジェフリーお兄ちゃんって、いびきうるさいよね、たまに隣の部屋まで響くんだけど?」
暗い話ではないが、何やら不穏な流れだ。
竜次は眉間にしわを寄せ小さく唸った。どうも、気になる点があるようだ。
「最近のジェフはお疲れですか? 私の寝起きが悪い原因って、もしかしてあなたのいびきのせいでは?」
ジェフリーは復帰して、祝われて、この集中砲火を受ける。持ち上げられて落された気分だ。だが、もしかしたらこういう点こそが、改善すべきかもしれない。
ローズは客観的で医者らしい発言をした。
「いびきがひどい人は、睡眠時に突然呼吸が止まってポックリ逝く可能性があるデス。また、それでなくとも、高血圧、心筋梗塞や脳卒中などの……」
「ま、待ってくれ博士、シャレにならない話だぞ!?」
医者でもあるローズに言われると、一気に危機感が高まる。ジェフリーは本気で焦り、取り乱す。
食べかけの杏仁アイスを前に、スプーンをしゃぶったミティアが、じっとジェフリーを見ている。さすがに食べ物よりも、ジェフリーを心配しているようだ。
ジェフリーは自分の危機に直面し、真剣に向き合おうとしていた。
「今、本気でまずいと思っているんだが、どうしたらいいんだ?」
この場に医者は二人いる。竜次とローズだ。だが、ジェフリーは主にローズに助言を求めていた。
ローズは医者らしい提案をした。
「生活改善。か、もしくは手術が一般的デス。ちなみにワタシは外科的な手術は得意ではないので、ケーシスにお願いしてネ」
急に父親の名前が出て、ジェフリーは頭を抱えた。
「つか、サキの試験の話をしていたのに、俺の改造計画になってないか?」
不穏な空気だ。サキの話がしたい。だが、自分の改善も気になる。ジェフリーは板挟みに葛藤を抱いた。
サキは苦悩しているジェフリーを小馬鹿にするように鼻で笑う。
「僕はジェフリーさんから、どんな恩返しがあるのか楽しみです。是非とも長生きしてくださいね?」
サキはお馴染みの憎まれ口を叩く。一段と、いい性格になったものだ。
状況を整理しても、今日明日に死にいたるわけではないだろう。ジェフリーも本格的な不調には見舞われていない。ただ、自分が倒れることで迷惑をかけると実感が湧いた。
ジェフリーは肩を落とし、本気で落ち込んでいる。ローズはその様子に寄り添うような助言をした。
「まぁ、一般的なのは枕の高さを変えたり、寝る体勢を変えたりするのがお手軽な改善策デス」
「た、試してみる。まだ死にたくない。悪くなったら言ってほしい」
ローズの助言を素直に聞き入れた。ジェフリーは早速、今夜から試そうと心に誓う。
隣に座っていた竜次は、ジェフリーの態度もそうだが、ぎこちない左手も気になっていた。
「しかし、噛まれた跡しか見ていませんでしたが、蛇ですか?」
竜次にしては冴えている。
ジェフリーは自分の兄を信用してはいるが、どう考えても医者としての経験が浅い。ゆえにこの質問に驚きながら答えた。
「これくらいの大きさで黄色くて、斑点みたいな模様が入った蛇だった」
手振りを交え、具体的に説明する。
竜次はここでわからないと顔をしかめる。
同じく、医者のローズは口を窄めた。
「ハブかその仲間? どちらにしろ、ケーシスは処置までに時間がかかったと言っていたので。まぁ、意識は変わりますよ、ネ?」
ローズが小瓶を摘み出して見せる。高級な香水か化粧水でも入っていそうだが、中には毒々しい色をした液体が入っている。おそらく血清かその一種だろう。
意識が変わったのはローズだけではない。
「私もリムーバーを買ってしまいました」
竜次も細長い箱を見せて来た。ポイズンリムーバーと書かれた箱だ。
二人とも、意識を持つようになったらしい。
ジェフリーは深く詫びた。
「自分勝手なことをして、心配かけたのはすまなかった。この場であらためてみんなに謝りたい」
ジェフリーの様子を見て、ミティアはずっと眉間にシワを作って俯いている。黙ってジェフリーの言葉を聞いていた。
「誰も悪くない。ただ、俺の意識が変わった。自分の命はもっと大切にしないといけないよな。突然死ぬことだってあり得るんだって思うと、毎日地面に足を着いて、しっかりと今を踏み締めないといけない」
何となく、過去のだらだらと生きていた時間が惜しくなった。今から取り戻せるのなら、一日一日をしっかりと振り返りたいくらいである。
意外にも、ジェフリーの心情に理解を示したのはキッドだ。
「何でもないことって、当たり前だから麻痺するのよね。何となく気持ちだけはわかったから、たまに感謝するだけでもいいじゃない。あんたがいないとつまんないし」
たまには生きていることを当たり前と思うなと、キッドらしいメッセージが込められている。キッドも自分のせいで魔導士狩りが起きたと、重いものを背負っているのだ。
ジェフリーは自分を不幸だと思った。理不尽な思いをして、失って、逃げてばかりで、どうしようもない。この世界に生きている意味なんてないと思っていた。
それが今はどうだろうか。
死にかけたら助けてくれる人がいて、失うなんてありえない人がいて、理不尽の先にこんなにもかけがえのないものがあった。
「自分で防げるものは防ぐ。そう意識するしかない。危機に瀕したら助けてほしい。だけど、絶対に無理なことはしないでほしい。例えば……」
ジェフリーの口からハッキリ言わなくてはいけない。息を吸ってミティアをじっと見つめる。
ミティアは何を言われるのか、想像がついたようだ。何度も瞬いている。ジェフリーの言葉を待っているようにも思えた。
ジェフリーは皆にも聞こえるように言う。
「禁忌の魔法なんて、絶対に求めちゃいけない。これはミティアに限らず、誰でもその道に踏み入れてしまう可能性がある。まぁこれは俺にも言えることだけど」
ただならない空気だ。
ジェフリーはこの流れから、本当に伝えたかったことを話した。
「さっき、噴水広場でミティアの兄貴に遭遇した、かもしれない」
一同一斉に注目した。食べ終わったタイミングで、見計らっていたのだ。
キッドは水の入ったグラスを倒して激しく動揺している。さして量が入っていなくて助かったが、おしぼりで整えている。濡れてしまったおしぼりを手に、キッドは質問をする。
「ま、待ってよ。本当にあの人に会ったの?」
キッドの反応を見て竜次は俯く。この反応を見るのが、どうにもつらいと竜次は思っていた。
ジェフリーは深く頷きながら答えた。
「悪いが、キッドとサキが来なかったら完全に呑まれてた」
思い出すだけでも胸糞が悪い。今振り返ると、おかしい点がいくつも思い浮かぶ。焦ってしまうと追い込まれる。追い込まれたら視野が狭くなり、思考も鈍る。デートで浮かれて、判断力が鈍っていたのかもしれないが。
もし、あれが本当に幻だったのなら納得がいく。
この話には圭馬が食らいついた。
「おかしいと思ったけど、二人はボクたちには見えていない『モノ』を見ていた。それがあのサイテーな人だったってわけね。なるほどなるほど。やっとわかったよ」
デートだったらもっと楽しそうにしていただろう。それに、ただならぬ顔をして叫んでいた。圭馬はサキを見上げた。サキも頷いて感じたことを述べる。
「圭馬さんが異変に気が付いたので魔力サーチをかけて、反応したので解除魔法を放ちました。そしたら、風船が割れた。かな? 幻影魔術の類ではないですか?」
大まかにはそんなものだ。その話にショコラが反応した。
「変な気配がしたのは、そういうことなのねぇん。具体的には何を言われたのか気になるわぁ?」
おとぼけの鯖トラ猫かと思ったが、時々こういうところが鋭い。先ほどの移動ももしかしたらこの異変に気が付いたのかもしれない。
ミティアは重い口を開いた。
「兄さんに、また禁忌の魔法がほしいなら一緒に来いって言われました」
注意していた目が、離れた隙を突かれたと考えていい。
ミティアには迷いがあった。ただその場で納得はするが、この力を再び求めたい思いは変わらない。
「わたしは、悪いことに使わなければ、禁忌の魔法はあるべきものだと思います」
ミティアはぎゅっと拳を握った。スプーンを捻じ曲げてしまいそうな勢いだ。
その意見に真っ向から反対したのは竜次だった。
「それだけは絶対にいけない!」
竜次が言って届くかはわからない。だが言わずにはいられなかった。
「そんな力はもともと禁忌とされ、存在しなかったもの。命の倫理、サイクルを大きく狂わせるものなのです。だから、絶対に望んではいけません」
そう、頭ごなしに『ダメ』、『いけない』だけでどうしてなのか。矛盾に気が付いたミティアには、どうしても受け入れられなかった。
「戦ってばかりで、また誰かが危険な目に遭うかもしれない。そうなったら、残されたわたしはどうしたらいいんですか。さっきだって、目の前でジェフリーが危なかったかもしれない」
ミティアが竜次に言い返した。覆すかもしれない勢いで。ただ、大好きな人とずっと一緒にいたいがために。
押し返されてしまった。どうすればいいと言われても、的確な返しが思いつかない。
ジェフリーだけではなく、竜次にだってその答えはわからない。
この話題にようやくコーディは意見を述べた。わかりやすい疑問とともに。
「禁忌の魔法。おじさんは、どうしてローズのお母さんのために、その力を使おうと思わなかったのかな? 王女様の護衛だったし、存在を知っていて一度は悪用しようとした。だったら、違う種族である、人間だったローズのお母さんに、どうして向けなかったのかな?」
コーディは、思い耽るようにジュースの入ったグラスを持っていた。どこでもなく誰もいない空間に目を向けている。この幼い外見をした彼女の言葉が、一番重みがあるかもしれない。
「ローズだって順当に行って、何もなかったら七百年くらいは生きるんじゃない? 人間なんて生きてその何分かの一に過ぎないから、本当に一瞬だよね。私だって普通の人よりずっと成長も遅いし年を取るのも遅い」
皆は黙って耳を傾けている。
「どうせ過去だけど、その力を巡って種族戦争は起きた。神族はみんな、普通の人間にはないものを持っていたから起きたの。人間は欲深くて、利用して、その能力を悪用して意のままに使おうとしていた。それが、人間の間違った道、そんな人をお姉ちゃんは見て来たよね?」
言ってからコーディはため息をついた。そして、使い魔たちに目が行く。
「幻獣さんは、何年生きるの?」
さりげない巻き込み。だが、興味深い質問だ。圭馬は自分のことなのに、客観的な意見を言う。
「正しい年齢はわからないけれど、三千年は生きていると思うよ。ただ、この世界とボクの力を必要としている魔導士がいなくなったら、魔界でその生涯を終えて、転生をすると思う。ボクは比較的出会いを割り切るタイプだけど、中には、何十年と連れ添った魔導士と恋をして、一緒に消える幻獣もいるみたいだから、考えようだよ。命ってのは」
圭馬にしては気の利いた意見だった。種族の違う者にとって、人間の生涯などほんの一瞬に過ぎない。そして、それゆえに、人間の汚い部分をたくさん見て来た。
「一瞬の欲求は満たされる。でも、そのあとが問題だよ。その生き返らせるほどの力、みんなほしいよね。それこそ、種族の壁などもろともせず、平等に、愛し合うものならば誰でも望む、『ともに在りたい』をね」
その意見が容赦なくミティアの心に突き刺さった。ミティアは俯き、組んだ手を震わせていた。
圭馬はミティアを見上げ、言う。
「人間って汚いね、お姉ちゃん、また一つ、賢くなれたじゃん」
「わたし、もう少しで取り返しのつかないことをするかもしれなかったんだね」
純粋だからこそ、一番大きなものに溺れそうになった。過ちの根本に。
ミティアが顔を覆って首を振っている。
「ごめんなさい。わたしが自分勝手だった。これじゃあ、お母さんと変わらないね」
竜次もジェフリーも説得ができなかったものを、コーディは歴史を交えて説得した。
コーディ自身もドラグニー神族の末裔。誰かを好になれば、その人は不幸になる。人間だった自分の母親のように。
「真面目に話したら甘いものがほしいな。私も杏仁アイス食べたい」
コーディはデザートをほしがった。
種族の壁を痛いほど理解しているローズは気持ちを切り替え、かぶりを振った。
「人数分頼みましょうかネ、サキ君、呼び鈴をお願いしていいデス?」
「え、あ、はい……」
急に振られ、サキは背筋を伸ばす。コーディの興味深い話に聞き惚れていたのが正直なところだ。なぜなら、サキは卒業論文で手を付けた内容だからである。
サキだからこそ通じるものがあった。だが、自分が何か諭せたかと思うと、そんな説得力はない。
竜次やジェフリーと同じく、頭ごなしにダメと言って終わってしまう。
少し重い話をしたところで、リフレッシュのためにデザートタイムを設けた。
ミティアは二つ目のはずなのだが、シャクシャクと口に運んでいた。少しは気を取り直してくれたようで、食べ物で幸せになる彼女の気質に助けられた。
ある程度片付いたところで、今度は竜次がギルドから仕入れた情報を開示する。
「さて、ギルドから仕入れた情報です。ちょっと見ない間に怪事件が多発していました」
竜次はギルドからもらった、写しの紙を見せた。依頼になっていないが、情報として提供されているだけで二十件はある。
「墓から死んだ恋人が出て来た。フィラノス近海で海の上に女性が立っているのが目撃された。突然、天空都市が落ちて来た。どれも胡散臭いのしかないな? 少なくとも、天空都市が落ちて来たなら俺たちにとっても事件だぞ」
ジェフリーが目を通して感想を述べる。これのどこが怪事件なのだろうか。
竜次は付け加えた。仕入れた情報に続きがある。
「他にも、貿易都市ノアに邪神龍が出たとか色々ありますが、これは全部人が見た『幻』だったようです。その目撃者以外は、誰も認識していないというね」
違和感を覚えた。反応したのはショコラだった。
「嫌な予感がするのぉん?」
ショコラは幻影魔術に詳しい。人の生活に馴染む魔法を考案するくらいだ。
ジェフリーは疑問に思った。
「ばあさん、人に幻を見せる魔法は、誰にでもできるのか?」
「いんやぁ? そんな万能ではないのよぉ。高位の魔導士、まぁもしくは、『瘴気の魔物』が復活してしまったかじゃなぁん」
少し困ったように耳を下げ、シマシマの尻尾も心なしか、しょんぼりしているように見える。絵に描いたような猫背だ。
「瘴気の魔物じゃ。主に人間の不満とか憎悪とか邪神龍に近いが、それよりも実体を見付けるのが困難な故、どう対処していいかわからんなぁ」
ショコラは高位の魔導士よりも、瘴気の魔物の説を濃厚にしている。なぜなら範囲が非常に広いからだ。人間の足で混乱を起こすには、移動の手間を考えたら、几帳面でもない限りは面倒と思っていい。
ミティアは腕を抱え、震えていた。
「兄さんは、本当に幻だったの? すごく怖かった」
怯えるのも無理はない。あまりにも心を掴まれた。ミティアが過敏な反応を示すものだから、サキも小難しい顔をしながら考えごとをしている。思いつく限りを口にした。
「幻影魔術って、視覚を奪ったり遮ったり、ちょっと化けたり、人の弱みに付け込んで幻を見せたりする術もありますよね。死に際の人に先人を見せて、あえて幸せな逝き方をさせる使い方もあったような?」
勉強したのだろう。心当たりも含まれていた。
ジェフリーは小さく唸った。
「自身が抱える欲求や弱みに付け込まれそうになったってことだな? なら、俺たちだけに限らないのかもしれない」
サキは人差し指を立て、説明をする。
「内容はともかく、魔法に抵抗がなければ、誘惑も困惑もされやすいと思います。具体例として、催眠術だってかかりやすいとかかかりにくいがありますからね」
サキは先生に向いていると思う一面だ。魔法に関しては、もはや右に出る者はいない領域だ。説明や解説は素直にうれしいし、何度も助けられている。
圭馬も興味があるのか、小さく唸った。
「うーん、白兄ちゃんが詳しそうだなぁ。どうやったら打開ができるのか。かからないように防げるのかわかりそうなものだけど」
アイラにも顔出しを考えていた。ついでにはなるが、話してみるのも悪くはない。
これからの予定として、アイラのもとに出向き、ケーシスに関しては落ち着くまではゆっくりさせてもいいかもしれない。
サテラには会ってあげたいが、疲れている様子だったのは把握している。
ローズはアイラからの紙束を手にしながら、先の計画を練っていた。
「ミティアちゃんも普通の女の子への一歩が進み、緩やかに世界の情勢を調べて混沌の原因を究明。さてさて、ワタシはその先の、空飛ぶ船の設計でも始めますかネ」
早々に新しい目標が見えた。
ジェフリーは気持ちを引き締める。
「いよいよ天空都市に殴り込みが見えて来たのか」
「機械に強いのがワタシだけなのがネックデス。ギルドで人を雇うのも考えないといけませんネ」
時間はかかる。そんな雰囲気の中、ミティアが顔を上げた。
「ギルド。そっか」
何か思いついたようだ。コーディに確認を求める。
「お金出せばギルドって情報をくださいって依頼ができるんだっけ?」
「うん。どうしたの?」
ミティアがギルドを気にする理由を告げる。
「わたし、お母さんに向き合ってちゃんと話をしようと思う。天空都市の話を少しでも聞いておきたいと思った。だから、お母さんを探したい。どうかな?」
ミティアも考え方が変わったようだ。あれだけ母親を嫌がっていたのに、先ほどのせいかと思うくらいに違う。
否定的だったジェフリーもこの発言に驚いていた。
「限りある命を誤魔化して凌ぐのも限界が来ると思う。わたしも、意地を張っているのはやめようと思いました。自分勝手だったけど、一つ一つ解決して、ちゃんと話せばわかってもらえると思うの。本当のお母さんなら、ちゃんと向き合わなきゃいけない。わたしも逃げちゃいけない」
強い意志だ。禁忌の魔法を求めるより、ずっと応援したい。
もちろん誰もその考えを否定しない。
「誤ってしまった分、今度は自然な道を歩みたいと思っただけです。わたし、みんなにたくさん助けてもらったから、わたしもみんなを助けたい。そのためにちゃんと話がしたいです。だから探すのを手伝ってくれますか?」
コーディは快く受け入れた。
「探しものはギルドが早いからね。ましてや、大魔導士さん御一行からともなれば、もしかしたら食い付きがいいかもしれないし」
名前をいいように使うのもどうかと思ったが、サキは嫌な顔をしていない。お人好しなのかもしれないが、いいことのために利用されるのは嫌がらない。もしかしたら、もっとどうぞと言うかもしれない。
コーディは行動開始のタイミングを見計らう。
「んーと、じゃあ、アイラさんに挨拶をしてからギルドかな? 夕方になれば繁華街もお祭りムードが落ち着くだろうし、動きやすくなると思うから」
フィラノスの状況を指摘した。もちろんいい方に作用するのはかまわないのだが、行動が制限されないかは心配だ。
ローズにご馳走様と皆で感謝をし、街に繰り出した。食べ過ぎたくらいだ。
夜は軽めでもいいだろう。
街中を歩いても、呼び止められたり、何かを求めたりはして来ない。この街は治安もそうだが民度もいい。
誰が広めたか知らないが、勇者御一行としても異色なのに、史上最年少の大魔導までいるのだ。注目の的だが、適度な距離感を持ってくれる街の人には感謝する。
魔法学校を通りかかると、子連れが何十人も並んでいる。目に見えてわかる変化だ。この中に、未来の大魔導士がいるのかもしれない。
目にしただけで、込み上げるものがある。
住宅街に出た。スラムと違って品のいい人たちが目に入る。高級住宅街から抜けて来たのか、毛に艶のある犬を連れた人も見受けられた。
竜次が貧民街も見た上で、街の在り方について持論を述べる。
「本当は住んでいる場所の壁がなくなれば、いじめや、差別もなくなっていいんでしょうけどね。どうしてもある程度の貧困の差はありますよね。一等地に近い場所や利便性は出てしまいます」
身分を気にするのなら、サキも名前に縛られていたので通じるものがあった。
それはそうと、アイラの精神は大丈夫だろうか。彼女はタフだが、今回はかなり落ち込んでいた。ジェフリーを危険な目に遭わせたと、責任も感じていた。別れた彼女はまるで廃人のようになっていたし、心配でならない。
買ったと自慢された家の前には早速木箱が積まれ、釣り竿が立てかけられている。生活感が出ていた。
サキが率先してノックする。この家に呼び鈴はまだないらしい。
反応はないが戸は微かに開いていた。中から話声がする。サキは遠慮せずに戸を開いた。中では金髪の男性と言い争っていた。
心を許す人には図々しさが出るサキ。ずかずかと入り、声をかけた。
「こんにちは、お師匠様」
アイラはこちらに気付いた。今日は髪を下ろし、ラフな格好をしている。
「あらやだ。何てタイミングだよ」
アイラは取り乱した。普通はそうだろう。客人二人も一行に注目する。
「よぉ、お前たち、ちょうどいいところに来たな」
子連れの男性だ。だが、どこか見覚えがある。
男性は髪をうしろで束ね、ワックスできちんとセットしている。四角い眼鏡、白いシャツにネクタイ、紺色のジャケットを脱いで左腕に引っかけていた。
子どもも何となくだが見覚えがある。魔法学校の制服だ。
ミティアが首を傾げながら質問をする。
「あれ、もしかして、ケーシスさん。と、サテラ?」
男性はニカリと歯を見せて笑う。ケーシスで正解のようだ。
「やっぱ、姉ちゃん俺に気があるのか? 覚えててくれるなんてうれしいねぇ」
ジェフリーは露骨に嫌な顔をしながら、ミティアを庇っている。父親が自分の想い人に色目を使うなど、いい気がしない。
ケーシスは無精髭も綺麗にし、髪も整っているせいで若々しい。ゆえに、誰なのかを把握するのに時間を要した。まだそれなりにおじさんのラインと戦える見た目だ。
竜次が言わないと進まないだろうと、質問をした。
「お父様、マダムの家で何を?」
なぜか答えたのはアイラだ。両手を広げ、深いため息をついた。
「この子を弟子にしてくれって言うのさ。勘弁しておくれよ」
アイラが言う『この子』とは、ケーシスの隣にいるサテラだ。魔法学校の制服を着ている時点で、もう志は十二分だ。
ケーシスは机に手をつき、偉そうに言う。
「だーかーらー、資金面は全面サポートしてやるし、どうせこいつは学生寮に入れちまうんだ。俺みたいな落ちこぼれのもとで魔法のテッペンなんて目指せねぇから、こうして頭を下げに来てるんじゃねぇか。でなかったら、嫁と同じ懐中時計取れなかった大っ嫌いな奴にこんなことはしねぇ!!」
話の流れはわかったが、アイラは嫌そうだ。やっと腰を下ろせて、新生活を開始させようとしていたのに面倒だと思うだろう。
しかし話が急すぎる。わからずやの大人がぶつかる。サテラは一行に歩み寄り、頭を下げた。
「助かった命で自分も一から大魔導士を志そうと思いました。もし、この方にお弟子にしていただけませんでしたら、お姉さんをはじめとする大魔導士様、直々にお世話になろうと思います!!」
サテラはジェフリーに向かって深々と頭を下げた。
「自分をお救いくださり、本当にありがとうございました」
ジェフリーは仲間の視線を気にしながら、頬を赤める。
「べ、別に俺は、ミティアに頼み込まれたし、言い争って、手ぶらで謝りに行きたくなかっただけであって」
ぶつぶつとジェフリーなりの言い訳を述べている。これだけ見ると、萌えないツンデレにしか見えない。
「義理であっても、自分のお兄さんです。よろしくお願いします!!」
「いや待て、ついて来る前提で話をするな。そもそも俺たちは、まだやることがたくさんあってだな……」
この輝いた目を無碍にするのも良心が痛む。だが、危険な旅に巻き込むわけにはいかない。ジェフリーはケーシスに文句を言う。
「親父も無茶苦茶だな。まだ周りに迷惑かけようってのかよ」
自分勝手な父親を呪いたくなる。どこまで迷惑をかけるのだろうか。これも今さらで縁が切れないのだが、もう少し自分でどうにかしようとは思わないのだろうか。
サテラはサキに強い憧れを抱いているようだ。目が輝いている。
「自分は大魔導士様の弟子になる方がうれしいのですが」
「えっ、僕ですか!? そういうのは考えていないです。旅の途中ですし」
いつの間にかサキにも飛び火した。彼は身体的な面はまだ若すぎる。稼ぎもなければ安定した居住もなく、地盤がしっかりしていない。弟子を取るなんてもってのほかだ。
サキに迷惑がかかりそうだと察知し、アイラはついに折れた。
「あぁもぉ、わかった!! うちの子に迷惑をかけるのはおよしよ。週末しか面倒を見てやれないよ!?」
ケーシスはアイラがようやく折れたとにやにやと笑う。
かなり長い言い争いだったのか、テーブルの隅で圭白と恵子が仲良く日向ぼっこをしていたくらいだ。
アイラは拳を握り、震わせている。悔しいようだ。
「屈辱だよ、ケーシスさん……」
「ハッハ、そうか。俺はあんたに最高の復讐ができた気分だ。書類は壱子に持って来させるからよろしく頼んだ」
「くっ、あたしにその子を預けて、ケーシスさんはどうするんだい?」
アイラがねじ伏せられている。サテラにとって、アイラはサキの師匠だ。本人に弟子入りができないのだから、これもうれしいはずだが、懐中時計まで持つケーシスが面倒を見ないのは少し気になる。
ケーシスは一行へ向き直った。
「決戦の舞台、ルーの野郎に殴り込みに行くなら、そのときは付き合う。もちろん協力する。どうだ?」
「つまり、お父様から要所で助力をいただけると?」
「平たく言えばそうなるな。それまでは周辺整理でもゆっくりするさ。沙蘭に顔も出しに行くし。今、壱子に情報操作を頼んでいる。俺の指名手配も汚名も、そのうち落ち着く。裏稼業から足を洗って、粗末にしていた自分の体も良くなるように生活して、ローズじゃねぇが償いをして行くつもりだ」
至極まっとうに生きると言うが、どこまで実現できるだろうか。自分勝手のせいで家族は壊れ、子どもには寂しい思いをさせたと痛感したらしい。
ジェフリーはケーシスに対して、誤解をしている部分があった。だが、そう簡単に人間は変われないことも自身で痛感している。もがき苦しむのが見えていた。
「言うのは簡単だよな。俺だって親父と同じだった」
ケーシスはこれに反論した。
「ジェフリー、お前は俺とは違う。道を誤ったらそれは違うって言ってくれる奴が、周りにはいるだろ?」
「……」
「お前は一人じゃない。それを忘れるなよ」
父親らしい言葉だ。ジェフリーはこの感覚が、むず痒く思いながらうれしかった。
魔導士狩りに遭ってから自分は一人だと思っていた。それが、今はどうだろうか。こんなにも優しい人に恵まれて、死に際に心の底から泣いてくれた人たちに囲まれている。
ケーシスは周りが見えていなかった。必死だったからこそ、間違っても引き返せなかった。取り返しのつかないことになっても、もう戻れる道はなかった。行き着いた荒んだ日常で拾った命、出会った太陽。まだ変われる気がしたからこそ、こうして懺悔をしている。償いがしたいと願っている。そして、自分の子どもに向き合おうとしていた。
その行いの行く末が見たい。ミティアは純粋に応援をしたいと激励した。
「わたし、ケーシスさんが頑張るなら応援します。大切なことに気付けたんだから。きっとやり直せます!!」
よりによってミティアに励まされるとは困った。ケーシスは表情を渋める。でも、それはどこか笑っているようにも見えた。
「姉ちゃん、とびっきりのいい女になれよ」
ケーシスから掛かった言葉に、ミティアは目をぱちくりさせる。インコのように首を左右に傾げた。もうここまで積み重ねるとわかるかもしれないが、ミティアは意中の人以外からの殺し文句は受け付けない。聞いていないわけではないのだが、このお惚け具合に何人の男性が翻弄されたのか。
サテラの弟子入りをさせるという大きな用事が済み、ケーシスはサテラを置いて帰ろうとした。
自分の意思をしっかりと持ったアイラをねじ伏せるなど、ケーシスも無茶苦茶だ。アイラは渋々了承したが、それは諦めに近いものだった。
サテラは上機嫌だ。なぜなら、自分が憧れていた大魔導士への第一歩、魔法学校への入学と、アイラへの弟子入りが決まったからだ。ケーシスとの別れを惜しむこともなく、遠足にでも行くような気軽さだった。
「お父様、お薬はちゃんと一日に三回、ちゃんと飲んでください」
「わーったから、お前も粗相のないようにしっかりやれよ。今まで俺が教えたことは覚えているよな? 礼儀だけはきちんとさせろ。いいことをされたら礼はちゃんと言え」
「わかりました、お父様」
親離れと子離れ、そんな言葉を目の前で繰り広げられた。
そして、子離れはもう一つ。ケーシスはジェフリーと竜次を見、一行を見渡した。
「ウチの馬鹿息子をよろしく頼んだ。ま、お前らは大丈夫か」
竜次とジェフリー以外に向けられた言葉だが、サキは目が合ってしまい恐縮そうに軽く頭を下げている。
ケーシスは込み上げるものを抑え込んだ。かつて年の離れた親友の子どもが目の前にいる。だが、言う権利はないとケーシスは少し寂しげに視線を流す。
ケーシスは一行の間をすり抜け、背中を向けたまま手を振った。
「俺はあの世でシルビナに会ったとき、胸を張っていい人生だったって言えるように気張るからな。お前らも頑張れよ」
遠い背中、ケーシスが言う言葉はどこかうしろ髪を引かれる。
ミティアだけはケーシスの背中を追っていた。去ってしまった扉を見つめている。ミティアの中で『生きる』意味が目まぐるしく変わって心苦しい。好きな人と一緒に生きるだけが答えではないと考えさせられる。
何となくしんみりした空気が漂う。
その空気の中、アイラは大きなため息とともに、椅子に深く腰掛けた。
「もう、何でこうなるんだい。あたしゃ昔からあの人が苦手だったんだけど、やっぱり苦手だわ」
テーブルに肘を着き、そのまま額を抑え込んでいる。傍らにサテラが駆け寄った。
「あの、アイラさん!」
「師匠って呼びなさい。まずこの予算で、繁華街のお弁当屋さんからお昼をご飯買って来なさい」
「わ、わかりました」
アイラはサテラに小銭を持たせ、出かけさせた。もう一度ため息をつく。本当はこんな話を受けるつもりはなかった。だが、ケーシスから気を遣われているのも承知している。そして付け入られたこともわかっている。わかっていて引き受けてしまったのが正直なところだ。
「騒がしくてすまないね。お陰様で、落ち込んでる暇もないよ」
アイラは複雑な心境だった。騒がしかったことを詫びた。だが、サキはそのアイラをフォローする。
「いえ、落ち込んでいたら、お師匠様らしくないですよ。でも、これで退屈しなさそうでよかったですね」
アイラは深く頷き、今度はジェフリーを見た。
「ジェフリー、すまなかったね。あたしゃどうしたらいいのかわからなかった。本当に死んだらどうしようかと思ったよ」
アイラはきっちりと覚えていた。まだ謝っていない。責任を感じていた。
ジェフリーはあらためてその話をする。
「あれは誰も悪くない。おばさんも、もちろんそこの使い魔も」
恵子が申し訳なさそうに耳を垂れているのを確認し、この対応だ。もちろんジェフリーはアイラを責めるつもりはない。
「あのまま放置しないで運んでくれてありがとう。相手が親父で助かった。強いて言うなら、俺のわがままに付き合わせたのが悪かった。迷惑をかけて、すまないと思っている」
アイラは座ったまま、ジェフリーの肩を叩く。
「あんたがそう言うなら、もうこの話はやめよう。いい話の方がいい」
アイラは立ち上がってサキに向き直った。
「お祝いちゃんとできなくてすまなかったね。合格おめでとう」
サキはキッドに背中を押される。サキは思い出したようにハッとなり、カバンから証書と勲章を取り出して見せた。
「へぇ、今も昔もデザインは変わっていないんだねぇ」
アイラは勲章を摘まんであらゆる角度から見て観察している。アイラも大魔導士だ。ゆえに、何も変化がないことを意外に思った。
「あ、あれ?」
サキはカバンを漁りながら焦っている。
アイラは首を傾げ、サキが何をしたいのか、反応を待った。
「光の魔導書がない。宿に置いて来ちゃったのかな?」
サキはもう一冊の闇の魔導書を手にしている。もう一冊あったはずだ。授与されたものを見せたかった。
アイラは呆れながら笑う。
「その本は一度読んだら、消えてなくなってしまう特別な魔法がかかっているんだよ。大切にしまっておきなさい。人に見せるものじゃないよ」
「えっ、そうなんですか!?」
アイラが言うには、授与された魔導書は、一度読んだらなくなってしまう魔法がかかっているようだ。まぁ、こんな貴重な物、きつい試験を乗り越えてやっと手にしたのに広められても転売されても困るだろう。魔法学校のビジネス具合がうかがえる情報だった。
本に魔法がかけられているとい部分が実に魔法学校らしい。
反応をしたのはコーディだった。
「読んだら消える本って何かやだね。書いた側からしたら、たまったものじゃないよ」
本と聞いて、コーディが苦笑いする。一回しか読めないなんて、作家からしたら邪道だ。読み返してからこそ新しく見付けるものだってあるというのに。
それはさておき、サキはがっかりとしている。
「じ、じっくり読みたかった」
こうなると知っていたならもっとゆっくり、じっくりと読んだ。
アイラはゆっくりと言い聞かせた。
「サキの守護属性は光と闇。だから、今、その手に持っているのは闇の大魔法だね」
合格すれば二つの大魔法が授与される仕組みだった。希望がなければその人が持っている守護属性が渡される仕組みだが、どうもサキは緊張であまり聞いていなかったらしい。これもきちんと説明がされているはずだ。
「あ、あんまり聞いてなかったかも。もう、人がすごかったし、よくわからなくて」
サキが恥ずかしがって取り乱している。不意にこういう抜けたところがあると、面白がってからかいたくなるのがコーディ。
「大衆をカボチャに思えってよく言うじゃん」
「そ、そんな余裕なかったよ」
自分より優れた人間にも、何かしらの弱点がある。コーディは、そんな切り崩しをひっそりと楽しんでいた。
サキはアイラがどんなものをもらったのかが気になった。
「お師匠様は何をもらったのですか? 僕はお師匠様の守護属性を知りません」
「火と風だよ。でも、使う機会がないから風はもう忘れてしまったね」
身に着けても実際に使わなければ訛ってしまうし、忘れてしまうのはどんなものでもそうだ。剣術だって、魔法だって変わらない。
実はサキ、弟子ではあるが、魔法についてはほとんど教えてもらっていない。ゆえにアイラの技量は知らなかった。
アイラよりも圭馬の方が詳しかった。圭馬も大魔導士の資格を持っていたはずだ。
「不死者や実体を持たないモノに有効な業火のレジェンドフラム。特攻なしでも強烈だと評判だね。それに瞬足のフォークフィールド。確かにこの二つなら、実用性が高いのは、強敵を焼き払うレジェンドフラムだね。特にギルドのハンターをしていたらね」
大魔法など、サキ以外に縁がない。圭馬も詳しいみたいだが、彼が使うところは見た記憶がない。
アイラは小さく頷き、椅子の背もたれに両肘を乗せて天井を仰いだ。
「もう弟子なんて言えないね」
サキは突き放すような言葉に反応した。
「そ、そんな!」
「新しい弟子が来ちまったし」
「お師匠様!!」
アイラは急に不穏なことを言い出す。サキは必死に食い下がる。
「僕が大魔導士になったからですか!? ひとり立ちしろと言うのですか?」
アイラは歯を見せて笑った。
「どうしていつまでも師弟なんだい? いつになったら、あんたのお母ちゃんになれるんだい?」
「え、あ……」
「また、簡単なことに気が付けないね。お馬鹿だよ」
サキは悔しそうに身を縮めている。
アイラはこれからについて問う。
「あたしゃギルドで小遣い稼ぐ以外は完全にドロップするけど、あんたたちはこれからどうするんだい? 天空都市を目指すのかい? それとも、地上の異変の調査かい?」
皆は身の振り方を考えている。アイラも例外ではなかった。本当の別れではないが、ケーシス同様に新しい生活は応援したい。
圭馬がカバンから身を乗り出した。
「ボク、白兄ちゃんに質問があるんだけど」
テーブルの日向からピクリと耳を立て、圭白は注目する。
「瘴気の魔物、でしょうか?」
「人が話す前に読心術を使うのぉ? 今来たばかりで助けてほしいときだけにしてよ」
では話せとでも言いたいのか、圭白は尻尾を振りながら黙り込んだ。
「あぁもぉいいよ。そうだよ。何か知らない? 変な事件が起きてるの、ギルド行ったりするなら知ってるでしょ!?」
圭馬は不貞腐れ気味に暴れている。だが、この話には皆で参加した。
竜次がさらりと計画を述べる。
「今抱えているのは、人探しとその瘴気の魔物の調査。以前マダムにお願いした神族の技術とノックスの鉱石をうまく利用して、空飛ぶ技術に着手となると思います」
大筋の流れとして、アイラに挨拶が完了してしまうと、もう頼れる人はいない。自分たちだけで危機もやり過ごさなくてはいけないのだ。ギルドなどを使って連絡や助けを借りるのは可能かもしれないが、その程度だ。
事実上の独立となる。一行はその責任が重く圧しかかった。
圭白は持論を唱える。
「瘴気の魔物、その存在は不確かです。でも、これだけ野生動物の狂暴化、不穏な事件が多発していれば、地脈というか、この世界の空気と言うか、さまざまなものが澱んでしまうと思います。そうなると、今度は心の弱い人が壊れてゆくかもしれなせん」
わかりやすいように言葉を選んでいるのは詰まり方でわかる。圭白はできるだけわかりやすいように伝えようと必死だった。
「そもそも野生動物は人間とある程度の住み分けができておりました。それが狂暴化して人を襲うなど、昔ではなかったこと。ならば、誰かが意図的に操作をしているとしか思えません。瘴気の魔物だって、人の心が生み出す邪神龍と変わりありません。もしかしたら、これから生まれる瘴気の魔物は、やがて邪神龍になるかもしれません。何か撒かれた、仕掛けられた、うーん……」
どちらにしろ、この異変がいいものではない。圭白は耳を下げ、詫びた。
「うまく説明ができずに申し訳ないです。ですが、防ぐにも、対処するにも限界があります。諸悪の根源をどうにかしないければ、ただのイタチごっこです」
圭白の言葉を聞き、キッドが反応した。
「それって、魔力封じで何とかならないかしら?」
いつもはこういった難しい話に関心を示さないキッドだが、緊張感を持っている。
圭白はサキにも目を配る。
「そうでしたね。弟様と力を合わせれば封じることも、もしかしたら倒すのも可能かもしれません。確証が持てなくて申し訳ないのですが、瘴気の魔物や邪神龍と対峙するようでしたら、戦力にはなるでしょう」
「そ、そう。あたしでも役に立てそうなのね。難しい話だったけど、ありがとう」
確かに何も知識や経験がなかったら、わからないことだらけだ。自分にできることをしたい。キッドはこういう人だ。役に立ちたい、役に立とうと必死だ。
武力行使となれば、ジェフリーも黙ってはいない。
「何だか知らないが、遭遇したら全力で潰しにかかればいいのか?」
「いいですねぇ、ジェフは単純で……」
典型的なことを言い出すものだから、竜次も呆れてしまっている。要はそうかもしれないが対策の話もどこかで練らなければ、また付け込まれないか心配だ。
ミティアは安心しながらどこか残念そうだった。
「そっか、やっぱり幻だったんだね」
今、もっとも危ないのはミティアだろう。ここで追い打ちを仕掛けられないか心配だ。
アイラは名残惜しそうに言う。
「ほぉん、そいじゃあ、ギルドに行ってから、フィラノスを出るのかい? まぁ、そうなるよね」
行き先もそうだが、今後の方針を考慮すると、拠点を置くことになる。ローズが具体的に示した。
「情報収集をしながらこれからの行動を考えるので、拠点はフィリップスになると思うデス。今となっては帰って来れる魔法や便利アイテム、船もありますからネ」
何かあればフィリップスにいると言った。実際、そうなるだろう。
ローズはアイラからの『お願い』を覚えていた。
「アリューン界の話も気になるデス。歴史の街、フィリップスなら何か掴めるかもしれません。わかり次第、何かしらの形でお伝えしますネ」
「さすが、学者さんは忘れちゃいないね。助かるよ、お願いする」
てっきり忘れられていると思った。フィラノスの大図書館はまだ封鎖されているし、調べようがない。ここで物事を進めるには少々勝手が悪い。
アイラへの要件ではないが、コーディも小さい用事があった。
「そうだ、アイラさん。私の本、明日発売されるの。ギルドで小さく宣伝されているんだけど、よかったら読んでね」
「余裕があったらかな。あの子まだ帰って来ないし。手がかかりそうだねぇ」
コーディとは仕事仲間、サキの次に付き合いは長いがアイラの方が格上。あまり行動をともにできなかったのもそうだが、もう少しベテランの話も聞きたかったかもしれない。
それはそうと、アイラが心配するサテラが帰って来ない。
ミティアはその理由が想像できたのか、小さく笑っている。
一同は軽く会釈をして、アイラの家をあとにする。
ジェフリーが去り際に挨拶をする。
「おばさんには世話になった。またどこかで会う気がするけどな」
アイラは立ち上がってジェフリーの両肩に手を置いた。
「ジェフリー、あんた、しっかりしなさいね。あんたがみんなを守ってあげるんだ。今度しくじったら承知しないよ……」
ジェフリーは目を瞑って真摯に受け止める。竜次以外に、こういう言われ方などしない。ゆえに少しうれしかった。叱ってくれる人をありがたいと思う。ケーシスは余計なことを言うし論外だ。
「身に染みる。ありがとう」
「何だい? 素直になっちゃって」
目に見えたいい変化に違和感を覚えつつも、アイラは小馬鹿にするように鼻で笑った。
「サキ!」
アイラは立ったまま、サキにも声をかけた。
サキはビクッとしながら背筋を伸ばす。
「その力は善にも悪にもなる。人を助けるための大魔導士でありたいのなら、覚えておきなさい。力に溺れるんじゃないよ……」
「は、はい?」
サキはアイラの言葉に首を傾げた。とりあえず頷き、頭の隅に留めておいた。
まぁいいやと思ったのか、アイラが雑に手を振ってあしらおうとする。
「さ、お行き。これ以上いられたら名残惜しくなるでしょ」
ジェフリーたちは、半ば強引にアイラの家を追い出された。
もう少し存分に別れの言葉でも交わしてよかったのだが、アイラの性格からしていつもさっぱりと別れたいのだろう。これまでも、さよならを言った記憶がない。
住宅街の通りで七人と二匹が立ち尽くす。
あまり別れと言う感じではなかったせいかもしれない。
「あっ!!」
ミティアが突然声を上げる。久しぶりにこの空気、何が来るのかと期待してしまう。ミティアは何度か瞬き、ポーチの中からブロンズの懐中時計を引っ張り出した。
「どうしよう、あんなに一緒にいたのに、ケーシスさんに返すのを忘れちゃった」
じゃらりとチェーンが音を立てる。ケーシスが魔法を使えることは、表立っては知られていない。むしろ目の前で使ったところを見た記憶がない。どちらかというと、剣豪で、かつ体術が得意なイメージが強い。人物としてその方がしっくりくる。
懐中時計を見て、サキが興味を示す。
「ちょっといいですか?」
サキは懐中時計を覗き込んだ。この懐中時計には、卒業した年号と名前が彫られているので偽ることはできない。
ジェフリーや竜次も、ケーシスが懐中時計を持つほどの腕だったとは知らなかった。
「おふくろが銀の懐中時計を持っていたのは知ってたけど、親父も持ってたんだな」
「偽物ではなさそうですが、私たちも知らないです」
兄弟は顔を見合わせ、首を傾げた。
サキは会話から推理をしていた。ケーシスは懐中時計を持つほどの実力を持ちながら、あえて家族には話さなかった。ブロンズの懐中時計に刻まれていた年号がアイラの懐中時計と一緒という点が気になる。アイラは自分の母親の懐中時計を持っていた、そしてその母親の懐中時計とも年号が同じである。妙な引っかかりだ。
ケーシスは自分を落ちこぼれだと言っていたが、卒業試験で上位に入った実力のどこが落ちこぼれなのだろうか。
それだけではない。
やたらと自分に目が向いていたこともそうだ。父親の手帳は自分のファンからだと言っていた。ローズが持っていた点をもっと不審に思っていたら、もしかしたらこの答えが早く導き出せたかもしれない。
ケーシスはおそらく自分の両親を知っている人だ。そしてあの手帳は父親がケーシスに向けたものだ。
この巡り合わせは何だろうか。これも、偶然なのだろうか。考えれば考えるほど怖くなった。この繋がりは偶然なんかじゃない。
今度ケーシスに会うことがあれば、この疑惑は晴らさなければならない。サキの探求心は目標を作ってしまった。
もうすぐ日が暮れそうだ。長居してしまったし、お昼も遅かった。ギルドに足を運ぶという流れになる。
ミティアは用事がある言い方をした。
「ギルドのついででいいから、どうしても行きたいところがあるの」
繁華街の入り口に近い場所に駆け寄った。とあるお弁当屋さんを覗き込んでいる。ミティアは勝手に一人で進んでしまった。
「わ、やっぱりそうだ。サテラ!」
ミティアは断りもなしにお店に入ってしまった。コーディが驚きの声を上げる。
「え、お姉ちゃん!? そ、そこまでする?」
店員の女性とサテラが言い合いになっているのを、ミティアが仲裁している。
その様子に、サキがぱたぱたと小走りになってお店に入って行った。
「お使いもできないガキってわけか。あ、まぁこれから学ぶだろうけど」
理由がこれかとジェフリーも苦言を漏らす。だが、すぐに言い換えた。口の悪さは簡単には直らないようだが、意識するように心がけた。
お店の中では、サテラが店員の女性に怒られていた。健康的で高いお弁当を頼もうとしてお金が足りないと問題を起こしていたようだ。ケーシスのおつかいがそうだった。名残が悪さをしている。
ミティアは財布を取り出し、謝りながら補填しようとする。だが、サキがさらに割って入った。
「この子、何を頼みましたか?」
聞けば十六穀米ご飯と幕の内の一番高いお弁当を頼んでいた。アイラが渡したお金ではとんでもない。
店員の女性は、大魔導士という英雄視されている人物に訪問されて慌てている。だが、それとこれとは話が違う。
サキが注文を変えさせようとする。
「お師匠様はハムやチーズが好きなんです。なので、このハムカツと、チーズハンバーグのお弁当なんて予算内に収まりますよ?」
サキがサテラにちょっとしたアドバイスをしている。サテラは頷きながら、それにすると注文をし直した。
会計をしたお金とおつりを確認する。サテラは深々と頭を下げた。
「ありがとう、大魔導士様」
「ボクの名前はサキです。ソエル・ハーテスって名前でもありますけど。お師匠様は、魔法の手ほどきをしてくれませんが、どう生きていけばいいのかを教えてくれます。おつかいもそうです」
「師匠の好物、覚えました。うまくやりくりするのも大切なのですね。遅くなっちゃったので怒られちゃうかな」
サキはサテラを見て懐かしく思う。かつての自分もそうだった。こうやってたくさん間違えて覚えて、大きくなっていったのだ。懐かしく思う。
「キセルを噴かすか、お酒の量は増えるかもしれませんが、あまり怒りしません。少なくとも、理不尽に手を上げて叱ったりしない。お師匠様は、叱ることに意味のある人ですよ」
先輩としてのアドバイスだ。何も特別な話ではない。
それなのに、サテラは目を輝かせて熱心に聞いていた。
お弁当を受け取って外に出たが、日が暮れてしまった。驚いたのは一行の皆が待っていたことだ。サテラは皆を見上げている。
「あの、すいません。お姉さんと大魔導士様をお借りしてしまって……」
もじもじと申し訳なさそうにサテラは俯いた。これではただの子どもと変わらない。どこが人間兵器だ。あらゆる負荷をかけられたハイブリッド人間だ。
「そうだ、わたしたち、もうすぐフィラノスを離れちゃうの」
「そ、そんな……」
サテラがお弁当の入った袋を落としそうになりながら、ミティアのスカートを握って来た。ミティアに懐いているのは知っているが、ここまでやられると母親にでも見えて来るのが困る。
冷ややかな視線を浴びせているのはジェフリーだ。コーディが指摘を入れる。
「ジェフリーお兄ちゃん、その顔どうにかした方がいいよ」
「生憎、俺は兄貴と違って顔は悪い」
ジェフリーの顔は嫉妬でまみれていた。
ここでミティアはしゃがみ、サテラに順々に皆を紹介していく。ずっと先延ばしになっていたことだ。こうやって紹介していくだけでも、何かしらの共通点を思わせてくれる。不思議なものだ。この場にいること自体が奇跡。巡り合えたことも何もかも。
会釈をして、皆の紹介を終えるとミティアは立ち上がって笑った。
「今度会ったときまでに、みんなのこと、ちゃんと覚えていてくれるかな?」
サテラは寂しそうに頷いた。離れがたいようだ。それもそうだ。魔法学校の就学、弟子入り。あわよくば、一行に協力ができるのではないかと期待をしていた。
黙ったままのサテラにサキは言う。
「お弁当冷めたら、お師匠様に悪いような?」
サキの注意でやっと現実的な事に気が付いたのか、サテラはお弁当を持ち直して震え上がった。
やっとミティアから離れた。それでも俯いている。
サテラは怯えていた。いい答えであってもらいたいと期待をしながら、本当は二度と会えないのではないか、自分を忘れてしまわないかと怖かった。
「ま、また会えますか?」
就学して寮に入ってしまえば帰って来るのは週末のみ。慣れるまでは自由が利かないし、会えないだろう。
竜次が代表してサテラの頭を撫で、言う。大きくて優しい手だ。
「もちろんです。しばらくは難しいかもしれませんが、生活が落ち着いて、機会があったら国に来てください。あなたのお姉さんたちがきっと快く迎え入れてくれます」
沙蘭には正姫もそうだが、血の繋がりのない光介もマナカもいる。もしかしたらいい刺激になるかもしれない。
竜次と違ってジェフリーは素っ気ない。そしてサテラの反応も悪い。
「親父やおばさんと仲良くやれよ」
「お師匠様はともかく。お父様は血のつながりはないですが、家族なのです。どうして喧嘩をしないといけないのですか?」
「お前、誰に向かって言ってるんだ?」
「お姉さんを泣かせる悪者に向かって言っているのですが?」
悪い反応を通し越して、喧嘩腰になってしまう。
ジェフリーはカチンと来たが、これを堪えた。キッドとコーディが笑いを堪えているのが余計に苛立つ。だが、子どもならではの視点でそんな風に見えているのなら、あらためないといけない。
ジェフリーは屈んでサテラと目の高さを合わせた。
「はぁ、そうか……」
子どもに叱られた気分だ。
「努力はする。だからお前も強くなれ。誰も泣かせないのは難しいんだからな」
サテラはジェフリーと目を合わせたまま、ニッと歯を見せて笑う。
「では、お兄さんには絶対に負けません」
サテラは小走りになって住宅街の方へ走って行った。照れ臭いのかもしれない。小高くなった坂を上る手前、振り返った。
「またいつかっ!! 約束です!!」
一同は手を振り、サテラを見送った。これでよかったのかは疑問が残る。
サキに弟子入りしたがっていたのもそうだが、ここに残してやっていけるのだろうか。
出会いがあり、別れがあって自立を思い知る。
こうやって少しずつ大人になっていくのかと思うと、何も知らないままただ好奇心や探求心を躍らせて冒険していた方がよかったのかもしれない。
この世界は汚れていて、複雑で、負の遺産があって、理不尽が蔓延っていて。
それでもその理不尽の先にあるものに励まされて、支えられて、自分がここに立っている。
まだ、終わらないし、終われない。
この七人と二匹が集結するのは久しぶりのように思える。
デートを仕組んだ竜次は、ジェフリーに嫌味を浴びせる。
「快気祝いはいかがでしたか?」
キッドがいる時点で察しがつきそうなものを、わざわざ言われると噛みついてやりたくもなる。だが、ジェフリーはここを堪えた。
コーディはジェフリーに気を遣っているようだ。
「ちゃんと歩けたの? と、いうか、髪の毛も乱れてるし、歩くのつらそうだね」
「足はまぁまぁかな。それよりも、左手が思うように動かない」
どちらかというと、コンディションは悪い。いずれは消えるだろうが、左の腕から先は針金でも入った鈍感である。
ジェフリーは自分の体調の心配をしてくれているありがたみを感じた。だが、もっと心配な話をしなくてはいけない。
「みんなに話がある。割と真剣な話だから、どこかゆっくりできる所で話そうと思う」
幻覚を見た話を信じてもらえるのかは怪しい。ただ、サキと圭馬がわかってくれたのだから、話す内容は伝わってくれるだろう。
話があるのはジェフリーだけではなかった。
「ジェフもですか? こちらもギルドで情報を仕入れましたのでお話ししたいですね」
竜次も仕入れた情報があるようだ。
小難しい話が展開されそうな流れだ。
キッドはこの隙に、キャラメルシィへ入った。ものの数秒で足早に店を出て来た彼女は箱を二つ持っている。
何の箱なのかを知っているサキはミティアを手招いた。
「ミティアさん、こちらへどうぞ」
サキがミティアを招こうとすると、キッドが間に入った。サキは首を傾げた。
「姉さん?」
「まずはあんたが先ね。はいこれ」
キッドはにやりと笑いながら、サキに細長い箱を渡した。
何を企んでいるのか、竜次とコーディもにやにやとしている。サキは受け取るも、わけがわからずに不振がった。
「え? あの、これ」
戸惑うサキを、コーディが急かす。
「早く開けなよ」
「は、はいっ」
箱を開けると中には黒紐のループタイが入っていた。
トップには紅い宝玉にドラゴンらしきものが掘られ、金色で模様が露になっている。宝玉は透明なガラスで更にコーティングされており、かなり綺麗だ。手製のものであるのがうかがえる。サキは目を丸くした。
竜次は自慢げにアピールをする。
「私が黒紐って提案したのですよ!」
提案したとはどういう意味だろうか。竜次はさらに急かす発言をする。
「着けてくださいな。せっかくです」
サキは状況が呑み込めず、おろおろとしている。痺れを切らせ、キッドがループタイを手に取り、サキの首から下げた。
「あら、いいじゃない」
「姉さんこれって、あの……」
「ちゃんとお祝いしてないもんね。あたしたちから、おめでとうのプレゼントよ」
キッドはサキの肩に手を置いて、笑みを浮かべた。彼は大きく目を見開いて、やっと把握した。
「おい、わい?」
サキは実感が湧き、じわじわとうれしい涙が込み上げて来る。だが、これだけではないらしい。
コーディが笑顔で見上げている。彼女も早く話したくて、うずうずしている様子だ。
「それ、魔力含んでるよ。宝玉、撫でてみて」
サキは言われるまま、タイの宝玉を撫でた。一瞬だけ小さく控えめな光が弾けた。この感覚は知っている。武器召喚石だ。光は尾を引き、長い棒状のものが現れる。
両手で持って少し大きいサイズの杖が手に落ちた。金属で重みがある。
「え、えっと?」
サキは先日、愛用していた杖を壊してしまった。フィラノスの大図書館から種の研究所に落ちてしまった際、魔石と一緒に武器召喚のガラス玉も潰してしまった。
壊してしまった杖は、鳥の羽根があしらわれていた。今手にしているのは、ドラゴンの絡まったデザインで翼も生えており、宝玉と同じ赤い色の石がワンポイントで付属している。見た目がかなりかっこいい。
遅い中二病の心を、呼び覚ますまである。
キッドは詳細を話した。
「前の杖、壊しちゃったんでしょ? コーディちゃんと先生とでお金を出し合って、お祝いを贈ろうってなったのよ。あたしは身に着けられる物がいいって。だからこうなっちゃったんだけど、どぉ? 好みじゃなかった?」
キッドはサキの顔を覗く。サキは杖をぎゅっと握り、うれし泣きをしていた。
竜次は感動の追い打ちのように言葉を添える。
「これ、デザインしたの、コーディちゃんなんですよ」
竜次の説明に、コーディは顔を赤くしながら憤慨した。
「お兄ちゃん先生、余計なこと言わないでいいからっ!!」
察しがよければ、ここでコーディの意識に気がつきそうなものだ。だが、誰もそうは思っていない。周りにはまだ、もそういう認識はないらしい。かえってこの方がコーディは助かる。
実は気になっていたのはかなり前からだった。なぜいつも目下の思われているのだろうかとコーディは気にしていた。
さして親しい仲でもないと言っていた後輩のメルシィを愛称で呼び、お店の女性に好印象で人懐っこい。だが、変に媚びない。むしろそういうところは控えめだ。
ミティアをものすごく慕っている。それ以外の女性はほぼ眼中にない。
同い年のくせに、反則だ。人間のくせに、と壁を感じている。どうせ自分はドラグニー神族の末裔。つらい運命しか待っていない。。
まず対等な立場としても見てもらえない時点で、あり得ないのだが。
お祝いムードになり、何も聞いていないミティアとジェフリーが不満そうだ。
「ずるいなぁ、わたしもお祝いしたいなぁ」
「と、言うか、いつ仕組んだんだ?」
除け者にされた感が拭えない。
それはローズだってそうだ。彼女は何も言わないが、白衣のポケットに手を入れてぶらぶらとさせ、話の流れを静観している。
きっとこの間に何か考えているに違いない。
サキのお祝いがひと段落し、キッドはもう一つの箱を持ってミティアに歩み寄った。
箱を開けて差し出す。
「コッチはミティアのよ。魔力制御の腕輪。あたしとあの子で頑張ったのよ?」
「ん?」
ミティアは意外そうな反応をした。やはり自分のことは二の次に考えていたようだ。
キッドが見せたのは、バングル式の腕輪だ。少しいびつな部分があるが、先程手を施していたのを目の当たりにしている。
素人が頑張った、と言う色が出て金属の色が少しまだら模様になっている。だが、艶があって、とても綺麗だ。
圭馬がミティアに変化について指摘をする。
「これで垂れ流しになっていた魔力がなくなるんだから、魔法が使えるようになるんじゃない?」
「あ、そうだね。これで、みんなの足手まといにならないね」
「それは言わない約束じゃないかい?」
ミティアは圭馬の指摘にハッとさせられた。圭馬の言葉は、気付かされる発言が多い。
キッドバングル式の金属の腕輪をミティアの腕にはめる。細身だが、存在感がある。今までとは違い、取り外しができる。
「これでミティアが倒れなくなるかもしれないわね?」
「キッド、サキもみんなも、ありがとう……」
いいことが重なって、和やかな空気になった。これから少し詰まった話をしないといけなくなるのはお互いにわかっていて、この空気を堪能した。
少し距離を取って静観していたローズ。この和やかな空気を延長した。
「ちょっといいお店予約したデス。みんなでご飯、行きませんかネ?」
抜かりないローズは、こういうところで本領発揮する。
ご飯の話になると、ミティアは元気を取り戻す。
「ご飯っ!!」
今までの流れからがらりと変わり、ご飯の空気になった。本当にミティアらしい。彼女が明るくなると、不思議と笑顔が戻る。
ローズは念のため付け加えた。
「ジェフ君の快気祝いでもあるデス」
「博士はこういうところが憎いな」
「気が利くと言ってくださいデス」
ローズが先導しようと前に出る。窓越しにメルシィが手を振っていた。軽く会釈して移動を開始する。
少し歩いて、ショコラが立ち止まった。耳を立て、鼻をヒクッと上げた。
「どうした、ばあさん」
出遅れそうになっていたので、ジェフリーが抱き上げる。何やら周りを気にしていたが、次第に首を傾げていく。
「のぉん? ババァだからの。気のせいじゃなぁ」
ジェフリーは落ち着かせるように撫でる。すると、どんどん毛が抜ける。抜けた毛もきちんと鯖色をしていた。
せっかく買ったシャツが早くも毛まみれになった。
「ブラッシングしてあげないと、宿の人に怒られてしまうかもしれませんね」
竜次はジェフリーが勝手に買ったシャツに関して、何も言わなかった。ショコラの毛まみれ具合は気になるようだ。幻獣で、猫の姿は化身だが、こういうところは妙に現実味がある。
移動中、サキはずっと杖をしまわないで手に持っていた。目を輝かせ、何度も先端から先端まで眺めては幸せそうな表情をしている。
キッドは注意をした。
「そんな大きいの、さっさとしまいなさい。人にぶつけるわよ?」
「もうちょっとだけ、いいでしょ?」
普段なら聞き分けのいいサキが、この感動を抑えられずにずっと眺めていた。余ほどうれしいプレゼントだったようだ。
歩きながら、コーディはミティアを気遣う。
「それ、着けて何か変わった?」
「うぅん、今のところは特に?」
ミティアを気落ちさせまいと注意しているらしい。時折顔色をうかがうようにして、笑顔を見せる。その笑顔の裏は、なぜミティアがこんなにも男性に好意を寄せられるのかを探っている。作家ならではの観察力が生きるかは不明だが、コーディもいつか行動を起こそうとしていた。
ローズに案内された『ちょっといいお店』とは焼肉屋さんだった。昼間なので、ひっそりとやっている。夜にでも来れば、お店からの煙が胃袋を誘うようなお店だ。
外看板のメニューの一部にプレミアム沙蘭牛と書いてあり、竜次は苦笑いしている。
ジェフリーが店の前で声をひっくり返した。
「ひ、昼間から!?」
ローズはあたかも当然のように答える。
「食べられそうなときに食べる。何か問題でもあるデス?」
楽天的というか、ある意味一番現実を見据えているというか、ローズはずかずかとお店に入って行った。昼間から焼肉なんて、あまり考えない選択だ。
店内は客がほとんどいない貸し切り状態だった。この人数でサキがいる。店員は感激し、個室の大部屋に案内した。
個室という条件は、一行にとって会議もできて都合がいい。
通された個室は、編み籠や木の札などの古風な装飾がされ、ちりめんのような細かい柄をした和紙のようなものが壁に貼られている。沙蘭を意識しているようだ。畳の掘り炬燵に似た構造をしている。
絶対に高い。だが、ローズはルージュを引いた口にやりとさせ、誇らしげに胸ポケットからプラチナカードを取り出した。
「奢りデス。好きなだけ頼んで、焼いてくださいネ」
忘れがちだが、ローズは金持ちだ。学者もしていたし、実家は宿を経営。もしかしたら、この中で一番お金を持っているかもしれない。
四角い食卓テーブルに丸い網が張られ、中には炭が入っている。
絶対においしいが、よく焼かないとお腹を壊しそうだ。『焼き物はトングをお使いください』と大きな注意書きが目に入る。
竜次は落ち着きがなく、そわそわとしている。飲食店でこの様子はお酒がほしいに違いない。キッドは指摘を入れた。
「先生、お酒はこれから何もないときにしてください」
「え、どうしてわかったのですか!? まだ、何も言っていないのに」
「昨日今日の仲じゃないでしょ? みんなもわかっているんじゃないですか?」
この迅速で綺麗な漫才のようなやり取りは、もう結婚した方がいいレベルだ。
竜次の酒癖は悪い。困ったことに、それを把握しているのはごく一部だ。彼のためにも止めるべきである。暴力的になるよりはマシなのだが、本当に少量にしてもらわないと、その辺で適当に寝てしまう程度には堕落してしまう。
盛り合わせと、大きなサラダで昼食を囲んだ。あまりない光景だ。新鮮だし、これもいい意味で非日常であり、面白い食卓だ。
「ジェフ君は、減量中でしたっけネ?」
「いや、さすがに食べる。人の金で焼肉なんてそうない。ありがたくて何て言ったらいいのかわからない」
「うわぁプレミアム沙蘭牛おいふい……」
「わわわ、ミティア、そんなに欲張ったら喉を詰まらせるわよ」
「えっと、その肉まだ生では?」
「牛はレアでも大丈夫ですよ。さ、サキ君も主役さんでしょう?」
「ボクにもちょうだいよ!!」
「はい、ウサギさん、ピーマン。猫さんは?」
「わしはツナがいいのぉん」
昼間から賑やかだ。こんな食卓は久しぶりだ。ローズには感謝したい。
食べているときに暗い話はしない。いつしか暗黙のルールになっていた。今回もそれは守られたが、お祝いばかりなのだ。こんな日があってもいい。
お祝いムードで、ジェフリーは気になることを言う。
「大魔導士の試験、どんな感じだったか見たかった」
ジェフリーは倒れてしまったため、サキの勇姿を見ていない。
サキは照れくさそうに当時の様子を話した。
「途中でスタミナ切れを起こしました。焦りました。皆さんの忠告を無視して、ジェフリーさんを探しに行ったからですけど」
ジェフリーは見られなかったのを悔いた。同時に、迷惑をかけてしまったことに罪悪感を抱いた。
「本当にすまなかった」
「緊張していたのもありましたけど、あんまり寝られなかったので」
「それも俺が関係してないか?」
サキは恨めしくジェフリーを見上げている。
この視線が突き刺さる。ジェフリーは気まずくなった。
コーディも謎の指摘をする。
「そうだ、ジェフリーお兄ちゃんって、いびきうるさいよね、たまに隣の部屋まで響くんだけど?」
暗い話ではないが、何やら不穏な流れだ。
竜次は眉間にしわを寄せ小さく唸った。どうも、気になる点があるようだ。
「最近のジェフはお疲れですか? 私の寝起きが悪い原因って、もしかしてあなたのいびきのせいでは?」
ジェフリーは復帰して、祝われて、この集中砲火を受ける。持ち上げられて落された気分だ。だが、もしかしたらこういう点こそが、改善すべきかもしれない。
ローズは客観的で医者らしい発言をした。
「いびきがひどい人は、睡眠時に突然呼吸が止まってポックリ逝く可能性があるデス。また、それでなくとも、高血圧、心筋梗塞や脳卒中などの……」
「ま、待ってくれ博士、シャレにならない話だぞ!?」
医者でもあるローズに言われると、一気に危機感が高まる。ジェフリーは本気で焦り、取り乱す。
食べかけの杏仁アイスを前に、スプーンをしゃぶったミティアが、じっとジェフリーを見ている。さすがに食べ物よりも、ジェフリーを心配しているようだ。
ジェフリーは自分の危機に直面し、真剣に向き合おうとしていた。
「今、本気でまずいと思っているんだが、どうしたらいいんだ?」
この場に医者は二人いる。竜次とローズだ。だが、ジェフリーは主にローズに助言を求めていた。
ローズは医者らしい提案をした。
「生活改善。か、もしくは手術が一般的デス。ちなみにワタシは外科的な手術は得意ではないので、ケーシスにお願いしてネ」
急に父親の名前が出て、ジェフリーは頭を抱えた。
「つか、サキの試験の話をしていたのに、俺の改造計画になってないか?」
不穏な空気だ。サキの話がしたい。だが、自分の改善も気になる。ジェフリーは板挟みに葛藤を抱いた。
サキは苦悩しているジェフリーを小馬鹿にするように鼻で笑う。
「僕はジェフリーさんから、どんな恩返しがあるのか楽しみです。是非とも長生きしてくださいね?」
サキはお馴染みの憎まれ口を叩く。一段と、いい性格になったものだ。
状況を整理しても、今日明日に死にいたるわけではないだろう。ジェフリーも本格的な不調には見舞われていない。ただ、自分が倒れることで迷惑をかけると実感が湧いた。
ジェフリーは肩を落とし、本気で落ち込んでいる。ローズはその様子に寄り添うような助言をした。
「まぁ、一般的なのは枕の高さを変えたり、寝る体勢を変えたりするのがお手軽な改善策デス」
「た、試してみる。まだ死にたくない。悪くなったら言ってほしい」
ローズの助言を素直に聞き入れた。ジェフリーは早速、今夜から試そうと心に誓う。
隣に座っていた竜次は、ジェフリーの態度もそうだが、ぎこちない左手も気になっていた。
「しかし、噛まれた跡しか見ていませんでしたが、蛇ですか?」
竜次にしては冴えている。
ジェフリーは自分の兄を信用してはいるが、どう考えても医者としての経験が浅い。ゆえにこの質問に驚きながら答えた。
「これくらいの大きさで黄色くて、斑点みたいな模様が入った蛇だった」
手振りを交え、具体的に説明する。
竜次はここでわからないと顔をしかめる。
同じく、医者のローズは口を窄めた。
「ハブかその仲間? どちらにしろ、ケーシスは処置までに時間がかかったと言っていたので。まぁ、意識は変わりますよ、ネ?」
ローズが小瓶を摘み出して見せる。高級な香水か化粧水でも入っていそうだが、中には毒々しい色をした液体が入っている。おそらく血清かその一種だろう。
意識が変わったのはローズだけではない。
「私もリムーバーを買ってしまいました」
竜次も細長い箱を見せて来た。ポイズンリムーバーと書かれた箱だ。
二人とも、意識を持つようになったらしい。
ジェフリーは深く詫びた。
「自分勝手なことをして、心配かけたのはすまなかった。この場であらためてみんなに謝りたい」
ジェフリーの様子を見て、ミティアはずっと眉間にシワを作って俯いている。黙ってジェフリーの言葉を聞いていた。
「誰も悪くない。ただ、俺の意識が変わった。自分の命はもっと大切にしないといけないよな。突然死ぬことだってあり得るんだって思うと、毎日地面に足を着いて、しっかりと今を踏み締めないといけない」
何となく、過去のだらだらと生きていた時間が惜しくなった。今から取り戻せるのなら、一日一日をしっかりと振り返りたいくらいである。
意外にも、ジェフリーの心情に理解を示したのはキッドだ。
「何でもないことって、当たり前だから麻痺するのよね。何となく気持ちだけはわかったから、たまに感謝するだけでもいいじゃない。あんたがいないとつまんないし」
たまには生きていることを当たり前と思うなと、キッドらしいメッセージが込められている。キッドも自分のせいで魔導士狩りが起きたと、重いものを背負っているのだ。
ジェフリーは自分を不幸だと思った。理不尽な思いをして、失って、逃げてばかりで、どうしようもない。この世界に生きている意味なんてないと思っていた。
それが今はどうだろうか。
死にかけたら助けてくれる人がいて、失うなんてありえない人がいて、理不尽の先にこんなにもかけがえのないものがあった。
「自分で防げるものは防ぐ。そう意識するしかない。危機に瀕したら助けてほしい。だけど、絶対に無理なことはしないでほしい。例えば……」
ジェフリーの口からハッキリ言わなくてはいけない。息を吸ってミティアをじっと見つめる。
ミティアは何を言われるのか、想像がついたようだ。何度も瞬いている。ジェフリーの言葉を待っているようにも思えた。
ジェフリーは皆にも聞こえるように言う。
「禁忌の魔法なんて、絶対に求めちゃいけない。これはミティアに限らず、誰でもその道に踏み入れてしまう可能性がある。まぁこれは俺にも言えることだけど」
ただならない空気だ。
ジェフリーはこの流れから、本当に伝えたかったことを話した。
「さっき、噴水広場でミティアの兄貴に遭遇した、かもしれない」
一同一斉に注目した。食べ終わったタイミングで、見計らっていたのだ。
キッドは水の入ったグラスを倒して激しく動揺している。さして量が入っていなくて助かったが、おしぼりで整えている。濡れてしまったおしぼりを手に、キッドは質問をする。
「ま、待ってよ。本当にあの人に会ったの?」
キッドの反応を見て竜次は俯く。この反応を見るのが、どうにもつらいと竜次は思っていた。
ジェフリーは深く頷きながら答えた。
「悪いが、キッドとサキが来なかったら完全に呑まれてた」
思い出すだけでも胸糞が悪い。今振り返ると、おかしい点がいくつも思い浮かぶ。焦ってしまうと追い込まれる。追い込まれたら視野が狭くなり、思考も鈍る。デートで浮かれて、判断力が鈍っていたのかもしれないが。
もし、あれが本当に幻だったのなら納得がいく。
この話には圭馬が食らいついた。
「おかしいと思ったけど、二人はボクたちには見えていない『モノ』を見ていた。それがあのサイテーな人だったってわけね。なるほどなるほど。やっとわかったよ」
デートだったらもっと楽しそうにしていただろう。それに、ただならぬ顔をして叫んでいた。圭馬はサキを見上げた。サキも頷いて感じたことを述べる。
「圭馬さんが異変に気が付いたので魔力サーチをかけて、反応したので解除魔法を放ちました。そしたら、風船が割れた。かな? 幻影魔術の類ではないですか?」
大まかにはそんなものだ。その話にショコラが反応した。
「変な気配がしたのは、そういうことなのねぇん。具体的には何を言われたのか気になるわぁ?」
おとぼけの鯖トラ猫かと思ったが、時々こういうところが鋭い。先ほどの移動ももしかしたらこの異変に気が付いたのかもしれない。
ミティアは重い口を開いた。
「兄さんに、また禁忌の魔法がほしいなら一緒に来いって言われました」
注意していた目が、離れた隙を突かれたと考えていい。
ミティアには迷いがあった。ただその場で納得はするが、この力を再び求めたい思いは変わらない。
「わたしは、悪いことに使わなければ、禁忌の魔法はあるべきものだと思います」
ミティアはぎゅっと拳を握った。スプーンを捻じ曲げてしまいそうな勢いだ。
その意見に真っ向から反対したのは竜次だった。
「それだけは絶対にいけない!」
竜次が言って届くかはわからない。だが言わずにはいられなかった。
「そんな力はもともと禁忌とされ、存在しなかったもの。命の倫理、サイクルを大きく狂わせるものなのです。だから、絶対に望んではいけません」
そう、頭ごなしに『ダメ』、『いけない』だけでどうしてなのか。矛盾に気が付いたミティアには、どうしても受け入れられなかった。
「戦ってばかりで、また誰かが危険な目に遭うかもしれない。そうなったら、残されたわたしはどうしたらいいんですか。さっきだって、目の前でジェフリーが危なかったかもしれない」
ミティアが竜次に言い返した。覆すかもしれない勢いで。ただ、大好きな人とずっと一緒にいたいがために。
押し返されてしまった。どうすればいいと言われても、的確な返しが思いつかない。
ジェフリーだけではなく、竜次にだってその答えはわからない。
この話題にようやくコーディは意見を述べた。わかりやすい疑問とともに。
「禁忌の魔法。おじさんは、どうしてローズのお母さんのために、その力を使おうと思わなかったのかな? 王女様の護衛だったし、存在を知っていて一度は悪用しようとした。だったら、違う種族である、人間だったローズのお母さんに、どうして向けなかったのかな?」
コーディは、思い耽るようにジュースの入ったグラスを持っていた。どこでもなく誰もいない空間に目を向けている。この幼い外見をした彼女の言葉が、一番重みがあるかもしれない。
「ローズだって順当に行って、何もなかったら七百年くらいは生きるんじゃない? 人間なんて生きてその何分かの一に過ぎないから、本当に一瞬だよね。私だって普通の人よりずっと成長も遅いし年を取るのも遅い」
皆は黙って耳を傾けている。
「どうせ過去だけど、その力を巡って種族戦争は起きた。神族はみんな、普通の人間にはないものを持っていたから起きたの。人間は欲深くて、利用して、その能力を悪用して意のままに使おうとしていた。それが、人間の間違った道、そんな人をお姉ちゃんは見て来たよね?」
言ってからコーディはため息をついた。そして、使い魔たちに目が行く。
「幻獣さんは、何年生きるの?」
さりげない巻き込み。だが、興味深い質問だ。圭馬は自分のことなのに、客観的な意見を言う。
「正しい年齢はわからないけれど、三千年は生きていると思うよ。ただ、この世界とボクの力を必要としている魔導士がいなくなったら、魔界でその生涯を終えて、転生をすると思う。ボクは比較的出会いを割り切るタイプだけど、中には、何十年と連れ添った魔導士と恋をして、一緒に消える幻獣もいるみたいだから、考えようだよ。命ってのは」
圭馬にしては気の利いた意見だった。種族の違う者にとって、人間の生涯などほんの一瞬に過ぎない。そして、それゆえに、人間の汚い部分をたくさん見て来た。
「一瞬の欲求は満たされる。でも、そのあとが問題だよ。その生き返らせるほどの力、みんなほしいよね。それこそ、種族の壁などもろともせず、平等に、愛し合うものならば誰でも望む、『ともに在りたい』をね」
その意見が容赦なくミティアの心に突き刺さった。ミティアは俯き、組んだ手を震わせていた。
圭馬はミティアを見上げ、言う。
「人間って汚いね、お姉ちゃん、また一つ、賢くなれたじゃん」
「わたし、もう少しで取り返しのつかないことをするかもしれなかったんだね」
純粋だからこそ、一番大きなものに溺れそうになった。過ちの根本に。
ミティアが顔を覆って首を振っている。
「ごめんなさい。わたしが自分勝手だった。これじゃあ、お母さんと変わらないね」
竜次もジェフリーも説得ができなかったものを、コーディは歴史を交えて説得した。
コーディ自身もドラグニー神族の末裔。誰かを好になれば、その人は不幸になる。人間だった自分の母親のように。
「真面目に話したら甘いものがほしいな。私も杏仁アイス食べたい」
コーディはデザートをほしがった。
種族の壁を痛いほど理解しているローズは気持ちを切り替え、かぶりを振った。
「人数分頼みましょうかネ、サキ君、呼び鈴をお願いしていいデス?」
「え、あ、はい……」
急に振られ、サキは背筋を伸ばす。コーディの興味深い話に聞き惚れていたのが正直なところだ。なぜなら、サキは卒業論文で手を付けた内容だからである。
サキだからこそ通じるものがあった。だが、自分が何か諭せたかと思うと、そんな説得力はない。
竜次やジェフリーと同じく、頭ごなしにダメと言って終わってしまう。
少し重い話をしたところで、リフレッシュのためにデザートタイムを設けた。
ミティアは二つ目のはずなのだが、シャクシャクと口に運んでいた。少しは気を取り直してくれたようで、食べ物で幸せになる彼女の気質に助けられた。
ある程度片付いたところで、今度は竜次がギルドから仕入れた情報を開示する。
「さて、ギルドから仕入れた情報です。ちょっと見ない間に怪事件が多発していました」
竜次はギルドからもらった、写しの紙を見せた。依頼になっていないが、情報として提供されているだけで二十件はある。
「墓から死んだ恋人が出て来た。フィラノス近海で海の上に女性が立っているのが目撃された。突然、天空都市が落ちて来た。どれも胡散臭いのしかないな? 少なくとも、天空都市が落ちて来たなら俺たちにとっても事件だぞ」
ジェフリーが目を通して感想を述べる。これのどこが怪事件なのだろうか。
竜次は付け加えた。仕入れた情報に続きがある。
「他にも、貿易都市ノアに邪神龍が出たとか色々ありますが、これは全部人が見た『幻』だったようです。その目撃者以外は、誰も認識していないというね」
違和感を覚えた。反応したのはショコラだった。
「嫌な予感がするのぉん?」
ショコラは幻影魔術に詳しい。人の生活に馴染む魔法を考案するくらいだ。
ジェフリーは疑問に思った。
「ばあさん、人に幻を見せる魔法は、誰にでもできるのか?」
「いんやぁ? そんな万能ではないのよぉ。高位の魔導士、まぁもしくは、『瘴気の魔物』が復活してしまったかじゃなぁん」
少し困ったように耳を下げ、シマシマの尻尾も心なしか、しょんぼりしているように見える。絵に描いたような猫背だ。
「瘴気の魔物じゃ。主に人間の不満とか憎悪とか邪神龍に近いが、それよりも実体を見付けるのが困難な故、どう対処していいかわからんなぁ」
ショコラは高位の魔導士よりも、瘴気の魔物の説を濃厚にしている。なぜなら範囲が非常に広いからだ。人間の足で混乱を起こすには、移動の手間を考えたら、几帳面でもない限りは面倒と思っていい。
ミティアは腕を抱え、震えていた。
「兄さんは、本当に幻だったの? すごく怖かった」
怯えるのも無理はない。あまりにも心を掴まれた。ミティアが過敏な反応を示すものだから、サキも小難しい顔をしながら考えごとをしている。思いつく限りを口にした。
「幻影魔術って、視覚を奪ったり遮ったり、ちょっと化けたり、人の弱みに付け込んで幻を見せたりする術もありますよね。死に際の人に先人を見せて、あえて幸せな逝き方をさせる使い方もあったような?」
勉強したのだろう。心当たりも含まれていた。
ジェフリーは小さく唸った。
「自身が抱える欲求や弱みに付け込まれそうになったってことだな? なら、俺たちだけに限らないのかもしれない」
サキは人差し指を立て、説明をする。
「内容はともかく、魔法に抵抗がなければ、誘惑も困惑もされやすいと思います。具体例として、催眠術だってかかりやすいとかかかりにくいがありますからね」
サキは先生に向いていると思う一面だ。魔法に関しては、もはや右に出る者はいない領域だ。説明や解説は素直にうれしいし、何度も助けられている。
圭馬も興味があるのか、小さく唸った。
「うーん、白兄ちゃんが詳しそうだなぁ。どうやったら打開ができるのか。かからないように防げるのかわかりそうなものだけど」
アイラにも顔出しを考えていた。ついでにはなるが、話してみるのも悪くはない。
これからの予定として、アイラのもとに出向き、ケーシスに関しては落ち着くまではゆっくりさせてもいいかもしれない。
サテラには会ってあげたいが、疲れている様子だったのは把握している。
ローズはアイラからの紙束を手にしながら、先の計画を練っていた。
「ミティアちゃんも普通の女の子への一歩が進み、緩やかに世界の情勢を調べて混沌の原因を究明。さてさて、ワタシはその先の、空飛ぶ船の設計でも始めますかネ」
早々に新しい目標が見えた。
ジェフリーは気持ちを引き締める。
「いよいよ天空都市に殴り込みが見えて来たのか」
「機械に強いのがワタシだけなのがネックデス。ギルドで人を雇うのも考えないといけませんネ」
時間はかかる。そんな雰囲気の中、ミティアが顔を上げた。
「ギルド。そっか」
何か思いついたようだ。コーディに確認を求める。
「お金出せばギルドって情報をくださいって依頼ができるんだっけ?」
「うん。どうしたの?」
ミティアがギルドを気にする理由を告げる。
「わたし、お母さんに向き合ってちゃんと話をしようと思う。天空都市の話を少しでも聞いておきたいと思った。だから、お母さんを探したい。どうかな?」
ミティアも考え方が変わったようだ。あれだけ母親を嫌がっていたのに、先ほどのせいかと思うくらいに違う。
否定的だったジェフリーもこの発言に驚いていた。
「限りある命を誤魔化して凌ぐのも限界が来ると思う。わたしも、意地を張っているのはやめようと思いました。自分勝手だったけど、一つ一つ解決して、ちゃんと話せばわかってもらえると思うの。本当のお母さんなら、ちゃんと向き合わなきゃいけない。わたしも逃げちゃいけない」
強い意志だ。禁忌の魔法を求めるより、ずっと応援したい。
もちろん誰もその考えを否定しない。
「誤ってしまった分、今度は自然な道を歩みたいと思っただけです。わたし、みんなにたくさん助けてもらったから、わたしもみんなを助けたい。そのためにちゃんと話がしたいです。だから探すのを手伝ってくれますか?」
コーディは快く受け入れた。
「探しものはギルドが早いからね。ましてや、大魔導士さん御一行からともなれば、もしかしたら食い付きがいいかもしれないし」
名前をいいように使うのもどうかと思ったが、サキは嫌な顔をしていない。お人好しなのかもしれないが、いいことのために利用されるのは嫌がらない。もしかしたら、もっとどうぞと言うかもしれない。
コーディは行動開始のタイミングを見計らう。
「んーと、じゃあ、アイラさんに挨拶をしてからギルドかな? 夕方になれば繁華街もお祭りムードが落ち着くだろうし、動きやすくなると思うから」
フィラノスの状況を指摘した。もちろんいい方に作用するのはかまわないのだが、行動が制限されないかは心配だ。
ローズにご馳走様と皆で感謝をし、街に繰り出した。食べ過ぎたくらいだ。
夜は軽めでもいいだろう。
街中を歩いても、呼び止められたり、何かを求めたりはして来ない。この街は治安もそうだが民度もいい。
誰が広めたか知らないが、勇者御一行としても異色なのに、史上最年少の大魔導までいるのだ。注目の的だが、適度な距離感を持ってくれる街の人には感謝する。
魔法学校を通りかかると、子連れが何十人も並んでいる。目に見えてわかる変化だ。この中に、未来の大魔導士がいるのかもしれない。
目にしただけで、込み上げるものがある。
住宅街に出た。スラムと違って品のいい人たちが目に入る。高級住宅街から抜けて来たのか、毛に艶のある犬を連れた人も見受けられた。
竜次が貧民街も見た上で、街の在り方について持論を述べる。
「本当は住んでいる場所の壁がなくなれば、いじめや、差別もなくなっていいんでしょうけどね。どうしてもある程度の貧困の差はありますよね。一等地に近い場所や利便性は出てしまいます」
身分を気にするのなら、サキも名前に縛られていたので通じるものがあった。
それはそうと、アイラの精神は大丈夫だろうか。彼女はタフだが、今回はかなり落ち込んでいた。ジェフリーを危険な目に遭わせたと、責任も感じていた。別れた彼女はまるで廃人のようになっていたし、心配でならない。
買ったと自慢された家の前には早速木箱が積まれ、釣り竿が立てかけられている。生活感が出ていた。
サキが率先してノックする。この家に呼び鈴はまだないらしい。
反応はないが戸は微かに開いていた。中から話声がする。サキは遠慮せずに戸を開いた。中では金髪の男性と言い争っていた。
心を許す人には図々しさが出るサキ。ずかずかと入り、声をかけた。
「こんにちは、お師匠様」
アイラはこちらに気付いた。今日は髪を下ろし、ラフな格好をしている。
「あらやだ。何てタイミングだよ」
アイラは取り乱した。普通はそうだろう。客人二人も一行に注目する。
「よぉ、お前たち、ちょうどいいところに来たな」
子連れの男性だ。だが、どこか見覚えがある。
男性は髪をうしろで束ね、ワックスできちんとセットしている。四角い眼鏡、白いシャツにネクタイ、紺色のジャケットを脱いで左腕に引っかけていた。
子どもも何となくだが見覚えがある。魔法学校の制服だ。
ミティアが首を傾げながら質問をする。
「あれ、もしかして、ケーシスさん。と、サテラ?」
男性はニカリと歯を見せて笑う。ケーシスで正解のようだ。
「やっぱ、姉ちゃん俺に気があるのか? 覚えててくれるなんてうれしいねぇ」
ジェフリーは露骨に嫌な顔をしながら、ミティアを庇っている。父親が自分の想い人に色目を使うなど、いい気がしない。
ケーシスは無精髭も綺麗にし、髪も整っているせいで若々しい。ゆえに、誰なのかを把握するのに時間を要した。まだそれなりにおじさんのラインと戦える見た目だ。
竜次が言わないと進まないだろうと、質問をした。
「お父様、マダムの家で何を?」
なぜか答えたのはアイラだ。両手を広げ、深いため息をついた。
「この子を弟子にしてくれって言うのさ。勘弁しておくれよ」
アイラが言う『この子』とは、ケーシスの隣にいるサテラだ。魔法学校の制服を着ている時点で、もう志は十二分だ。
ケーシスは机に手をつき、偉そうに言う。
「だーかーらー、資金面は全面サポートしてやるし、どうせこいつは学生寮に入れちまうんだ。俺みたいな落ちこぼれのもとで魔法のテッペンなんて目指せねぇから、こうして頭を下げに来てるんじゃねぇか。でなかったら、嫁と同じ懐中時計取れなかった大っ嫌いな奴にこんなことはしねぇ!!」
話の流れはわかったが、アイラは嫌そうだ。やっと腰を下ろせて、新生活を開始させようとしていたのに面倒だと思うだろう。
しかし話が急すぎる。わからずやの大人がぶつかる。サテラは一行に歩み寄り、頭を下げた。
「助かった命で自分も一から大魔導士を志そうと思いました。もし、この方にお弟子にしていただけませんでしたら、お姉さんをはじめとする大魔導士様、直々にお世話になろうと思います!!」
サテラはジェフリーに向かって深々と頭を下げた。
「自分をお救いくださり、本当にありがとうございました」
ジェフリーは仲間の視線を気にしながら、頬を赤める。
「べ、別に俺は、ミティアに頼み込まれたし、言い争って、手ぶらで謝りに行きたくなかっただけであって」
ぶつぶつとジェフリーなりの言い訳を述べている。これだけ見ると、萌えないツンデレにしか見えない。
「義理であっても、自分のお兄さんです。よろしくお願いします!!」
「いや待て、ついて来る前提で話をするな。そもそも俺たちは、まだやることがたくさんあってだな……」
この輝いた目を無碍にするのも良心が痛む。だが、危険な旅に巻き込むわけにはいかない。ジェフリーはケーシスに文句を言う。
「親父も無茶苦茶だな。まだ周りに迷惑かけようってのかよ」
自分勝手な父親を呪いたくなる。どこまで迷惑をかけるのだろうか。これも今さらで縁が切れないのだが、もう少し自分でどうにかしようとは思わないのだろうか。
サテラはサキに強い憧れを抱いているようだ。目が輝いている。
「自分は大魔導士様の弟子になる方がうれしいのですが」
「えっ、僕ですか!? そういうのは考えていないです。旅の途中ですし」
いつの間にかサキにも飛び火した。彼は身体的な面はまだ若すぎる。稼ぎもなければ安定した居住もなく、地盤がしっかりしていない。弟子を取るなんてもってのほかだ。
サキに迷惑がかかりそうだと察知し、アイラはついに折れた。
「あぁもぉ、わかった!! うちの子に迷惑をかけるのはおよしよ。週末しか面倒を見てやれないよ!?」
ケーシスはアイラがようやく折れたとにやにやと笑う。
かなり長い言い争いだったのか、テーブルの隅で圭白と恵子が仲良く日向ぼっこをしていたくらいだ。
アイラは拳を握り、震わせている。悔しいようだ。
「屈辱だよ、ケーシスさん……」
「ハッハ、そうか。俺はあんたに最高の復讐ができた気分だ。書類は壱子に持って来させるからよろしく頼んだ」
「くっ、あたしにその子を預けて、ケーシスさんはどうするんだい?」
アイラがねじ伏せられている。サテラにとって、アイラはサキの師匠だ。本人に弟子入りができないのだから、これもうれしいはずだが、懐中時計まで持つケーシスが面倒を見ないのは少し気になる。
ケーシスは一行へ向き直った。
「決戦の舞台、ルーの野郎に殴り込みに行くなら、そのときは付き合う。もちろん協力する。どうだ?」
「つまり、お父様から要所で助力をいただけると?」
「平たく言えばそうなるな。それまでは周辺整理でもゆっくりするさ。沙蘭に顔も出しに行くし。今、壱子に情報操作を頼んでいる。俺の指名手配も汚名も、そのうち落ち着く。裏稼業から足を洗って、粗末にしていた自分の体も良くなるように生活して、ローズじゃねぇが償いをして行くつもりだ」
至極まっとうに生きると言うが、どこまで実現できるだろうか。自分勝手のせいで家族は壊れ、子どもには寂しい思いをさせたと痛感したらしい。
ジェフリーはケーシスに対して、誤解をしている部分があった。だが、そう簡単に人間は変われないことも自身で痛感している。もがき苦しむのが見えていた。
「言うのは簡単だよな。俺だって親父と同じだった」
ケーシスはこれに反論した。
「ジェフリー、お前は俺とは違う。道を誤ったらそれは違うって言ってくれる奴が、周りにはいるだろ?」
「……」
「お前は一人じゃない。それを忘れるなよ」
父親らしい言葉だ。ジェフリーはこの感覚が、むず痒く思いながらうれしかった。
魔導士狩りに遭ってから自分は一人だと思っていた。それが、今はどうだろうか。こんなにも優しい人に恵まれて、死に際に心の底から泣いてくれた人たちに囲まれている。
ケーシスは周りが見えていなかった。必死だったからこそ、間違っても引き返せなかった。取り返しのつかないことになっても、もう戻れる道はなかった。行き着いた荒んだ日常で拾った命、出会った太陽。まだ変われる気がしたからこそ、こうして懺悔をしている。償いがしたいと願っている。そして、自分の子どもに向き合おうとしていた。
その行いの行く末が見たい。ミティアは純粋に応援をしたいと激励した。
「わたし、ケーシスさんが頑張るなら応援します。大切なことに気付けたんだから。きっとやり直せます!!」
よりによってミティアに励まされるとは困った。ケーシスは表情を渋める。でも、それはどこか笑っているようにも見えた。
「姉ちゃん、とびっきりのいい女になれよ」
ケーシスから掛かった言葉に、ミティアは目をぱちくりさせる。インコのように首を左右に傾げた。もうここまで積み重ねるとわかるかもしれないが、ミティアは意中の人以外からの殺し文句は受け付けない。聞いていないわけではないのだが、このお惚け具合に何人の男性が翻弄されたのか。
サテラの弟子入りをさせるという大きな用事が済み、ケーシスはサテラを置いて帰ろうとした。
自分の意思をしっかりと持ったアイラをねじ伏せるなど、ケーシスも無茶苦茶だ。アイラは渋々了承したが、それは諦めに近いものだった。
サテラは上機嫌だ。なぜなら、自分が憧れていた大魔導士への第一歩、魔法学校への入学と、アイラへの弟子入りが決まったからだ。ケーシスとの別れを惜しむこともなく、遠足にでも行くような気軽さだった。
「お父様、お薬はちゃんと一日に三回、ちゃんと飲んでください」
「わーったから、お前も粗相のないようにしっかりやれよ。今まで俺が教えたことは覚えているよな? 礼儀だけはきちんとさせろ。いいことをされたら礼はちゃんと言え」
「わかりました、お父様」
親離れと子離れ、そんな言葉を目の前で繰り広げられた。
そして、子離れはもう一つ。ケーシスはジェフリーと竜次を見、一行を見渡した。
「ウチの馬鹿息子をよろしく頼んだ。ま、お前らは大丈夫か」
竜次とジェフリー以外に向けられた言葉だが、サキは目が合ってしまい恐縮そうに軽く頭を下げている。
ケーシスは込み上げるものを抑え込んだ。かつて年の離れた親友の子どもが目の前にいる。だが、言う権利はないとケーシスは少し寂しげに視線を流す。
ケーシスは一行の間をすり抜け、背中を向けたまま手を振った。
「俺はあの世でシルビナに会ったとき、胸を張っていい人生だったって言えるように気張るからな。お前らも頑張れよ」
遠い背中、ケーシスが言う言葉はどこかうしろ髪を引かれる。
ミティアだけはケーシスの背中を追っていた。去ってしまった扉を見つめている。ミティアの中で『生きる』意味が目まぐるしく変わって心苦しい。好きな人と一緒に生きるだけが答えではないと考えさせられる。
何となくしんみりした空気が漂う。
その空気の中、アイラは大きなため息とともに、椅子に深く腰掛けた。
「もう、何でこうなるんだい。あたしゃ昔からあの人が苦手だったんだけど、やっぱり苦手だわ」
テーブルに肘を着き、そのまま額を抑え込んでいる。傍らにサテラが駆け寄った。
「あの、アイラさん!」
「師匠って呼びなさい。まずこの予算で、繁華街のお弁当屋さんからお昼をご飯買って来なさい」
「わ、わかりました」
アイラはサテラに小銭を持たせ、出かけさせた。もう一度ため息をつく。本当はこんな話を受けるつもりはなかった。だが、ケーシスから気を遣われているのも承知している。そして付け入られたこともわかっている。わかっていて引き受けてしまったのが正直なところだ。
「騒がしくてすまないね。お陰様で、落ち込んでる暇もないよ」
アイラは複雑な心境だった。騒がしかったことを詫びた。だが、サキはそのアイラをフォローする。
「いえ、落ち込んでいたら、お師匠様らしくないですよ。でも、これで退屈しなさそうでよかったですね」
アイラは深く頷き、今度はジェフリーを見た。
「ジェフリー、すまなかったね。あたしゃどうしたらいいのかわからなかった。本当に死んだらどうしようかと思ったよ」
アイラはきっちりと覚えていた。まだ謝っていない。責任を感じていた。
ジェフリーはあらためてその話をする。
「あれは誰も悪くない。おばさんも、もちろんそこの使い魔も」
恵子が申し訳なさそうに耳を垂れているのを確認し、この対応だ。もちろんジェフリーはアイラを責めるつもりはない。
「あのまま放置しないで運んでくれてありがとう。相手が親父で助かった。強いて言うなら、俺のわがままに付き合わせたのが悪かった。迷惑をかけて、すまないと思っている」
アイラは座ったまま、ジェフリーの肩を叩く。
「あんたがそう言うなら、もうこの話はやめよう。いい話の方がいい」
アイラは立ち上がってサキに向き直った。
「お祝いちゃんとできなくてすまなかったね。合格おめでとう」
サキはキッドに背中を押される。サキは思い出したようにハッとなり、カバンから証書と勲章を取り出して見せた。
「へぇ、今も昔もデザインは変わっていないんだねぇ」
アイラは勲章を摘まんであらゆる角度から見て観察している。アイラも大魔導士だ。ゆえに、何も変化がないことを意外に思った。
「あ、あれ?」
サキはカバンを漁りながら焦っている。
アイラは首を傾げ、サキが何をしたいのか、反応を待った。
「光の魔導書がない。宿に置いて来ちゃったのかな?」
サキはもう一冊の闇の魔導書を手にしている。もう一冊あったはずだ。授与されたものを見せたかった。
アイラは呆れながら笑う。
「その本は一度読んだら、消えてなくなってしまう特別な魔法がかかっているんだよ。大切にしまっておきなさい。人に見せるものじゃないよ」
「えっ、そうなんですか!?」
アイラが言うには、授与された魔導書は、一度読んだらなくなってしまう魔法がかかっているようだ。まぁ、こんな貴重な物、きつい試験を乗り越えてやっと手にしたのに広められても転売されても困るだろう。魔法学校のビジネス具合がうかがえる情報だった。
本に魔法がかけられているとい部分が実に魔法学校らしい。
反応をしたのはコーディだった。
「読んだら消える本って何かやだね。書いた側からしたら、たまったものじゃないよ」
本と聞いて、コーディが苦笑いする。一回しか読めないなんて、作家からしたら邪道だ。読み返してからこそ新しく見付けるものだってあるというのに。
それはさておき、サキはがっかりとしている。
「じ、じっくり読みたかった」
こうなると知っていたならもっとゆっくり、じっくりと読んだ。
アイラはゆっくりと言い聞かせた。
「サキの守護属性は光と闇。だから、今、その手に持っているのは闇の大魔法だね」
合格すれば二つの大魔法が授与される仕組みだった。希望がなければその人が持っている守護属性が渡される仕組みだが、どうもサキは緊張であまり聞いていなかったらしい。これもきちんと説明がされているはずだ。
「あ、あんまり聞いてなかったかも。もう、人がすごかったし、よくわからなくて」
サキが恥ずかしがって取り乱している。不意にこういう抜けたところがあると、面白がってからかいたくなるのがコーディ。
「大衆をカボチャに思えってよく言うじゃん」
「そ、そんな余裕なかったよ」
自分より優れた人間にも、何かしらの弱点がある。コーディは、そんな切り崩しをひっそりと楽しんでいた。
サキはアイラがどんなものをもらったのかが気になった。
「お師匠様は何をもらったのですか? 僕はお師匠様の守護属性を知りません」
「火と風だよ。でも、使う機会がないから風はもう忘れてしまったね」
身に着けても実際に使わなければ訛ってしまうし、忘れてしまうのはどんなものでもそうだ。剣術だって、魔法だって変わらない。
実はサキ、弟子ではあるが、魔法についてはほとんど教えてもらっていない。ゆえにアイラの技量は知らなかった。
アイラよりも圭馬の方が詳しかった。圭馬も大魔導士の資格を持っていたはずだ。
「不死者や実体を持たないモノに有効な業火のレジェンドフラム。特攻なしでも強烈だと評判だね。それに瞬足のフォークフィールド。確かにこの二つなら、実用性が高いのは、強敵を焼き払うレジェンドフラムだね。特にギルドのハンターをしていたらね」
大魔法など、サキ以外に縁がない。圭馬も詳しいみたいだが、彼が使うところは見た記憶がない。
アイラは小さく頷き、椅子の背もたれに両肘を乗せて天井を仰いだ。
「もう弟子なんて言えないね」
サキは突き放すような言葉に反応した。
「そ、そんな!」
「新しい弟子が来ちまったし」
「お師匠様!!」
アイラは急に不穏なことを言い出す。サキは必死に食い下がる。
「僕が大魔導士になったからですか!? ひとり立ちしろと言うのですか?」
アイラは歯を見せて笑った。
「どうしていつまでも師弟なんだい? いつになったら、あんたのお母ちゃんになれるんだい?」
「え、あ……」
「また、簡単なことに気が付けないね。お馬鹿だよ」
サキは悔しそうに身を縮めている。
アイラはこれからについて問う。
「あたしゃギルドで小遣い稼ぐ以外は完全にドロップするけど、あんたたちはこれからどうするんだい? 天空都市を目指すのかい? それとも、地上の異変の調査かい?」
皆は身の振り方を考えている。アイラも例外ではなかった。本当の別れではないが、ケーシス同様に新しい生活は応援したい。
圭馬がカバンから身を乗り出した。
「ボク、白兄ちゃんに質問があるんだけど」
テーブルの日向からピクリと耳を立て、圭白は注目する。
「瘴気の魔物、でしょうか?」
「人が話す前に読心術を使うのぉ? 今来たばかりで助けてほしいときだけにしてよ」
では話せとでも言いたいのか、圭白は尻尾を振りながら黙り込んだ。
「あぁもぉいいよ。そうだよ。何か知らない? 変な事件が起きてるの、ギルド行ったりするなら知ってるでしょ!?」
圭馬は不貞腐れ気味に暴れている。だが、この話には皆で参加した。
竜次がさらりと計画を述べる。
「今抱えているのは、人探しとその瘴気の魔物の調査。以前マダムにお願いした神族の技術とノックスの鉱石をうまく利用して、空飛ぶ技術に着手となると思います」
大筋の流れとして、アイラに挨拶が完了してしまうと、もう頼れる人はいない。自分たちだけで危機もやり過ごさなくてはいけないのだ。ギルドなどを使って連絡や助けを借りるのは可能かもしれないが、その程度だ。
事実上の独立となる。一行はその責任が重く圧しかかった。
圭白は持論を唱える。
「瘴気の魔物、その存在は不確かです。でも、これだけ野生動物の狂暴化、不穏な事件が多発していれば、地脈というか、この世界の空気と言うか、さまざまなものが澱んでしまうと思います。そうなると、今度は心の弱い人が壊れてゆくかもしれなせん」
わかりやすいように言葉を選んでいるのは詰まり方でわかる。圭白はできるだけわかりやすいように伝えようと必死だった。
「そもそも野生動物は人間とある程度の住み分けができておりました。それが狂暴化して人を襲うなど、昔ではなかったこと。ならば、誰かが意図的に操作をしているとしか思えません。瘴気の魔物だって、人の心が生み出す邪神龍と変わりありません。もしかしたら、これから生まれる瘴気の魔物は、やがて邪神龍になるかもしれません。何か撒かれた、仕掛けられた、うーん……」
どちらにしろ、この異変がいいものではない。圭白は耳を下げ、詫びた。
「うまく説明ができずに申し訳ないです。ですが、防ぐにも、対処するにも限界があります。諸悪の根源をどうにかしないければ、ただのイタチごっこです」
圭白の言葉を聞き、キッドが反応した。
「それって、魔力封じで何とかならないかしら?」
いつもはこういった難しい話に関心を示さないキッドだが、緊張感を持っている。
圭白はサキにも目を配る。
「そうでしたね。弟様と力を合わせれば封じることも、もしかしたら倒すのも可能かもしれません。確証が持てなくて申し訳ないのですが、瘴気の魔物や邪神龍と対峙するようでしたら、戦力にはなるでしょう」
「そ、そう。あたしでも役に立てそうなのね。難しい話だったけど、ありがとう」
確かに何も知識や経験がなかったら、わからないことだらけだ。自分にできることをしたい。キッドはこういう人だ。役に立ちたい、役に立とうと必死だ。
武力行使となれば、ジェフリーも黙ってはいない。
「何だか知らないが、遭遇したら全力で潰しにかかればいいのか?」
「いいですねぇ、ジェフは単純で……」
典型的なことを言い出すものだから、竜次も呆れてしまっている。要はそうかもしれないが対策の話もどこかで練らなければ、また付け込まれないか心配だ。
ミティアは安心しながらどこか残念そうだった。
「そっか、やっぱり幻だったんだね」
今、もっとも危ないのはミティアだろう。ここで追い打ちを仕掛けられないか心配だ。
アイラは名残惜しそうに言う。
「ほぉん、そいじゃあ、ギルドに行ってから、フィラノスを出るのかい? まぁ、そうなるよね」
行き先もそうだが、今後の方針を考慮すると、拠点を置くことになる。ローズが具体的に示した。
「情報収集をしながらこれからの行動を考えるので、拠点はフィリップスになると思うデス。今となっては帰って来れる魔法や便利アイテム、船もありますからネ」
何かあればフィリップスにいると言った。実際、そうなるだろう。
ローズはアイラからの『お願い』を覚えていた。
「アリューン界の話も気になるデス。歴史の街、フィリップスなら何か掴めるかもしれません。わかり次第、何かしらの形でお伝えしますネ」
「さすが、学者さんは忘れちゃいないね。助かるよ、お願いする」
てっきり忘れられていると思った。フィラノスの大図書館はまだ封鎖されているし、調べようがない。ここで物事を進めるには少々勝手が悪い。
アイラへの要件ではないが、コーディも小さい用事があった。
「そうだ、アイラさん。私の本、明日発売されるの。ギルドで小さく宣伝されているんだけど、よかったら読んでね」
「余裕があったらかな。あの子まだ帰って来ないし。手がかかりそうだねぇ」
コーディとは仕事仲間、サキの次に付き合いは長いがアイラの方が格上。あまり行動をともにできなかったのもそうだが、もう少しベテランの話も聞きたかったかもしれない。
それはそうと、アイラが心配するサテラが帰って来ない。
ミティアはその理由が想像できたのか、小さく笑っている。
一同は軽く会釈をして、アイラの家をあとにする。
ジェフリーが去り際に挨拶をする。
「おばさんには世話になった。またどこかで会う気がするけどな」
アイラは立ち上がってジェフリーの両肩に手を置いた。
「ジェフリー、あんた、しっかりしなさいね。あんたがみんなを守ってあげるんだ。今度しくじったら承知しないよ……」
ジェフリーは目を瞑って真摯に受け止める。竜次以外に、こういう言われ方などしない。ゆえに少しうれしかった。叱ってくれる人をありがたいと思う。ケーシスは余計なことを言うし論外だ。
「身に染みる。ありがとう」
「何だい? 素直になっちゃって」
目に見えたいい変化に違和感を覚えつつも、アイラは小馬鹿にするように鼻で笑った。
「サキ!」
アイラは立ったまま、サキにも声をかけた。
サキはビクッとしながら背筋を伸ばす。
「その力は善にも悪にもなる。人を助けるための大魔導士でありたいのなら、覚えておきなさい。力に溺れるんじゃないよ……」
「は、はい?」
サキはアイラの言葉に首を傾げた。とりあえず頷き、頭の隅に留めておいた。
まぁいいやと思ったのか、アイラが雑に手を振ってあしらおうとする。
「さ、お行き。これ以上いられたら名残惜しくなるでしょ」
ジェフリーたちは、半ば強引にアイラの家を追い出された。
もう少し存分に別れの言葉でも交わしてよかったのだが、アイラの性格からしていつもさっぱりと別れたいのだろう。これまでも、さよならを言った記憶がない。
住宅街の通りで七人と二匹が立ち尽くす。
あまり別れと言う感じではなかったせいかもしれない。
「あっ!!」
ミティアが突然声を上げる。久しぶりにこの空気、何が来るのかと期待してしまう。ミティアは何度か瞬き、ポーチの中からブロンズの懐中時計を引っ張り出した。
「どうしよう、あんなに一緒にいたのに、ケーシスさんに返すのを忘れちゃった」
じゃらりとチェーンが音を立てる。ケーシスが魔法を使えることは、表立っては知られていない。むしろ目の前で使ったところを見た記憶がない。どちらかというと、剣豪で、かつ体術が得意なイメージが強い。人物としてその方がしっくりくる。
懐中時計を見て、サキが興味を示す。
「ちょっといいですか?」
サキは懐中時計を覗き込んだ。この懐中時計には、卒業した年号と名前が彫られているので偽ることはできない。
ジェフリーや竜次も、ケーシスが懐中時計を持つほどの腕だったとは知らなかった。
「おふくろが銀の懐中時計を持っていたのは知ってたけど、親父も持ってたんだな」
「偽物ではなさそうですが、私たちも知らないです」
兄弟は顔を見合わせ、首を傾げた。
サキは会話から推理をしていた。ケーシスは懐中時計を持つほどの実力を持ちながら、あえて家族には話さなかった。ブロンズの懐中時計に刻まれていた年号がアイラの懐中時計と一緒という点が気になる。アイラは自分の母親の懐中時計を持っていた、そしてその母親の懐中時計とも年号が同じである。妙な引っかかりだ。
ケーシスは自分を落ちこぼれだと言っていたが、卒業試験で上位に入った実力のどこが落ちこぼれなのだろうか。
それだけではない。
やたらと自分に目が向いていたこともそうだ。父親の手帳は自分のファンからだと言っていた。ローズが持っていた点をもっと不審に思っていたら、もしかしたらこの答えが早く導き出せたかもしれない。
ケーシスはおそらく自分の両親を知っている人だ。そしてあの手帳は父親がケーシスに向けたものだ。
この巡り合わせは何だろうか。これも、偶然なのだろうか。考えれば考えるほど怖くなった。この繋がりは偶然なんかじゃない。
今度ケーシスに会うことがあれば、この疑惑は晴らさなければならない。サキの探求心は目標を作ってしまった。
もうすぐ日が暮れそうだ。長居してしまったし、お昼も遅かった。ギルドに足を運ぶという流れになる。
ミティアは用事がある言い方をした。
「ギルドのついででいいから、どうしても行きたいところがあるの」
繁華街の入り口に近い場所に駆け寄った。とあるお弁当屋さんを覗き込んでいる。ミティアは勝手に一人で進んでしまった。
「わ、やっぱりそうだ。サテラ!」
ミティアは断りもなしにお店に入ってしまった。コーディが驚きの声を上げる。
「え、お姉ちゃん!? そ、そこまでする?」
店員の女性とサテラが言い合いになっているのを、ミティアが仲裁している。
その様子に、サキがぱたぱたと小走りになってお店に入って行った。
「お使いもできないガキってわけか。あ、まぁこれから学ぶだろうけど」
理由がこれかとジェフリーも苦言を漏らす。だが、すぐに言い換えた。口の悪さは簡単には直らないようだが、意識するように心がけた。
お店の中では、サテラが店員の女性に怒られていた。健康的で高いお弁当を頼もうとしてお金が足りないと問題を起こしていたようだ。ケーシスのおつかいがそうだった。名残が悪さをしている。
ミティアは財布を取り出し、謝りながら補填しようとする。だが、サキがさらに割って入った。
「この子、何を頼みましたか?」
聞けば十六穀米ご飯と幕の内の一番高いお弁当を頼んでいた。アイラが渡したお金ではとんでもない。
店員の女性は、大魔導士という英雄視されている人物に訪問されて慌てている。だが、それとこれとは話が違う。
サキが注文を変えさせようとする。
「お師匠様はハムやチーズが好きなんです。なので、このハムカツと、チーズハンバーグのお弁当なんて予算内に収まりますよ?」
サキがサテラにちょっとしたアドバイスをしている。サテラは頷きながら、それにすると注文をし直した。
会計をしたお金とおつりを確認する。サテラは深々と頭を下げた。
「ありがとう、大魔導士様」
「ボクの名前はサキです。ソエル・ハーテスって名前でもありますけど。お師匠様は、魔法の手ほどきをしてくれませんが、どう生きていけばいいのかを教えてくれます。おつかいもそうです」
「師匠の好物、覚えました。うまくやりくりするのも大切なのですね。遅くなっちゃったので怒られちゃうかな」
サキはサテラを見て懐かしく思う。かつての自分もそうだった。こうやってたくさん間違えて覚えて、大きくなっていったのだ。懐かしく思う。
「キセルを噴かすか、お酒の量は増えるかもしれませんが、あまり怒りしません。少なくとも、理不尽に手を上げて叱ったりしない。お師匠様は、叱ることに意味のある人ですよ」
先輩としてのアドバイスだ。何も特別な話ではない。
それなのに、サテラは目を輝かせて熱心に聞いていた。
お弁当を受け取って外に出たが、日が暮れてしまった。驚いたのは一行の皆が待っていたことだ。サテラは皆を見上げている。
「あの、すいません。お姉さんと大魔導士様をお借りしてしまって……」
もじもじと申し訳なさそうにサテラは俯いた。これではただの子どもと変わらない。どこが人間兵器だ。あらゆる負荷をかけられたハイブリッド人間だ。
「そうだ、わたしたち、もうすぐフィラノスを離れちゃうの」
「そ、そんな……」
サテラがお弁当の入った袋を落としそうになりながら、ミティアのスカートを握って来た。ミティアに懐いているのは知っているが、ここまでやられると母親にでも見えて来るのが困る。
冷ややかな視線を浴びせているのはジェフリーだ。コーディが指摘を入れる。
「ジェフリーお兄ちゃん、その顔どうにかした方がいいよ」
「生憎、俺は兄貴と違って顔は悪い」
ジェフリーの顔は嫉妬でまみれていた。
ここでミティアはしゃがみ、サテラに順々に皆を紹介していく。ずっと先延ばしになっていたことだ。こうやって紹介していくだけでも、何かしらの共通点を思わせてくれる。不思議なものだ。この場にいること自体が奇跡。巡り合えたことも何もかも。
会釈をして、皆の紹介を終えるとミティアは立ち上がって笑った。
「今度会ったときまでに、みんなのこと、ちゃんと覚えていてくれるかな?」
サテラは寂しそうに頷いた。離れがたいようだ。それもそうだ。魔法学校の就学、弟子入り。あわよくば、一行に協力ができるのではないかと期待をしていた。
黙ったままのサテラにサキは言う。
「お弁当冷めたら、お師匠様に悪いような?」
サキの注意でやっと現実的な事に気が付いたのか、サテラはお弁当を持ち直して震え上がった。
やっとミティアから離れた。それでも俯いている。
サテラは怯えていた。いい答えであってもらいたいと期待をしながら、本当は二度と会えないのではないか、自分を忘れてしまわないかと怖かった。
「ま、また会えますか?」
就学して寮に入ってしまえば帰って来るのは週末のみ。慣れるまでは自由が利かないし、会えないだろう。
竜次が代表してサテラの頭を撫で、言う。大きくて優しい手だ。
「もちろんです。しばらくは難しいかもしれませんが、生活が落ち着いて、機会があったら国に来てください。あなたのお姉さんたちがきっと快く迎え入れてくれます」
沙蘭には正姫もそうだが、血の繋がりのない光介もマナカもいる。もしかしたらいい刺激になるかもしれない。
竜次と違ってジェフリーは素っ気ない。そしてサテラの反応も悪い。
「親父やおばさんと仲良くやれよ」
「お師匠様はともかく。お父様は血のつながりはないですが、家族なのです。どうして喧嘩をしないといけないのですか?」
「お前、誰に向かって言ってるんだ?」
「お姉さんを泣かせる悪者に向かって言っているのですが?」
悪い反応を通し越して、喧嘩腰になってしまう。
ジェフリーはカチンと来たが、これを堪えた。キッドとコーディが笑いを堪えているのが余計に苛立つ。だが、子どもならではの視点でそんな風に見えているのなら、あらためないといけない。
ジェフリーは屈んでサテラと目の高さを合わせた。
「はぁ、そうか……」
子どもに叱られた気分だ。
「努力はする。だからお前も強くなれ。誰も泣かせないのは難しいんだからな」
サテラはジェフリーと目を合わせたまま、ニッと歯を見せて笑う。
「では、お兄さんには絶対に負けません」
サテラは小走りになって住宅街の方へ走って行った。照れ臭いのかもしれない。小高くなった坂を上る手前、振り返った。
「またいつかっ!! 約束です!!」
一同は手を振り、サテラを見送った。これでよかったのかは疑問が残る。
サキに弟子入りしたがっていたのもそうだが、ここに残してやっていけるのだろうか。
出会いがあり、別れがあって自立を思い知る。
こうやって少しずつ大人になっていくのかと思うと、何も知らないままただ好奇心や探求心を躍らせて冒険していた方がよかったのかもしれない。
この世界は汚れていて、複雑で、負の遺産があって、理不尽が蔓延っていて。
それでもその理不尽の先にあるものに励まされて、支えられて、自分がここに立っている。
まだ、終わらないし、終われない。
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